第16話「交渉」

 小谷城へは思ったよりも、すんなり入ることができた。

 白い制服姿という見た目には警戒されたが、若い女性4人だけの入場とあって、そこまで神経質な扱いを受けずに済んだ。

 もちろん市が手を出すなと、部下に命じたこともある。

 広間に案内されると、そこには上座に長政、近くに市。その前を重臣たちが固めている。

 彼らの顔には疲れが見えるが、キコたちが入ってくると眼光が鋭くなり、彼女たちに恨みをぶつけるようにらみつける。

 キコはつばをゴクリと飲んで、市に挨拶をする。


「大変ご無沙汰しております、姫様」

「面妖な。10年前と姿が変わらぬとはな」


 キコたちは兄弟そろって同じことを言うのだと、心の中で少し苦笑する。


「それでなんじゃ? 信長が隠居し、長政に家督を譲るとでも?」


 市は冗談を言ってみせるが、明らかに顔は笑っていない。完全に嫌みでいっている。


「決して降伏はせぬぞ。信長の思い通りにはならぬ」


 マキは「おいおい、話が違うじゃないか」と小さい声でぼやく。

 歴史でも、もともと市に降伏の意志はなく、誰かの説得によって彼女を救うことができたのだろう。ならば、自分たちがその役目を果たさなくてはならない。


「私は信長に命令されて、ここに来たんじゃありません。私たちの意志で、皆さんを救いに来たんです」

「それがどう違うというのじゃ? 城を明け渡し、長政並びににっくき将の首を差し出せと言うのじゃろう。我らは信長と袂を分かつとき、最期まで戦い抜くと決めたのじゃ。今さら降伏しては、散っていった者たちに申し訳が立たぬ」

「そんな……」


 なんて悲しいことをいうのだ。仲間が死ぬ、自分が死ぬ覚悟をしなければいけない戦争。自分には経験したことがなく、市の言葉があまりにも重く、返す言葉が見つからない。


「小娘が戦場に来るな。さっさと天へと帰るがよい」

「で、でも……私は姫様や長政さんに生きてほしくて」

「生きてほしい? そちらに我らを救えるのか? 信長が長政の命を助けると言っておったか?」


 言っていない。

 市を生きて連れてくることは自分たちの役目だが、長政のことは何も話していなかった。あくまでも、歴史で顛末を知る自分たちが長政も助けたいと思っているに過ぎない。


「説得してみせます」

「無駄なことよ。いまや小谷は一息で落ちる状況にある。しかし信長はなぜ力押ししてこぬと思う?」

「わ、分かりません……」

「わらわがおるからよ。信長とて肉親には甘い。わらわがここにいる限り、決して無理はせぬのだ。それゆえ、わらわが下れば、興味のない浅井の将兵はただ葬られることになろう」

「で、でも……」


 言葉に窮していると、浅井長政が口を開いた。


「市、それまでにしておけ」

「長政……」

「キコとやら、市の言うように、結果は見えている。何をしようと無駄なことだ」

「そうじゃ。長政、さっさとこやつらを追い返すとよい」

「市、そうではないよ。もう運命に逆らうのは終わりにしようというのだ」

「長政……?」


 市は怪訝な顔で長政を見返す。

長政は市とまったく逆に考えだった。

 もはや運命は決まっていて、変えられない。戦っても降伏しても死ぬ。だから、これ以上苦しむのはやめて、降伏しようというのだ。


「我らは降伏する。市を無事連れ帰ってくれ」

「ダメじゃ、長政! わらわを見捨てるのか!」

「見捨てない。大切だからこそ、生きてほしいと思うのだ」

「それを見捨てると言っておる! わらわを好きならば、あの世まで連れていけばよかろう!」


 目の前で繰り広げられる、戦場でのラブロマンスにキコたちは戸惑いつつも赤面してしまう。

市はこれまでの達観したクールな様子から変化し、かなりの動揺が見られた。声や口調も、キコたちが知る幼いときの市のようである。今語られていることは“台詞”ではなく、本音なのだ。


