第9話 自転車仲間

「お、おはよう朝神さん!また同じクラスだね……!」

「大垂水さん!」

「……ん?……ぬぬ?」

 知り合いが同じクラスであることに喜ぶ日向と、それ以上に喜んでいる様子の佐久。

 ですが、一方で生加奈は更に頭を悩ませていました。

「あ、いっちゃん、紹介しますね?こちら、一年の時に同じクラスでお友達の……」

「佐久じゃん」

「え?」

「おはよう生加奈、今年は一緒だね。よろしく」

「え、え⁉……知り合い……なんですか?」

 意外というか、どこで知り合ってたのか分からない日向は二人を交互に見てみますが、共通点と言ったら髪色の派手さくらいなもので、やはり全く分かりません。

「生加奈はマウンテンバイクやってて、ウチの常連客なんだよ。よくパーツとか補給食を買いに来るんだ。というか、二人はなんで知り合い?」

「私らは幼馴染よ。家も近くて小中高と全部同じクラスの親友ってわけ。まあ、同じクラスの記録は去年潰えたんだけど。てか……」

 生加奈が日向の顔をジッと見つめ、次に腕を眺め、最後に首筋をぐるっと回って観察しました。

 そして、

「日向、自転車始めただろ?若干焼けてるよ?」

「え!ひ、日焼け止めは塗ってるし……ちゃんと確認してるはずなのに!」

「てことはやっぱり始めたのか」

「あっ……」

 まずったと顔に書いたような表情をする日向。生加奈は小学生時代からの幼馴染。家も近いこともあり、当然のように親同士の繋がりやお互いの家で遊ぶことは何度もありました。

