夢への序章

三角海域

夢への序章

 機械と魔法が隣り合いながら発展を続けてきたこの国には、いくつかの独自文化がある。

 その一つが、オートメイションステージだ。

 それは自動演奏装置と人間によるパフォーマンスを合わせたもので、楽器に接続された自動演奏装置と奏糸(そうし)と呼ばれる魔力で作られた糸を繋ぎ、ステージに立つ人間の踊りにあわせ、楽器を演奏するものだ。

 手の動き、指先の動き、足の運び。そうした細かな動きが奏糸を通じて機械に伝わり、その人間だけの音を作り出す。

 当初は魔力がなければ使用できないもので、言うなれば、限られた人間が楽しむための娯楽だった。

 だが、小型魔力炉により、奏糸の形成が誰でもできるようになり、このオートメーションステージは一気に文化として広がった。

 貴族だろうと、下町の酒場だろうと、環境さえ整っていれば、規模や装置の質こそ変わるが、誰でもステージに立つことができる。

 ただ、極めようと思うと実に難しいものでもある。

 機械を調整し、楽器を望む音が出るように調整し、どの動きにどの音が連動するのかを知り、実際にそれをステージ上で考えながらパフォーマンスをしなければいけない。

 それらを完璧にこなしたとしても、それだけではただ遠隔操作で音を鳴らし、それに合わせて踊るだけになる。それでは、表現とは言えない。

 音は鳴らすのではなく、奏でるのだ。故の奏糸。これはただの遠隔操作の道具ではない。疑似的な指先であり、ステージに立ち、舞いながら、楽器を心の指先で奏でなくてはいけない。

 大会が各地で開催されることも増えてきた。

 それは、戦火が広がりつつある今でも変わらない。

 戦火がどれだけ広がろうと、文化の灯は消してはならない。

 そんな気持ちのもと、各地で今日も音楽が奏でられる。

 この地でも、また……。



「各地で戦いが続いてるらしいな」

「ああ。みたいだな」

「仮にさ、この国が負けたら、これもなくなっちまうのかな」

 眼鏡をかけた男は、悲しそうに言った。見つめる先には、小さなステージがある。

「アナのような才能のある子が、こんなところで燻ってるなんてな」

 髭の男は悔しそうに言葉を吐きだす。

「あの子の才能は本物さ。こんなに小さいステージで、あんなに古い楽器と機械で、あれほどのパフォーマンスができるんだ。馬鹿でかい会場で、職人が調整した楽器と装置で演奏する連中になんか負けるもんか」

 このステージは、名を「ジョイ」と言う。遠いどこかの言語で、それは喜びという意味を持つらしい。

 ステージと言っても、酒場の小さなステージだ。ジョイという名も、元々は店名だった。すでに骨董品のような古い演奏機と、くすんだ弦楽器に、鈍色の金管楽器。音が濁った鍵盤楽器に、枯れ葉のこすれるような音しかしない打楽器。そして、古くなった魔力炉の力が弱まった奏糸。

 それらを使って、酒場の客たちは遊んでいた。当初は、酔った客がおもちゃのように遊んでいただけだった。

 だが、半年ほど前。一人の少女が、この店で踊らせてほしいと店主に頼み込んできた。

 少女は言い方は良くないが、ぱっとせず、地味だった。

 オートメイションステージは、煌びやかな世界だと店主も客も思っていた。だが、そんなステージに憧れる少女を店主は微笑ましく思い、こんな古いものでよければ使っていいと言った。

 そうして、少女はステージで踊るようになった。

 初めてその姿を見たのは、店主と、店にいた三人の客だった。

 後にそのことを聞いた多くの客たちが、それを羨ましがった。

 それほどまでに、少女のステージは圧巻だったのだ。

 少女は名をアナといい、南の地方から戦火を逃れて引っ越してきたのだという。この地方の住人にしては肌の色が浅黒く、店主はなるほどと思った。

「お父さんと、お母さん。それに、おじいちゃんと、おばあちゃん。伯父さんと伯母さん。みんな楽器を演奏するんです。南のほうだと、それって珍しいことじゃないんですよ。私の育った場所は、なんにもない所で。でも、ここには最高の音があるんだっておじいちゃんがよく言ってました」

 アナはいつも微笑みを口元に浮かべている。優しく、少し恥ずかしがり屋だが、ステージの上では堂々としていた。

「向こうにいたころ、家族みんなで演奏会を開いてたんです。歌を歌うのは、おばあちゃんとお母さん。私も二曲くらい歌ってました。二人の歌声は、優しいけど勇ましいんです。私はそれが大好きで」

