14.こじつけでも当人がいいなら運命だよね

「来たか……」


 全身の感覚が消え去る。それは、敵意むき出しの誰かがニルスに近づいてきた証拠でもある。しかしこの呪いももはやニルスは便利な道具代わりとしか考えていない。


「グルルルル……」


 そして現れたのは狼の魔獣。いつしか戦った時には正攻法で対峙できなかったものだが、今朝はいかにか。

 狼は他と違わず、獲物を見つけたとばかりに小さく唸りながらニルスとの間を詰めてくる。見かけには魔獣は瞬間移動をしながら近づいているようでも、彼が積み上げてきた月日は、そんなものを厭う感覚など残さなかった。


 以前は目を瞑っていたものだが、それもやめた。視覚情報はやはり重要である。しかしそれでもニルスは目で追うなどという安直な真似はせず、気配や音で相手の位置を探る。

 そして視界に捉えるは攻撃を加える一瞬のみ。


「くっ!」


 動きの止まる自身の腕に抗いながら、ニルスは歯を食いしばる。すると僅かに、距離にして指一本分だろうか、その手に握られたロブストの棒が動いた。


 しかしそのささやかな動きでも、狼が飛び込んできた瞬間に合わせ、脳天へと直撃させる。


「キャインッ!」


 予想外の突発的な痛みに驚いてか、その魔獣は幼いかのような悲鳴を上げて身を翻す。


 本来ならば呪いの精神作用によって動きが漏れなく封じられるはずだったが、ニルスはその許容量を超えるほどの力をもって破ってしまった。

 今一度精神とは如何なるものか、考え改める必要があるだろう。


 だがそれは紛れもなくニルスの努力の賜物、幼い頃から繰り返していた単調で成果の見えない作業は、彼の筋力を恐るべきまでに高めていた。


「ガウウッ!」


 魔獣が再び牙を剥き、ニルスの懐へ一直線に走る。彼はそれを難なくロブストで受け、その顎を叩く。

 動きは微小だが、呪いを力ずくで相殺してしまうのには疲労が伴う。


「うぐっ!」


 動きのやや遅れたニルスにフォレストウルフが噛み付く。その箇所に傷は全く見られないものの焼き付けるような痛みが走る。


 彼の身体の強度もまた、剣闘を経て大きく発達していた。尤も、あの場所でのニルスの意図するところはなくただ攻撃を受けるのみだったが、何度も受けた苦痛に耐える内に次第に攻撃が通り難い体が出来上がってしまっていた。

 その腕には噛み痕すらない。


 しかしながらあの頃から変わっていないことが一つ、痛覚はどうにも克服できないものだった。感覚は無くなる癖に痛覚は数倍にも鋭くなってしまっているとは、一体何の嫌がらせだろうか。

