パンチラと秘密

「ハッ! ここは……」

 ここはどこだ。そう口に出す前に、ここが教室だということに気が付く。

「夢か……」

 校門前に突っ立っている教師に思いっきりジャーマンスープレックスを決められた気がするが、こうして教室にいるということはきっと夢だったんだ。そうに違いない。

「夢? それは、剛力先生にのされていた君を、僕が教室まで背負ってきたことを言っているのかい?」

 その声を聞いて驚いた俺は、勢いよく振り返る。すると隣の席に顔色の悪い、アホ毛をちょこちょこさせている男がいた。

「だ、誰⁉︎」

 男は小さいため息を吐いた後、つまらなそうに言った。

「僕の名前は、真壁まかべじゅん。この学校は今年からで知らないことだらけなんだ。困ったときは助けてほしい」

 よろしく、と最後に付け加えた真壁と名乗る男は机にうつ伏せになっていびきをかきはじめた。今年からってことは転校生なのか。

「よ、よろしく……って、めちゃくちゃぬるっと登場したな……」

 起こさないように小声で返事をする。ま、まあ、これから何があるか分からないんだ。助け合っていかないとな。

 再び、窓の外を見ると今度は教師だけでなく女子生徒も何人かいた。あわよくばエッチな風が吹いて女生徒のスカートをめくってくれないかなーとか思ってはいない。断じてない。

「昔、漫画で見た『パンチラ』とかいうやつはないのだろうか」

 いつの間にか目を覚ました真壁が、窓に顔を押し当てて聞いてくる。

「パンチラなんて現実ではそうそうないから、期待なんてするだけ無駄だと思うぞ」

「じゃあ、なぜ君は顔の肉が押しつぶされるくらい窓に顔を押し付けているんだ」

「ありえないと分かっていても男には引けない場面があるんだよ」

「そういうものなのか……あの短さなら簡単に見えそうなものなんだが」

 俺は、その言葉を一蹴する。

「ないない! パンチラなんて都市伝説だろ。そんな妄想するのはバカだけ……」

「おおおおお! これは! 見える!」

「どこだ⁉︎ どこどこ⁉︎」

 外を見ると、二人組の女性徒が仲良く話しながら歩いている。よく見ると、女生徒のスカートの裾が小さくそよぎ、辺りの桜の木の花弁が低く舞い始める。これは……。

「風がある……!」

 次の瞬間。

 予期せぬ突風が女生徒を襲う。

 時が減速していく。世界がスローモーションで流れる。釘付けとはまさに、このこと。

 妄想の風が俺の体を吹き飛ばそうとする。くっ、ここまできて……諦めるわけにはいかない!

 しっかりと足を踏ん張り、窓の外を視界に入れておく。

 そして、その瞬間はきた。

 話に夢中で無防備だったスカートが、ふわりと浮き上がる。綺麗で健康的で、エロチックな太ももが露わになり、そして……俺たちのパンティが今!

 バンッ! と。

 背後から大きな音が聞こえた。俺は物音に反応して振り返ってしまった。振り返ってしまった。何度でも言おう。振り返ってしまった!

 理想郷を目の前にして、理想郷に背中を向けてしまった!

「ウオオオオオオオオオオッ!?」

「ウワァァァァァァァァァァァッ!?」

 俺と真壁、それぞれの叫びが教室中に、はたまた学校中に木霊こだました。

「は、はは、は、はハ、ハハ……」

 隣にいた真壁が力無く倒れる。

 だが、俺もそちらを気にしていられない。俺は幽霊を前にしたように、震える指で教室の出入り口を指差した。

「なんでお前が……?」

 それが誰だか分かる。綺麗な黒髪に端正な顔立ち、凛としていて、でも気取っていない。圧倒的美少女。

俺の言葉に対して、美少女――乙宮春香は無表情で答えた。

「…………失礼」

 一言だけ発すると、乙宮はさっさと席に座って黙ってしまった。

 な、何がしたかったんだ……?