 しかし、戦火が広がり始めたころ。派遣されてきた軍人に、その演奏や歌が敵国の民族音楽を思わせると一方的に告げられ、楽器をすべて没収されてしまった。

 のちに派遣されてきた騎士団により、それは不当であると認められ、正式な謝罪をされたが、すでに没収された楽器類は処分されたあとだった。

 この地で継承され続けてきた楽器は、すべて消えてしまった。

 それでも、アナたちは歌い続けたという。

 アナはこちらに来る前までは、騎士たちが娯楽のために持ってきたオートメイションステージに立ち、練習していた。

 そして、こちらに引っ越してきてから、オートメイションステージが町にあると知り、訪ねてきたということらしい。

 そんな境遇や、アナの人柄と才能に惹かれ、店主はステージを綺麗にした。と言っても、改築できるほどの金はないので、町の大工に手伝ってもらい、できる限り見栄えをよくした。

 楽器類や演奏機、奏糸はそのままだが、アナは少しばかり綺麗になったステージを見てとても喜んだ。

「すごい。すごいです」

 アナは嬉しそうにステージの床で軽く足踏みをする。

「ありがとうございます。もっといいパフォーマンスができるよう、頑張りますから!」

 別段意識せず、そういう言葉があるからと付けた店名だったが、アナを見て、店主は、この子のためにこそ「ジョイ」という名はふさわしいと考えた。そうして、いつのまにやら、ステージそのものをジョイと呼ぶようになったのだった。

 そして、現在。

 眼鏡の男と髭の男が話す、ジョイのステージ前。

 照明が暗くなり、アナがステージに立った。

 空を指でなぞるように動かすと、弦楽器が小さくその低い音を鳴らす。元は、ここまで低い音ではない。古くなったため、音が低くなったのだ。

 だが、アナはその音を逆に利用している。

 音と共に暮らしてきた人間の持つ、感性のなせる技だった。

 次第に大きく体を動かし始めると、跳ねるような音が店内に満ちる。無意識に、みなの体が動き始める。

 それを確かめるように、アナはステップを踏みながら、ステージの端から端へと動く。小さなステージだが、軽やかなステップはそれを気にさせない。

 音が跳ね、次第に大きくなる。

 アナはステージ中央に戻り、笑顔を見せると、歌を歌い始めた。

 南の地方にいた時からずっと歌い続けてきた、その地に伝わる歌。

 よく通る歌声が、それを聞く人々の耳と心に心地よく満ちる。

 歌が終わり、演奏の初めにそうしたように、指で優しく空をなでると、音はゆっくりと、余韻を残して消えた。

 拍手が店内に満ち、アナは深々とお辞儀をした。

 ステージをおり、喉を潤すと、店主が近づいてきた。

「アナ。ウォレスという町を知っているかい?」

「ええ。最新鋭の科学技術で有名な町ですよね」

「そこに、ルドガーという有名な実業家がいてね。彼は技師から今の地位に成り上がった男なんだが、その彼が最近オートメイションステージに関心を持っているらしく、ウォレスで大きな大会を開催するらしいんだ。その大会なんだが、どうやら参加は誰でもできるらしい。実績や、推薦がなくともね。どうだい、アナ。参加してみる気はないか?」

「私なんかがそんな大会に出ても意味ないですよ。歌だって踊りだって、奏糸の扱いだって、ほとんど自己流ですし」

「だからこそだ。君の才能は本物だ。私も、ここに通う客も、みんなそう思ってる。私たちには、音楽を聞き分ける才能なんてないだろう。けれど、君の実力だけは自信をもって最高だと言い切れる」

「……ありがたいですけど、私は……」

「プリスは知っているかい?」

 プリス・ハンナ。オートメイションステージに立つ者の中で最高位だと言われるこの国の歌姫。もちろん、アナも彼女のことは知っていた。

「彼女も、そのステージに立つらしい」

「プリスさんが」

「ああ。彼女のステージを、我々が生で見られる機会なんてそうそうない。それだけでも魅力があるとは思わないかい?」

「気にはなります。けど、家族とも相談しないといけませんし、なにより、ここから横断鉄道を使わないでウォレスに行くには、あの道を通っていかないといけませんよね」

 あの道。ヴィルヌーブルートと呼ばれるそこは、アウトローたちの根城だった。金があるなら、横断鉄道でウォレスに直に迎えるが、そんな金はない。護衛なしでそんなところを通っていくのは自殺行為だ。それも、アナのような少女は、連中にとっては高値の「商品」だった。

