リベンジ!モンスター先生~生徒は全員俺のエサ~

羽鳥 町

島田次郎の再起

第1話 ノロワレ

――――人生に負けたことがない奴なんて居るのだろうか。

もし君がそういう人間なら、すぐ帰って欲しい。

今から語るのは、敗北から始まる人間の(あるいは人間たちの)物語だから。


失敗できるのは、挑戦した奴だけなのだ―――――……


◆◆◆



検問の警備員が合図をすると、タクシーは日野大橋を抜けて多摩川を越えていく。


立川の空は広い。

抜けるような青空と河川敷の桜。川面を泳ぐのは何の水鳥か。

釣り人の姿もちらほら見える。警戒区域に入ったとは思えないほど風景はのどかだ。


「お客さん、立川は初めてかい?」


60過ぎくらいの運転手は屈託なく話し掛けてくる。

「いや…まあ十年ぶり…くらいかな」

後部座席に深く座る男がフードの奥で唸るように低く答えた。

「へえ!じゃあアレが出来た頃だねえ」


運転手がそう言って顎をしゃくる方向は、かつて昭和記念公園があったところだ。

いや、今もある…にはあるのだが。


タクシーが向かうその先には、白い柱状の構造物が天に向かって果てしれぬ高さで伸びていた。雲間から垂れ下がる糸のような、その柱の根本は巨大な円錐形を成しており何かの虫の卵を思わせる。


「『図書館』か」


フード越しにチラリとその異様な構造物に目をやり、男がつぶやく。

「そうそう、あたしらが子供の頃は図書館ていったら本を借りたり読んだりするところだったんだけどね…」運転手がため息をつく。「今となっちゃアレの呼び名だよ」

運転手の語りはもはや、後部座席の客の答えを待たない。


「突然あの『図書館』が地下から生えてきたってニュースを見たときはぶったまげたもんだが…結局収まる形に収まったと言うか。もはや風景の一部だね」

タクシーは街なかの大通りに入る。


「ごらんよ、街も平和なもんだ。というより、前より人が増えてるかもね。あの『図書館』めあての観光客やら、『図書館』の研究機関やら…あと」

赤信号でタクシーが止まり、その前の横断歩道を何人かの学生が横切った。


全員私服だが、校章と思しきバッジを皆思い思いのところに付けている。

十字の剣に菊の紋。


「…図書館内部を探索する冒険者とかさ」


「あれらはまだ冒険者じゃない」


重い口をようやく開いた客の男がそんな言葉を挟んだ。

「でも『図書館』の中に入っていく酔狂な連中の仲間だろ?いずれ本職になろうってんだから、あたしらにゃ大した差はないよ」

ひょいと肩をすくめた運転手はアクセルを踏みこみつつ、客の様子を伺う。


「おっと悪い…お客さん、ひょっとして冒険者さんだったかい」

「まあ…似たようなもんだ」


「こりゃ失敬。まあ、あたしらにとっちゃ図書館に入るなんて考えもよらないことだからさ」バツが悪いのか運転手の喋りが早くなる。「何でも噂によると、図書館に入った人間には呪いが降りかかるっていうじゃないか。病になったり、手足を失ったり…中には人間の姿を失ったヤツもいるとか」


客の男は沈黙したままだ。


「たしか冒険者の言葉で…『ノロワレ』って言うんだっけ?」


「その門の前で降ろしてくれ」

男は運転手の言葉には答えず、指示を出す。

車は石造りのアーチの前で止まった。


「8640円だね」


金の受け渡しを終え領収書を懐に入れた男が車外に出ると、強い突風が吹いた。

まともに風を受け、かぶったフードがバサリと外れる。

ドアミラー越しに客を見送っていた運転手が、ひっと息を呑んだ。



男の頭部があるべき場所に―――虎の頭が生えていた。



その金色の目と運転手の目がミラー越しにかちあい、運転手の口が声なき言葉を形作った。


『ノ・ロ・ワ・レ』


タクシーは急発進で路上に走り出した。幸い路上は空いている。


「…事故んなきゃ良いんだが」

タクシーを見送った虎頭の男は改めてアーチに向き直る。

その向こうにそびえ立つ建造物はいくつかの塔を持ち、最も高い塔の天辺に紋章が輝いていた。


十字剣に菊。


『立川冒険者養成専門学校』


そう彫り込まれた金色の看板を一瞥し、虎頭の男はアーチをくぐりぬける。


「今日から俺が教師か…」

虎の頭を一振りして、男は校舎へ歩き出した。


◆◆◆


始業式は思ったよりも静かだった。


「新任の島田次郎先生です」


 紹介を受けて壇上に上がったのが、スーツ姿の虎頭の男だったときはさすがにざわめいた。生徒のみならず教職員にも動揺が走った。

 

