第四話 グラーシェ・オッドーは心配性

その日、脳の働きは最悪だった。


単純に、変な時間に寝起きしてまた眠った事が悪影響だっただけなのだが。


「……大丈夫ですか、ミウ?」

「ふあ……う、うん。ちょっと寝不足で……」


昼休み。


食事を取って血液が消化に使われているせいか、ミウの眠気は頂点にまで達していた。


体育などに使われる広い校庭の前で、ミウとグラーシェはそんな会話をしていた。


「午前の天文学でも何だか眠たそうでしたね。今日の範囲、小試験に出ると思いますよ」

「今日の夜に復習するよ。昨日は寝るのが少し遅かったから……ふわぁ」

「珍しいですね。普段ならそんな夜更かしする人じゃないのに」


グラーシェの言葉に、う、と詰まるミウ。


確かに、ミウは寝起きがとても悪い。


そのため、自由時間に予習復習を済ませて夜はさっさと寝るのがいつものミウのルーティンなのだが……。


昨晩は、それどころではなかったから。


ミウは、校庭でボール遊びをするハンナとピルピィをぼうっと見つめながら、ふと物思いにふける。


(アカリさんのあんな顔……初めて見た)


心底悔しそうな表情で腕をぐっと握るアカリが、脳裏から離れない。


いつもクールに済ませて、昨日キラリエから料理の腕をあんなに煽られても無表情を崩さなかった、あのアカリが。


彼女をあんなに苛立たせるものは、一体なんなのだろう。


昨日からずっと考えても、その答えが出ることはない。


(本当に……変な感じ)


心がざわつきながらも、どうにもできないと心の底でわかってしまっている。


なぜなら、自分の求める答えは、昨夜二人が図書室で何をしていたかに直結するから。


そしてその記憶は、相変わらず靄がかかったように掴めない。


「……ミウ?」

「え? あ、えと、ごめん、何話してたっけ?」


心配そうに覗き込むグラーシェに、慌てて適当に返答するミウ。


そんなミウに、彼女は少し拗ねたような表情をする。


「心ここに在らず、ですか。二人で話しているのに、残念です」

「ご、ごめん! ほんと、そんなつもりじゃなくって……!」

「ぷっ。冗談ですよ」


彼女の気分を損ねたことが申し訳なくて、大慌てで弁解に走るミウ。


しかしグラーシェは噴き出すように笑うと、微笑んで立ち上がる。


「ねえミウ、図書室に行きませんか?」

「え?」


彼女の言葉が唐突で、ミウは思わず聞き返してしまった。


そんなミウの手を引っ張り、立ち上がらせるグラーシェ。


「モヤモヤしてる時は好きなことをするのが一番です! ほら、ミウも本が好きだと言っていたではないですか!」

「う、うん。でも、どうして……」


彼女がこんなに強く意見を言うのは、少し珍しい気がする。


いつも引っ込み思案で、ピルピィの後ろについて回るような人なのに、今日は随分と押せ押せな雰囲気を纏っている。


そんな意味でミウが彼女に問いかけると、グラーシェはくすりと笑って、


「ミウは悩むと日常生活に支障が出ますから!」

「うっ……」


痛いところを突かれて、ミウは思わず詰まったような声を出す。


確かに、ミウは『それはそれ、これはこれ』が上手く出来ないタイプで、何か悩んだり思いふけることがあると、もろに行動に出る。


何もないところで転ぶ(これは日常茶飯事だが)、物を落とす、授業で当てられて意識の転換が上手く出来ずトチる……などなど。


そんな、他の人にはどうでも良いところを、グラーシェはよく見てくれているようだ。


「それに、友達の相談には乗ってあげたいんです。友達が何か悩んでいるのに、力になれないなんて嫌ですから」


さらりと笑ってのける彼女の言葉には、妙な重みを感じた。


そう言わせたことに、ミウは胸がズキリとしてしまう。


しかしグラーシェは少しも表情を崩さず、ミウの手を引っ張っていく。


「ほら、行きましょう!」


そう言って、半ば強引にミウを連れて行くグラーシェ。


「あ、ちょ……」


脚がつまづくも、なんとか転倒を回避する。


そうまでしてしまうくらい、グラーシェはどこか焦っているように見えた。


(嬉しいけど……どうしたんだろ、グラーシェ)