 となると、日向が自転車を始めたという情報が親に漏れそうな要因であるわけで。

「は、始めてない……始めてない……ですよ?」

「じゃあなんで佐久は日向にウチの常連客って説明をしたんだ?それってつまり、日向も佐久んところの常連ってことじゃないのか?ん?」

「うぐ……っ……」

 アホなのに妙にこういうところは頭が働く。幼い頃からこういうところは変わりません。

 王手をかけられた状態で日向は逃げ場をなくし、黙ってしまいましたが、そんな日向に生加奈はため息を吐いて、

「スポーツ禁止されてた日向が自転車ねぇ……。ま、いんじゃないの?健康的で。親に秘密なら守ってやるよその秘密。幼馴染だしな!」

「いっちゃん……」

 お互いの友情を確認し、見つめ合い笑いあう日向と生加奈。なんとも微笑ましい光景ですが、表情を変え、不意に生加奈が佐久の方に視線を移します。

「てか、どーせ佐久が巻き込んだんだろ?」

「……うっ」

 先程、ウチの常連客と言って墓穴を掘り、しばし黙っていた佐久が図星を突かれて小さくうめき声を上げました。

 流石常連客。佐久の性格はきっちりと握っているようです。

「い、いやまあ……浅神さん才能あったし、やらないってのは勿体ないって……」

 確実に本心を隠して話す佐久に生加奈のジトーッとした視線が刺さります。

「……ふぅん。まあ、そういうことにしといてやるよ……」

 そう言ってため息を吐く生加奈。佐久は安心したように胸をなでおろしますが、唯一事態をよく分かっていない日向は首を傾げます。

 そんな日向を横目に生加奈は、「それで……」と続けます。

「なに?その才能って」

「……私、別に才能なんてないと思いますけど……」

「そ、そんなことないよ!ロードバイクであんな風にドリフトするなんて!普通出来ないし……!」

 佐久の言葉に生加奈は思わず目を見開き、そして、

「え?は⁉なんだぁ!今もしかして聞き間違いした?ドリフトって聞こえたんだけど……」

「え?うん。ドリフトしたんだよ浅神さん。まあ危険だからアレ以来はしてないと思うけど……」

 そう言って微笑する佐久でしたが、日向はキョトンとした顔で、

「え?アレ以来もしてます……けど?」

「「は⁈」」

「ひっ!」

 食い気味に机を叩き、顔を近づけて叫ぶ二人に思わず日向は情けない声を上げてしまいます。

「な、何ですか……?」

「アレ以来もやってるって、どこで⁉」

「え……峠とかのカーブでですけど……」

「何で出来んの⁉てか、なんでそんなことしてんの⁉」

「え……何故と言われても……風華さんに言われてやってるとしか……」

 日向の言葉を聞いた佐久と生加奈の反応は同じものでした。言葉に表すなら、

『またあの人か』

 どれだけ人で遊べば気が済むのか。そもそも、ロードバイクでドリフトの練習させるなんてどんな神経をしているのか。

 ため息が自然にドンドンと出ていきます。

 まだ始業式前だというのに何故こんなにも精神的に疲れなければならないのか、佐久と生加奈達はそう思っていました。しかしそれ以上に生加奈は、

「私が知らない間に始めたってことはまだ何週間も経ってない筈……そんな初心者にドリフトさせて、しかも出来るって……こりゃあ……」

「…………ん?」

 生加奈がいきなり拳を握り闘志を燃やし始めるので、日向はよく分からず頭に疑問符を浮かべます。と、次の瞬間。

 その拳は日向の眼前まで進み、

「実際に見るしかねぇ!——日向‼︎」

「は、はい……!」

「今度の土曜日、十一時に佐久のショップに集合して峠行くぞ!分かったな⁉」

「……え、うん。それはいいけど……」

 何故そんなにやる気なんだろうか。

 そう思うほどに生加奈は燃え上がっていました。その様子は格闘技観戦に行く前の観客のよう。

 つまりは、今まで見たことがない光景や技を見れるかもしれないことに、生加奈はワクワクしていたのでした。性質は戦闘種族と一緒です。

 そんな、土曜のお出かけ予定を決定した二人を見て佐久はボソリと、

「その時間は店番だ……また浅神さんとライド行けなかった……」

 残念そうに呟くのでした。


  ◇


 約束の土曜日。

 自転車乗りの朝というのはかなり早いものですが、それに比べたら日向はゆっくりめ、八時に目覚めました。

 とはいえ、休日に何の予定も無ければもっと遅くまで寝ている人も大勢います。そういった点から考えれば普通よりも早く起きたとも言えるでしょう。

 日向の朝は目覚めて直ぐには始まりません。薄目でケータイを操作すると、お気に入りのプレイリストにある音楽をランダムでかけ、目を瞑ったままリモコンで電気を操作。

 瞼を通して徐々に目を慣らしていき、二曲目が終わったところでようやく目を開けます。

 脳を覚醒させるためにもう一曲を聴いた後から、ようやく日向は本格的に動き始めます。

 まずはトイレ、そのあとは洗面台に行き、手洗いうがい顔洗い歯磨きを済ませて髪を軽く整えます。

 ちょっと伸びてきたなーっと、毎日思うのですが、日向は決して切りません。たまに邪魔で鬱陶しくもなりますが、大事な防御アイテムです。手放す訳にはいきません。

 その後は台所に向かい、前日に確認した食材達で朝食の準備をしようとしていましたが、どうやらその必要はありませんでした。

 特に約束をしていた訳でも無いのに、台所には朝食の準備をする母、幸の姿。

 そして居間では珍しく玄二が寝巻き姿でダイニングチェアに腰掛け、新聞を読んでいました。

 こういう時にすら不安を感じるのがネガテイブの性と言いましょうか、少し日向は緊張しながら、頭を下げ、

「おはようございます。お父さん、お母さん」

 そう言うと、母は笑顔で日向の方を向き、

「ええ、おはよう日向。早いのね」

 と言い、玄二は新聞から目を離さずに「うむ……」と言いました。

 幸はこれから食卓へ並ぶであろう朝食の定番、目玉焼きへと視線を戻すと、静かな声音でこう言いました。

「今日はどこか行くんですか?何やら出掛ける支度をしている気配がしましたが」

 まるで忍者のような母親、幸。明らかに何やら探っているような言い方ですが、今日の日向にはある切り札がありました。

「はい。今日はいっちゃんと一緒に勉強会なんです。教えてほしいことがあるみたいで」

「へぇ……新学年になったばかりなのに立派ですね。それで、場所はどこでやるんです?」

「いっちゃんがいい場所を知っているようなので、今日はいっちゃんに着いて行きます。多分そんなに遠くではないと思いますが……」

 日向はチラリて幸の顔色を伺います。何とかここでこの話題は終わらせたいところ。

 幸が次、口を開いた時、何と言うかが問題です。

 幸がゆっくりと、火を止めて日向の方を向きます。

 さあ、終わるか、終わらないか。どっちか。

 日向はゴクリと唾を飲み込みその答えを待ちます。すると、遂に幸が口を開き、そして、

「そう。あまり遅くならないようにするんですよ?」

 会話が決着しました。

 日向はほっと心の中で胸を撫で下ろし、笑顔で「はい」と答えました。

 どうやら日向の切り札はちゃんと機能したようです。

 実のところ……というか、周知ではあるでしょうが、日向はあまり嘘をつくのが得意ではありませんでした。なので春休み期間中、日向は親に図書館に行ってきますと毎日言いながらロードバイクで走ることに少々罪悪感を覚え、帰り際に図書館に行くという手間をかけていました。

