第28話 牧田、高みを目指す

 コンビニに入ってきた男は、やあと軽く手を上げた。


 ある美しい少女にせっつかれて、とりあえず汐里の実家の近くには来てみたものの、まさか本当に会えるとは思ってもいなかった。なので、その驚いた表情は演技でもなんでもなく、あまりのラッキーさにほころぶ顔もまた、真実味溢れるものになっていた。


「どうしてここに? 」

「全く、僕も同じこと聞きたいな」

「私は実家が近くて」

「僕は仕事場の先輩の家に呼ばれて」


 これは少女が考えていた嘘である。


「それにしても暑いですね。僕もちょっとお茶買ってきていいですか?」


 男は、緑茶のペットボトルを買ってくると、汐里の席から一つ開けて座った。

 真ん中の席にはさりげなく荷物を置く。汐里のパーソナルスペースに入りすぎないように気遣ったふりをする。ここで気持ち悪いと思われたらいけないし、昔を思い出されて拒絶反応がでても困るからだ。

 とりあえず、彼氏がモヤモヤするくらいには仲良くなりたいし、これから彼氏に起こることの相談役になれるくらい気を許してもらえたらベストだ。


 少女は「誘惑してよ! 」と、ハードルの高い要求をしてくるが、男はそこまでは考えていなかった。第一、愛らしい天使の存在を知ってしまった今、嘘でも汐里に好きだ何だとは言いたくない。

 親しい異性の友人というベスポジを確保し、少女がしかける罠の後押しができれば万々歳といったところか?


 案の定、距離を置いたせいか、汐里の表情は柔らかく、何も疑っていないように思われた。


「いやあ、暑いですね。本当。それにしても、汐里さん実家も東京でしたか。独り暮らしだからてっきり地方かと思いましたよ」


 お見合いした時に、汐里のプロフィールは渡されていたはずだから、わざとらしいと言えばわざとらしいが、偶然アピールをするためにすっかり忘れているふりをした。


「まあ、働いてるので……」


 言いかけて汐里は口をつぐむ。

 働いているんだから自立するのは当たり前と言いかけて、牧田がこの年になっても実家住まいをしていることを思い出したのだ。


「彼氏君は帰省中ですか? 」

「ええ、この間合宿から帰ってすぐに」

「学生は休みが長くていいなあ」

「そうですね」


 テーブルに置いてあった汐里のスマホがなり、ラインが届いた。

 何気なく開いたスマホの画面を見て、汐里の手が止まった。視線が画面に釘付けになる。

 その様子を見た男が、さりげなく画面を覗き込む。


 少女からのラインだった。


 美麗:お姉さん聞いてください!友達から、回ってきた写メなんですけど、耀君に彼女ができたみたいなんです。美麗ショックで……


 その文章の下に、写メが数枚添付してあり、川辺で雫と水着で腕を組んでいるものから始まり、熱烈なキスシーン、さらには雫の手が耀の股間にあり、まさに顔を寄せてフェラしようとしているものまで。

 かなりどぎつい写メに、男のほうが驚いてしまう。


「それ……、彼氏君だよね。あ、ごめん! 見えちゃって」

「……」

「いや、ほら、彼氏も若いから浮気くらいするよ。こんなかっこいいしさ、して当たり前だって」


 汐里の耳には、男の声は届いていなかった。

 背景から、たぶん合宿に行った時だと思う。帰ってきてから一度会ったが、何も話しはなかった。


 楽しかったから、今度は二人で行きたいな……って言っていたのに。これが楽しかったの?浮気しといて楽しかったって、意味わかんないから……。


 汐里はスマホの電源を落とし、テーブルの上のミルクティーを飲み干す。


「私……家に帰ります」

「ああ、うん。あの、もし僕で役立つなら、話しくらい聞くから、連絡してよ。男の気持ちは男にしかわからないかもしれないし、その……アドバイスとかできるかもだし」


 今が攻め時だと思った男は、汐里の腕をつかんで真剣に言う。もちろん、ソフトに触れるくらいだ。がっつりつかんだら引かれてしまうだろう。


「何かあったら……。じゃあ、失礼します」


 それ以上引き止めることなく、フラフラとコンビニから出ていく汐里を見送る。


 それにしても、まさに見てるとしか思えないタイミング。少女は可愛らしい魔女なんじゃないかと、魔女の黒いドレスを着ている少女を想像し、一人悦に入る。


 男は少女に電話をかけた。


『何? 』


 そっけない少女の声に、ゾクゾクして顔面を紅潮させた男は、とにかく今の出来事を報告する。


『ふーん、ちゃんとやることやってるのね。牧田のわりにやるじゃない』

『そりゃ、美麗たんのためなら。それにして、あんな写真よく手に入ったな』

『まあね。雫をけしかけて写真取らせたのよ。あの子も耀君と付き合いたいから必死よ』

『もしこれで別れたとして、今度は写真の女があの男の……ってことになるんじゃないか? 』


 男にしたら、それを願わんばかりである。

 少女は神聖な侵してはならない存在であり、自分ももちろん、誰のものにもなってはならなかった。


『ならないわよ。あの女は耀君のタイプじゃないもの。だからけしかけたんだし』

『ならいいけど』

『あなた、今晩にでもあの女に電話しなさいな。慰めるふりして、会う約束でも取り付けなさい』

『警戒されないかな? 』

『あなた、頭ついてないの? 警戒されないように上手くやんなさいよ。女は傷心の時は、貞操観念も緩くなるものよ。押し倒して関係をもつことができれば、ご褒美も考えてあげるわ』

『ご褒美? 』


 男は生唾を飲み込む。

 彼女のために、自分の見た目から話し方、全てをかえた男だ。女性と関係を持ったことはなかったが、少女のためなら、好きでもなんでもない女に童貞だって捧げてもかまわなかった。


『そうね……、足にキスさせてあげるわ』


 男は悶絶しそうになる。


 僕の天使が、僕に足を差し出すと言うのなら、僕は何だってできる!!


 どうやら、変態の域に足を踏み入れた男は、頭の中で今晩のシミュレーションをする。


 何とかして汐里と会う約束をとりつけ、飲み潰して関係をもつ!そうすれば、天使の足は僕のものだ!


 親しい異性の友人を目指していたはずの男が、多大な誘惑に負け、さらに高みを目指す決意をした瞬間であった。

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