満月の夜

「――ってことがあったんですよ。どう思います? シスター・ナーシャ」


 レーゲンベルク王国ユースティア公爵家より北西の方角。

 建物の真ん中に差し込まれたステンドグラスが特徴的なセント・ウェスタリア教会。王都で最も歴史が古く、最も格式高いこの教会は悪魔と戦うエクソシストの総本部でもある。


 その地下にあるエクソシスト専用の詰所にて、私ことシャイリーン・セラヴァーン・ユースティアは教会の修道女シスターであり、若手のエクソシストの教育係兼後方支援を務めるシスター・ナーシャに昼間のことを愚痴っていた。


 今年で四十歳アラフォーを迎えるシスター・ナーシャはその年齢を少しも感じさせない潤いと瑞々しさに満ちた頬をつるりと一撫でして「そうねぇ」と口を開く。


「とりあえず、貴女は今日がエクソシストとしての初仕事なのだからしっかり仕事をこなすことを考えればいいんじゃないかしら?」

「……そうですね」


 愚痴すら通り越して初仕事のことを突っ込まれ、私はいそいそと支度を始めた。


 今日は満月の夜。悪魔の活動が最も活発になる日である。

 それ故今宵はエクソシスト総動員で夜の警邏に出ることになっている。


 エクソシストはその認定試験の難しさと戦いの激しさからから圧倒的に数が少なく、常に人員不足なのだ。

 訓練生もバディを組んで夜の警備に加えられるくらいである。


 私も何回か経験してはいたが、正式なエクソシストになってからの仕事は初めてだ。

 エクソシストは単体で行動することが多いため、今日は私一人での初仕事となる。


「貴女の実力はお母様マスターエクソシスト直伝だから問題ないだろうけど油断はしないこと。それと――『能力チカラ』は多用しないこと。あれに関してはまだ完璧には使いこなせていないのだから。不調を感じたら直ぐに使用をやめるのよ」

「はいはーい」


 シャツとタイトな黒のパンツに着替え、その上から黒のコートを羽織る。編上げのブーツの紐をしっかりしめて蝶結びを作りながらシスター・ナーシャの注意を間延びした返事で受け流した。

 私の返事にシスター・ナーシャは片眉を釣りあげて、もう一言。


「返事は短く、一回で!」

「はい!」


 ピシッ、と敬礼して応えた私にシスター・ナーシャは満足そうに頷くと鞘と柄に銀細工があしらわれた細剣レイピアを差し出してきた。


「これは貴女のお母様から。正式なエクソシストになったお祝いですって」

「お母様が……」


 初仕事の日に渡してくれと頼まれていたの、と言葉を続けながら差し出された細剣を私は黙って受け取る。

 ずっしりとした重みを感じながら、受け取った細剣をコートの上からしめたベルトの帯に収めた。

 最後に『白薔薇のロザリオ』を首にかけて準備完了。


「よしっ、じゃぁ行ってきます!」

「行ってらっしゃい」


 手を振って見送り出してくれるシスター・ナーシャに笑顔を返して、私は教会の地下道から初仕事へ出動した。



 *



「本当に多いわねー。悪魔ヤツらの力が増す満月の夜って伊達じゃないわ。マジで」


 細剣を握りしめて、先程屠った悪魔が灰になったのを一瞥しながら私はゲンナリとして呟いた。


 教会を出た時はまだ日が落ちかけの夕方頃だったのに、悪魔を見つけて斬りまくっているうちに気づけば日付が変わっていた。

 この世界は前世と変わらず24時間365日と暦も時間も変わらないので時間の感覚は前世とほぼ相違ない。

 空には黄金の満月が光り輝き、夜空をうっすらと照らしている。


「悪魔自体は低級の雑魚が多いんだけど、如何せん数が……キリがないったら」


 ふぅ、と細剣を鞘に戻しながら私は一息つく。

 満月が近くなるなり悪魔は活動を始めた。人間になりすまし路地裏などに潜伏しては、人間を誘い出そうと幻惑や魅了をそこらに仕掛けるのだ。


 ただこういったセコい戦法を取るのは低級から中級程度の訓練生ですら一蹴できるような雑魚ばかりだ。

 力が増す満月とはいえあまり力を持たない彼らは訓練して耐性を上げていれば幻惑や魅了に引っかかることなく容易く対処できる。


 しかしその数が多すぎた。

 満月の夜以外はほぼ活動できないほどに弱い悪魔達はここぞとばかりに獲物を求めて徘徊するものだから屠っても屠ってもあちこちに現れるのだ。

 お陰で休む暇がない。


「あー言ってる側からまた……」


 今立っている場所の反対側の路地裏から大量の悪魔の気配がする。漂う気配からこれも低級の、それも人の姿に変化することもできない「ザコ悪魔」ということが分かるが、大量に群がって群れをなしているようだ。