「家族との相談は、アナに任せる。必要なら、私も同席する。そこで行かないということになったなら、私もあきらめよう。護衛は、私にあてがある。連絡はしておくから、必要なら彼も同席させるよ」

 アナは少し考えた後、言った。

「家族に相談してみます」



 アナを大会に参加させたいという店主の願いは、家族にとっても同じだった。

 アナには才能がある。だが、本人の気持ちや、遠征にかかる金の問題で、どうしようもないという部分があった。

「みんなで少しずつ金を出しあってます。道中の宿代と馬車と一般鉄道の代金には届くはずです。それに、向うに着けば、大会開催中に限り、参加者の宿泊費などはルドガーの会社が負担するとのことです。エントリーさえすれば、帰りの交通費、つまりは横断鉄道の料金も出してくれるとあります」

 だが、やはり一番の問題は、安全にウォレスにたどり着けるかという部分だった。

 店主は、用心棒にシェイドという男を紹介した。

 元々、国家直属の警備隊にいた男だという。

 店主に紹介された彼は、無表情に自分の名を告げるだけだった。

 アナの家族の質問にも、すべて表情なく答える。それは不気味ではあったが、彼から感じる空気は、一般人であるアナやその家族にも、只者ではないと感じさせる何かがあった。

 結果、アナの才能を示すために、家族はアナがウォレスに向かうことを許可した。



 そうして、アナとシェイドは町を出て、ウォレスに向かった。

 おだやかな陽気で、旅日和だった。

 まずは、少し離れた町へ向かい、そこから馬車に乗って、ヴィルヌーブルートの手前まで向かう。

 ヴィルヌーブルートからウォレスへ通じる一般鉄道の駅へは、馬車を使えばそこまで時間はかからない。だが、そのわずかな距離が、最も危険な道中となる。

 並んで歩いているとき、ずっとシェイドは黙っていた。とはいえ、何を話せばいいのかアナもわからず、ひたすら黙って歩くことになった。

 ここまでの道中で交わした会話は、ちょっとした質問程度のもので、ほとんどシェイドは黙っていた。

「あ、町が見えてきましたね」

「ああ」

「あそこから、馬車が出ているんですよね?」

「そうだ」

「……」

 アナは会話を続けようとするが、シェイドが不快に思っていたら悪いと思い、こうして少し話しては黙るということを、ずっと続けていた。

 馬車が出ている町に到着した時には、もう最後の馬車が出たあとだったので、その町の宿に泊まることになった。

 食事をし、風呂に入り、部屋に戻ると、アナは大きくため息を吐いた。

 悪い人ではないのはわかっている。けれど、どうにも緊張してしまう。

 少し外の空気を吸いたくて、窓を開けると、外にシェイドが立っているのが見えた。

 どうしようかと悩んだが、アナは勇気を出し、部屋からシェイドに声をかけた。

「あの、何してるんですか?」

 シェイドは振り返り、アナの方を見た。

「星を見てた」

「星?」

「ああ。今日はよく星が見える」

 アナは窓から体を出し、空を見ようとするが、うまく見えない。

「あの、そっちに行って、一緒に見てもいいですか?」

 シェイドは一瞬黙ってから、「ああ」と短く言った。

 外は宿や家々の入り口に吊るされたランプにより、点々と光がともっていた。小さな光だが、暗い闇の中にそうした光があるだけで、闇も味わい深くなるものだなとアナは思った。夜風はそこまで冷たくない。昼間よりも涼しい風が、風呂であたたまった体に心地よかった。

 シェイドの隣に立ち、空を見る。

「きれい」

 アナが言うと、シェイドはいつもの無感情な声で話し出した。

「世界が動けば、見え方は変わってくる。だが、星はそこに変わらずあり続ける」

「不思議ですね」

「変わらずそこにあり続けるものは、貴重だ」

「だから、星が好きなんですか?」

 シェイドは星を見つめたまま、相変わらずの無感情で答えた。

「そうかもしれない。見ていると、落ち着くんだ。変わらないものがそこにあると思えて」

 アナは、シェイドの横顔を見た。いつもの無表情であるが、空を見上げるシェイドの横顔は、なんだかとても純粋に思えた。


 次の日から、アナはできる限り、シェイドに話しかけるようにした。シェイドは会話下手なだけで、話しかければ普通に返してくれた。もっと早くこちらから話せばよかったと、アナは少し後悔した。

