第27話 ああ、ウソじゃない

 その日。

 俺は午前中に東大阪の会社を何件か回り、帰社するために梅田の地下を歩いていた。

 梅田と名のつく複数の駅があり、地上の道路に対して斜めに走っている通路が多く、謎の三叉路が多発し、複数の商業施設やビルをつないでいるダンジョンは、こっちにきて半年の俺でも全容はよくわからない。

 道に迷っている観光客や出張のビジネスマンは日常茶飯事だ。

 ただ、その女の子は地下の人込みのなかで一際目立っていた。

 新しくできたばかりの阪急百貨店のコンコース、季節によって入れ替わるシースルーウィンドウのディスプレイの前で所在なく立ち尽くしている。

 本物の金髪で、白磁のような白い肌をした、外国人の女の子だった。

 少女というよりは、小学校低学年くらいの幼女だ。

 迷子かな、と思って俺は足をとめた。

 いくらなんでも、そんな子どもが一人でいるには不自然だったから。

 とはいえ、泣き出す様子もない。

 目が合った。

 彼女の真っ青な瞳が俺を認識する。

 しまった。

 通りすぎる人間が誰しも気づいていたはずなのに無視していたのは、迷子の子どもを助けるという面倒ごとを避けたいからだ。

 だが、もう遅い。

 とてとてと近づいてきた金髪幼女は、俺のスーツの裾をちょこんと掴んだ。

「道に迷った」

 意外にも日本語で言われて、俺は戸惑った。

 きょろきょろと周囲を見渡すが、助け船はなさそうだ。

 俺は目線を彼女に合わせるためにしゃがみ込み、

「えーと、君の名前は?」

「ラクス」

「一人できたの?」

「父と待ち合わせしているけど、オーサカは初めてで道に迷った」

 幼女のくせにものすごく大人びた話し方だな。

 子ども向けに優しい口調になっている俺がバカみたいだ。

「どこで待ち合わせしているかわかる?」

「むー……ウメダ駅?」

「梅田駅ってもな……」

 阪急梅田、阪神梅田、地下鉄御堂筋線の梅田、三つある。

「なにかほかにないかな。えーと、何色の電車が走ってる駅かわかる?」

「わからない」

「だよなあ。駅のどこで待ち合わせ?」

「大きな本屋がある」

「あー……それなら阪急だ」

 でかい本屋なら、紀伊国屋の梅田本店しかない。

 その前は広場になっていて、まち合わせにはよく使われる。設置されているビッグマンの大型液晶モニターが目印だ。

 ここからだとほぼ真っすぐに北側に進んでいけばたどり着くだろうが、一人でいかせるわけにもいかないか。

「お父さんとは何時に待ち合わせなの?」

「一五時」

 俺は腕時計を見た。

 一三時三〇分。

 まだ随分とある。

 交番にあずけるなりしたほうがいいかと思ったが、


 くうぅぅ


 という、可愛らしい音がした。

 幼女は恥ずかしそうに自分のお腹を押さえていたが、開き直ったかのように俺を見てきた。

「お腹がすいた」

「まあ……そうなんだろうな」

 俺は苦笑と同時に嘆息をもらし、しゃがんでいた体勢から立ち上がった。

 どうせ帰社しても成果のない電話営業をするだけだ。

 迷子の女の子を助けるくらいしても、バチは当たらないさ。

「待ち合わせの場所まで連れていってあげるよ。お父さんがくるまで、俺と時間つぶすかい?」

「…………」

 幼女は腕を組んで、生意気にも俺を値踏みするようにした。

「名前は?」

「一ノ瀬蒼梧だよ」

「ソーゴ。よし、ソーゴ。私はお腹がすいた」

「わかってる」

 子ども特有の人見知りのなさで、早速に呼び捨てだった。

 俺が手を差し出すと、一瞬だけ照れたような顔をして首を振る。

 手をつなぐのが恥ずかしいとか、随分とませたやつだ。

 そのくせはぐれるのがいやなのか、スーツの裾をちょこんと掴んでついてくる。

「なんか食べたいものとかあるか?」

「初めての街ではそこの名物を食べろと、父が言っていた」

「なかなかいいことを言うお父さんだな」

「オーサカの名物はなんだ、ソーゴ」

「わかったわかった。たこ焼きを食べよう。超名物だから」

「たこ焼きとは……?」


 ああ、そうだった。


 俺はこのときも、父親との待ち合わせ場所にいく途中にある新梅田食道街で、ラクスとたこ焼きを食べたんだった。

 この前のデートのときみたいに。

 ネギとマヨネーズがたっぷりのネギマヨが名物だと言って、俺が注文したんだ。

 そしてそのあと、時間をつぶすために二人で観覧車に乗った。

 二回目だと言って、ラクスの機嫌が悪くなった理由がようやくわかった。

 そこまでしても、俺がちっとも思い出さなかったからだ。

「お父さんとはどういう理由で大阪に?」

 ゴンドラからの景色に目を輝かせる幼女に、俺はなんの気なしに聞いた。

 幼女相手にどんな話をすればいいのか見当もつかないし、単純に興味も少しだけあった。

「んー……父はこの世界のいろいろなところで貿易の仕事をしていて、私はその手伝いをするために一緒にきた。前まではロシアという国で仕事をしていた。オーサカは観光。父はユーエスなんとかというテーマパークにいきたいらしい」

