絹のマリア・2
木材が乱雑に積みあげられ、労働者や娼婦といった社会の最底辺の人間が行きかうドヤ街の場末。人々の衣服が労働で
「そこの売春宿で聞いてきた。字が読めるって本当?」
「そりゃ読めるし、多少は書けるけど」
「よかった! 一緒にいる人たちは何人いる? その人たちは字は読める? みんな虫は平気?」
「え? 3人いるけど、字は読めない……農家の子ばっかだから虫には慣れてると思うけど……何? 何なの?」
「よし、人数的には十分。字はどうしようか……ああそっか、読めない人にはこの人に教えてもらえばいいよね」
少年は一人で納得しているようだった。ミルキーは場の空気をつかみかねていた。殺気立っているわけでもなく、客を取る時の官能的なうしろめたさもない。なんだ、これは。何事かと妹分三人も材木の影から姿を現した。
「どしたのミルキー姐? お客じゃないの?」
「お金じゃなくてパンでもいいよ!」
「なんでも……やるよ」
疑問を口にするメリッサに、あっけらかんと客を取ろうとするサラ、独特の暗い空気をまとったヒルダという三者三様の様子に、少年は動揺したようだった。妖しげな笑みがはがれ落ちて真顔になっている。娼婦が客を誘うのになれていない。まだうぶだ。ミルキーは確信した。なのに、どうしてここに来たのか。
「えっと、なんでもやってくれるなら嬉しいけど、噛まれたりはしないと思うよ」
「あたしたちといいことするんじゃないの?」
ミルキーは反射的に聞きかえす。
「住み込みで育ててもらいたい家畜がいるんだ。衣食住は困らないと思うし、そんなに高くないけどお金も出せるから」
ミルキーが何か言う前に、メリッサが彼女を代弁した。
「え、それって、私達のこと、雇ってくれるってこと? 普通に?」
「うん。あ、勉強してもらわなきゃいけないことはたくさんあるけど。来てくれるなら、馬車に乗ってくれる?」
少年は自分が乗ってきた豪華な馬車を指さした。
「えっどうする、虫良すぎない?」
「でも……追い出されてからずっと……ろくに食べてない」
「どうしよう、ミルキー姐」
顔を見合わせる娼婦一同。六つの目がミルキーに注がれる。どの視線も不安に満ちていた。このままやっていけるのかという現状に対する不安。少年の申し出を受けてもいいのかという変化に対する不安。ミルキーは熟考する。女の容姿は年月とともに劣化する。今やっていけているのは、自分たちが若いからだ。あと数年たった後のことは分からない。客が付かなければ娼婦は野垂れ死にだ。正体は分からないが、家畜の世話なら年を取ってもやっていけるだろう。何より、路上から脱出できる可能性に賭けたい。
「行こう。何かあっても、あたしが責任取るから。このままじゃ野垂死にだ」
「来てくれる?」
「全員、行くよ」
「よかった! じゃあ、乗って」
少年が馬車に娼婦たちを乗せようとしたその時、「あの」とヒルダが声を上げた。
「あの……できたらだけど……行く前に教えてほしいことがある……あえて言ってないこと……ある、よね?」
「え?」
少年は完全に虚を突かれたようだった。
「あなたは、誰……? 私達、何を世話するの……?」
確かにそれは大切だ。噛まれたりはしない、と少年は言ったが、少年は何を世話するのかまったく口にしていない。それどころか、何を世話するのかあえて伏せているように思える。もしかしたら、寄生虫だらけの羊? ミルキーは自分で考えてぞっとした。しかも、この少年は自分たちに対して名乗っていない。正体不明の雇い主について行こうとしたうかつさに、今更ミルキーは気が付いた。派手な馬車と衣食住の保障に舞い上がりすぎたかもしれない。少年はため息をつく。
「……レーン・サリンジャー。世話してもらいたいのは、絹を吐く虫。これでいい?」
「サリンジャー?」
ミルキーがぴんと来ないでいると、見かねたように中年男が口を挟んだ。
「……皇太子殿下だ、本来なら貴様らなどお目通りもかなわぬお方だぞ」
「えええええええええええええええええええええええっ!」
路地裏に娼婦たちの驚きの声がしばらくこだました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます