絹のマリア

 新王アルスは宮殿の改築を行っている。といっても、実際に汗を流すのは王国中から集まった労働者たちである。人間が集まれば寝起きする場所ができ、彼らに食事や娯楽を提供する人間も寄り集まってちょっとした街ができるのだ。そこで仕事がある間、労働者たちは衣食住をはじめとした生活を完結させる。つまり、この街で生きている。

 人間は衣食住の確保をするために働き、そして生きている、と親は子供に教える。だが、それだけが人間ではない。ミルキー、ヒルダ、サラ、メリッサは子供には話せないような人間の本質を使って、今日まで生き延びてきた。

 口に出すのははばかられるような液体に汚れた硬いベッドでも、土の上にぼろ布を敷いただけで行為に及ぶよりはずっとマシだった。あたしが我慢していたら、この子たちはまだマシな暮らしができたかもしれない。上半身を起こし、材木の影で眠る妹分たちをミルキーは見る。でも。ミルキーは考える。満腹になった日を思い出せないほどさもしい日々は売春宿にいた頃も一緒だ。豪商の娘として、きちんとした商人の妻となるために妹たちと家庭教師から読み書きを習っていた頃があった事など、今や信じられない。彼女の足元でもぞもぞとヒルダが動く気配がする。彼女は寝転がったまま大あくびをし、目を開いた。


「ミルキーねえ、おはよう」


「おはよう、ヒルダ」


「ミルキー姐、どうしたの?」


「あたしが我慢してたら、あんたたちは屋根がある所で過ごせたのかな、と思ってね」


ヒルダはそっとミルキーに腕を回す。ぼろ布越しにも感じる優しい体温。毎晩わずかな金銭と引き換えに体を蹂躙じゅうりんしていく顔を覚える価値もない行きずりの男とは全く違う。ミルキーの肩にあごをのせ、耳元でヒルダはささやく。


「私は……ミルキー姐が隣にいてくれるだけでいい……私のこと、宿から追い出されても買ってくれる人、いるから」


「ヒルダ……」


ミルキーもヒルダの背中に腕を回す。そうだ。売春宿を追い出され、今や明日をも知れぬ暮らしになったが、売春宿の主人の言いなりになっていてもジリ貧だと判断したからこその抗議だった。その結果、ミルキーは路上に放り出される羽目になったのだが。ミルキーのついでに、売春宿の主人は扱いに困っていたヒルダ、サラ、メリッサも追い出した。それから、ミルキーたちは身を寄せ合い、材木の陰の雨風をしのげる場所で春を売り、その稼ぎを分け合っているのだ。

 女二人が抱き合っていると、突然馬車の車輪のガタゴトいう音が聞こえてきた。音ろいて二人はお互いを突き飛ばすようにして立ち上がった。眠っていた二人ものそのそと体を起こす。ミルキーが材木の隙間から覗くと、貧乏人ばかり住む通りに似つかわしくない豪華な馬車が目の前を通り過ぎていた。

 派手な彫刻と彩色が施された馬車は木材の山の近くで止まった。中から成金趣味丸出しの金塊のような金糸の刺繍だらけのマントを羽織った太った中年男と、地味だが明らかに質のいい衣服に身を包んだ身なりのいい少年が降りてきた。貴族だ。どうしてこんな貧民の吹き溜まりに身分のいい方々が来たんだろう。ミルキーは疑問に思った。

材木の陰に隠れたまま、彼らの行動を観察する。貴族たちは物を探すかのように、話しながら路地を歩いている。中年男は少年の質問へ答えているようだった。


「ちょっと字が読めるからって調子に乗りやがって! と売春宿の主人に悪態をつかれていたのっぽの娼婦と、その妹分たち三人を見ました」


「じゃあ、見つけたらその人たちにしよう。でも、どこにいるのかな」


そんな会話が風に乗って聞こえてきた。娼婦四人は顔を見合わせる。あたしたちのことだ。彼らの会話は続く。


「宿から追い出された娼婦は、たいてい雨風をしのげるところに住みつくという習性がございます。この辺りに住んでいる可能性は高いかと」


「獣か何かのように言うのだな」


「娼婦など、獣同然でございます。レーン様」


「獣同然か……都合がいいな」


少年の言葉に、ヒルダがゆらりと路地に向かって踏み出す。とっさにミルキーは彼女の腕をつかむ。引き留められたヒルダは、長い前髪の隙間から目をのぞかせ、ふにゃりと笑う。


「私……何でも……やるよ……多少痛いのも大丈夫……」


「ヒルダ、体を壊したら死ぬしかないよ。上客かもしれないけど面白半分に殺されるかもしれない。あたしらの立場は、そんなもんなんだ。あたしが行く」


「ミルキー姐……」

ミルキーはヒルダの腕を引

きずって材木の影に彼女を引き戻す。いいとこの人間が気まぐれを起こしたのだろう。断られるかもしれないが、うまくいけば吹っかけられるかもしれない。ミルキーは彼らの前に飛び出し、スカートをたくし上げ、むっちりとした太ももを見せつける。


「はぁい、どう、旦那? 寄ってかない? そこの子には少し早いかしら?」


「寄るな汚い、そういうことで来たんじゃない。レーン様、彼女で間違いないかと」


中年男の言葉はぞんざいだが、彼らは私たちのことを探していた。ミルキーは食い下がってみる。


「つれないわねぇ、私より若い子もいるのに。上で17、下で15よ」


「だから違うと言ってるだろう」


「えーと、あなたがミルキー・パーキンス?」


諦めずにミルキーが中年男にしなを作っていると、突然少年に名前を呼ばれた。ミルキーは驚いて固まった。手から離れたスカートがミルキーの足をおおう。


「何で知ってるの?」


にやり、と少年は笑った。


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