治療後期、そしてリハビリ入院へ。

化学療法3コース目

 年末年始を自宅で過ごした息子は、病院に戻ると、直ぐに治療を再開しました。化学療法3コース目。既に腫瘍の寛解が認められている為、使う抗がん剤は激減しました。飲むのが恐ろしい薬、プレドニンも無くなり、身体こそ自由に動かないものの、体調は入院前から比べれば、明らかに良くなった、と息子も実感があったそうで、かなり楽になっていた、と話します。


 この頃から、リハビリ内容が本格的になってきました。勿論、化学療法中と回復期には行えませんでしたが、その合間を縫うようにして、息子は自身の新しい身体について学んで行きました。


 まず行われたのが、腕の力でおしりを持ち上げる、プッシュアップという動作の訓練です。胸から下が麻痺している息子には、おしりが痺れる感覚がありません。普通、わたし達は長く座っていると、無意識の内にちょっと身動ぎしたりして、体重の圧力を分散していますが、息子は分からない為、その無意識の動作すら行えません。しかし、同じ重さを同じ場所に掛け続ければ、そこは褥瘡になってしまいます。褥瘡は恐ろしい物で、気付かずになった場合、その傷が元で亡くなる人もある程と、理学療法士の方から聞かされました。その為、自分で、意識的に、時間を見てプッシュアップを行い、おしりや太股に掛かる圧力を分散(除圧)してあげなければならないのでした。


 また、この頃、車椅子に乗ってリハビリ中、背もたれがあっても後ろに倒れそうになる感覚があり、乗った初日から、辿々しいながらも器用に乗っていた車椅子を怖がるようになりました。これは以前に書きましたが、


「胸から下が、宙に浮いている様な感覚」


という認識が、この時の息子の、自分の身体に対する認識であった為、何かの拍子に(息子によると、車椅子に乗って、エレベーターに乗降した時との話ですが)背後に身体が倒れる事があり、その時初めて、後ろに対して感覚がない、恐怖心に気付いたのだろう、との話がありました。恐怖心の根本的な緩和の為には、やはり息子自身が、自分の身体の感覚を詳細に覚える他にありませんでしたが、ハードの面での補助として、車椅子の微調整を行いました。この時乗っていた車椅子は、病院から貸し出された物でしたが、より息子の体格に合うように調整して頂き、少しは感覚が変わったのか、怖い怖い、と言いながらも何とか乗車し、何とか感覚を掴もうとする毎日を過ごしていました。


 動かせる上肢の筋肉トレーニングも引き続き行われました。1キロのダンベルが導入され、ベッドの上で毎日上腕を鍛える日々が始まりました。


 トレーニング内容が増え、厳しくなっても、やはり効果を発揮したのは、妻が作ったシール集めのルールでした。あれのお陰で、息子は楽しむようにトレーニングに取り組んでいた様に思います。度々になりますが、見事なものでした。


 このようにして、2018年1月の前半は過ぎていきました。そして1月の半ば、以前に話はされていて、わたし達は余り深く考えなかった、前例が殆ど無い事を、息子はする事になったのです。

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