「〇イミーか……」


 前世で小学校の頃国語の教科書に載っていた小さな魚が集まって大きな魚の形になって敵を追い払ったという某有名な話を思い出しながら、私は再び細剣を抜いて構える。


 今までの中で一番大きな群れで集まっているらしい低級の悪魔達はまさに某物語のように巨大な塊となって路地裏を占拠していた。

 ここは住宅街となっている場所なので大魔術をぶっぱなす訳にも行かないし、かといって一体ずつ斬り捨てていたらそれこそ埒が明かない。


「シスター・ナーシャにはあまり使わないように言われてるんだけど仕方ないね」


 ふう、と溜息を着いて私は細剣を群がる悪魔達に向けて突き出す。

 全身から力を抜き、手に持った細剣に意識を集中し魔力を収束させる。そのまま身体から膨大な量の魔力が抜けて細剣へと集っていくのが分かった。


 魔力が集うに連れて青白い燐光を放つ細剣が一際輝いたと同時に、私はその輝きを解放した。


「――


 その言葉と共に細剣から放たれた青白い光がレーザーのように放出され、巨大な塊となった悪魔に激突する。

 一瞬、路地裏が青白い光に包まれたかと思うと直ぐに霧散し――群がっていた悪魔達が跡形もなく


「よーし。《浄化》完了。魔力ごっそり持っていかれるからあんまりやりたくないんだけどあれだけいたらね」


 成果を確認して細剣を鞘に収める。途端に身体がふらつきかけて、ぐっと足に力を込める。

 加減は抑えたつもりだったけれどやはりまだ負担が大きいらしい。経験から言ってもう一回程使えるとは思うが、できるだけ使わない方がいいだろう。


 母から受け継いだこの《浄化》能力は、自身の魔力を放出して悪魔を文字通り跡形もなく浄化する能力である。

 通常悪魔は聖水で清めた武器で斬ったり、聖属性の魔術で仕留めるのがセオリーであるが、そうした場合悪魔は『灰』になる。

 しかし、私と母だけが持つこの《浄化》は悪魔の存在そのものを無に帰す力。


 文字通り悪魔を『浄化』させる力なのだ。


 この力を以て低級から果ては上級悪魔までも屠った母は武器を持たずしてこの力を使いこないしていたようだが、私は武器を経由しながらでないとこの力を使うことができない。


 圧倒的な力故に負担も大きく、魔力を根こそぎ消費してしまうのだ。母はこの力を一晩中使い続けてもピンピンしていたというから異常である。


「あー、しんどい。本当にどうしてお母様は《浄化これ》をポンポン使えるんだろう。不思議だわ……ん?」


 ようやくふらつきが止まり目を瞬かせたところで、さっきの路地裏に人の気配を感じた。

 念の為路地裏を覗き込むと、壁にもたれ掛かるようにして倒れている人影があった。


「あれ、もしかして悪魔に魅了されたのかな……もしもーし」


 たまにそういう場面に遭遇したことがあったので心配した私はその人影に近づき肩を揺すってみる。

 その途端、月明かりが差し込みその人影の容貌が露になった。


 性別は男。上等な生地のロングコートに艶やかな皮の靴。月明かりに照らされた髪は金色で、肌は白い。そして何よりその顔は驚く程に整った美貌だった。

 そして揺すられたことで気がついたのか、閉じていた瞼が開く。


「ん……」

「……!」


 その双眸は、片方は琥珀色。そしてもう片方は燃えるような赤い瞳だった。


 人の姿を取れる悪魔の中でも、特に力を持つ上級や最上級の悪魔は総じて人並外れた美貌を持つ。

 そして――燃えるような真っ赤なをしている。


「あ……」


 ふと、昔出会った半魔の少年を思い出した。

 人間でありながら悪魔の性質を持った少年。遠い昔秘密の場所で出会い、とある約束を交わした少年。その少年も赤い瞳をしていた。


 私はその赤色の瞳が、大好きだった。


「あ……」


 目の前の赤い瞳を見て、動けなくなった私。

 目の前のは、私を見てその琥珀と赤の二つの双眸を柔らかく細めると――、


「……んぅ!」


 突然、その唇を押し付けてきた。

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悪魔王子のお気に入り~婚約破棄された転生令嬢は魔性の王子に惑わされ~ 蓮実 アラタ @Hazmi

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