第四章 疑惑の姫君
(1)月夜の女性は誰?
結局緊張で悶々と悩み続けたお蔭で、昨夜は碌に眠れなかった。
まだ白い朝日が照らす騎士棟の廊下を、あくびを噛み殺しながら歩いていくが、頭の中は昨日の夜のことでいっぱいだ。
うーん、どうしよう……。
一晩考えたが、良い解決策は思い浮かばなかった。
結局とりあえずの解決法としては、さっさと早朝に来て仕事を終わらせる。そしてレオスと二人きりにならないという無難なものしか思いつかなかった。
いっそ、蜃気楼か欲求不満で幻影を見たのだと言ってごまかされてくれれば助かるのだが……。どうしよう。レオスに余計怒られる未来しか見えないと引きつってしまう。
歩きながら、この宮殿に、幽霊伝説でもないかなと考えた。一つでも転がっていれば、死人に口なしで幽霊に全部押しつけてやるのに。
でも、残念ながら今からでは探す時間もない。とりあえず、怪談探しは騎士隊の昼食の時にするとして、それまでは、なんとかレオスと二人きりになって昨夜の話を持ち出されるのを避けなければ。
思わず、ふうと重たい溜息をついてしまう。それなのに、足はいつの間にか持ち場の保管庫へと着いてしまっていた。
さて、どうしようかな。
「早いな」
「げっ! レオス!」
けれど、レオスはもう鍵を持って倉庫の扉にもたれると、朝日の中に黒い髪を輝かせている。
どうしよう! まだ、誤魔化す方法を思いついていないのに!
なんで、今日に限ってこいつこんなに早いんだ!?
「まだ眠そうだが、昨日はきちんと眠れたのか?」
「あ、ああ。ちょっと夢見が悪くてさ」
嘘ではない。うとうととするとレオスの怒った顔が出てきて、言い訳をしながら必死で逃げていた。
それなのに、目の前で朝日の中に立つレオスも、夢の中と同じように容赦のない瞳を私に向けてくる。
見通すように注がれる藍色の視線に、背中に汗が流れてきた。
どうしよう。本当に私だってばれているのだろうか。
どきどきと心臓が早くなってくる。
だけど、いやと首を振った。
いくら月明かりがあったとはいえ、あの暗がりだ! そこまではっきりと顔は見えなかったはず――。
しかも、あれだけ着飾って化粧をしていれば、さすがに私とは思わなかったはずだ!
だから、私が女装しているとは思わなかったのに違いない。うんと頷いて、保管庫に入ると、私は急いで昨夜のことを誤魔化すように、壁にずらりと並べられた光る穂先に視線を注いだ。
「すごいな。これ全部昨日お前が研いだのか?」
長年の使用で、切っ先が錆びて手入れを必要としていた槍は、全部新品同様の銀の輝きを取り戻して並べられている。実際使い込まれて握るところが磨り減っていなければ、新しく買い直したのかと思うばかりだ。
赤い煉瓦の壁を背に、五十本の槍が、扉から入る朝日に穂先を銀色に光らせながら並んでいる様は圧巻だ。
「ああ。だから、今日、弓の弦の交換をすれば武器の点検は終わる」
「すごいな、お前! 一人でこれだけするなんて!」
「いや、大隊長が気を利かせて、君が行った後、もう一人手伝いに回してくれたからな。そのお蔭だ」
珍しくこいつの口調が躊躇っている。褒めて、照れているのだろうか?
「そうかあ。ごめんな、昨日は結局戻って来れなくて」
だから昨日持ち場を途中で離れてしまったことを素直に詫びた。けれど、これが薮蛇だった。
「昨日――」
「え?」
ぎくりと背筋が強張る。
「シリル長官は、君を目立たないように姫の護衛につけたいと仰っていたが。まさか、なにか変装でもさせられていたのか?」
「え、変装!?」
「そう、たとえば女性の格好とか――」
それに頭から一斉に血の気が引いた。
こいつ、まさか気づいている!?
だめだ! 急いで、誤魔化さなければ!
「いや、まさか。ただのピエロだ」
だから、咄嗟に口に出た。
「ピエロ!? 逆に目立たないか!?」
「いや、冗談。側の甲冑の中に入っていた」
あぶない、危ない。動揺しすぎて、完全な不審者になるところだった。自分ながら、どうやったら深刻な話をしている王妃とマリエルの側で、ジャグリングをしているピエロのいる光景が想像できるんだ。
「甲冑? そりゃあ小柄なアンジィなら入れるとは思うけれど――」
おおっ。完全に怪しんでいるな。切れ長の目をじっと細めて、こちらの言っていることが本当か見極めようとしている。
「ああ。だから息を殺すのが大変だったよ。狭いし、潜んでいるとばれたら大変だし。お蔭で、今日は全身の関節がゴキゴキいっているような気がする」
だから、誤魔化すように笑う。
本当は、動きにくいドレスで半日拘束されたからだが、今そのことに気づかれるわけにはいかない。
そうでなくても、さっきからレオスの視線が私から動かないような気がするのに。
だから、さっさと仕事に入って誤魔化そうと、壁から抱き上げた五つの弓をレオスの前に置いた瞬間だった。
じっと私を見つめていた眉が、不意に強く顰められたのは。
「右手――」
「え?」
「怪我でもしたのか? 昨日までと違う、無意識に庇うような持ち方をしているが」
本当に目敏い奴だな!
だから一瞬引き攣った口元を笑顔で隠して、必死に右腕を回す。
「肩が固まっているせいだって! だから動きがおかしいんだ!」
頼むから、これで誤魔化されてくれ。
けれど、すっとレオスの藍色の瞳が切れ長になった。
やばい! 気づかれていないよな!?
それなのに、レオスの藍色の瞳は、さっきよりずっと鋭く睨むように私を見続けている。
「昨日――」
ごくりと喉が鳴った。
「一人の女性が、侵入者に襲われていた」
「え?」
「夕方の暗くなった奥庭でだった。侵入者は一人は捕らえたが、もう一人には逃げられた」
「あ、ああ……、そんなことがあったんだ」
知っていたとは言えないし、どういう顔をすればよいのかわからない。だけど、あの侵入者の一人を捕らえることはできていたのだ。
だったら、そいつから命じたのが王妃だと証言を得ることができるかもしれない。
「後で、騎士の詰め所に連れて行って尋問したが、今朝には毒を飲んでいた。まだ死んではいないが、意識は戻っていない」
「そうか」
くそっ! それでは証人にすることもできない。
思わず指を噛みそうになったが、レオスはまだ私をじっと見つめている。
「その襲われていた女性が、少し君に似ていたような気がした――――」
どっと額から汗が溢れた。
――え、どうする!? これ!?
確実に疑われているじゃないか!
「そして、昨日からその女性の顔が、なぜか脳裏に焼きついて離れない――」
ますます、まずいって!
さあ、どう答えたらよいのか。咄嗟に出てこなくて、私は額から流れる
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