歩く、という希望を捨てない。

 化学療法3コース目が終了し、回復期も過ぎ、体調が戻ると、再びリハビリ再開となりました。


 入院初期から寝返りを自分の意識下では行えない状況は続いていて、リハビリでは寝返りを打つ練習をしました。意識などせずとも出来る事を、練習しなければならない事は、とても辛く映りましたが、この練習をしなければ、ただ寝ている事すら、自身一人では儘ならない為、懸命に覚えて貰えるよう、励ましながら取り組んで貰いました。また、うつ伏せになり、腕の力で体重を支える練習等も行いました。腕立て伏せの始め『セット』の状態ですので、こちらも普通は何の苦もなく出来るはずの事ですが、やはり練習が必要でした。


 そしてこの頃、1回だけですが、息子は立ち上がりました。


 勿論、補装具を装着して、理学療法士の方に支えられながらの事ですが、約2ヶ月半ぶりに、しっかりと立ち上がりました。しかし、何分感覚が無い為、やはり胸から下が宙に浮いている様に感じたのだと思います。とても真剣な、恐る恐る、と言った表情をしていた事を思い出します。この頃は特に、何をするにも同じ様な顔をしながら、という事が多く、やはり感覚は鈍く、分かり辛く、新たに上書きで覚えるしかないのだ、と理解を確かにした頃でもあります。


 リハビリを行いながら、一つ浮き彫りになった症状がありました。それは『痙性』と呼ばれる症状です。


 恐らく多くの人が、試しにやってみた事があるとは思うのですが、椅子に座って足をぶらりと下げた状態で、膝の下を軽く叩くと、勝手に足が持ち上がる、反射、と呼ばれる反応ですが、実は反射は本来、様々な瞬間に起きているのだそうです。正常な神経の状態であれば、不要な反射は、脳からの信号で抑制されますが、脊髄神経を圧迫された息子は、脳からの信号が下肢へ至らず、逆に下肢からの信号も脳には至りません。すると、不必要な痙攣や、足の突っ張り、反対に、曲げなくてもいい時に膝が曲がったまま、伸ばすことが出来なくなる等の痙性が起こるのです。


 さらに厄介だったのが、息子の場合、確か右側の腰だったと記憶していますが、片方の腰が浮き上がり、身体が捻れる程曲がる、強い痙性反応があり、それを自分で抑え付ける事は出来ませんでした。育ち盛りの子どもの身体ですので、そのまま放置すれば良くて側彎症、悪ければやはり、立ち上がることも、車椅子に座る事も出来なくなってしまう、と言われました。リハビリを行うことである程度緩和される様子があり、注意深く様子を見守る状況が続きました。


 ここまで書くと、痙性は悪いことでしかない様に聞こえますが、この痙性には良い側面もありました。痙攣する事で、寝たきりの筋肉は刺激され、ある程度鍛えることも出来るし、リハビリも、足の突っ張りがあるからこそ行う事の出来る内容、例えば先に記載した、補装具を着けて立ち上がる事も、この痙性の突っ張りがあった方がスムーズに行う事が出来るので、痙性の症状そのものは、薬で無くしてしまう事も出来ましたが、その判断が難しい状況で、先生方も難儀していました。


 結論を先に書いてしまうと、いまも息子の下肢には痙性があります。が、自分でしっかりと管理しています。そこに至るまでの記録は後述させていただきますが、いまは上手に管理し、自分で着替えも行う事が出来ます。


 息子は歩く、という希望を、絶対に捨てる様な事はしませんでしたし、言葉にもしませんでした。


「取り戻す」

「負ける気がしねえ」

「おれにやれないはずがない」


 そんな前向きな言葉を口にしながら、息子はリハビリに勤しんでいました。いま、痙性が管理出来ている要因は、例えば薬であったり、化学療法終了後、転院したリハビリ専門病院での、日本最高峰の設備と技術の力であったりするのだろう、とは思いますが、それ以前に、恐らくこの息子の、前しか見ないスタイルが、あらゆる難儀を越えて行こうとしているのだと、いまは思っています。

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