第5話語り手は任務へ

暗伝策察あんでんさくさ


「夜影、お前の過去を聞いても良いか。」

「面白い話は出来ませんよ。」

 茶を啜りながら、影忍の方へ目を向ける。

 茶をいれ、ただ正座して目を閉じるその姿を。

「お前の過去が面白いはずが無かろう。苦難を越えた、その過去を。」

「そう大した苦難ではないんですがね。遠い、子猫が輪丸と言う名のお子に出会いまして…。」

 そうして語り始めた夜影の表情は、寂しそうで、哀しそうな、遠い目をしている。

 きっとその目には、その遠い過去が見えているのだろう。

「輪丸は一等正義感が強く、忍に不向きだと常々感じておりました。」

 柔らかに、そう小さな声で言った。

 作られた言葉ではなく、それは本心からくる輪丸という者に対する思い。

 そして子忍として過ごした日々を懐かしそうに順に語って行った。

 修行も、大まかにざっくりと語るのは夜影なりの配慮だろう。

 そんな雑な語りであっても酷いモノだとわかってしまうのだから、深く踏み込んで語れば聞いてはいられなくなりそうだ。

「そして、ある日。輪丸は裏切った。」

 声が低く重くなった。

 その目に、憎しみを抱えて。

 まるでその一時を目の当たりにしたような殺気が、じんわりとこの肌を刺す。

「仲間を皆殺しにした。子猫は仲間の死体を置いて逃げた。輪丸が、どうして、そればかりで頭が回らなかった。」

 ぎゅっと拳を震わせて、息を吐く。

 許さない、と今にも言って暗殺に向かいそうな勢いだ。

「足を踏み外した子猫は崖から落ちそうになったのだけれど、輪丸が子猫の手を掴んで止めた。何を望んでいるのか、わからないまま、そこに…。」

 夜影の語りに夢中になって、茶も冷めた。

 震えた声で語られる過去を、『子猫』と言いながら、きっと自分だと言うのが嫌なのだろう。

 それとも、あくまでも語り手として自分を立てて呑み込まれまいとしたいのか。

「子猫は全てを捨てて、それから他の忍の里を潰して回った。ある時、武雷の武将が目の前に現れ…。」

 夜影は、そのまま武雷の忍となった、そうだ。

 いきなり話をざっくりと、酷くもなさげなのに。

 首を傾げれば、くすりと笑った。

「なんです?物足りませんか?」

「輪丸殿は今は?」

「………、生きていたとしても、もうこちとらのことなんざ覚えていないさ。」

 吐き捨てるようにそう放った。

 その目は冷めきっていて、その話はしたくないのだと暗黙に叩き付けてくる。

 それでも、聞きたい。

「何故だ?」

「記憶が無いのさ。消したからね。もう、忍じゃない。人となった輪丸。あれから会ってもない。」

 溜め息をついて、外へ目を向けた。

 夜影は輪丸が仲間を皆殺しにしたことを、今は恨んでいない。

 それはわかるのだ。

「許したのか?」

「許した?嗚呼、まぁ、そうかもね。」

「仲間を皆殺しに、したのにか?」

 そう問い掛けると、唇を噛んだ。

 その過去の風景を覚えているのだろう。

 そしてそれを、鮮明に思い出して、苦を感じておる。

「子猫は、輪丸が可哀想で仕方が無かったんだよ……。」

 そう、答えた。

 避けた、答えだった。

 もう、これ以上はやめておこう。

 絞り出した答えがそれならば、また、次の時に先を。

 影忍はすっくと立ち上がり、片手を天井へ伸ばした。

 その指先で影が小さな渦を作り出す。

「武雷に来てからというもの、色んな死を見た。死も生も、大したモノじゃないと知った。」

 その瞳を蒼に変えて、黒い影の渦が蒼い光を放ち始める。

 そしてどこからともなく、頭蓋骨が蒼い不気味な光を纏いながら現れ、影忍の周りを揺れている。

「生死、善悪、老若、男女…こちとらはそれら全てに掛かる人様の溝が面白い。」

 影忍には、生あれば死があることを飛び越えて死すれば転生という身。

 いちいち己の命をどうのこうのと言ってはおれまい。

 そして、忍には、善悪を問うことはない。

 善悪でなく、ただ主に従うのみ。

 どんな悲惨なことをしろと、冷酷になれと命じられても。

 それが悪でも善でも。

 老いることを許されず、若さなどどうでもよくなるほどの不老を。

 長き時を生きれば、見た目の若さなぞ偽りに等しい。

 男女を問う必要も無い。

 人が起こすそれらに関係した深い溝が滑稽で仕方がないのだ。

「武雷の滅びが、こちとらの滅びになるとは思わない。けれど、どうせなら共に滅びたい。」

 叶わぬ願望。

 どうして忍は、生き様ではなく逝き様を見ようとするのか。

 墨幸にはそれが悲しく映る。

「武雷が滅ぶ時、お前は生きよ。武雷の名を抱え、生きよ。その時はお前だけが武雷の存在の証。」

 滅んだとしても、どうか未来へその証を伝えてはくれないか。

 影忍はまた辛そうに笑った。

「酷いねぇ。こちとら遺して逝くなん

 て。御意に。武雷の仰せのままに。」

 嬉しいのやら、悲しいのやら。

 滅ぶことが、尽きることが許されない身で、さて、どこまで証として伝えようか。

 筆を取るがいいか、口を開くがいいか。

 その瞳を閉じて、頭蓋を消した。

 黒い渦も途絶えて、片手は降ろされる。

 ひんやりとした空気も、今は悲しい。

 覚悟…それは役に立つのか、逝った者に問い掛けたい。

 死す覚悟、それは如何なる時に在ったか。

 こんなにも近くに、それを抱えた忍がいるというのに、問い掛けることができなんだ。

「明日は晴れると良いですね。」

 呟かれた声に、雨の香り。

 風がやんわりと吹き込む。

 羽虫がそこを飛んでいる。

 明日は晴れぬようだ。

「…………、炎上家も草然も動き始めましたね。」

「そうだな…。」

「同盟に甘えていれば、痛い目を見るよ。炎上家が企む策に、呑まれれば確実に武雷は落ちる。」

 何を探り、何を知っておるのかわからぬが、確信めいた言葉を強く放った。

 しかし、草然を抑えるには炎上の協力が必須。

 身動きを取れない。

 此処で互いに裏切った時、草然に武雷は負ける。

 そればかりか、炎上も落とされる。

 互いの不足を補い合う今に、下手に策を講じれば共倒れ。

 何を、打ったのだ。

「夜影、炎上の企みを知っておるのか?」

「いえ、ただ何かを企んでいるようにしか見えないんですよ。長年生きた勘のようなものだと思ってください。」

 その勘が鋭く的中しているはず。

 此奴が主に黙って探りを入れていることは察する。

 不確かを報告するわけにはいかない。

 間違いがあれば、誤解があれば、それに従って思考し行動に移った時、どうしようもないことになる。

 それをわかっていての答え。

 企んでいることを察し、きっといくらか探りをいれて何かを得ているのだろう。

 だからこそ、先程のことが口走れる。

 内容に深く踏み込む真っ最中であってもなんら可笑しくない。

「ならば、探りを入れよ。」

「御意。」

 命じれば、遠慮を失うだろう。

 この忍はそういう性格をしておるのだから。

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