「そうしたいと思う。けれど、死ぬべきでない人間を連れていくことはできない」

「これまで将兵を道連れにしてきたではないか! なぜわらわは違うのだ!? おなごだからか!?」


 長政は口をつぐみ、静かに首を振った。


「わがままだからだよ」

「わがまま……?」

「本当ならば一緒に旅立ちたいと思う。しかしそんなのはわがままだ。大切だから、好きだからこそ、生きてほしいと思ってしまうのだ。ひどい大将だと思うよ。将兵には死ねと命じておきながら、妻には生きてほしいと願っている。この籠城中もずっと考えていたさ。市、君だけは救う方法を」

「長政……」

「もう苦しむ必要はない。ちょうど信長から使者が来たのだ。これに乗ろう」

「ダメじゃ! 絶対にダメなのじゃ!」


 市は突然立ち上がって、小姓の持つ、長政の刀を奪い取った。


「姫様!?」


 刀を抜き放ち、鞘をその場に放り捨てる。

 そしてその刃を……。


「刀を抜けい。わらわが勝てば、そちに従おう」


 キコに向けた。

 この想像もつかぬ行為に一同は、なんとかしなければと思うものの、その場で呆然とすることしかできなかった。


「ひ、姫様、おやめください!」


 刀を向けられたキコも、訳が分からず、後ずさりするだけ。


「抜け。そして、わらわと勝負せよ」

「な、何を……」

「浅井はもう終わりじゃ。長政のように降伏するしかない。しかし、我らとて武士、意地がある」


 最期に一戦、一騎打ちを申し込む、というわけだった。


「私に戦え、というのですか? 無理です……」

「なにゆえ無理か。そちは武士のはずじゃ。わらわの申し出に応えてみせよ」

「できません! 私は姫様にお仕えしてたんです! どうして戦わないといけないんですか!」

「敵じゃからよ!」


 一喝。

 市の言葉で騒然とする場が一気に静まりかえる。


「昔は確かにそうじゃった。しかし今は敵と味方に分かれておる。ならば刀を交えるのが武士のならいよ」

「そんなこと……」

「そちが何もせぬならばそれでもよい。わらわはそちを斬り、長政と添い遂げるのみよ!」


 そう言って市は刀を構え、キコにじりじり詰め寄っていく。

 キコは腰の刀の柄に手をやる。

 だが刀を抜く勇気出ない。これまでに人を斬ってきたが、あれは知らない人だからできたことだ。兵士ではない、市を斬ることなんて想像できない。


「覚悟なき者は去れ! ここは戦場ぞ!」


市は刀の切っ先をキコに突きつける。


「キコ、帰ろう! アタシたちに荷が重かったんだよ!」


 金切り声でマキが叫ぶ。


「こんなにおかしいよ。戦う必要ない……」

「キコ、無理はするな……」


 ミナミ、ナユタも続く。

 市を助けに来たのに、市に刀を向けられるのではあべこべだ。


「姫様、本気……なんですよね」

「当たり前じゃ。遊びで戦などできぬ」

「ならば……受けて立ちます」


 キコは市を真っ正面から見返し、静かに告げた。


「やめろ! 危ないことはしないって言っただろ!」

「ごめんね、マキ。でも、迷わないって決めてから」

「なんでだよっ! 死んだらおしまいだろっ!」


 キコはマキには答えず、刀を静かに引き抜いた。


「その気になったか」

「姫様、約束は守ってくださいますね。私が勝ったら、長政さんと一緒に投降してください」

「ふ、よいじゃろう。そちが勝てたらな」


 市は不敵に笑い、間合いを取る。


「長政さん、とめてよ! なんで戦わないといけないの!?」


 ミナミは上座の長政に問うが、長政は眉一つ動かさなかった。


「好きにやらせてほしい」


 ただその一言のために口を開き、刀を構える二人に目を固定した。

 これが人生の最後だから好きにさせたい、したいという思いだったのだろう。


「さあ、参れ。遠慮はいらぬ」

「はい!」


 キコはしばらく様子を見るつもりだったが、いきなり市が一振りしかけてくる。

 間を取ってかわす。

 当てる気はなかったようだ。ただの牽制で、キコにこれが本気勝負であることを示すためである。

 姿勢、太刀筋はしっかりしていて、姫といえど訓練を積んでいることが分かる。対してキコは間に合わせ程度でしか学んでいない。

 本気でやらないと殺される……。

