「また会いに来たよ」その2

野森ちえこ

「また会いに来たよ〜」


 ……こーゆー声を人間は『猫なで声』というらしいけれど、冗談じゃない。いくら上手になでられたってこんな気持ち悪い声出すもんか。

 ソファーの下にさっと隠れる。おれは争いは好まない。逃げるが勝ちだ。


「出ておいで〜。たのむよー。きみが認めてくれないと結婚できないっていうんだよー。出て来ておくれぇ〜」


 それはあれだ。おれをダシに拒否ってるんだよ。

 ――おっと。どさくさにまぎれてそれ以上手を出したらどうなるか――わかってるよな?


「あぁ……ごめんよ。わかったよ。さわらないから。シャーしないで……」


 がっくりと肩を落として、会社のお昼休みに抜け出してきたらしい男は、今日もとぼとぼと帰っていった。ふん。ざまーみろ。だいたいずうずうしいんだ。この部屋のあるじたるミホが留守でもかまわずに日参して来るなんて。ミホもミホだ。あんなバカに合鍵渡したりして。まったく、なにを考えてるんだ。結婚なんて、おれは絶対に認めないからな。



☆☆☆



 その日の夜。かかってきた電話をとったミホの顔からみるみる血の気が引いていった。サーッと音が聞こえるみたいな変化だった。唇がわなないて、手もぶるぶるふるえている。


「どうしよう。たっちゃんが事故にあったって。ねえ、どうしよう、シロマル」


 ……おれはビロードのようなうつくしい毛なみの『黒猫』だ。が、しっぽのつけね部分の毛だけがなぜかまぁるく白い。そして残念なことにミホにはネーミングセンスというものがそなわっていなかった。

 まあ、今はそんなことはどうでもいい。ただ、ミホはふだん『シロ』とか『マル』とか、略して呼ぶ。とフルで呼ぶのはひどく動揺している時か、興奮している時だけだ。

 たっちゃん――つまりミホの恋人であるあの男が事故にあったのか。まったく、どこまでバカなんだ。あいつが生きようが死のうが、おれはべつにどうでもいいんだが――それでミホが泣くのは困る。


 ――ああ、もう、ほら落ちつけミホ。今日は特別にもふもふしてもゆるしてやるから。


「シロマル……シロ……あったかいね……」


 ぐぇっ。力いれすぎだミホ。中身が出たらどうすんだ。いや、ゆるすよ。今日はゆるす。男に二言はない。けど苦しい。


「落ちつけ……落ちつけ……」


 おれのからだに顔をうずめて、すーはー深呼吸をくりかえしているうちに、少しずつ、ミホの乱れていた呼吸が落ちついてきた。


 ――落ちついたらほら、さっさと病院行ってきなよ。



☆☆☆



『たっちゃん』は、二日ほど生死の境をさまよったらしい。


 ミホは泣かなかった。たっちゃんが目をさますまで絶対に泣かない。自分が泣かなければ必ずたすかる――と。そう願を掛けた。まったくあのバカにはもったいない健気さだ。だから、あいつがたすかったのは、まちがいなくミホのおかげだ。一生感謝するがいい。




「シロマルー。出ておいでー」


 やなこった。


「やっと松葉杖なしで歩けるようになったんだ」


 あーそう。よかったな。


「……ぼくのこと、おぼえてるかな」


 記憶にないな。


「また来られるようになったよ」


 ふん。知ってるんだからな。おれが認めようが認めまいが、おまえら、結婚するんだろうが。


「一緒に暮らせるようになるまで、なるべくまた毎日来るから」



 宣言どおり、その日からやつはまた昼に夜にと毎日やってくるようになった。あの気持ち悪い猫なで声で、「また会いに来たよー」と、おそるおそるソファーの下のおれに手を伸ばすのだ。


 まぁ、ミホがしあわせそうだから、同居は認めてやらんでもない。だからって調子にのって手を出せば――


「あぅ……やっぱダメかぁ〜。ごめんて。シャーしないで……」



     (おわり)



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