姿を見せない指導者

 なぜディアナに蚕の育て方を教えた人間が、ディアナを手伝わないのか。

 メリッサを先頭に元娼婦たちに見つめられて、ディアナは何も言えなかった。


「皇太子様を召使のように使える方……と考えましたら、教会の方を真っ先に思いつきましたの。でも、教会は女人禁制ですので、わざわざ皇太子様に私たちを雇わせるはずがない、と考えるしかないのですの」


「うん。僕に蚕の飼い方を教えてくださったのは、教会の人じゃないよ」


「でしたら、皇太子様の臣下じゃありませんの? 皇太子様が命令して、私たちを手伝ってくださるようにすればよろしいのに。その方がいまどこにいらっしゃるのかはわかりませんけれど、皇太子様がここにお呼びしてくださればいいのに」


「そ、そうだけど……」


『呼ぶも何もないんだけどね……というかディアナ、この流れまずくない?』


 セリカがディアナの頭の上で、どこからともなく取り出した白いハンカチで、冷や汗をふく。

 悪魔の特別なハンカチなのか、半透明に透き通っていた。

 そもそも、セリカはここにいるのだ。

 メリッサたち元娼婦には、黒髪黒ドレスの中に浮かぶ悪魔が見えていないだけで。


「なにか、理由があるんですの?」


「……あんまり、追求しないでほしいなぁ」


 蚕の飼い方について教えてくれた人間が、自分たちを手伝わないことについて言いわけを続けるディアナに、メリッサは表情を曇らせた。


「皇太子さまに蚕の飼い方を教えた方は、物知りだから平民とは思えませんの」


「たしかに、ふつうの人じゃないよ」


「やっぱり、高貴な方なのですね。そして物知りな……私達みたいな……卑しい人間には、やっぱり、会いたがらない人なんですの? 皇太子様」


『もう会ってるわよ……あなたたちに見えてないだけで……えーっと、こんな時どうすればいいのかしら。まさかディアナに、実はここに悪魔がいるんです! って言わせるわけにもいかないし……』


 頼みの綱のセリカは思考の海に沈んでしまった。

 メリッサもセリカについて誤解しているが、その誤解を解くにはどうやって説明したらいいのか、それとも説明すべきなのかさえディアナには判断できなかった。

 ディアナが弱り切っていると、ミルキーがメリッサの肩を叩く。


「メリッサ、雇い主にあんまり抗議するんじゃない。なにより、皇太子様は男で、あたしらは女だ」


 ミルキーの一言で、娼婦たちとディアナの間に気まずい沈黙が落ちた。


『そうだった……元娼婦たちはディアナが皇太子だって知らないんだった……』


 セリカのつぶやきが、静まった空間をただよう。

 まだ繭になっていない幼虫たちが一心不乱に桑の葉を食む雨のような音が、ディアナにはやけに不吉に聞こえた。


「ありがとうミルキー。気にしないから、メリッサも安心して。えっと、皆に会いたがらないんじゃなくて……会えない事情があるんだ。それは……」


 そこまで言って、ディアナは言葉に詰まった。

 自分にだけ見える悪魔が今ここに浮かんでいるとは言えない。

 でも、セリカが低い身分の人間を差別するような存在だと、元娼婦たちに思ってほしくなかった。

 どうしよう。ディアナはセリカを見上げる。


『か、顔に火傷してるから人に会いたがらないって言っておいて!』


「顔に火傷してるんだ。だから、どんな人にも会いたがらなくて」


「火傷? そうなんですか……」


「そうなんだ」


 もう一度セリカを見上げると、満足そうにうなずいていた。

 ただ、光の加減か黒く長いセリカの前髪が、透けているかのように白っぽかったのがディアナは気になった。



「火傷? なにか、事故や火事に遭ったのですの? よかったらですけど、傷に効くハーブを調合いたしましょうか?」


「えーっと……」


 火傷に興味を示したメリッサに対して、セリカは苦い顔をしていた。


『……ちょっと人間関係いろいろあってね。古傷だからもう痛むこともない、って言っといて』


「言わないようにいわれてる。あと、古傷だから痛むこともないって言ってた」


 メリッサはほっとしたようだった。


「よかったですの。どんな人かわからない分、どれくらい心配すればいいかも、わからないので」


「まあ、そんなに気遣うことないと思うよ」


 セリカについて根掘り葉掘り聞かれないようにもうちょっとどんな人か言っておいたほうがいいかな。ディアナは続ける。


「正直言って、若いのに変人で人使いが荒いから、君たちの前に顔を出さないのは僕としては嬉しいかな。教科書まとめるにも人に口述筆記させるし。今、工房にその人が教えてくれた特別な方法で、教科書をすらせてる」


「蚕以外のこともご存知だなんて博識な方なのですのね。おいくつですの?」


『24歳よ!』


 セリカは言い切ったが、ディアナは首をかしげた。


「うーん……」


『なんで悩むの?』


「もしかして、年齢を気にされる方なのですの?」


「いや、自分では24歳だって言ってるけどどう見ても10歳は若い気がするんだよね、童顔だし、ひどいちんちくりんだよ」


『あなた、後で覚えてなさいよ……あいたっ』


 セリカは地を這うような声でディアナにすごんだが、突然痛そうに顔を押さえた。

 その手は、半透明になっていて、手の甲が透けて前髪が見えていた。

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