手紙をもらうときはいつも  『ツバキ文具店、キラキラ共和国』

 嬉しい気持ちになる。それがどんな内容であれ、どんな長さであれ。


 メールやチャットがものすごく発達した時代に、紙媒体で手紙をもらうということは滅多にない。


 ただ、まったくないということでもない。過去を振り返れば、何通もの手紙をもらっていることを思い出す。好きな子からだったり、別れのあいさつだったり。長さも手紙によってまちまちで、何枚もの紙に分けられて封筒に入っているものもあれば、名刺ほどの小さな紙に小さな文字で書き記されたものもある。後者は手紙なのか? とも思ってしまうけれど、自分がそう思えば手紙という区分にしてしまっても問題はないだろう。


 それらは今も大切に保管している。中には手放すべき手紙もあるけれど!


 とっておいたところでもう一度読み返すという機会はほとんどない。というかあまり読みたくない。だって恥ずかしいじゃん! 読むほうも、読まれるほうも!


 でも、なかなか手放すことはできない。それは、手紙が『思い出』の一つとなっているからで、卒業旅行の無駄に撮った金閣寺の写真が今もアルバムに飾られているのと同じたぐいだから、という理由付けもできる。


 そして、もっといえることは、手紙をもらったときの感動が大きかったからだろう。あの、封を開けるまで何が書かれているかわからないドキドキ感。物理的なお金はかかっていないだろうにもかかわらず、一度も訪れたことのない遊園地の門をくぐる前のような、奇妙な高ぶりを味わうことができる。


 人それぞれかもしれないけれど、自分の手紙に対する受け取り方はこんな感じだ。

 

 では、逆に自分が手紙を渡す側のときはどうだろう。


 最近、小川 糸の『キラキラ共和国』という小説を読んだ。この本は『ツバキ文具店』の続編であり、共通して書かれているのは、ズバリ『手紙』である。


 主人公は代書屋で、どんな手紙でも代わりに書いてくれる、というちょっと風変わりな仕事を請け負っている。依頼内容も様々なもので、長年連れ添った相手への手紙だったり、ずっと好きだった人への恋文だったり、友人への絶縁状だったり。


 そして、主人公は依頼主の相談をもとに、手紙を書く作業に取り掛かるのだが、そのこだわりようが半端じゃない。


 手紙の材質、筆記用具の種類、文字の色、内容の量、切手の絵柄、発送方法……さらには、書く内容によって文字の形も変える徹底ぶり。


 小説の中では実際に完成した手紙がそのまんま掲載されているので、文字の色や紙の材質はわからずとも、雰囲気はよく伝わってくる。主人公が、どのような思いでこの手紙を書いたのか、深く想像することができる。


 手紙って、面白いよね。 そう思わせてくれる作品。


 これから先、手紙をもらうことも、渡すことも少なくなっていくのだろうけど、もし書く機会に巡り合ったなら、きちんと伝えることができる手紙が書けますように。


 とかいって、好きな子に手紙を渡してみごとに玉砕した経験あるからな。


 めーちゃくちゃださいな。

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