その2

 程なくやって来た馬車から降り立ったのは、フロックコートを着込み杖を手にした上品な老人だった。他の使用人たちとメリールウを従え、城から出て来たヴィクトールを見るなり、白くなった頭を深々と下げる。形式だけではない、心からの敬意がこもったしぐさだった。

「お久しぶりです、ヴィクトール様」

「どうした、ロベルト。やけに来るのが早いな」

 ヴィクトールの問いかけに、ロベルトと呼ばれた老人は気遣わしげな眼をする。名前を冠しているということは、彼がロベルト商会の代表なのだろうが、ヴィクトールへの態度は下手な使用人たちより使用人らしい。

「なに、この間、ちょっと騒ぎがあったでしょう。あれ以来、ネティラの娘たちはヴィクトール様に婚約者ができた、と嘆いております。これは確かめねばならぬ、と思いましてね。途中で使者殿とも行き会えて、勘が当たっていたことにほっとしました」

 メリールウを発見した時の件だ。予想していた答えに納得がいったらしく、ヴィクトールの声音が柔らかくなる。

「すまんな。屋敷が壊されるまで秒読みで、壊れた後は追い回されたので連絡する暇がなかった。そちらから来てくれてありがたいが、お前もいい年だ。あまり無理をするな」

「とんでもありません。わが一族の繁栄は、サンロード伯爵あってのこと……」

 そちらこそ謙遜しないでほしいとばかりに、ロベルトは一層深く頭を下げた。その眼がおもむろにメリールウを見やる。

「この方が書状にあった、例の『白き魔法使い』のご息女ですか」

 メリールウの正体まで包み隠さず教えているということは、向けられる尊敬の念に相応しい信頼を置いている相手なのだろう。うなずいたメリールウに、ロベルトは恭しく頭を下げた。

「初めまして、私はスタンリー・ロベルトと申します。ロベルト商店という店で商いを行っておりますが、サンロード家の方々には並々ならぬ恩義を受けた身……どうぞ今後とも、よろしくお願いいたします」

「恩義、ですか」

 単にヴィクトールが領主だから敬っているのではないようだ。メリールウが聞き返すと、ロベルトは意外な名を口にした。

「ええ。かの赤い悪魔、ディートリヒめより我が祖先を救っていただかなければ、私もこの世に存在しておりませんでした」

「……ディートリヒ」

 悪名高き「赤き魔法使い」は、サンロード一族だけではなく、ロベルトの一族にも爪痕を刻んでいるようである。

「そうですか……あなたたちも、ディートリヒに何か……」

「はい。お恥ずかしいことながら、我が祖先は奴に殺されかけ、そこをサンロード伯爵に救っていただいたのです」

 それは、ただの謙虚さから出た表現ではなかった。

「しかも我が祖先は当初、貧しさゆえにひねくれており、正義のためにディートリヒに立ち向かうサンロード伯爵を小馬鹿にしていたとか……! そんな愚か者を、この方の祖先は助けて下さった!! 感謝してもしきれるものではありません」

 感に堪えない、という様子のロベルトにヴィクトールは珍しく苦笑を零した。

「それは事実だが、助けたのは祖先であって俺じゃない。ロベルト、お前たちの献身に感謝はしているが、とっくに恩返しは終わっているはずだ。……こんな辺境にまで、ついて来なくてもよかったんだぞ」

「まあまあ、私どもが好きでしていることですから」

 なんとロベルトたちは、サンロード家が左遷されたオストアルゴにまで、彼等に尽くさんとついて来たというのだ。さすがに驚いているメリールウに、ロベルトは穏やかに微笑みかける。

「申し訳ありませんが、女性用の衣服はもちろん、仕立屋の類はさすがに連れて来ておりません。手筈は整えてありますので、明日には別便が到着するでしょう。今はとりあえず、メリールウ様にはご挨拶のみということで」

「ええ、もちろん」

 にっこり微笑むメリールウに、ロベルトもますます好々爺前と笑って、

「それに、花嫁衣装も相応しいものを整えなければ。このロベルト、長年ヴィクトール様に相応しい女性をと切望しておりましたが……待った甲斐がありました! 二百五十年の時を超え、かのアセンブルのご息女をお迎えできるとは……!!」