「すごいグローバルだな」

 俺がいったことがある海外なんて大学の卒業旅行でいった台湾くらいだ。

 目の前の幼女のほうが世界を股にかけている。

「父は今日の朝に仕事でトラブルがあったから、まち合わせ時間と場所だけ決めて、私を置いていった」

「無茶苦茶だな」

「いつもそんな感じだ。父は仕事は大切だけど、楽しくはないと言っている。仕事よりも趣味で世界のいろいろなところを回るのが好きなんだ」

 大切だけど楽しくはないとは言いえて妙だな。

 幼女は両足をぶらぶらさせながら、子どもらしい純粋な疑問をぶつけてきた。

「ソーゴの仕事は?」

「営業だよ。求人広告の営業マンだ」

 俺は社会人になって身についてしまった習慣で、名刺を取り出した。

「シーガルキャリアって会社に勤めている」

「シーガルキャリア……」

 名刺を受け取った幼女は、そこに記してある社名と俺の名前をしげしげと眺めた。

「仕事は楽しい?」

「どうかな。うまくいかないことばかりだし、苦しいことばかりだよ」

 楽しいと言うことは簡単だったが、俺は正直にそう答えていた。

 こんな子どもにまで、建前を言っても仕方ない。

 それに、なんだかウソを言っても見抜かれそうな気がした。

「そうか」

 幼女は眉間に皺を寄せて「むむむ」という顔になると、短く嘆息した。

 年相応には思えない、まるで自分のキャリアに悩む若手社会人みたいな仕草だ。

「どうした?」

「私はいずれ父の会社を継ぐことになっているのだが」

 まさかの社長令嬢。

「誰に聞いても仕事が楽しいという人がいない。いてもそれはウソだ」

 ほら、やっぱり見抜かれている。

「そもそも父も、仕事がいやだから私に押しつけようとしている。なんというか、社員がいるからつぶせないとか、取引先に迷惑がかかるからとか、理屈はわかる。けれど、そんな理由で本当に私が続けていけるのか、よくわからないのだ」

 幼女の悩みは深刻だった。

 給料が安いとか、自分にふさわしい仕事を任されないとか、会社の飲み会うざいとか、そんなくだらない悩みとは違う。

 自分はなんのために働くのだろう、という根本的な問いだった。

「どれだけ好きなことを仕事にしていたって、しんどいことはあるよ」

 俺は思わずそんなことを言っていた。

 きょとんとした顔で、幼女はこちらを見た。

「俺がこの仕事をしてるのは、就活のときに面接官だった人から言われた言葉があるからだ。求人広告は、誰かの人生を変えることができる広告だってな。俺はそんな仕事がしたいと思って、いまの会社に入ったんだ」

 俺が入社したときには東京で部長になっていた三嶋さんの言葉を、俺はよく覚えている。

「でも、楽しくはないんだろう?」

「そうだな。基本楽しくない。俺なんて入社半年で受注はようやく一件だ。それでも、それは俺がやりたいと思うようにやった結果だから。しんどいけど、いやじゃないよ」

 佐藤社長から渡されたビールはうまかったし、求人広告掲載後に応募はいくらかあった。今日の午前中にも顔を見せると、採用はうまくいきそうだと、佐藤社長は言っていた。

「だから、そうだな。どんな仕事だろうと、自分がやりたいようにやってみればいい。結果が出なくてもさ、1パーセントでも楽しいと思えることがあるなら、その仕事にはがんばる価値がある」

 俺はあまりにも青臭い自分の言葉に、恥ずかしくなってきた。

 幼女相手になにを言っているんだろう。

 それでもこのときの俺は、本当にそう思っていたんだ。


「仕事なんてものはさ。やりたいことをやるのが一番大変だし、一番楽しいんだ」


 幼女は俺の顔を真っ青な瞳でずっと見つめていたが、

「そっか」

 観覧車が一周し終えるというころに短くそう言った。

 二人してゴンドラを降りると、前をとてとてと歩く幼女がくるりと振り返る。

「ウソではなさそうだから、ソーゴを信じてみることにする」

「ああ、ウソじゃない」

「うん。私が会社を継いでうまくいったら、ソーゴにはお礼をしないといけないな」

「そいつは楽しみだな。なにかくれるのか?」

「そうだな」

 幼女は小首を傾げて、少しの間だけ考えていた。

 そして、にかっと笑う。


「私をお嫁さんにしていいぞ」


 子どもによくある、先生のお嫁さんになる的なやつだと思ったので、俺は曖昧に笑ってうなずいた。

「そりゃありがとう。けど、お父さんに怒られないかな?」

「父は私に甘いから大丈夫だ」

 そうして、俺はまち合わせ場所に幼女を送り届けてから帰社した。

 ちょっと変わったことがあったな、くらいの一日だった。

 毎日の仕事に塗りつぶされて、その日のことはすぐに忘れてしまったし、思い出すようなこともなかった。

 自分が吐いた言葉がどれだけ意味のない言葉だったのか、いまの俺にはよくわかっていたし。入社してからの半年間は、よくも悪くも俺にとって、記憶の奥底にしまい込んでおきたいものだったからだ。

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