 俺はしばらく、体がプロレスラーに全力で抱きつかれているみたいに動かなかった。

「んん……くっ、あまりの衝撃と興奮に気を失っていた」

 頭を抑えてゆっくりと起き上がった真壁は、動かない俺を不思議そうに見た。

「……? どうしたんだ。鳩が豆鉄砲を食らったときの何倍も間抜けな顔をして」

 真壁は俺の視線を辿る。そして、俺と同じように固まる。

「これは……幻覚か……? 同じ教室に美少女が」

 目の前にいる美少女の存在が信じられないらしく、目を何度も擦る真壁。

「いや、これは」

 現実だ。やっと、思考が動き始めたぞ。なんで乙宮は一度反対側に歩いて行ったにも関わらずこの教室に来たんだ? トイレだって方向は違うし……席に座っているということはきっとこのクラスなんだろうけど。まさか……。

「クラスを……間違えた……?」

 いや、けど普通間違えるか? 貼り出し式のクラス発表ならともかく、いや、ともかくではないけど、一人一人に手渡しだぞ? 間違えようがない。

 でも、もし乙宮が寝惚けていたとしたら話は変わってくる。

「さすがに寝惚けてクラスを間違えたなんてことはないよな……」

 あの乙宮に限ってそんなことあるわけない。そう強引に納得しようとしていた俺に真壁が口を大きく開いて言った。

「寝惚けてクラスを間違える? アーッヒッハハハハハハ! ねぼ……ヒヒ、寝惚けて……アヒャハハハハハハハハ!」

 目に涙まで浮かべて笑う真壁に、俺は少し戸惑いながらも答えた。

「そうか? そんなにおかしいか? …………たしかに。おかしいな。というか、そんなやつただのバカじゃないか! そう思うと、なんだか……ウプ、ウププ。あははははははは! バカだ! バカだな! そんなやついたらとんでもなく間抜けだ!」

 二人して豪快に笑っていると、ガタっ、と物音が聞こえた。見ると、乙宮が自分の席から立ち上がっている。しまった。乙宮も教室にいるのに大声で笑うなんて、きっと耳障りだったに違いない。

 しかし、乙宮は立ち上がった後、しばらく彫像のように動かなかった。

「怒らせてしまったのか⁉︎」

 真壁が顔を寄せ、囁くような小声で話しかけてきた。かなり焦っているようだが、その考えには間違いがある。

「真壁……いや、純。純って呼ばせてもらうぞ。純。そして、さっき言えなかった俺の自己紹介。俺の名前は安川旭。気軽に旭キュンって呼んでくれ」

 同じように声を潜めて、俺は純に話す。

「あの美少女の名前は乙宮春香。学年一との呼び声も高い有名美少女だ」

 そこまで話すと、純が真面目な顔で聞いてきた。

「で、何が言いたいんだ。旭キュン」

「前に一度、食堂でぶっかけうどんをぶっかけられてしまったところを見たことがあるが、乙宮は全く怒っていなかった」

 緊張した顔で話を聞く純の頰から伝った汗が顎まで到達し、滴り落ちるとき、俺、安川旭の持論が展開される。

「うどんをぶっかけられて怒らない人間が俺たちの笑い声で怒ると思うか? 俺は怒る」

「……ない。が、だとすると彼女は何をしているんだ?」

 未だ動かない乙宮の方に一瞬だけ目をやった純は、不思議そうに聞いてきた。

「……それは、分からない。けど怒ってはないとは思う」

 俺たちが声を潜めて話していると、乙宮はゆっくりと席に座った。

 純と俺は安堵した。分かっていても、やはり他人を怒らせる、というのは怖いものである。

「ハァー」

 ため息をついた純が窓に額を擦り付けている。何をしてるんだ?

「何してるんだよ」

「見ての通り、パンチラだ」

 外を見たまま答える純。言ってる意味はよく分からないし答えにもなっていないが、なぜだろう。純の目は一点の曇りもない。真っ直ぐだ。

「さっき見れなかったし、俺も狙うか」

 俺が外を覗き込もうとしたとき、妙な音が教室に響いた。

 そう、グゥゥ、といった。丁度。お腹が鳴ったときの音のような。

「ん? 今のは腹の……」

 鳴る音か。そう言おうとしたのを、純が勢いよく遮って答えた。

「いやいや、お腹の音だなんて! そんなわけないだろう! まさか、朝っぱらから寝惚けて学校に来る時間を間違えて、朝ごはんを食べる暇もなく、自分のクラスも間違えてお腹が空いてしまい、お腹を鳴らしてしまうなんて、そんな阿呆いるわけないだろ!」

 純の言葉に俺は首を傾げる。

「そうか? 俺はそうでもないと思うけど…………いや待てよ。確かに、それはアホだな……。ププ。ウププ。プププ……あははゃはははははは! アホじゃないか! アハハ! アホ……アホ……ははははははははははは!」

「だろう! アホだよ! アホ! アヒヒヒヒヒヒャハヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!」