さもあろう。ノロワレは『図書館』探索を目指す者にとって、失敗の象徴だ。


『図書館』は人類にとって未知のフロンティアではあったが、反面多くの恵みをもたらす存在でもあった。『図書館』で得られる知識やテクノロジーは人類の発展に大きく寄与する。特に『図書館』が産出する「ページ」と「コード」は世界を変えたといっても良い。


 そんな『図書館』の負の側面…ノロワレの姿を目にすることは、特に冒険者産業に関わる者にとっては衝撃と言える。目を背けたくなるのも無理はない。

伝染るわけでもないのに、あからさまに距離を取るものも珍しくないのだ。


 まあもとより望んで来た職場でもない。

この上、居心地の良さまで求めるつもりもなかった。

淡々と業務をこなしていきさえすれば良いのだ。


「島田次郎です。戦術基礎Ⅰと探索技術応用を担当します。よろしく」


 それだけ述べて一礼すると、次郎は壇から降りて自席に戻った。


 ようやく気を取り直した進行役が次の新任の紹介を始めると、生徒も教師も次郎への注目を一度中断することにしたらしい。講堂は平常の空間へと戻っていった。


 ◆◆◆◆


「針のむしろってやつですよ」

 次郎がつぶやくと校長の真柄まがらは、まあそうぼやくなと苦笑いで肩をたたいた。

駅前の古いビルの中でも隅の方でひっそりとやっている豚串屋のそのまた隅のテーブル。屏風のような間仕切りで簡易に区切られたその場所は目立ちにくく、次郎も比較的気安い店だ。


 店主は無口な男で無愛想だが、豚串は美味い。

脂の乗った豚肉を串から直接頬張ってもちゃもちゃと咀嚼し、炭酸水を舐める。

 そんな次郎の食事風景は獣のようであり人のようであり、真柄はついまじまじと見入ってしまった。


「…なんすか」視線に気づいた次郎が真柄を見返す。


「いやあ…器用に食うね、お前」


「もう慣れましたよ」


 虎頭で生まれたわけでもない次郎だが、この頭になって数年が経つ。

構造が人間のそれと違うので、何かと最初は生活に困る部分もあったのだが、食事は比較的早く慣れた。なにしろ食わねば始まらない。


「何度か見てるワシでさえ、ついこんな好奇の目をむけてしまうんだ…初見の連中じゃ驚くのも無理はないだろ」


「あんたが持ってきた話だから受けたんですよ、講師のクチなんて」


「お前が現役にこだわっているのは知ってたが…実際、もう自分のパーティは休眠状態なんだろう」


「………」次郎は知らぬ顔でもう一本の串に手を付けた。


「ノロワレになったって食わなきゃならねえからな。ワシのとこでも経験を積んだ講師は喉から手が出るほど欲しい。お互いウィンウィンの関係だろ」


「…俺は現役を退いたつもりはないんで」


「分かってるよ。しかし実際……まあ、この辺にしとくか」


 真柄が口を濁すのは、半分以上の優しさだ。次郎にも分かっている。

 かつては次郎も『図書館』へ潜る冒険者だった。

 しかし今やパーティメンバーでも、次郎がノロワレとなった事件以来、連絡をとってくる相手はいない。ノロワレとしての次郎の顔を見せられるのは、メンバーとしても自分たちの重大な失敗を思い出させられる。