 そうして自分の心を騙し、なんとか罪の意識をなくそうとしていたのですが、今日はその必要はありませんでした。だって、素直に言ってもバレない方法があるのですから。

 日向はその文書を昨日から頭の中で考えていました。

 ハイライトです。先程の会話を解説付きで振り返ってみましょう。

 まず、幸の最初の質問です。

「今日はどこか行くんですか?何やら出掛ける支度をしている気配がしましたが」

 これに対して日向の答えはこうでした。

「はい。今日はいっちゃんと一緒に勉強会なんです。教えてほしいことがあるみたいで」

 この文章に偽りはありません。

 いっちゃんとの勉強会。これはつまり自転車についての勉強会です。

 日向は自転車に関してはまだまだ初心者。その日向が生加奈と共に走るというのはそれ即ち生加奈から自転車を学ぶということ。これは立派な勉強会と言えます。

 そして生加奈が自分に教えてほしいことがある。といった意味を込めた「教えてほしいことがあるみたいで」。

 これはドリフトが出来るかの真偽を表わします。

 そして場所について聞かれた時の日向の言葉。

「いっちゃんがいい場所を知っているようなので、今日はいっちゃんに着いて行きます。多分そんなに遠くではないと思いますが……」

 これは全てそのままの意味です。

 生加奈は十一時集合で峠に行くと言っただけで正確な場所は指定していない。つまり、日向自身にもまだ分かっていない。

 予想では遠くない場所だと思うけれど、それも分からない。

 日向は嘘をつかず、文章の言葉を隠語にして親に事実を伝えたのでした。

 ただ、日向が考えていたのはこれまで。もっと詳しく説明を求められていたら少々ヤバかったかもしれません。

 何はともあれ危機を乗り換えた日向。ふーっと息を整えながら、朝食準備の手伝いを開始します。

 自転車乗りにとって何より大切なエネルギー源である食事。沢山食べたら太っちゃう〜なんて甘いことは言えません。

 ソーセージや目玉焼き、調理された新鮮な有機野菜の数々が並べられた皿をテーブルに運びながら、目で必要なカロリーを見極めます。

「二杯いこう……」

 日向はキュルキュルなるお腹と、今日一体どれくらい走るか分からない距離を考えてそう呟きました。

 そんな日向の声が聞こえたのか否か、玄二が新聞をたたみ、

「最近はよく飯を食べているようだが、何かエネルギーが必要なことでもあるのか?」

 そう、静かに日向に問いかけました。

「え……い、いや!さ、最近はお腹が空くと言いますか……食欲が湧くと言いますか……季節が良いと言いますか……」

「今は春だろう」

「う…………」

 たしかに、食欲が湧くといえば有名な言葉にもある食欲の秋。春がお腹が空く季節だと言う者がいるなら、それはただの食いしん坊か、冬眠から覚めた熊くらいでしょう。

 ですが、お腹が空く理由なんて人それぞれ、理由なんて聞かれても困りますし、今の日向には明らかに答えたく無い理由がありますし。ああ、どうしようか、そう日向が冷や汗をかいているその時でした。

「成長期なんですよ。日向は細いんだから、沢山食べるのは良いことじゃないですか」

 お母さんナイス。

 幸の見事なフォローにより、日向はホッと息を吐きます。何故朝からこんなにドキドキしなければならないのでしょうか。そんなことを日向は考えて、ちょっとため息が出そうになります。

「……ふむ。まあ、それは……良いことだな……うむ……」

 玄二も納得したところで、浅神家の朝食の準備が完了。恒例の言葉いただきますで朝食がスタートしました。

 上品な箸使いで小さな野菜達をさらに小さくして口に運ぶ幸。

 しっかりと米を噛みしめる玄二。

 どの料理も美味しそうに食す日向。

 何とも平和で微笑ましい食卓ですが、玄二と幸はそんな中、同じことを思っていました。

 ——日向の食べるスピードが速くなっている、と。

 その高速の箸さばきは母親譲りの丁寧さ、咀嚼は父親ばりの圧力があり、その成長ぶりに二人は少々驚いていました。

 自転車乗りは食事を大切にし、短時間で多くのエネルギーを摂取するように身体が鍛えられていきます。

 もしかすると、下手な気回しより、こちらの方が日向が立派なアスリートになりかけているのを両親に教えてしまっているかもしれません。

 ですが、日向はそんなこと気づきも、気にもしないで、

「おかわり……します」

 二杯目に突入するのでした。


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