第18話 王宮に侵入します3


 元は牢だったからだろう。

 整えられた内装に合わない分厚く冷たい鉄の扉が、きしむ音さえたてずに開いていく。


 入ってきたのはいつもイオニスの食事や身の回りの世話をしていく中年の栗色の髪をした女。

 お仕着せを身につけているから、この女は王妃に係わる召使いなのだろう。


 彼女がこの『赤色の鍵』の構成員だったようだ。

 この女性を自分の世話係にした王妃は、今も自分が騙されていることに気付いていまい。そう思うだけで、イオニスは愉快だった。


 続いて、赤い外套に身を包んだ男が三人部屋に入ってくる。背後の扉が閉められると、彼らのうち二人はフードを脱いでみせた。

 一人は短い髪の壮年の男。造作は悪くない一方、どこにでもいそうな平凡な顔をしている。目立たない容貌というのは、あちこちへ溶け込むのにさぞ都合が良いだろう。


 いま一人は、頬のこけた中年男だ。イオニスの目から見ても、交渉向きの人間には見えない。人数合わせで来たのではないのなら、交渉術よりも謀略を考える方が向く人間なのかもしれない。


 それよりは、イオニスはフードを脱がない最後の一人が気になっていた。顔は明かりの向きの関係で陰になっているが、青の眼がどこかで見たような既視感をイオニスの中に呼び起こすのだ。


(誰だ……?)


 訝しむイオニスに、短髪の男が一礼して言った。


「本日は我々の呼びかけにお答え頂き、誠に有り難うございました殿下。私、本来なら名を申し上げるまでもない卑賤の身ではございますが、古王国に魅せられた者を束ねている者です」


「いや、私としても有り難かった」


「なんともったいないお言葉でしょう」


 赤色の鍵の首領は、感極まったように声を震わせた。が、イオニスは笑顔を作りながら彼の一挙一動を観察していた。

 イオニスは、男からすらすらと賛美の言葉が出てくることを疑った。王侯貴族と対面するのに、この男は慣れすぎている。だから貴族に取り入っているのは確かなのだろう。こうして相手を持ち上げる事など造作もない事に違いない。


「それでは殿下、脱出のご予定を決めさせて頂けますか? 立太子の式が間近でございます。明日は新月ですから、明後日などいかがでしょう?」


 丁寧に尋ねてくる首領に、イオニスは尋ねた。


「それで、脱出と引き替えにお前達が望むのは何だ?」


 あまりに単刀直入な問いだったのだろう。首領も共にいた顔色の悪そうな男も、フードを被ったままの者も眼を見開いた。

 しかしクリストは違った。すぐに我に返り笑みを浮かべ直す。さすがは己の手腕で結社を売り込み、貴族達との繋がりを築き上げてきた男だけある。


「私どもは善意で……」

「私はな、赤色の鍵とやら」


 イオニスは座ったままで足を組み替えた。


「善意というものを信用してはいないのだよ。立場上、善意と偽って引き替えに己の欲しい物を引き出そうとする輩には慣れている。だからお前の要求をまず述べよ」


 強い視線を感じて眼をやると、フードを被ったままの者が、目尻をつり上げている。

 首領と違って、こちらはまだ自分の表情を抑制することができていないようだ。

 見える分だけでも若いのが見て取れる。恐らくはイオニスと同じ年ぐらいだ。個人的にイオニスに反発を感じているように思える態度だが、彼とは面識がないはずだ。

 きっと助けを請う立場のイオニスが、居丈高に接してくるのが耐えられないのだろう。


 その子供っぽさに、イオニスは逆に愉快な気分になる。ついぞ周囲の人間からは引き出すことのできない感情だ。


「ただで物を得たと思ったら、後から常識外の要求をされては適わないからな。私一人で対応できるものにしてくれよ?」


 首領は態度を崩さず応じてくる。


「しかし殿下。もし私どもの望みは王朝の交代と言ったらどうされるのですか? 受け入れられなければ、あなたはずっと幽閉されたままだ」


「それは大きく出たな。お前達が古王国の末裔と名乗っているのは知っているし、そう言い出すことも有り得るだろうとは思っていたが。しかし私の一言ですぐ交代というわけには行かないだろう? もっと現実的な願いはないのか?」


 焚きつけられて首領も乗ってきた。


「王朝の交代をさせるのは、簡単ですよ。我々が古王国の魔法の品を持っていることはご存じでしょう? それを使えば、王や反発する貴族など一瞬で殺すことができる。その後、残った貴方から主権を委譲していただけば良いのでは」

「だめだな」


 イオニスは断じた。

 それを首領は、イオニスが父親を殺されることを厭ってのものだと考えたようだ。


「いえ、もちろんこれは例え話でして……」


 イオニスは彼の言葉を無視して続けた。


「それでは交代した王が民衆から白い目で見られるだろう。貴族達にもいつ同じように追い落とされるかと怯えられたあげく、自慢の古王国の魔法を使えない真夜中に、こっそり暗殺されて終わるかもしれんな。そう考えているからこそ、私と交渉するような遠回りな方法を選んだのだろう?」


