第36話 初めての言葉

 一つの衝突から生じた恋。

 あの日以来、俺の心は溌音はつねのことを想うようになっていた。

 そしてつい昨日のこと。溌音との恋を実らせるための任務を雨音あまねは俺に課してきた。

 初め、そんなの絶対無理、と弱気なことを思っていたが、勇気を振り絞って昼休みを一緒に過ごし、一緒に弁当を食って、互いのことを知って、帰りまでも一緒に帰ることが出来た。

 これも全部、俺の妹のおかげなのだ。雨音があんな強気になって、俺に任務を与えてくれたから俺は勇気を出せた。

 雨音からの任務がなかったら今日という日は違っていたのかもしれない。

 だから今日をいい方向にもっていってくれた雨音に俺は感謝している。

 俺の恋を応援してくれて、相談にも乗ってくれて、いい妹を持った。


「本当に雨音のおかげで恋がすごい進んだ。まじありがとな!」


 雨音の部屋。妹の部屋。

 俺は外でも雨音に感謝の言葉を伝えていたが、それだけでは足りなかった。だから今もこうして雨音にお礼を言っている。


「まあ、私に任せればどうってことない!」


 雨音は自慢げに薄い胸を張った。

 満足してそうな表情。

 それはどこか優しさにも感じられる。


「雨音の相談まじ神だわ! これからも相談乗ってくれな!」


 雨音に感謝して感謝して、だからもう一度相談に乗って欲しい。

 俺にまた厳しい任務を与えて欲しい。

 俺の恋を応援して欲しい。

 ――だが、雨音は、


「相談? もう乗りたくないよー」


 と、笑みを見せながら言ってきた。

 俺の脳裏に浮かんだのは「なぜ?」という疑問。

 しかし、俺がそれをく前に雨音が短い言葉を放った。


「これ」


 そう言って雨音が何かを掴んだ。

 そしてそれを俺の方へと差し出してきた。

 それは――


「金?」


 そう、金であった。雨音は俺に金を差し出してきた。


「うん」


 俺とは目を合わせようとせず、頷き、短い言葉を放った雨音。

 全く、訳が分からなかった。どうゆうことだろう。

 雨音はこの結構な量の金を俺に差し出して何を買わせるつもりなのだろうか。

 そんなことを考えていると、


「これは、今まで私が晴斗はるとから貰ったお金。相談させておいて貰ったお金」


 僅かに恥ずかしそうな顔をしながらも雨音はそんなことを言ってきた。

 何なんだろうか。俺から貰ったその金で俺に何かを買わせるのか、はたまたさせるのか、俺には分からない。

 雨音が急に金を差し出してきた意図が分からないのだ。


「あのさ」


 小さな声で雨音は俺を呼び掛けた。


「なんだ?」


 それに対して返事をすると、雨音は少し頬を赤らめた。


「何で受け取らないの?」


 まだ俺の方に向いている雨音の手。そこには変わらず金が握られている。


「だって俺が受け取ったら自分では買いに行けそうでないものを雨音が俺に買わせようとするかもしれないだろ?」


 そんなことしか考えられない。

 雨音が急に俺に金を差し出すという意図······まだ「なぜ?」という疑問は消えてはいなかった。

 この現状を理解出来ない。

 俺の発言によって頬を赤らめる雨音。それは、恥ずかしいとかそんな可愛いものではない――怒りだ。

 何にそんな怒っているのか、分からない。

 俺は覚悟を決め、雨音からどんな言葉を浴びせられるのか待っていると、


「これを晴斗にあげるって言ってんの! 受け取りなさい!」


 そう言って雨音は強引にも俺の手の中に金を収めさせた。

 ――? 雨音は今、何と言った? 俺の聞き間違いじゃないのなら「受け取りなさい!」と、言ったように聞こえたんだが。

 俺が驚いた表情をしていると、雨音の顔はまた赤くなっていく。

 次は怒りだけではない、恥ずかしさも含まれている赤さだ。


「そんなにおかしい!? じゃあ晴斗が私にお金をあげてた時、その前に何をしていたか、思い出してみてよ」


 そんなことを雨音は言ってきたので、俺は過去の記憶をよみがえらせようとする。

 そこで、一つのことが脳裏に浮かんだ。


「――相談か?」


 訊くと、雨音は満足げに首を三回程、上下に振った。


「そう。で、今回は誰が相談して、誰が相談された側?」

「雨音が相談した側で俺が相談された側か?」


 確認するように俺が訊くと、雨音はまた首を上下に振った。


「はい。だから晴斗はそれを受け取るべきなの。分かったね?」


 雨音はそんなことを言ってくるが俺には分からなかった。

 腑に落ちない表情をしていると、雨音はため息をき、俺の方を睨むようにして真っ直ぐ見据えてきた。


「だから、いつも私は晴斗に相談してお金を貰っていた。そして今回の場合は立場が逆転したの。ここまで言えばどうゆうことか分かるよね?」


 馬鹿を見るような目で雨音は訊いてきた。

 この雨音の話を聞いて俺はようやく理解することが出来た。

 要は、雨音が言いたいのは、私は相談された側だから晴斗にお金をあげないといけない、ということだろう。

 正直、驚いた。