「シェイドさんは、ウォレスに行ったことあるんですか?」

「何度かある。その時は横断鉄道を使ったが」

「どんな町なんですか?」

「大きい。町そのものも、そこに建っている建物も、どれもが大きい。栄えているというのは、こういうことを言うんだろうと、あの町を見て感じた」

 馬車に揺られている間、二人は会話を続けた。

 あと少ししたら、ヴィルヌーブルートの手前だ。

「シェイドさんは、どうして警備隊をやめたんですか?」

 なんとなく、アナはそう訊いた。すると、シェイドの顔に影が差したように感じた。

「すいません、あれこれ質問ばかりで」

「いいや、気にしなくていい」

 数分の沈黙があった。それから、シェイドは言った。

「何かを守ることは、何かを犠牲にすることだ。それは誰もがわかっていることで、不変の理論だろう。だが、俺たちは、ひとつの正義を守るために、多くを犠牲にしてきた。一のための百の犠牲。それは、この時代においては仕方ないことなのかもしれない。だが、戦場から帰った時、誰かが言った。この戦いが正義のため、平和のためならば、この戦いの先には血の流れない世界があるのかと。もしも、この戦いの先にも血の流し合いがあるのなら、この戦いの理由そのものが矛盾していると。利己的なことの言い訳の正義なのではないかと」

 アナは、黙ってシェイドの横顔を見ながら話を聞いていた。

 表情は変わらない。けれど、その変わらない表情の奥に、静かに語られる言葉の奥に、深い悲しみを感じられた。

「俺はわからなくなった。戦いの意味は何なのかと、そんな甘ちゃんなことを考えだした。悩みは戦いの枷だ。それは、戦場では仲間にとっての枷にもなる。だから、俺は逃げたんだ」

 それから、シェイドは黙った。アナもしばらくは沈黙していたが、ヴィルヌーブルートが間もなくという時に、静かに言った。

「確かに逃げたのかもしれません。でも、私は、そんな甘さみたいなもの嫌いじゃありません。少なくとも、私たちから音楽を取り上げた人たちなんかより、立派な人だって思います」

 シェイドは答えない。

「星は変わらずにそこにある。見る場所や環境によって見え方がかわるけど、そこに変わらずあり続ける。どんな場所でも変わらずに気持ちを持ち続けることは、シェイドさんが星をそう語ったように、今の時代では貴重なことなんじゃないでしょうか」

 シェイドはアナの方を見た。錯覚かもしれないが、シェイドの口角が少しだけあがった気がした。



 ヴィルヌーブルートから少し離れた場所で、シェイドは馬車を止めさせた。

「ここで待っていてくれ。日が沈み始めても俺が帰ってこなかったら、町へ引き返せ」

 馭者にそう言うと、シェイドは馬車をおりた。

 閉じていたコートを開くと、腰に銃を差していた。

 アナを見て、シェイドは言う。

「一度、君の歌を聞いたことがある。俺は用事があって、店の裏で店主を待ってた。その時、君の歌が聞こえてきた。少し気になって、裏からステージをのぞいてみた。俺は歌のことも、オートメイションステージのこともよくは知らない。それでも、君の歌う姿は、まるでおとぎ話の中に出てくる歌姫のようだった。君は、きっと成功する。俺は、その助けになりたい。だから、少し待っていてくれ」

 アナが頷くと、シェイドは一人ヴィルヌーブルートに向かい歩き出した。

「あの銃……あっ」

 馭者が、驚いたように言う。

「どうしたんですか?」

「いや、あの銃、どっかで見たことあると思ったんだ。俺は昔軍人さんを運んだことがあってね、その時に、軍人の中に、一人あの銃と同じものを持った奴が混ざってた。後から聞いたが、そいつは軍直属の殲滅部隊の一員だったらしい。ペイルライダーって呼ばれる殺しに特化した連中だと」

