外泊、約2ヶ月ぶりの自宅

 2017年12月31日。緊急入院から約2ヶ月のこの日、午前中に一時退院手続きを取り、午後に帰宅しました。


 帰宅後の息子の第一声は、


「やっぱり家が好き」


 完治には程遠く、治療も半ばの状況でしたが、この時ばかりは、兎に角生きて帰って来ることが出来た事を家族三人で喜びました。


 たった二泊三日でしたが、とてもゆっくりとした時間が流れていた様に思います。前項でも書いた様な、様々な制約や、行わなければならないような処置、手技も沢山ありましたが、それでも随分ゆっくりと過ごす事が出来ました。こんな時間は一体いつ以来だろう、と考え、息子が体調が悪くなる前以来、夏の終わりから3ヶ月以上、こんな時間はなかったのではないか、と気付きました。


 息子の治療が始まってから、わたしはずっと、あるイメージが頭にありました。それは、クレバスの様な、底の見えない谷が、わたし達家族の周囲にはあり、その谷の向こうに、何でもない、当たり前の日常を過ごしている人々がいる、というイメージでした。わたし達も、つい先日までは、その谷の向こう側にいたはずで、気が付いた時には谷のこちら側にいた。戻る橋はなく、世間の人々が、酷く遠い、彼岸に見える。こちら側に渡ってしまった人間の声は届かず、理解し合えるはずもない。そんな風に世界が見えていました。押し寄せる喪失の恐怖に怯え、一日一日を丁寧に生きれば生きる程、世間からは遠く離れていく。それが、良い事とも、悪い事とも判断が付かず、ただ、必死になっていたここまでの数ヵ月を、この年末にふっ、と思いました。


 テレビで流れる年末の、それ程面白くもないバラエティ番組を見ながら、笑う。家族という単位で笑う。それがどんなに尊い事で、掴み難い事か。日常という平凡が、どれ程非凡な事か。わたしは帰宅してほっと一息付いた様な、息子の表情を見ながら、谷の向こうから帰ってきた、という実感と同時に、そんな事を考えたのです。


 もちろん、いろんな事が変わろうとしていました。息子の身体の事を思えば、多難な事は目に見えていました。それでも全ては、命あっての物。0と1は全く意味が異なるのです。それを、息子に教えられた様に思います。


 闘病という名の如く、悪性リンパ腫の治療は、息子本人は勿論、それを施す医療人の方々も、そしてそれを見守る我々家族にとっても闘いでした。命を守る為の闘い。それは、何でもない日常を獲得する為の闘いなのだと思いました。何でもない日常を歩むという事、歩む事が出来るという事が、どれ程意味があることなのか。どれ程困難で、それを守る為に、考えられない程の行程があり、想像を超えた数の人々が動いている、という事を、時には足を止めて考えてみる事も、我々には必要なのかも知れません。

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