 いつもの雨音ならば絶対そんなことするはずがない。

 折角せっかく、兄から貰った金を返すなんてことは絶対しないはずだ。

 次は、別の意味で色々と頭が混乱した。


「雨音が、俺から貰った今までの金を返すってことなのか?」


 そうゆうことだと、理解していたが、いまだ信じられず、俺は確認のために訊いた。


「そうゆうこと」


 そしたら当然のように雨音は肯定してきた。

 ここに疑問が浮かぶのは当然のこと。

 雨音の性格が変わりすぎている。

 俺が勉強を教えては雨音は金を奪い、俺が相談に乗っても雨音は金を奪っていた。

 もちろん、それを俺は嫌がった訳ではない。むしろそれだけで雨音からの相談に乗ることが出来るのなら、と喜んでいたぐらいだ。

 俺にも問題はあるが、今の雨音にはもっと問題がある。

 一体どうしたのだろうか。

 それを訊く前に雨音が口を開いた。


「私は――『本物』の晴斗を見つけることが出来た」


 冷静さを保ちつつもぽつり、と放った雨音の言葉。

 急にそんなことを言われたら俺は混乱する。

 だが、雨音はそんな俺の理解を置いてきぼりにしながらまた口を開いた。


「晴斗は私が勉強で困っている時、色々教えてくれた。晴斗は私が友達と喧嘩していた時も必死に仲介しようとしてくれていた。晴斗は私が『偽物』の恋について悩んでいた時、背中を押して勇気を与えてくれた」


 俺のことをひたすら褒める雨音。

 これらのことは今まであった出来事だ。

 勉強に友達関係に恋愛、俺はそんな雨音の相談に乗っていた。

 必死に雨音の好感度を上げるために雨音の役に立とうとしていた。

 そして、俺はどうやら雨音の役に立つことが出来たらしい。

 正直、とても嬉しい。薄情だった妹の雨音からの言葉。その一つ一つにどこか温かみを感じることが出来て······。

 そんなことに感動していると、雨音は「そして」と、前置きをしてから言葉を繋げていった。


「晴斗は私に相談してくれた。それも恋について。晴斗が私に相談してくれた昨日、私は晴斗の恋を『偽物』だと一度も疑わなかった。話し方から、声色、そんなものから『本物』だと確信した。だからそこで、晴斗も私に任務を与えてくれた。――晴斗の恋を成功に導かせる、それが私の任務」


 俺の妹らしくないことをずばずば、と雨音は言ってくる。

 この言葉からして俺の妹は薄情どころか、厚情であったことに気付かされた。

 俺のしたことに色んな感謝を持ってくれている。

 それが俺の知っている今の雨音であって、過去の雨音はどこかにいったようにすら感じられた。


「本当にお前は雨音か?」


 俺は驚き、信じられないような表情をしながら雨音に訊いた。

 そしたら少し、雨音の表情はかたくなった。


「晴斗は妹の容姿も忘れたの?」


 いつもの声色。

 いつもの雨音の反応。

 今の俺にはさっきの雨音が『本物』なのか『偽物』なのかが分からない。

 だけど、さっき雨音が言ったことは『本物』であったと思う。

 事実を、俺に対して抱いていた感情を雨音は素直に話したのだと、俺はそう確信した。


「可愛い妹の容姿を忘れるわけないだろ······本当にありがとな」


 俺が真剣な表情で雨音に感謝の言葉を述べると、雨音は驚きと恥ずかしさが混ざったような表情をした。


「······別にいい。ただ」

「ただ?」


 雨音が何か言い掛けたので、俺はそれを促そうとする。

 そしたら少し恥ずかしそうな顔をしながら雨音は言った。


「――ただ、私は『本物』の晴斗を見つけられた。だから次は晴斗が『本物』の私を見つけて欲しい」


 雨音からの願い、頼み。

 雨音のこの言葉の意味を理解するのにはあまり時間は掛からなかった。

 だから俺が答える言葉なんて、初めから決まっている。


「今、俺の視界に映っているのは『本物』の雨音だぞ」


 今の雨音は素直で無垢むくで優しくて、頼り甲斐がある。そんな雨音を『偽物』なんて呼ぶのは大変間違っているのだ。

 だから今の雨音は『本物』であって素直で自分を偽っていない、妹である。


「······晴斗」


 小さな声で俺を呼ぶ雨音の声。

 その声には温かみと優しさと感謝という気持ちが込められていた。

 そして雨音は言う。


「ありがとね!」


 今まで聞いたことのなかった言葉。

 それを俺は初めて聞いた。

 雨音が自分を偽らず、キャラとかそんなものを全て捨てて放った言葉だと俺は思う。

 その時の雨音の表情は煌めいていて、輝いていて、太陽みたいな明るさを放っていた。

 たった一人の友人の提案から始まった俺ら兄妹の新たな関係。

 俺はその笑顔を見て、それを再び実感することが出来た。

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金から始めて薄情な妹からの好感度を上げたい! 刹那理人 @ysistn

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