第42話「R/W:サヨナラ」

 ~~~レン~~~




 わたしの体調が回復することは、ついになかった。

 感覚は鈍くなり続け、起きている時間よりも寝ている時間の方が長くなってきた。

 しまいには今日が何日かもわからないようになり、とうとう──

 

「レンさん!? レンさんどうしたの!? 返事して! なんで返事してくれないの!?」


 自らを抱きしめるようにしたレンちゃんが、大きな声を出している。 

 

「プロデューサーさん! お願い! 早く!」


 プロデューサーさんを呼んでいる……するとここはどこなんだろう?


 辺りの様子からすると、どうやら現代服飾文化研究部の部室にいるようだ。

 テーブルの上のデジタル時計を見るに、今は7月7日の午前5時。

 全国アイドルキャラバン本選の早朝だ。

 こんな時間に部室にいるということは、9時開催に向けて早めに集まり、最後の練習をするつもりだったのだろう。


「レンさんの反応が無いの! もうずいぶん長い事呼びかけてるんだけど! まったく無いの! こんなこと今までなくて……ホントにお願い! お願いします!」 


 半狂乱になった恋ちゃんが、必死にプロデューサーさんに頼みこんでいる。


「レンが……!?」


 到着したばかりなのだろうプロデューサーさんが、鞄を投げ捨てて駆け寄って来た。

 肩を掴み、恋ちゃんの中にいるわたしを覗き込んで来た。


「レン! レン! いるか!? まだいるのか!? いるなら返事をしてくれ!」


 顔を紅潮させて、必死に話しかけてくる。


「俺だ! プロデューサーだ! なあおい、聞こえてるなら反応してくれ! 頼む──」 

「プロデューサー……さん……」


 最後の力を振り絞って、わたしは恋ちゃんの体を借りた。

 10歳年下の肉体は、使うたび感動的な若々しさを感じさせてくれたものだが……。


 今日は今までのそれとは違った。

 手足に力が入らず、身を起こすことが出来ない。

 息苦しくて、話すだけで精いっぱい。


「レン!」


 見かねたプロデューサーさんが、抱きしめるようにして体を支えてくれた。


「ありがとうございます。ここまでつき合ってくれて……」

「辛いならもう喋らなくて……っ」

「言わせてください」


 かたくなに、わたしは首を横に振った。

 長い間言いたくて、けれど言えなかったことをプロデューサーさんに伝えるために。


「初めはね、小学校の高学年の時でした。道で転んで泣いてるところに声をかけてもらって、傷の手当てをしてもらって、家までおぶってもらって。それがたぶん、最初……」


 プロデューサーさんの必死な顔がおかしくて、わたしはくすりと笑った。

 

「中学に上がって再会して、それからも事あるごとに気にしてました。先に卒業された時は悲しかったです。プロデューサーさんの選んだ高校はわたしの頭で入れるところではなかったし、頑張ってもやっぱりダメだったから、しかたなく最寄りの駅が同じ公立に通うことにしました。登下校の際に出会う奇跡を願いながら、日々を過ごしてました」


 そして、思ってもみなかった幸運が訪れる。


「そしたらびっくりですよ。プロデューサーさんがアルファコーラスにバイトで入って来るんですもん。大学の学費を親に払って貰うから、せめても家計の助けになるようにってアシスタントで。あの時わたしはまだ高1で……ホントに嬉しかったなあー……。アイドルになって良かったって、えへへ、ちょっと不純な喜び方ですけど……」


 ずば抜けて頭のいいプロデューサーさんは、当然のごとく超がつくほど有能だった。

 働きぶりを買われ、バイトでありながらチームガンマのプロデューサー補助に抜擢され、大学卒業後に正社員登用、即座に補助の肩書きを取り除かれるほどに。


「わたしがチームガンマに入れたのはプロデューサーさんの推薦があったからだって、先代の坂下さかしたさんから聞かされました。嬉しかったです。ああ、見ててくれたんだなって。他ならぬあのプロデューサーさんがって」


 でもそこから先は、上手いこといかなかった。

 加瀬かせプロデューサーとの関係を噂されたわたしの人気はガタ落ちし、SNSは頻繁に炎上した。

 どれだけ頑張って歌っても踊っても、認めてもらえない。

 ファンだけじゃなくメンバーの一部からも、あいつは枕だからって揶揄やゆされる。

 嫌がらせもよくされた。仕事中も、学校でも。

 あの時期は本当に辛かった。

 

