第4話

 「まじか。本当に本屋だ…」

 グーグルマップは何度確かめても現在地としてココを指す。

 店内をドアガラス越しに眺める。

 目が悪くじっと目を凝らしたものだから、ガラスに映った目つきの悪い自分に思わず苦笑してしまった。

 改めて店の中を凝視する。

 店の中にはたくさんの本棚が並び、不朽の名作から今年の直木賞まで新旧問わず充実したジャンルが取り揃えられている。

 恐る恐るドアに手を掛ける。ゆっくりと押してドアを開ける。

 「すみませーん…」

 返事がない。出迎えてくれる人はおらず、店内には本特有の香りだけが立ち込めていた。

 「なんか落ち着く」

 ふと声が漏れた。

 私は中高と図書委員で、委員長まで勤め上げた生粋の本好き。中学時代には図書室の本をジャンル問わず全て読破した。

 「でも、ここってやっぱ本屋だよね。大家さんが経営してるのかな?」

 左手の腕時計を見る。時刻は丁度午後3時を指していた。

 本来この時間には大家さんと正式な取引や電気・ガス・水道やその他諸々の説明があるはずだった。しかし、肝心の大家どころか人がいない。

 「今日は定休日なのかなぁ」

 私は本屋の奥に足を進めた。本当にたくさんの本がある。高校に入ってから時間が取れず、本を読む機会が減っていた私はこの空間に居られることがとても幸せだった。そして、無性に活字が欲しくなった。

 「1冊くらい、いいよね…」

 私は目線の高さにあった小説に手を伸ばした。特徴的な色彩のカバーを着たその本は、某学者の処女作だった。

 パラリ、パラリ。1枚2枚とページを送る。めくる手が止まらない。私はどこかに腰かけるのも忘れ、読み始めた姿勢のままその本を読み切ってしまった。

 「あ、売り物だったのに!」

 私は売り物に少しの折り目をつけてしまったことを気にしながら、また時計を眺めた。午後4時38分。

 気付けばこの場所に来てから1時間半以上経っていた。未だに大家は現れない。

 私が日付を間違えたのだろうか。

 私はパソコンから打ち出した契約書を取り出し、再び目を通した。

 すると、一番下に“着いたらカウンターに寄ること”と書かれていることに気が付いた。

 私は本をもとの場所に戻し、さらに奥にあるカウンターへと足を進めた。



 「手紙?」

 カウンターに向かうと、もちろん人は居ないのだが、意味深な真っ白な封筒が一枚、私に読めとでも言うように置かれていた。

 持ち上げると少し重さを感じた。何か硬いものが入っている。

 手に取って開封する。ノリ付けされていなかったから簡単に中身を取り出せた。

 中には真新しいカギと白い和紙の便箋が入っていた。

 便箋は古かったのか、少し変色を始めていた。けれどもそのセピア色がなんとも美しい。

 東京を白色で例えるなれば、地元がセピア色、というところだろうか。そのセピア色に根拠のない安堵を感じたのである。

 「鍵はきっと物件の鍵よね。じゃあ、手紙を読んでみますか」

 私は一握りの物寂しさと期待を覚えながら丁寧に三つ折りにされた紙を開いた。中には習字の先生を思わせるようなきれいな文字が並んでいた。




 ご契約された前島様へ

 大学入学おめでとうございます。前島様の新天地でのご活躍を心よりお祈り申し上げます。

 さて、この度ご契約された当物件ですが、実際に足をお運び頂きましたところいかがでしょうか。駅からも近く、大学へのアクセスも良い立地となっております。また、スーパーや商店街に加えて近隣住民の憩いの場である公園も望める、生活しやすい物件となっております。ご契約いただき、本当にありがとうございます。


 前島様もお気づきの通り、この物件は本屋です。私たちは前島様に賃貸物件として表示しましたが、本当はアパートではなく本屋なのです。

 この本屋は昔は近隣の人々に愛され、いつも学生や仕事帰りのサラリーマンで賑わっておりました。しかしながら、駅ビルの発達や大型ショッピングモールの建設により、この本屋に足を運ぶ人は減り、今では1日に3人お客様が来れば良い方、という状況にまで陥っております。


 ここで私たちは店を終い、暫く時間を気にせず旅に出る決断を致しました。無理をしながら経営を続けるよりも、残された時間は仕事を忘れ、好きなことに没頭したいと考えた次第です。まずはハワイにでも行ってみましょうか。

 しかしただ店を終い、旅に出てしまうのでは、ここに取り残された本たちが余りにも可哀想。そこで入居者様に本の最期を決めていただきたいと思い、物件として引き取り手を公募したところでございます。


 最後の質問にあったでしょう、ほら、名前や性別、電話番号やらを記入した一番下に。

 「あなたは本がお好きですか?」と。

 Yesと返答したのはあなたが最初の人でした。

 ここは立地が良いから他にも10人ほど応募があったのですよ。しかし皆、本が嫌いであったり、無回答であったり。

 そこで本に対して肯定的なあなたに全てをお譲りすることにしたのです。


 お譲りした暁には、1冊でも多くの本を、たくさんの人々にお売りしてくださるよう、心から祈っております。次に小春堂に顔を出すとき、たくさん売れていると嬉しいなぁ。

                           小春堂旧店主より




 「つまり…、住む代わりに売れと…」

 私はすぐにポケットからスマホを取り出し、グーグルの検索欄に“クーリングオフ”と打ち込んだ。しかし、詳細を読む前に先ほどの手紙が気になり、再度目を通した。

 「寂しさが見える…。」

 何か具体的な根拠があるわけではないが、書置きされた手紙からは何とも言えない哀愁を感じた。

 その悲しく物憂げな感情は靄となり、私の身体を取り込んだ。


 「やって…みるかぁ。」

 私は手紙の感情に背中を押され、本屋を継ぐことをあっさりと受容してしまった。

 普段新しい挑戦を始めるとき、先々に起こる失敗ばかりに気を取られてしまい、新しい行動におっくうになってしまう自分。今回はそんな負の感情は全くなく、新しい世界へポンっと軽く踏み出すことができた。まぁ、ただ断り下手なだけかもしれないが。クーリングオフの方が面倒だと思っただけかもしれないが。


 兎にも角にも、私は半強制的に本屋の経営をすることになってしまった。

 後ろを振り返ると、入口の大きな窓ガラスからまだ3分咲きの桜が見えた。

 

 新生活は大量の本とともに。

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