 それでも実際に負う傷は大したことがないのでニルスは魔獣に左腕の咀嚼を許したままにする。


 やがて狼には脳への損傷が次第に蓄積されていく。

故に、あと一息で体ももう限界を迎えるのだ。


 ニルスがとどめを刺すべくロブストを添わせたその時――


「ん?」


 直後に聞こえてくる三つの貫通音。真横を通り抜ける三本の氷の槍がフォレストウルフの腹を鈍い音で貫いたのだった。

 そして魔法が放たれた位置から誰かが駆け寄ってくる。そよいだ風に乗せられて、ほんの少し甘い香りがした。


「大丈夫?」


「アシュレイ!」


 顔を向けるとそこには、長めの銀髪を風にそよがせながら、美麗な女性が立っていたのだった。


「邪魔しちゃったかも……でも、ニルスが痛そうにしてるのは耐えられないから」


 傷はないはずだが、痛みだけはその主張激しく未だに残っている。つい、ニルスは顔をしかめてしまう。


「痛む? ちょっと見せて」


 そう言って彼女は徐ろにニルスの腕を自身に寄せ、その箇所を布で縛る。慣れた手つきで素早く、それでいて丁寧な作業だった。

 目に見えた怪我ではなかったが、ニルスは彼女に甲斐甲斐しく世話をされ、日々の疲労さえ消えてしまうように感じた。


「……応急処置だけど」


「ありがとう」


 彼女は真っ直ぐニルスを見据えて口を開いた。表情が思わず綻んでいる。


「本当に、久しぶりだね」


「そうだな」


 言葉こそ少ないが、再会を喜ぶ気持ちは変わらず、二人は笑ってみせた。今こそ約束を果たすべき。


「アシュレイ――」


「はい、これ」


 ニルスが言葉を紡ぎかけるとアシュレイから突然に金属の輪を指に嵌められる。


「これは……?」


「エンゲージリング。大丈夫、それをもう一度交換して嵌め直さないと何ともないから」


 そう言って、アシュレイはニルスの表情を窺ったまま、黙った。どうやら答えを待っているようだった。

 しかしそんなもの、ニルスにはとっくに決まっていた。


 彼はただ、自身の指輪を外し、アシュレイの指に嵌めた。同様に彼女が元より嵌めていた同じ品もニルスの指に渡される。


 これにて契約完了。この婚姻の指輪は特別な絆で結ばれた二人を祝福するための儀礼的なものだったが、その愛の形を示すにはこれ以上のものはなかった。


「私という呪いの贈り物。気に入った?」


「ああ。この上なく」


 その指輪は二人の距離が近ければ近いほど外れない。まさに呪いとして等しいため、アシュレイはそう表現したのだった。

 ニルスが彼女のような呪いだったらいくらでも被ってもいいと思えてしまうほどの彼女の笑顔だった。



 突如、ニルスの感覚が遮断される。どうやら、こんなタイミングの悪い時でも魔物は登場するようだ。


「敵か……」


「ん、ちょうどいい。私がニルスの戦い方をサポートする時」


 彼女がそう言った直後のことだ。森の木々を掻き分けて魔獣が重い足音を立てて歩いてきた。


「あれは……」


 全長が人間の2倍を優に超える巨体を持つ熊が、目の前に迫っていた。そのムーンベアーと呼ばれる魔物は、大木を引き抜けるほどの豪腕でありつつも、俊敏さを兼ね持つ獣だった。


「速い……」


 油断のため、その魔獣の姿を見失ってしまう。彼女が呟く程に素早かったのだろう。ニルスが意識を向けると勝ち誇ったような咆哮が横から聴こえてきた。


 慌ててその方向を見定めると熊が大きな腕を振りかざしてニルスを仕留めようとしていた。その腕力を武器に幾人もの冒険者を犠牲にしてきたことだろう。

 ニルスはそれを咄嗟に左手で受け止める。


「流石にニルス、このくらいじゃびくともしない」


「ところでサポートって何のことだ?」


「グルゥ……」


 平然と会話を続ける彼らにムーンベアーは戸惑いの声を上げる。するとそれを意にも介さず喉目掛けて一突きが飛んでくる。

 首を打たれた魔獣は苦悶の声を上げることさえできず、後退る。


「えっと、攻撃の仕方を教えようと思ったんだけど……できてる?」


「力を込めたら少しだけ動くんだ」


「呪いってそんな簡単に無視できるの……?」


 アシュレイは困惑気味だった。

 そんな彼らに憤りを覚えたのか再び熊が腕を振り上げた。力量の差が分からないとはやはり魔獣だと言うべきか。

 同時にニルスはロブストの棒を持つ手に力を込める。


――瞬間、アシュレイがほんの少しニルスの手に触れた。


 彼女の動作に、一瞬だけニルスの意識が攻撃することから逸れた。それが引き金となり魔法が解けたように腕は動き出し、ムーンベアーへの綺麗な一直線を描いていった。


 すると、目の前の肉塊が弾ける音が響いた。まるでスライムでも斬ったかのような手応えの無さ。それほどまで素早く、動きを阻害することを許さない一撃。


「え……?」


 困惑したのはニルスの方だった。確か、似たような経験を呪剣を取り戻しに行った時にした覚えがある。枷が外れたような解放感に、その時は考えが及ばないでいた。


「単純な話。『攻撃』を意識しないためには、攻撃する相手から思考を逸らせばいい」


 それで、アシュレイはニルスの手に触れたのだ。それにより呪いで制限されている部分、つまり本来の力でもって魔獣を排除したのだった。


「本当ならニルスはこのことに気づいていたはず。でも、それを私の言葉で制限してしまった。ずっと言い出せなかったことも含めて、ごめん……なさい」


 アシュレイが謝罪したのは初めてニルスの戦う姿を見た時の話。彼のその戦い方が怖いと言ったことだ。彼女自身、それがニルスに多大な影響を与えてしまったことを理解し、負い目を感じていたのだ。


 しかしニルスにはアシュレイの本音を聞いたことで、それまでの考えが呪いを是が非でも克服してみせようという揺るぎない信念に変わったのだ。


 だからこそ彼は例えそれが偏った戦い方であろうと正攻法に拘った。結果、呪いの制御を力づくで破ってしまうほどの精強さを得たのだ。

 彼女が謝罪する理由などないと、ニルスは柔らかく笑う。


「顔を上げてくれ。あの時、路地裏で塞ぎ込んでたアシュレイが本当のことを言ってくれた、それだけでも俺は嬉しかったんだ」


 アシュレイはその言葉に思わず顔を上げる。ただ、やはりニルスに苦行の道を追いやったのは自分だと、素直に喜ぶことはできない。

 そんな彼女の様子にニルスは付け加える。


「……それに、せっかくまた会えたんだからもっと楽しい話をしよう」


 アシュレイはその意見には頷かずにはいられなかった。ニルスとはもっとこれから、未来に向けて楽しい日々を育んでいきたい。そう思った彼女はようやく笑顔を取り戻した。


「うん……!」

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第零階位の呪剣士〜聖剣がただの玩具と化しても地力があれば魔を討てますか?〜 フライドポテサラ @fried0012

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