 これまでにも真剣を振ってきたが、大勢に囲まれているところで一対一で戦うのは初めてである。張り詰めた緊張にいろんな感覚が麻痺してくる。


「キコ、頑張れ!」

「しっかりー!」


 マキたちが必死に声援を送っているが、キコには何も聞こえていなかった。

 キコは大きく前へ踏み込んでみせる。

 すると市は攻撃が来るのだと後ろに引いた。

 攻撃するつもりはなかった。刀が届く距離、相手が危険だと察知する間合いを確認するための行動だった。

 フェイントされて小癪と思ったのか、市が積極的に前に出てくる。動作の速い突きが放たれる。

 いくつかをかわすが、その隙に間を詰められ、中段からの攻撃を刀で受ける。

 市はそのまま力任せに押しこんできて、つばぜり合いとなる。


「くっ……」


 見た目以上に力が強い。押しつぶされてしまいそうだ。

 市の目は本気だった。急にニコっと笑って「冗談じゃ」と軽口で終わらせてくれそうにない。

 キコは体をそらして、力を逃がす。市がよろめき、そこにキコは一太刀を入れる。

だが刀はいとも簡単に打ち払われてしまう。

 ダメだ……。私の剣じゃ勝てない……。

 市が再び間合いを詰めて攻撃をしかけてくるが、キコはかわすことしかできない。


「来ぬのか?」


このまま逃げ続けても勝てない。しかし、攻めに行ったところで返り討ちに遭うのは分かっている。

キコは自分が勝っているのは何かと考える。

足で稼ぐしかない……。

キコはただ逃げ続けることを選択する。逃げて逃げて逃げて、かわしてかわしてかわして……市を疲れさせる。市も多少は鍛錬を積んでいるとはいえ、普段は自分で何もすることはない御姫様のはず。まだ10代の自分ほうが体力があると信じたのだ。

思った通り、攻撃を続ける市に疲れが見え始める。息が上がり、隙が大きくなっている。

ここから反撃開始だ。

キコから積極的に近づき、圧力をかける。市も反撃してくるが、次第に足がふらつき始める。

甘い攻撃ならば、キコでも問題なく回避できるし、防ぐことも容易だ。


「こやつめ……」


市の息づかいが激しくなっている。

しかけるなら今しかない!

キコは刀を高く振り上げる。打ち払おうと市も刀を上に構える。

だがキコは刀を下げ、下から切り上げる。市も合わせて刀を下げるが反応が遅い。

刀と刀が激しく打ち合わされる。


「つうっ……!」


刀が跳ね飛ばされ、ころころと床板に転がった。

 市の手は空っぽで、痛めた右手を押さえていた。


「姫様、私の勝ちです」


 キコは市に切っ先を突きつける。


「ふっ、よもやわらわが負けようとはな」


 市が負けを認め、勝利の歓喜が上がる……と思ったがそうではなかった。

 これまで静かに二人の試合を見ていた浅井家臣たちが一斉に刀を抜き放った。追い詰められた主君の妻を救おうと、ルール無用で加勢しようというのだ。


「キコ!」


 マキが叫ぶ。

 この事態が非常にまずいことは一瞬で理解できた。ミナミもナユタも歓喜から、恐怖の顔に変わる。


「そこまで」


 重い声が広間に鳴り響く。

 長政の声だった。

 主君の言葉とあって、家臣たちの動きがぴたりと止まる。


「勝負は決した。もう仕舞いだ」


 最期に一戦交えようと猛っていた将の顔が一気に落胆へと変わる。

 長政の言葉はこの場の騒動が終わりなのではなく、この戦、浅井家の終わりを意味していると悟ったからである。

 将たちは素直に刀を鞘へと収め、力なくその場にくずおれた。


「姫様、一緒に城を降りましょう」


 キコは市に手を出し出す。


「ああ……約束じゃからな」


 市は微笑してから、キコの手を受けて立ち上がった。


「姫様」

「なんじゃ?」

「手を抜きましたよね?」

「は? なんのことじゃ?」


 市はやれやれといった感じで手を広げてみせる。


「死なせたくなかったんだな……」


 この試合はキコが市を説得させるために行われたものだ。しかし、キコはそうではなかったと悟る。

 責任を取って腹を切ると決めていた長政を市が説得するために行ったのだ。市が決意を見せ敗れてみせれば、長政も従ってくれるだろうと。

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