 赤色の鍵の三人が息を飲む。


「もっと良い方法を提案しよう。お前達が本気で王位が欲しいというのなら、だが」


 イオニスは立ち上がる。

 首領は気圧されたように一歩後ろへ下がった。


「王朝の交代というのはそうそう口から出てくるような単語ではあるまい。普通は金銭か地位を望むものだ。それは、先ほどの提案が半ば本気だからではないのか?」


 首領は退いてしまった自分を恥じるように、少しムキになる。


「だとしたらどうするのです? 私どもは真に古王国の末裔なのです。もし王位を回復できるならそうしたい」

「ク……首領っ」


 初めて頬のこけた男が声を出した。焦った様子からして、この首領はかなり本音をさらけ出してきているようだ。それは本人の言葉で肯定された。


「ここまで言われたのだ。それにこの状況で、我らが真に古王国の末裔でそれに付随する権利を主張したとしても、殿下には何もできまい」


 言われたやせた男は、渋々と引き下がる。


「正直に申し上げましょう、殿下」


 首領がまっすぐに向けてくる目を、イオニスは冷笑で迎える。


「貴方に取り入ることで、我々は復権する足がかりを得たかったのは確かです。いずれ暴動を起こし、それに乗じて殿下の父上には譲位いただき、殿下から正式に主権の委譲を受けようと考えておりました。あなたは、それを叶えてくれるのですか?」


 イオニスを揺さぶるためか「まぁ、このままでは一生幽閉どころか、近日中に殺されると思いますが」と付け加えるのも忘れない。


 確定的な響きを持つ声から、扉の外で見張りをしている召使いの女が、それらしい話を聞きかじったのだろうとイオニスは予測した。

 が、自分がその程度で動揺すると思われては困る。

 ――予測されたことだ。だからこそ、イオニスの方も彼女達を斬り捨てる。


「もっと良い方法があるだろう? この王都が古王国のごとき危機に陥れば、それを救ったお前達は英雄と賞賛され、現国王の評価は地に落ちるだろう。そうして下地を整えて私から王位を譲渡したなら、皆反論しにくくなる」


 赤色の鍵の面々は、イオニスの言葉に戸惑うようなまなざしを向けてくる。


「君らが古王国の末裔なら、自分たちの都を壊したモノについても知っているのだろう?」


「まさか、王国を崩壊させた悪魔を……殿下は知っているのですか?」


 はっきりと驚きの声を上げる首領。フードを被ったままの青年すら、イオニスを凝視してくる。


「今の王家は、その悪魔を呼び出した者の子孫だ。古王国の遺跡の中でも最も危険な悪魔を呼び出す遺物を占有できるよう、この城を建てたのだよ。当然、封印を解く方法も代々の国王に伝えられている」


 イオニスは立太子の日が近づいた頃に、父王から教えられていた。

 万が一この王都が敵に攻め込まれた際、たとえ敗北しても敵をも諸共に滅ぼすための方法として。


「悪魔の封印は私が解こう。そしてお前達はそれを倒して英雄となるがいい。王都に甚大な被害を与える前に、速やかにな。その栄光の第一歩として、私を明後日ここから連れ出せ」


 イオニスの誘いに、赤色の鍵の三人は一様に唾を飲み込んだ。


「自分が助かるためにご両親を、王都を犠牲にするなど……恐ろしい王子だ」


 呻く首領の様子に、イオニスは満足して薄く笑った。

 理解できないだろう。

 立太子を決め、王子として遇している父親までも陥れる事など。確かに王家が民衆の支持を得られなくなれば、王妃はもろともにその地位も栄華も失う。

 けれどこの幽閉と脱走に関わる問題から、国王は逃れられない。


「どうした。私の策に乗るのはやめておくか? それとも呼び出した悪魔を処分する方法を知らぬという理由で尻込みしているのか」


 首領はゆるゆると頭を横に振る。


「いいえ……悪魔の扱いについてはいくらか心当たりがございます。しかし、我々としても殿下に父殺しをさせるのは忍びないというか」


 意外に、赤色の鍵の首領は親族への情に厚いようだ。そう思いかけてイオニスは自分の考えを否定する。いや、違うな。


「悪魔を封じた祭壇は王宮の地下にある。私は悪魔を自分の手で解放してやりたいと思っていたのでな。こればかりは譲ってもらおう」


 すると頬のこけた男が、悔しそうに言った。


「王宮でしたか……。我々が探しても見つからないはずですね」


 やはり古王国の末裔だけあって「悪魔」を呼び出すための祭壇を探していたようだ。できれば自分達の手で、古王国の遺産を扱いたかったのだろう。しかし、破壊はイオニスの特権だ。渡すつもりはない。

 それを感じてか、首領が条件を出してきた。


「では明後日脱出の手はずを。しかし我々が王家へ反旗をひるがえすのは、悪魔が現れるのを待ってからにしたい。万が一貴方が何の行動も起こさなければ……」


 自分たちの反乱計画を外に漏らされないよう、イオニスを始末するといいたいのだろう。


「よかろう」


 イオニスは冷たく応じた。


「私も一つ言質がほしいな。そなたの名前を教えてもらおうか」


 信用のための質草として名を要求する。これで赤色の鍵の首領は、逆にイオニスが王家を滅ぼそうとしていることを他言できなくなるだろう。

 イオニスの尋ねた意味を理解したらしい首領は、一礼して自らの名を告げた。


「クリストにございます。殿下」

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