「え?」

「……ロベルト、待て。先走るな」

 嫌な予感を覚えたらしく、ヴィクトールが機先を制した。

「確かに、彼女を婚約者としたのは事実だ。だが、それはあくまで、『魅了』にかかっている女たちを牽制する意味。実際の結婚を前提としている訳ではない」

 そこをはき違えるなと、彼は強調した。

「何度も言っているだろう。そういうことは、ディートリヒを倒し、『魅了』の呪いと手を切ってからだ。……余分なものを差し挟まずに、女と向き合えるようになってからだ」

 父母の悲劇を繰り返すつもりはないと、ヴィクトールは匂わせる。これまでも何度か召し使いたちとの間で交わされてきたやり取りだ。アントニオなどであれば、すぐに引き下がっただろう。

「しかし、いまだにディートリヒの行方すら分かっていらっしゃらないのでしょう?」

 ところがロベルトは、引き下がるどころか鼻息を荒くしてまくし立て始めた。

「……まあな」

「仮にやつの行方が分かったとして、です。メリールウ様は生きたエーテル貯蔵庫となっているそうですが、ご本人以外の方……要するにヴィクトール様がエーテルを使用し、魔法を使えるようになるまで、どれぐらいかかる目算なのです?」

 思わずメリールウはヴィクトールを見上げた。彼も同じ間合いでこちらを向き、ほぼ同時に瞳を逸らした。なにせ、つい先程、初めてのケンカのようなものをしかけたばかりである。

「……分からん。だが、彼女自身が強大な魔法使いなんだ。俺はサポートに徹するという方法も……」

「もしそれで、メリールウ様に何かあったらどうしますか! ここはやはり、正式にご結婚を!! そして一刻も早く、お世継ぎをッ!!」

 カッ! と眼を見開いたロベルトの迫力に怯えたのか、サフィールがモルダートンの背後に隠れた。

「お二人のお子様であれば、間違いなく強力な魔法使いでしょう。そして、お母様が持つエーテルも利用できるはず……!! そのことをヴィクトール様も、お考えにはなっているはずッ!!」

「……やはり、ロベルト商店にあまり頼るのはよくないと思うな、私も……」

 客分として、一番公平な判断を下せるモルダートンにも、ロベルトに財源を任せるのはヤバいと感じてしまうらしい。これ以上貸しを作ると、彼の思う「サンロード伯爵」の型に無理やり当てはめられてしまいそうである。

「ロベルト。お前の言うことにも一理あるが、それはだめだ。俺は俺の子にまで、この呪いを引き継ぐ気はない」

 生憎と空気を読んで従うヴィクトールではない。まして話題は彼をディートリヒ討伐に駆り立てる根源に繋がっている。ならばとロベルトは、メリールウに話を振った。

「いかかですか、メリールウ様! あなた様もこの方に救われた身、言うなればロベルト一族と同じ!! 大きな恩を返すチャンス、これを逃す手はありません!!」

 さすが名うての商売人である。追い立てるような売り込みに、メリールウは笑顔で応じた。

「うーん、チャレンジ!」

「言うと思ったぁー!」

 サフィールが絶叫したが、ヴィクトールが口を開く前にメリールウは首を振った。

「と、申し上げたいところですけど……私の恩人であり、大切なお友達であるヴィクトール様が嫌がることはできませんわ」

 ロベルトの言うとおり、ヴィクトールには多大な恩がある。ただでさえ、失礼なことを考えて傷付けてしまったばかりなのだ。彼の気持ちを無視したことはできない。

「……エリー」

 思わず、というようにヴィクトールが口にした名前はやっぱり間違っているのだが、彼が感銘を受けたことは分かったので問題なかった。ロベルトもこれ以上押してもだめだ、と悟ったようである。

「ですが、まずい状況になっています。メリールウ様の存在は、すでに王家に伝わっているようです」

 押してだめなら引いてみろ。二人の仲を今進ませようとする理由を、彼はもう一つ持っていた。

「いずれ正式に通達が来るでしょう。ネティラの国王夫妻の視察の際、この方をお連れするように、と」

「……そこで難癖を付けて、ローリーを手に入れようとするというのか?」

 ヴィクトールも真剣に考えざるを得ない、と思ったようだ。うなるようなつぶやきを聞いて、メリールウは疑問を持った。

「私を、ですか? ですが、今の世は、平和だと伺っておりますが……」

「表向きはな。いまだ見付からないディートリヒを始めとした火種を、水面下で抑えているからこその平和だ。城一つ吹き飛ばしかねないお前の力、ほしがる奴は大勢いるだろう」