 殺しに特化した……アナは遠くなるシェイドの背中を見た。

 もう銃を抜いている。見慣れたその姿が、少しだけ恐ろしく思えた。



 ヴィルヌーブルートから向こうに抜けるまでに襲撃するのならば、大まかな襲撃場所は予測がつく。

 何度か深呼吸をして、息を止める。

 耳に、僅かな音が聞こえる。

 シェイドはそちらに銃を向け。引き金を引いた。

 悲鳴が小さく聞こえた。

 音が大きくなる。足音、息、それがシェイドの周りを囲む。

 一斉に、その気配がシェイドに向かう。姿をさらす前に、何度か引き金を引いた。その度に、悲鳴が上がる。

 連中の姿があらわれる。剣が振り下ろされ、槍が突き出されても、シェイドは動じなかった。軽く身を捻り、剣や槍の軌道からそれると、至近距離から引き金を続けて引いた。

 一方は心臓に。一方は右目を貫通し脳に風穴をあける。

 群がり、攻撃をしかけるが、シェイドは少しずつしか動いていないにも関わらず、ひとつも攻撃はあたらない。かすり傷すら与えられない。すべての攻撃を避けている。

 逆に、シェイドの攻撃はどれも必中だった。

 放たれる弾丸は確実に敵の急所を射貫く。近距離という不利な状況であるにも関わらず、シェイドの優位は変わらなかった。

 弾切れを起こせば、流れるように弾を弾倉から落とし、腰に巻かれたベルトに差された弾を装填していく。それらの動作には継ぎ目がなく、再び必中の銃弾が敵を襲う。雄たけびをあげる者にも、背を向ける者にも。容赦なく。

 死をもたらす拳銃使い(ガンスリンガー)。

 もはや、敵はこの男と対峙した運命を呪うしかなかった。



 日が沈むより早く、シェイドは帰ってきた。

「もう襲われることはない」

 シェイドがそう言うと、馭者は馬車を動かした。

「俺のことを聞いたのか」

 アナにシェイドは問う。

「どうしてわかったんですか?」

「馭者が、俺の銃を見ていた。俺がいた部隊のことを知っているんだろう」

 馭者は聞こえないふりをしていた。

「すまない」

「どうして謝るんですか?」

 シェイドは、アナの問いには答えなかった。

「駅に着いたら、俺はそのまま旅に出る。店主にもずいぶんと世話になったから、そろそろ潮時だろう」

「そんな……」

「すまなかった」

 シェイドはまた謝り、馬車の外を見つめた。



 その後、無事駅にたどり着くと、シェイドは言った。

「ここまでだ。もう身に危険が迫ることもないだろう。大会にエントリーすれば、帰りのぶんの金はルドガーの会社が出してくれるんだろう? それなら、俺はもう用済みだ。このまま町を出る。君はウォレスに行け」

「せめてウォレスまでは一緒に……」

「ウォレスには俺のことを知っている人間もいるかもしれない。そうしたら、君に迷惑がかかる」

「そんなことありません」

「あるさ。それに、元々ここまで来たら別れるつもりだった」

 シェイドの表情は変わらない。だが、その動かない表情の奥にある優しさをアナはもう知っている。

「最初、俺はこの仕事を断ったんだ」

「じゃあ、どうして引き受けてくれる気になったんですか?」

「君を見たから」

「私を?」

「そうだ。一度、ステージに立つ君を見たといったろう? それは、店主が君にウォレス行きを持ちかけるつもりだから、その時の護衛をと頼まれた時だった。断って、外に出た時に、君の歌が聞こえた。それからは、話した通りだ。君は俺を星に例えたが、そんなことはない。俺からしてみれば、君の方が星のように見える。君には可能性がある。君にはきっと素敵な未来が待ってる」

「シェイドさん……」

「馬車に乗っている時、なぜ謝ったか訊いただろう。あれは、俺のような人間が、君の隣にいることに対しての謝罪だ」

「そんなこと。そんなのことないですよ。シェイドさんは、優しい人です。一緒に旅した時間は長くないけど、それだけは絶対だって言い切れます」

 アナの言葉を聞き、シェイドは笑った。初めて見る笑顔だった。なんだかぎこちない笑みで、それがシェイドらしいとアナは思った。

「俺の力が、君の役にたって良かった」

 背を向け、去ろうとするシェイドの手をアナは掴んだ。

「私、大会でいい結果を残します……たぶん……いえ、絶対に。プリスさんに負けないくらいの表現者になります。そうしたら、また私のステージを見に来てくれますか?」

「どうだろう。約束はできないかもしれない」

「こういう時は、絶対っていうものですよ」

「そういうものか」

「そういうものです」

「わかった。また会おう」

「はい。約束です」

 アナはそう言って、手を離した。

 シェイドは振り返ることなく、すぐに人波の中に消えた。

「よし」

 自分に気合を入れ、アナは鉄道に乗り込んだ。

 必ず、いい結果を残すと決めた。自分を信じてくれている人たちのためにも。

 しばらく鉄道の揺れに身を任せていると、窓からの景色は、近代的なものへと変わっていった。

 駅に着き、鉄道をおりると、確かに、どこもかしこも、大きな建物ばかりだった。

「ほんとに大きいな」

 少し圧倒されるが、気合を入れ、アナは歩き出した。

 これから。ここから、始めるのだ。

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