「また会いに来たよ」

PURIN

小桃さんが会いに来た

小桃こももさーん、こんにちはー!」

 日曜日、お庭でトイプードルのうみちゃんと遊んでたら、遠くから小桃さんが来るのが見えた。


 小桃さんもこっちに気付き、早足でやって来てくれた。

「また会いに来たよー!」

 いつものお日さまみたいな笑顔で、ガハハハと笑う。

 あたしも嬉しくて、笑顔を返す。

 海ちゃんもしっぽをいっぱい振りながら、小桃さんにじゃれついた。


「あ、綾子あやこさんもこんにちはー!」

 上を見上げ、うちに向かって大きく両手を振る小桃さん。いつも右手につけているおしゃれなブレスレットがきらりと光る。


 小桃さんにつられて見上げたうちの2階の窓は開いていて、ママが見えた。

「あ…… ああ…… 小桃さん、いらっしゃい……」

 ママはあわてたようにさっと引っ込んだ。バタバタと駆けていく音が、ちょっとだけこっちまで聞こえた。




 小桃さんは、ママの中学生の時のお友達。

 途中で学校が変わっちゃって離れ離れになっちゃったらしいけど、去年たまたまあたしの家の前を通りかかって、それでまたママと会えたらしい。

 「こんな偶然もあるんだね」って、小桃さんは笑いながら話してくれた。


 今では月に2回か3回、おみやげを持ってうちに遊びに来てくれる。

 お仕事で色々な国に行くそうで、おみやげも見たこともないようなお菓子やおもちゃやアクセサリーで、毎回すごく楽しみなんだ。


 おみやげだけじゃない、小桃さんはお話もすごく面白い。

 外国に行った時の出来事や働いていて楽しかったこと、自分がしてしまった失敗についても、面白おかしく、幼稚園生のあたしにも分かりやすくお話してくれる。

 あたしがやったことがないことをたくさんやって、ちょっと嫌な思い出までをも活かしながら楽しく生きている小桃さんはかっこいい。


 話すだけじゃなくて、聞いてもくれる。

 あたしが幼稚園であったことや、ママやパパや海ちゃんとやった楽しいことをお話しするのを、小桃さんはいつもにこにこしながら聞いてくれる。

 お友達とけんかして悩んでいた時も、こうすればいいんじゃないかってアドバイスをくれて、その通りにしてみたら仲直りできたこともあった。

 人の気持ちの分かる、頭のいい人なんだなあと思う。




「やー、小桃さん、いらっしゃい。いつもありがとうございます」

 ソファーで2人でくつろいでいたら、パパがひょっこり顔を出した。

「いえいえ、こちらこそ」

 小桃さんはそう言って、パパと世間話を始めた。

 パパも小桃さんが大好きだ。話が合うみたい。あたし以上の甘いもの好きでもあるから、おみやげも楽しみにしてるみたい。


 海ちゃんは、さっきから小桃さんの膝の上で丸くなってうとうとしてる。

 海ちゃんも小桃さんが大好き。元々誰にでも人懐っこい子だけど、特に小桃さんにはよく甘えている。何ヶ月か前にもらったぬいぐるみがお気に入りみたいで、いつも一緒に寝てるくらい。


「……どうぞ」

 ママがみんなに紅茶を持ってきてくれた。あたしにも渡してくれる。白いカップに入った紅茶の表面が小さく震えていた。


 ふと思いついた。

「ねえ、ママって中学生の頃小桃さんとどんなことして遊んだの?」

「え!? えーと……」

 少し俯いたママに代わって、小桃さんが答えてくれた。

「そりゃーもう、いろんなことしたよね! 最高の学生生活だった! たとえばね……」

 そうして話してくれた2人の昔のお話は、いつも通り楽しかった。

 海ちゃんも眠そうにしながらも聞いてたし、パパも「そうだったんですか。いやー、綾子あんまり子どもの頃のこと話さないから」と聞いていた。ママも微笑んで静かに聞いていた。


 


「また会いに来るよ」

 夕方、帰っていく小桃さんの後姿を見送った。

 今日もとっても楽しかった。小桃さん、毎日来てほしいくらい大好き。


 だけど、一つだけ不思議なんだよなあ。


 海ちゃんもパパも気付いてないみたいだけど、小桃さんが来た日のママは、いつもどこか怯えてるように見えるんだよね……




 あいつが来た。また来た。

 どうして、どうして。


 中学の時のことなど何もなかったかのようにこちらに両手を振るケツの笑顔に、背筋を冷たいものがぞわっと走った。心臓が早鐘のように鳴る。

 未だに残っているのであろう右手首の傷を隠すように付けられたブレスレットが、怪しく輝いた気がした。




「なんかキモかったから」

 