「私もたまに、何か勘違いした輩に誘いかけられるぐらいだからな。ましてメリールウ殿ほどの力、王家が求める可能性はある」

 旅先で嫌な目に遭ったことがあるようで、モルダートンは実感のこもった注釈を入れてくれた。サフィールも悪魔召喚実験の顛末を思い出したらしく、眼が泳いでいる。王家の側に悪意がなくても、「お騒がせサンロード」が何かやらかさないかと不安になって、大きな力を取り上げたく考える率も高そうだ。

「そうです。それを防ぐためには、いっそ大々的に花嫁としてお迎えしたほうが」

「だめだ」

 諸々吟味した上で、それでもヴィクトールはロベルトの誘導に乗らなかった。

「連れて来いと言うのなら仕方がない。メアリーも蒸気機関車に興味があるようだしな」

「だいぶ近くなりましたね」

 つい名前のほうに興味を持ってしまったメリールウだが、心が少し温かくなった気がした。それを覚えていて、くれたのかと。

「だが、お前の力はまだ不安定で、娘たちを竜巻で吹き飛ばしかけたこともある。ある程度仲が進展し、対応策を知っている俺抜きで会わせることはできないし、俺がいるなら王妃は同席できない。『魅了』の呪いが深くなるだけだからな」

「まあ、王妃様まであなたの呪いに……!?」

「……残念ながらな」

 彼女に追いかけ回された時のことでも思い出したのか、うんざりとヴィクトールは息を吐いた。

「もしかして、だから国王夫妻が、わざわざ視察に……?」

「それだけが理由ではないと信じたいが、王妃のたっての希望、という噂は聞いている。ただの辺境となったオストアルゴに、ご夫婦で足を運ぶ理由は少ないからな」

 ヴィクトールがディートリヒ討伐を急ぐのは、王妃に惚れられてしまったことも一因なのだろう。上官の妻との恋はおとぎ話でもよく扱われるが、大抵は悲惨な末路を迎えると相場が決まっている。

「そのせいで俺は国王陛下に嫌われているが、あの方は話の分からん人ではない。きちんと説明すれば、お前は魔法使いの修行を積んでいる者でないと扱えないと分かってくれるはずだ。……多分な」

 不安の残る言い方ではあるが、正直が取り柄のヴィクトールである。彼の不安を実現させないよう、自分にできるだけのことをしようとメリールウは決意した。

 彼等の様子を塔の影から眺めていた炎カラスは、静かにいずこかへ飛び去った。



空へと差し出された長い指先に赤い足が絡みつく。炎カラスの赤い嘴が動くたびに漏れるのは、只人の耳にはしゃがれた鳴き声でしかないが、彼等を使役する者には意味あるものとして聞こえるのだ。

「……フン、まさかとは思ったが、サンロードの末裔の手に渡っているとはな」

 ファミリアの一匹が運んできた情報を噛み締めて、その主は毒々しい笑みを浮かべた。手狭な小屋の中にあってなお、黄金と深紅を基調とした美貌はまぶしい。

「忌々しいジャーヴィスの子孫め。あの娘を使って、祖先のように私を討つ気か。完全なる成功とはいえないものの、さすが私の施した術だけあって、一定の成果を出したようだからな」

 ここは彼の隠れ家の一つだった。数多の隠れ家の中では設備が悪く、立地も悪い。小さな小屋がやっと建てられる広さしかない無人島なのだ。

 派手好きで浪費家で、目立つのが好きな彼にとってはすこぶる不本意な隠遁生活を強いられてきたわけだが、仕方がなかった。百二十年前に食らった傷を安全に癒すには、ここが一番妥当だったのだ。

 じっと我慢をしてきた甲斐あって、傷はほぼ癒えた。世界からエーテルがほとんど消えたことも喜ばしい。禁呪を用いて溜め込んだエーテルを使い、自在に奇跡を操ることはアセンブルにもパルメニスにもスーテラにもサンロードにもできない、彼だけの特権となったのだ。

 ただ一人の例外を除いては。

「もう少し、詳しい情報が必要だな。そのためには、危険を冒してでももっと近付く必要がある。うまく懐に潜り込めれば、そのまま始末するのも利用するのも、たやすいからな……」

 発見されるのを避けるため、遠巻きに集めてきた情報には限界があるが、なにせ彼はこの世界に革命を起こした天才だ。ターゲットはすでに決まっていた。

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