桜の若鳥攫い

野良猫のらん

桜色の雨粒、手のひらに浮かべて

 あの子は、桜に攫われたんです。


 それが依頼人の言葉だった。

 桜の雨が降りしきる中、当時五歳だった依頼人の息子は姿を消したのだと。


「そりゃあれだ、そのくらいの年の子供はまだ人と神の境だからな」


 私の隣で相棒が呟く。

 私の探偵事務所で住み込みで働く二十代前半の男、その名も山田太郎。

 それが私の相棒だ。


「人じゃなくて神として生きることを選んだんじゃないか」

「山田。そんな言葉、依頼人の前では絶対に言うなよ」


 依頼人の息子が失踪してから六年。

 もうとっくに捜査は打ち切られている。

 生きていれば十一歳。小学校六年生だ。


「当時捜索隊が散々山の中を調べ尽くしたが、遺体は見つかっていない」


 私たちは当時を振り返るために、件の現場に足を運んでいた。

 その名も桜峰神社。その名から連想できる通り、花見の名所だ。


「私の推理では、これは誘拐だ」


 階段を上がり切り、境内に入ると私たちは自然にぴたりと足を止めた。

 桜が美しかったからではない。


「まだ全然咲いてねえな」

「ああ。九州の方ではもう咲き始めていると聞くがな」


 予想通り、美しく咲き誇った桜の姿など何処にも見られなかったからだ。

 北国であるここら辺では桜の開花どころか、やっと雪解けを果たしたばかりだ。

 しかもその雪解けも今年は異常に早かっただけで、例年ならばまだ積もっている。


「時期は今くらいだったっていうのは確かなのか?」

「ああ――――桜が無いのでは、桜に攫われようがない」


 明らかにおかしい話だ。

 当時の記録を調べてみたが、異常気象だったという話も、桜が早咲きだったという記録も何も出てこなかった。

 私自身も、六年前この時期に桜が咲いていた記憶はない。


「だーから、神隠しだったんだって」


 矛盾を指摘する私の言葉に、また彼が空想じみた返しをする。

 おかしいな。普段の彼はこんなに非現実的なことばかり口にする人間ではないのだが。


「本当は時期が違っていたのか、はたまた場所が違ったのか。それとも何らかの錯覚だったのか。『桜に攫われた』という依頼人の言葉の真相は分からないが、少なくとも確かなことはある。これは連続誘拐事件だ」


「はあ?」


 私の言葉に彼が胡乱げな目つきを返す。

 さっきから君の方がよほど胡乱なことを言ってるのだがね。


「君が昨日迷い猫捜索の依頼をこなしている間、私は類似の事件が無かったのか図書館で記録を漁っていたのだよ」


 スマホを取り出し、該当の記事の画像を見せる。


「ほら。十六年前にも同様の事件があったのだ。同じく五歳の男児が誘拐された」

「へえ……生きていれば二十一歳か」


 山田が興味深げに記事を覗き込む。


「この被害者の家族にも会って話を聞いてみた」

「会ったのか!?」

「ああ。男児が行方不明になったのはやはりこの時期で、やはり桜の雨に呑まれるようにして姿を消したらしい」

「他には……何か言ってなかったか?」


 そう尋ねる彼の表情にただならぬものを感じ取った。


「いや、特に何も。息子はとっくに死んだものと思っているから、と」

「そう……か。そうだよな」


 彼は沈痛な面持ちになって黙り込んだ。


「なあ、山田。何か知っているのか?」


 彼の様子がおかしいことは、探偵でなくたって分かるほどだ。


「……若鳥攫いって知ってるか」


 彼はまるでそこに桜が咲いているかのように、空を仰いだ。


「中央アジアのどっかでは、巣立ち前のイヌワシの若鳥を攫っていくんだそうだ。狩りに使う為にな。そして鷲が卵を産める年になったら再び自然に放つ。そうして生命を循環させるんだが……」


 唐突に始まった話に黙って耳を傾ける。


「鷲からしたら、雛の時に忽然と姿を消した奴が大人になって突然戻ってくるなんて、それこそ神隠しのように感じるだろうよ」


 ひらひらと、薄桃色の花弁。


「だから……まあ、六年前にいなくなったっていう坊主も大人になったらひょっこり戻ってくるんじゃねえか? 人として生きることを望んだならの話だけどよ」


 いつの間にか、辺りには満開の桜が広がっていた。

 鼻腔を満たす花の香りがこれは幻ではないと教えてくれる。


 思えば最初から彼は妙だった。

 明らかに偽名と思しき名前。

 住所も無ければ職歴も無く、身寄りも無い。

 まるでこの年になって此の世に突然姿を現したかのようだった――――。


「山田、君は……っ」


 大量の花弁が視界を遮り、彼の姿を覆い隠す。

 桜が彼を連れ去って行ってしまいそうで、無我夢中で彼に向かって手を伸ばした。


「お前しかいないんだ、オレには」


 パシッと彼の手を捕らえた。

 彼の体温がしっかりと手の中に感じられる。


「だから精々オレをこき使ってたっぷり給料を弾ませてくれよ、所長」


 彼がニヤリと笑う。


 一瞬桜の精霊か何かのように感じられた彼は、確かに私の目の前に存在しているただの生きた人間だった。

 花の香りも消えていた。桜の花弁など影も形も存在していない。

 さっきまでと同じ、ここは冬の境内だ。


「せっかくだからお参りしていこうぜ」


 彼はさっさと境内の奥に行ってしまった。


 彼の体温が離れた手のひらに視線を落とす。

 桜の雨粒が一つ、浮かんでいた。

 まるで「彼を頼んだよ」と桜に言われたようだった。

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