エピローグ

 会社のPCの動作がおかしくなったのは、中田さんのお見舞いに行った翌日のことだった。起動はする。ログインもできた。ネットワークにはつながっている。にもかかわらず、ブラウザが立ち上がらない。社内LANの共有フォルダに対するアクセス制限がかかっている。何がなんだかわからなくなった私は、本社のシステム管理課に連絡をして、遠隔操作で見てもらうことにした。電話で多少のやり取りをして、あとは画面上のポインターが勝手に動く様子を眺めていた。管理者権限のパスワード入力をしてアップデートをかけているようだ。再起動を掛けたところで再び電話が鳴った。

「とりあえず、再起動したら動作確認してください。それで支障なければそのままでいいです。」

 とのことだった。

「あ、あの、どうしてこうなったのでしょう?私の操作に何か問題があったのでしょうか?」

 と尋ねると、電話の向こうからは感情の抑揚が感じられない声で返答があった。

「いえ、そうではなく、もう古いパソコンをだましだまし使っていたせいです。今度のデータベースのバージョンアップに伴ってPCも入れ替えすることになっていますから、もう少しだけ我慢してください。」

 忙しいのか、変に電話を長引かせるな、とでも言いたげに語尾が少し尖っていた。

「わかりました。もしまだ何か変だったらまたお願いします。ありがとうございました。」

 私は、電話を切るとすぐに社内メールを立ち上げた。優秀だった林課長が若くして亡くなったのはお気の毒だったが、そんな林課長のフリをしてメールを返し続けてくれたのは誰だったのだろう。林課長のことを知っている人が中田さんの他にも社内にいるのだろうか。いや、もしかしたらたまたま私が林課長と書いたからそれに乗っかってくれただけのことで、亡くなった林課長のことは知らないのかもしれない。…さっき、システム管理課の人にhayashiというアドレスを使っている人がいないかどうか聞いてみるんだったな。

 立ち上がった社内メールの受信フォルダを開き、あれ?と思わず独り言を言っていた。林課長からのメールがなくなっている。

 システムエラーに伴ってメールが消えるとしても、他のメールは全て残っているのに林課長からの分だけが消えるなんて、そんな器用なことができるものだろうか?

 アドレス帳を開く。いつものリストなのに、いつもあるはずの林課長のアドレスだけが見当たらない。宛先欄に「h」だけ打つと自動表示されていたアドレス候補も表示されない。今朝のエラーのせいなのか?他のところは昨日までと何も変わらないのに。

 送信メールを確認しようとしたときだった。突然、シュィンっと言ってPCの電源が落ちた。驚いた私は、周囲の人のPCを見渡した。雷や停電ではなく、どうやら私のPCだけが落ちた様だ。電源プラグが抜けたのか?机の裏などを覗き込むが、何も異常はなかった。その後、何度電源ボタンを押しても、PCはうんともすんとも言わなくなった。再びシステム管理課に電話をすると、今度はシステム管理課長じきじきに対応してくれた。

「ああ、もうそのPC、お亡くなりになったね。…代替え機用意するから。」

 その言葉に、妙に心がざわついた。とてつもなく大切な人を亡くしたような悲しみや切なさが込み上げてきた。何故そんな気持ちになったのか、林課長に聞いてみたかったが、もうそれは叶わない。

 PCが無ければほとんど仕事にならない。その日は社内のあちらこちらの片づけや掃除をして時間をつぶすしかなかった。

 この心のざわつきは二日もすれば収まるに違いない。私はそう思うことにした。

               <終>

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林課長。 諏訪 剱 @Tsurugi-SUWA

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