嗅ぎ分ける鼻

「みんなぁぁぁぁ!」

 ある日の朝、教室に叫び声が響いた。みんなの視線の先には純がいる。

 純は大きく息を吸うと、何を血迷ったか大声でこんなことを言った。

「僕には彼女がいる!」

「「てめええええええええええええ!」」

 即座にクラスの男子たちが宙を舞う。二人までは純も上手く避けたが、その後は呆気なく捕まり、ガムテープで手足を固定された。

「おい、こいつどうする……?」

「そうだな……とりあえず燃やすか?」

 まったく、なんてひどいクラスメイトだろう。別に彼女の一人や二人いいじゃないか。どうして素直に祝ってやれないんだ。

「燃やす前に痛めつけといた方がいいんじゃないか?」

 まあでも、幸せなやつは燃やすのが無難だから、とりあえず燃やしておこう。いや、別に彼女がいるのが羨ましいとか、羨ましいとか、羨ましいとかじゃなくて。

「いや、別に? 彼女とかマジ別に〜? って感じだわ。マジあれだわ、ははっ、ほんとめちゃくちゃ羨ましいッ!」

 食いしばった歯がギギギと気味の悪い音を立てる。なんて幸せなやつだ!

「くそ……」

 しかし、幸せなはずの純は悔しそうに呻いていた。彼女がいるなんて言えば、命を狙われるのは当たり前だろうに、なぜ彼女の存在をわざわざバラしたんだ。



「――真壁を解放してやんな。そいつはシロだ」

 


 そう言って、男たちの奥から出てきたのは佐藤くん(覚えているだろうか)だった。佐藤くんの言葉に男たちはざわつき始める。

「お、おい……」

「ああ、間違いねえ……佐藤さんの『女子特有のふわっとした謎のいい匂いを嗅ぎ分ける鼻』だ……。早い、安い、キモいの噂は伊達じゃねえぜ……」

 佐藤くんは小さく鼻で笑うと、純の手足を縛っていたガムテープを取っていく。

「あんなこと言えば誰だってキレるぜ。次からは気をつけな」

 なんだろう。佐藤くんって、こんなキャラだっけ?

「ちっ、くせえぞ! おめえら、毎日風呂入ってんのか?」

 そう言いながら、佐藤くんは自分の席に戻っていった。

「な、なあ、何か臭うか?」

「いいや。あれは佐藤さんの悲しい体質のせいだよ……。佐藤さんは『女子の体臭を嗅ぎ分ける鼻』を手に入れた代わりに、『男の体臭が全てカメムシの匂いに感じる体質』になっちまったんだ」

 それ地味に嫌だな……いや、かなり嫌だな……。

 他の男子も同じことを思ったのか、席に座っている佐藤くんの背中に、揃って敬礼をした。



「で、なんであんなこと言ったんだよ」

 佐藤くんの鼻で純に彼女がいないことは分かった。しかし、わざわざ宣言した理由は、まだ分かっていない。

「強くなりたかったんだ」

 みんなの攻撃でボロボロになった純は、落ち込んだ様子で答えた。

「この間は社会的にとか言ってたが、やはり、普通に強くなって、由乃を振り向かせるに越したことはないと思ってね……」

 難しいだろうけど、多分、というか確実にそっちの方がいいと思う。だって、由乃がもし、一人でアメリカ合衆国と友好条約を結ぶくらい強くなってたら、権力も意味がなくなる。

「それでこのクラスの男たちの習性を利用したのか。命知らずだなぁ……純も」

 佐藤くんがいなきゃ痛めつけられた後、燃やされてるぞ……。

「でも、由乃なら同じ状況でも、相手に一回も触らせることなく、かつ三秒以内に終わらせてるだろうな」

 純は強く拳を握りしめると、悔しそうにつぶやいた。

「くっ、やっぱり権力で従わせるしか……」

「だから最低か」

 それにしても純はすごいメンタルの持ち主だ。自己紹介の時は何も知らなかったから仕方ないが、このクラスの『嫉妬心による爆発力』を知った今では、こいつらを暴走させるようなこと、俺には絶対にできない。

「お、おい……あれ見てみろよ……」

 その時、俺はやけに教室の男子たちがざわついていることに気付いた。

「な、なんだよ……あの子……めちゃくちゃ可愛いぞ……」

「ツインテール……だと⁉︎」

 ざわつく男たちの視線の先に、ツインテールの少女がいた。少女はドアから顔だけを覗かせている。

「あのー……すみませーん」

 おずおずとドアから姿を見せた少女に、男たちはいよいよ騒ぎ始めた。

「え……誰かドキドキって音鳴らしてる?」

「燃えてるぜ……俺の体内がよ……」

「くそっ……俺には塚原という心に決めた人が……」

 気持ち悪いことこの上なかった。というか、一人おかしなのがいたような……。

「どうしたんだ? 誰かに用かな?」

 少女に一番最初に話しかけたのは純だった。さっきあれほどやられておきながら、性懲りも無く、またみんなの怒りを買おうとしている。恐ろしいやつだ。俺なら絶対にこいつらを怒らせたりはしない。



「あ、あのー、安川旭って人、このクラスにいますか?」



「え? 旭? 旭なら……」

「そんなやつはこのクラスにはいないよ!」

 教室に声が響く。それを聞いた少女は「そうですか……失礼しました……」と肩を落として教室を出ていった。

「おい……今の誰が言ったんだ?」

 声のした方にみんなが視線を移動させていく。すると、そこにいたのは……。

「何をやっているんだ……旭……」

 机の下に潜っていた俺だった。そう、さっきのは俺が言ったんだ。

「ふぅ……行ったか。落ち着け、みんな。あの子は俺の知り合いじゃない! もし、知り合いだとしたら、あんな可愛い子を自分から遠ざけるようなこと、俺がするはずないじゃないか!」

 まだみんなの頭が混乱しているうちに、攻撃されないよう説明をしておく。俺は敵じゃないとしっかり伝えておかなくては。

「みんなとこれからもいい交友関係を続けていくために、説明しておかなくちゃならないことがある。そう、この学校には安川旭という名前の生徒が二人いるんだ!」

 みんなが冷静な内に説明しておくべきことを一気に話す。話しておかなければ俺の命が危ない。

「そして、さっきのツインテはもう一人の安川旭を尋ねてきたと思われる! だが、クラスを間違えてしまい、たまたま、同じ名前である俺のいるCクラスにやってきた。だから、俺はあのツインテとは一切関係を持っていない。というか初めて見た!」

 そこまで説明してみんなもようやく状況を理解し始めたのか、口々に喋り始めた。

「ははは……そうだよな……あんな可愛い子が安川なんかと知り合いなわけないよな」

「おお、そうだな! 安川じゃなくてよかったよ!」

「はは! でも、あんな可愛い子に名前呼ばれるなんて羨ましいから一発殴らせてくれ」

 誤解される前に手を打ててよかった。手に武器を握ってるやつもちらほらいるよ。

「ふぅ……危なかった」

 俺は力が抜けて、自分の席に倒れこむように座った。はぁ……命のやり取りって疲れる……。



「バァーン!」



 教室のドアが勢いよく開く。開けたのは、さっきのツインテ少女だった。少女は無くし物を見つけたみたいに、表情をみるみる輝かせていき、最後は太陽にも負けないくらい眩しい笑顔になって飛び上がった。

 ああ……しまった……。



「やっぱり! 安川センパイっ! やっと見つけましたー!」



 無邪気に喜ぶツインテ少女を見て、俺は頭の中で静かに遺言を書いたのだった。

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