 それならそれで次郎も新規のパーティを組んで再度図書館へ…と考えなくもなかったが、そうもいかない事情があった。


「こいつが元に戻るまでの間なんで…」


 次郎は襟元を抑える。


「…今どんな具合なんだ」


 真柄の問いかけに、次郎は黙ってシャツの襟を開いて胸元を見せた。

 首元から胸の半ばまで、白い獣毛に覆われている。

 その毛並みの境界付近に、親指の先ほどの宝玉が埋まっていた。


 縦横にひび割れた宝玉はかつての輝きはなく、店内の黄色い光を鈍く反射させている。真柄が眉根を寄せる。


「ジェムまで砕けるなんてな…」


 ジェムエンブレム。冒険者の証。

『図書館』から与えられた最初の恵みであり、『図書館』へ入館するための許可証でもある。『図書館』の恵みは全てジェムを通じて得られると言っても過言ではない。


「ジェムがなきゃ『ページ』はただの紙切れだし、『コード』も読めない。当然『スキル』も使えない」真柄が続けた。

「冒険者が死んでもジェムは残るってくらいだ…そんなジェムを砕くとは、お前の相手した『司書女王クイーン』ってのはいったい…」


そこまで言いかけて真柄は言葉を切った。

次郎の金色の目が暗い光を帯びたせいか。


「まあ…詳細は聞かないさ。とりあえず、かつての師弟のよしみだ。しばらくウチで働いていけや」

「…ウス。感謝します」


 駆け出しの冒険者時代に次郎の指導役だったのが現役の頃の真柄だった。

 一度その手を離れて、今また世話になっている。忸怩たる思いはあるが、恩師の勧めをきっかけに、次郎もを思いついたのだ。

 次郎はそのことに素直に感謝していた。


 真柄は手酌で自分のグラスにビールを注ぎながら、なにげない口調で告げる。


「あ、そうそう…お前、1年B組の担任も受け持ってもらうから」

「はぁ!?」


 突然増えた仕事に、虎頭の表情が珍しく驚きの形に固まった。

 …うちの猫もこんな顔することあるな。真柄はくっくと喉奥で笑った。


「お前は教師に向いてると思うんだよねー…よろしく、島田先生」


◆◆◆


教室に入るとピタリと喧騒がやんだ。

入学初日から一体何を盛り上がることがあるんだ。そんな疑問もそこそこに、次郎が教壇に立つ。さっきまで肩を寄せて会話に興じていた生徒たちは姿勢を正し、次郎の言葉を待っている。


おとなしいものだが専門学校とはいえ、入学したばかりの子供らだ。これまでの学校生活が習慣として残っているのだろう。


…いや、相変わらず姿勢を崩した生徒もチラホラと居る。

脚を組む奴、斜めに傾いで背もたれに腕を載せる奴、机の上に身体を預けて腕枕で顔だけこっちを見てる奴…全員女子か。

次郎は内心ひとりごちた。

ナメられてる…んだろうな。ノロワレだもんな。さてどうしたもんだろう。


「そこ、ちゃんと座れ」


初日だ、これでは今後の仕事に響く。そう考えて次郎はたしなめる。しかし。


「あー、ウチらのことは構わず始めて」


マジか。腕枕で突っ伏してた女子が眠そうな目で答えた。


「教室はお前の家じゃないし、俺はお前の親じゃない。正せと言われたら従え」


「ウチはお前って名前じゃないし」


次郎と女子生徒の対決ムードに、周囲は急速に戸惑いと緊張の空気を帯び始める。

なるほどなるほど。正面切って逆らわれると事態の収集が難しいものだな。

こんなに早くも奥の手を使うハメになるとは…


2秒ほど次郎は目を瞑り、そして。


 咆哮。


音圧でビリビリとガラスが揺れる。

件の女子は…いや、他の生徒も皆固まっていた。


今だ。

次郎は黒板に向かい、チョークを取った。

島田次郎。自分の名前を大書する。

「島田です、よろしく」


必殺、有耶無耶の術。



◆◆◆


HR後。次郎のもとに他の教師から苦情殺到。校長にもしこたま怒られた。咆哮は学校ばかりか隣近所にも響き、学校は事情説明に追われることとなった。かくして有耶無耶の術は永遠に封印されることになった。


それからB組の男子生徒が一名、登校拒否になった。


およそ最悪の滑り出しである―――。


◆◆◆


教育に大切なのは理解と対話である。

次郎とて学生時代に力で抑えつけてくる教師に対して反感を抱いたこともある。こう導いて欲しい、かくあるべきだ――そういうものは重々承知していた。


否、分かっているつもりだった。

冒険者時代に同僚が非協力的でも、ある程度力を見せれば協力を得ることは出来たし、そもそも利害が一致していれば嫌でも力を貸さなくてはならない場面もある。


しかし力も立場も対等ではなく、抑えれば潰れてしまうほどヤワな相手で、利害の一致も見当たらない。生徒と教師の利害ってなんだ…?


校長はああ言ったが、この仕事のどこが俺に向いてるんだ。

引っ越しの段ボール箱もまだろくに荷解きしてない部屋で、次郎は虎頭を抱える。

これなら図書館産物の闇流通業でもやってたほうが良かっただろうか。ノロワレが多く働く場でもある。しかし、一度そこまで身を落とせば二度と図書館には戻れない。

何よりジェムが必要だ。


三年。


司書女王クイーン』に約束した期限である。


もう一度、図書館のあの場所へ戻らねばならない。次郎にはその理由があった。


新しいジェムを手に入れる。

通常、冒険者に支給されるジェムは一生に一度きり。

図書館の恵みであるジェムは貴重品で、金で入手しても図書館に認証されない限り単なる宝石に過ぎない。


どうしても正規品のジェムが要る…


学生が冒険者として巣立つ際に支給される、


どのジェムでも良いわけじゃない。自分の目的を達することが出来るジェムでなくてはならない。そのためには一人でも多くの生徒を冒険者として一人前に育てる必要があるのだ。


待っていてくれ、バッツィオ――――


次郎の右手が胸の砕けたジェムを、シャツの上から抑えた。

長い春の日も暮れ、アパートの部屋も暗がりに飲まれつつある。


半ば闇に溶けてうずくまる次郎の姿は、獣めいて見えた。

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