 だから、小桃→桃→桃尻→尻→ケツ、で奴をケツと呼んでやった。

 だから、奴の重要な書類をビリビリに破いてやった。

 だから、奴の弁当をトイレに流してやった。あいつの顔も便器の水につけてやった。

 だから、奴について元も子もない噂を流してやった。

 だから、奴の苦痛に歪む顔が面白くて大笑いしてやった。


 それだけのことだ。子どもの遊びじゃないか。

 それなのに、奴は……




 ある朝登校すると、教室から真っ青になった友達が飛び出してきた。

「どうしよう、大変だよ、ケツが……」

 普通じゃない様子に教室に駆け込むと、奴はちょうど中央あたりの自分の席で、顔を机にくっつけ、両手を垂れ下げてじっとしていた。

 寝てるだけじゃね? と近づいた。


 ケツの足元には大きな血溜まりができていた。それは、ケツの右手首から現在進行形で溢れ、床へと落ちる血液によって構成されていた。

 一つのカッターが、溺れるように赤い液体にひたっていた。




 それからは大変だった。

 他の生徒や先生達は大騒ぎするし、マスコミはやってくるし、ネットには変なことを書かれるし、家族には泣かれるし。

 最終的には友達と一緒にケツとその家族の前で「申し訳ありませんでした」と言わされて土下座させられたし。


 なんでだよ。ちょっとからかっただけだろ。あれぐらいで死のうとする方が悪い。

 そもそも、元はといえばケツがキモいのがいけないんだ。キモくなかったら私だってあんなことしなかったのに。

 大体、なんで私達のせいになるんだよ? みんな「弱肉強食」って言葉知らないのか? ケツは弱かったから死にそうになっただけ。ただそれだけのこと。何をキレてるんだよ?


「私は殺人未遂犯だ。罰としてもう二度と喜びを感じちゃいけないんだ。一生罪悪感の中で生きなきゃ」

 一緒にケツで遊んだ友達はそう言って、それ以来暗い性格になってしまった。

 なんでそこまで自分を責めるのか謎だった。


 ケツはやがて転校していき、それ以降私は奴をすっかり忘れ去っていた。



 

 時は流れ、彼氏――現在の夫――と同棲を始めて幸せな日々を過ごしていた。


 ある日、夕食の時、小学校でいじめられた子どもが自殺したというニュースがTVでやっていた。

 こいつも弱かったんだろうなと思いながら見ていたら、彼氏が怒ったように言った。


「ひどい話だ。人を自殺に追い込むなんて殺人と同じじゃないか」


 ……え?


 彼氏は子どもの頃いじめられたことがあり、それ以来いじめというものが許せないらしい。彼の人前でリーダーシップを取る姿に惚れ込んだ私だが、そうするようになったのもみんなの関係性が少しでも良くなるように導いていく手助けをしたいからという思いが根底にあるからだと知った。


 ――この人に私の過去がバレたら、どうなる?

 大好きな彼に捨てられてしまう。それだけは嫌だ。

 中学の時のことは絶対に隠し通さなければと決意した。




 さらに時は流れ、彼氏と結婚し、子どもが生まれ、犬も飼うことになった。

 幸せだったが、大切なものが増えれば増えるほど過去が露見する恐怖は増していった。

 夫になった彼氏は、子どもにも小さいうちから「いじめはいけない」と教えていて、子どもも子どもなりにその教えを忠実に守っていた。

 もしも家族に知られたら、この幸せが全て消え去ってしまう。笑っているときでさえも、それが日に日に不安で仕方なくなってきていた。


 


 ある日、それを一気に加速させる出来事があった。


「あれー? もしかして綾子さんですか?」

 庭掃除をしていたら、前の歩道を歩いていた人に突然声をかけられた。

「そうですが…… どちら様?」

 訝しみつつ尋ねると、相手は答えた。屈託のない笑顔で、自身の鼻を指差しながら。


「あたしだよー、中学で同じだった小桃!」


 ――小桃? 誰それ? ……ケツの本名?


 瞬間、全てが停止した。

 

 こいつは復讐に来たんだ。偶然を装って、私のしたことを家族にバラしに来たんだ。

 終わりだ。私の人生、ここで終わりだ。


 けれどそうはならなかった。

 中学時代の面影が微塵もないほど生き生きとしたケツは、対面した夫と世間話をしただけだったし、うちの子や犬とも少し遊んだだけだった。昔のことは一言も話さなかったし、家族に危害を加えるようなことも一切せずに帰っていった。

 何より、私とも昔のことなど完全に忘れたかのように普通に近況報告などをしあっただけで終わった。


 ほっとした。何だ、何しに来たんだ。あいつ。


 けれど、それは始まりに過ぎなかった。




 それからというもの、奴は月に2回か3回、必ずうちを訪れるようになった。

 追い返そうとしたこともあるけれど、奴に好意を抱いてしまった子どもや夫が招き入れてしまうため、毎回徒労に終わる。


 今日こそバラされる。

 奴が家にいる間中、常に全身が今にもばらばらに砕け散りそうな緊張感の中におかれる。

 奴が口を開くたびに襲い掛かる、言うんじゃないか、言うんじゃないかという危惧。


 今のところ、奴は私に昔のことについて何か言ってきたことはない。それどころか、全くのでたらめを中学の時のいい思い出として家族に話している。事実を言わないようにと脅そうともしたことも何度かあるけれど、いつもうまく話題をそらされて失敗に終わる。中学の頃はあんなに口下手な奴だったのに。

 家族とも本当に楽しそうに話をしているだけ。隠れてそういった話をしている様子も皆無。

 それがかえって不気味でたまらない。


 こうやって、家族を懐柔してから暴露するんだろうか。

 少しでも多くのものを私から奪うつもりだろうか。

 考えが読めない人間というのは、ここまで恐ろしいものなのか。


 私を生かすも殺すも、全ては奴次第。いつ奴が牙をむくか、予想できない。せめて機嫌を損ねないようにするしかない。


 最近では奴がいるかどうかに関係なく、一時も休む暇なく導火線が焼け落ちる寸前の爆弾を抱えているような心地だ。

 私のおもちゃだったはずの奴が、今や私の運命を握っているなんて。




 ピンポーン


 チャイムの音に、びくっと肩が跳ね上がる。

 恐る恐る、インターホンの画面を覗き込む。


「綾子さーん! また会いに来たよー!」

 ケツが、笑顔で立っていた。

 

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「また会いに来たよ」 PURIN @PURIN1125

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