 ガタッ、と。

 俺たちが笑っていると、またしても乙宮が席から立ち上がった。今度は、立ち上がった後すぐに教室を出ていってしまった。

 すると、間もなくして教室の外から、ァァァァァァァァァァァァァァァァァ! と誰かの叫び声が聞こえてきたがきっと空耳に違いない。

 乙宮はすぐに帰ってきたかと思うと、俺たちには目もくれず席に座った。

「おい、あれは一体……」

 俺が聞くと純も分からないといった様子で、首を捻っていた。

「分からない。なんだ、さっきからの謎の行動は。実は家が近所で小さい頃からの片思いだった男の子と同じクラスになれて緊張と愉楽に包まれていたとき、偶然にも重なった不幸と寝坊により、お腹の鳴る音を聞かれてしまって、もうっ! 最悪っ! っというときの行動みたいじゃないか」

 とても狭い、特定のシチュエーションを早口で喋り切った純は満足感と達成感に満ちた表情をしている。さっきの言葉の一体どこにそれを感じたんだ。

「もし、そんな状況だったとしたら、かなり恥ずかしいな。穴があったら間違いなく入ってる」

「当然、僕もだ。ま、僕の場合は蟻になってせっせこと働きたい、だけど」

 いや、それ今思うことじゃないだろ。

 そうツッコミを入れようとした、そのとき。


「くぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」


 すぐ側から誰かの、いや何かの叫び声が聞こえた。呑気に話をしていた俺たちの全細胞が危険を告げる。

「な、なんだ……? 今のは」

「い、今のは……」

 あまりの衝撃に言葉を失う。いや、まさか……だが、この教室には三人しかいない。俺と純と……あとは……。



「ッテメェらッ! 分かって言ってんだなッ! 分かって言ってんだよなッ! なァァァァァオイッ!」



 いや、本当に。

 元々、低かった言語能力にとどめの一撃が決まった感じだ。

 わけが分からない。

 さっきまで自分が座っていたイスの上に片足を乗せている乙宮は、ものすっごい形相でこちらを睨んでいる。

「あ……」

 何か喋ろうとするがうまく声が出せない。隣を見ると純も同じようで口をパクパクとさせている。

「無視……か」

 一言、呟いた乙宮の声に、俺は少しだけ寂しさのようなものを感じた気がした。

「それは、YESってことでいいんだよなぁァァァァァァッ⁉︎」

 本当に気がしただけだったみたいだ。

 パキパキと、手首や首を鳴らしながら、近づいてくる乙宮の周りに、小さく稲妻が走っているように見えるのは、髪の毛がワックスで固めたみたいに不自然に逆立っているのは、気のせいだよね。

 金縛りにあったかのように動けなくなった俺と純のすぐ側までやってきた乙宮の身体から、何かオーラのようなものが漏れ出ている。

「かっ…………あ」

 圧倒的迫力。

 まるでこの世の全ての生物の頂点にいるかのような風格。

 俺は直感した。こいつからは逃げられないと。その目が、絶対に逃さないことを告げている。

 もう、ダメだ。

 俺が生きることを諦めたそのとき、俺と暴走した乙宮の間に誰かが割って入る。

「純……」

 その男、真壁純。まだ、出会って一時間と経っていないが、そこにはたしかに絆があった。

 俺と乙宮の間に割って入った純は笑顔で告げる。

「逃げるんだ。旭キュン。僕は友達が死ぬところなんて見たくないんだ」

「それはっ…………! 俺だって同じだ!」

「君なら、どこでだってやっていける。僕なしでも」

 目の前の勇者を見つめる。足が、手が、顔が、小刻みに震えている。恐いんだ、純も。それなのに……俺を。

「はぁぁ……。来世では勉強をしなくてもい――」

 言葉の終わりを待たずに、乙宮の細くて綺麗な左足が純の股間をありえない威力で蹴り上げる。

「je)p2☆37さ♡も5!」

 言葉にならない叫びが俺の心に響いてくる。俺の頰を温かい何かが伝う。くっ……純っ!

「純っ!」

 そのまま天井へ思い切り衝突した純の落下先には、右拳に力を溜めている乙宮がいた。

「…………ぁ」

 無気力に、重力に従って降下する純の顔面にオーラを纏った乙宮の拳が直撃する。

 辺りに風圧が撒き散らされ、純は床に伏したままピクリとも動かくなった。

「あ、ぁぁ……」

 乙宮は続けて、俺の方へゆっくりと近づいてくる。くっ…………こんな……こんな。

「何が……何が気に障ったんだ⁉︎ 大声で笑ってうるさかったことか⁉︎ パンチラなんていう卑猥な話をしたからか⁉︎ なんでだ! なんで……」

「それは――」

 さっきまでとは違い、俺の質問になぜか言い淀む乙宮。なんだ……。

「それは! 私が! 私がお前を――」

「…………ぇ?」

 急に弱くなった語調に、俺が違和感を覚えたその瞬間。俺の意識は絶たれた。



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