昼間の暖かい陽が差し込む学院の廊下。


そんな中を、グラーシェはミウの手を引いて歩く。


早足な彼女に同じく早足でついていくミウ。


図書室は三階まで上に突き抜けており、実質的な入り口は一階だ。


だから、二人がそこに辿り着くのに時間はかからなかった。


グラーシェはミウに向き直り、一つの催促をする。


「この間話してたじゃないですか、ミウの好きな本について。この図書館に置いてない本なんてないですし、私に教えてください!」

「うん。多分児童書のコーナーにあると思うんだけど……」


何度も述べているように、ロミニアホルンの図書室は世界有数の蔵書数を誇る。


つまりは幾重ものジャンルの本が収蔵されているわけで、例えばミウがプライドに悩まされながらも参考にしていた『はじめてのつのびとむけ! かくねのかなでかた』なんかは児童書コーナーにある。


そしてミウが大好きなあの本も、同じ児童書の、もっぱら童話や御伽話が置かれているコーナーにある。


ミウは自身の数倍もの高さを誇る超巨大な本棚の前に立ち、名前順に並んでいる数多の本に視線を這わせる。


そしてその視界に、その本が入る。


「あ、あった」


ミウは梯子を登り、それを取ろうとする。


しかし、彼女が梯子に脚をかける前に、その耳に心地の良い抑えた音量の角音が届く。


聞き覚えのある、それにしては少し違和感を覚える角音。


同時に、お目当ての本がふわりと空に浮く。


「わっ……」

「もう取れましたよ、ミウ」


角笛クオリナ──小さな、グラーシェの手のひらサイズの角笛が、本を浮かせる角音を奏でたのだ。


「ありがとう。今のって浮遊の角音?」

「ええ。旋律を少し変えれば、自分以外も浮かせられるんです」

「だから、なんか違う感じがしたんだ」


先細りで丸い屋根が裏を合わせて接着されたような形状の角笛クオリナを見せながら、グラーシェはふわりと空に浮かんだ角音をミウの手のひらへと乗せる。


角音は旋律を少し変えることで、その対象を変更したり、力を変更したりと応用が効く。


ただ、少し難易度が高いので、ミウたちはまだ習ってはいない。


ミウも予習で教科書を見たときに確認してはいたが、実際に奏でているところを見たのは初めてだった。


優しい着地が、角笛からの安らかな音と合わさって、非常に心地よく、心安らぐ。


「すごいね、まだ習ってないのに」

「次の授業でやるみたいですよ? 私のこれは……なんというか、角音のいじくり回しが得意な家系なので」

「私も早く使えるようになりたいなあ。あんなぼかーんってモノを壊したり、ただ強い風を出すだけじゃなくて」


物思いにふけりながら、ミウはそう呟く。


すると、そういえば、とふと思い出す。


「ねえ、グラーシェ。スィーヤ先輩って知ってる?」

「え? い、いえ」

「すごいんだよ。水で人間みたいな水人形を作ったり、その水をすぐに沸騰させたり。浮遊の角音でも、私と自分を同時に浮かせたりしちゃえるの!」


まるで自分のことみたいに、ミウは彼女の数々の角音をグラーシェに聞かせる。


彼女の角音は、あまりにも便利で、それでいて完成度も高く、美しい。


最近、彼女の姿は見かけないけれど。


そう、最近は……────?


「……あれ?」

「どうかしたのかい、ミウ」

「あ、ううん。何でもな────」


何か引っかかるものを感じつつ、ミウは意識を現実に戻す。


そうそう、グラーシェを置いてきぼりにしてはいけない。





しかし視界に映ったのは、あろうことはスィーヤ・ゴロネィトン本人だった。





「わぁっ⁉︎」

「照れるなあ、そんなに褒められちゃうと」


ミウは思わず驚いて、本を抱いたまま尻餅をつく。


いつの間にか、ミウの目の前にスィーヤがいたのだから、驚きもする。


「あ、あなたが……スィーヤ先輩、ですか?」

「そうだよ、グラーシェ・オッドー。スィーヤ・ゴロネィトンだ、よろしく」

「わ、私の名前まで」

「ど、どうして……っていうかいつの間に……」


初めて出会った時もそうだが、この人は神出鬼没すぎる。


ミウは驚きながら質問すると、スィーヤはその手をとって答えた。


「ここも僕の昼寝スポットさ。久しぶり・・・・にミウを見かけたから」

「……そ、そうですよね。やっぱり、久しぶりですよね」

「うん、久しぶり・・・・だ」


この人、もしかして学内のあらゆる場所が昼寝スポットなのではないだろうか。


そう思いながら、ミウは心の中のモヤモヤも同時に払拭した。


すると、スィーヤは相変わらず感情の読めない伏せ目でミウの本を見やる。


「それより、その本を読むのかい?」

「は、はい。私の好きな本をグラーシェに紹介しようと思って」

「いいね。僕にも教えてくれないかい?」

「はい、もちろん」


そういう彼女の言葉に、ミウは笑って頷いた。


そんな彼女の好きな本は、もちろん────『ロミニアホルンの旅人』だ。

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