「わたしが悲しい時、いっそ辞めてしまおうかなんて落ち込んでる時、プロデューサーさんはいつも慰めてくれましたよね。傍に来て優しい言葉をかけてくれて、そっと背中を支えてくれた。あれ、ホントに嬉しかったです」

 

「レン……」


「それでもけっきょくダメで卒業になって……諦めかけたけどまさかのタイムリープでこうなって……それでもやっぱり傍にいてくれた。ねえ、この1年間、楽しかったですよね? しのぶちゃんや一恵いちえちゃんとひさしぶりに会えて、前回は知り合うことすらなかった志保しほちゃんや黒田くろださんとも親しく出来て。もちろん恋ちゃんとは姉妹みたいに仲良く出来たし、ソアラちゃんたちとは今はライバル同士だけど、たぶんその辺はプロデューサーさんが上手いことやってくれますよね? アステリズムや恋ちゃんの今後も含めて、こう、上手いこと。なんて、最後に無茶ぶりしちゃったりして……えへへへ……」


「最後とか、言うなよ……」


「いいえ、最後です」


 きっぱり告げると、わたしは大きく息を吐いた。

 肩から、全身から、力を抜いた。

  

「アンコールはもうおしまい」 


「レン……」


「プロデューサーさん、今までありがとうございました。こんなダメダメなわたしを支えてくれて、信じてくれて。ホントに……何度ホントにって言うのって感じだけど、ホントにそう思ってるんです。プロデューサーさんには感謝しかありません」

 

「……っ」


 終わりを察したのだろう、プロデューサーさんがぎゅっと唇を噛んだ。

 涙の盛り上がった瞳で、わたしを見た。


「あのね、プロデューサーさん。わたし、ずっと言いたかったことがあるんです。それはね……?」

「いや、いい」


 わたしの機先を制するように、プロデューサーさんが言った。


「俺が、先に、言うからっ」


 喉を詰まらせながら、体をこわばらせながら、懸命に。


「なあレン。今までずっと言えなかった。俺がおまえをどう思ってるか。明白だったのに黙ってた。だからもしかしたらあの夜だって、俺がきちんとしてしていれば……っ。おまえは……っ」


 中身は大人なのに、子供みたいに泣きながら、プロデューサーさんは続ける。 

 

「イブの夜だってさ。ホントは言おうとしたんだ。だけど、おまえがあまりに綺麗すぎて言えなかった。勇気が出なかった。バカみたいだけど、それが真実で……」


 大粒の涙が、わたしの頬に降り注ぐ。


「……」

 

 暖かいなあって、わたしは思った。

 こんなに暖かいものが体内にあるんだもん、そばにいたらぽかぽか安らぐはずだよね、そう思った。

 こんな人がずっと傍にいてくれたとか、ホントに贅沢な話だよねって。


「簡単だったんだ。ホントはこれ以上ない、簡単なことだったんだ。なあレン、俺はおまえが好きだ。他の誰より好きなんだ。だけど俺はプロデューサーで、おまえはアイドルで、だからなかなか言えなくて。あの夜、おまえが言おうとするその瞬間まで、黙って見てた」

 

「……」 

 

 知ってる。

 この人が不器用だってことを。

 感情をあらわにするのが苦手で、いつも人に誤解されてばかりいるのを。


 知ってた。

 この人がわたしのことを好きで、誰より大事に思ってくれているのを。

 ずっと、ずっと。

 

「ずるいよな? ホントに、最低な奴だよな? ホントにごめん。許してくれなんて言わない。だけどこれだけはわかってくれ。俺は真実おまえのことが、大好きなんだ……っ」

「………………ああ」


 自然と、口から声が漏れた。

 体の奥深いところから、ため息が漏れた。


 嬉しいなあって思った。

 最高だなって思った。

 ただただ純粋な、喜びだけがそこにあった。


「嬉しい……なあ……」


 涙が滝みたいに頬を伝った。


「やっと……聞けたっ」


 視界がぼやけて、プロデューサーさんの顔が見えなくなった。

 喉が詰まって、ちゃんと言葉が喋れなくなった。


 でも、いいんだ。

 これだけ聞けたら、もう満足。

 これ以上は貰いすぎだ。


「ありがと……ござ……ますっ。わた……しもっ、大好きっ。プロデュー……さんにっ、会えて……っ。ホントにっ、しあ……わせっ、でしたっ」


 ねえ恋ちゃん、だから安心して。

 向こうへ行くのはわたしだけ。

 この人は置いていく。 


「サヨナラ……ですっ」


 頑張って微笑みながら、わたしは告げた。

 大好きなプロデューサーさんに、感謝と──「じゃあね」でも「またね」でもない──まぎれもない「サヨナラ」を。

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