第44話 初夏を厭う

 水戸駅北口から県道市毛線を使って弘道館をやり過ごし、那珂川に架かる水府橋を渡って左に折れると青柳公園はある。そこに在る市民体育館で毎年三月の末週に関東選抜少年剣道大会は行われる。

 その年の団体戦、もうすぐ五年生になるわたしは次鋒に選ばれて出場したのだけれど、一回戦二回戦とも一本負けをしてしまった。二回戦でチームが敗退してわたしは青ざめた。せめてわたしが引き分けていたら三回戦に進めたはずだ。本数では勝っていたからだ。

 わたしは泣いた。帰りのバスの中、一番後ろの席で一人声を抑えてひたすら泣いた。悔しかったし申し訳なかった。北関東にある幾つかの道場の六年生は、この大会が納めの大きな大会だったからだ。大将副将の六年生は二試合とも勝っていたのだ。

 川尻先生は何故あの大会に、わたしを出場させたのだろう。わたしより上手い五年生はいた。まだ先生のとっておきの胴打ちを教わっていないのに。

 わたしは惨めな思いから先生を恨んだ。先生は帰りのバスの中で黙ったまま何も言わなかった。誰も何も口にしない。途中のトイレ休憩の為に立ち寄ったサービスエリアまで車内は重苦しい雰囲気のままだった。

 皆んなぞろぞろと降りてゆく。少し小雨の降る中小走りで建物の敷地に向かう。わたしは一番最後にバスを降りてすぐに空を仰いだ。どんよりとした雲から滴る雨がわたしの顔を叩いた。雨はわたしの肌を突き抜けて心の内も湿らせた。冷たい雨だった。睫毛を瞬かせてから前を向いて手の甲で顔をぬぐった。

 ふと建物の入り口の方を見やると川尻先生が立っていた。こちらを、バスの方を見ていた。わたしを見ているのだろうか。わたしは少し体を硬らせ頑な足取りでトイレの方へと向かった。チラッと横目で見た時先生の姿はなかった。


 休憩を終えてバスに戻った。皆んなは売店でお土産を買ったり温かな飲み物を口にしたりして、気持ちが幾分か和みはじめていた。

 バスが走り出して十分、前の席の川尻先生がマイクをとって話はじめた。

「えー・・皆さん今日はお疲れ様でした。初めての水戸大会、昨日の錬成と二日続けての遠出で親子共々大変だったと思います。

慣れない場所で県内の顔ぶれとは違う対戦相手に緊張して苦戦したと思いますが、一回戦突破は偉いと私は思います。昨日の錬成に参加していなかった同県の道場は、もう一つの道場しか勝てていませんでした。一回戦敗退です。今日の試合で六年生は小学生大会は終わりです。試合内容はとても良かったので、中学校に行っても強くなれると思います。今日の試合よりも昨日の錬成の方が多くの糧になります。ひとまず六年生二人はお疲れ様でした。中学校になっても練習に参加するのは構いませんから、道場の稽古にはどんどん来てください。

で、雨じゃなければ着いてから発表しようと思ったのですが、小学生の稽古の今後の体制を今伝えておきます。まず、稽古の新しいリーダーは樋山琇、サブは萩田礼央。稽古の進行はお前たちに任せたからな。準備運動から号令掛けて。時間は限られて決まってるんだからダラダラやらない様に」

 えっ、わたしが道場のリーダー? なんでなんでなんで、川尻先生どうしてわたしなの! まだ五年生だよ。礼央がキャプテンのが相応しい。実力だったら六年生の松伏君だっていい。これは今日の試合でいい結果を出せなかったから罰なの? 話の途中に先生と何度か目が合った。だけど先生はすぐに他の人に視線を移した。


 ◇◆◇


 川尻先生と初めて会ったのは三年生の秋頃。

その頃は私たち高学年の何人かは町の運営する剣道教室に通っていた。わたしは中学生の兄につられてなんとなく剣道をやり始めた。

 町の武道場は柔道と兼用で、奥半分が畳敷きで手前が板張りになっていて、試合一コート分のスペースでラインが引いてあった。

 その頃の稽古は水曜日と土曜日の週二回。習いに来ていた子供たちは二十人ほどいて、高学年十一人、四年生六人後は初心者の三年生だった。

 指導してくれた先生は多田先生を中心に八木先生、三年生には女性の小池先生と高校生の松田先輩が交互について体力づくりと基礎を教えてくださっていた。中学生もたまに稽古に来ていた。


 剣道に限らず県内には沢山の武道場があって、県内外で行われる試合や錬成大会に参加したりしている。各道場が基本少年剣道が盛んで凌ぎを削っているのだけど、この頃の町道場は礼儀と基礎鍛錬を養う事を目標にしていたので、あまり試合とかに参加していなかった。

 多分費用が掛かる事が大きかったのが一番の理由だと思う。遠征とか他県に行ったりすると、本当にお金が掛かると親たちは難儀していた。

 それでも全く試合を経験しない訳にはいかないので、一年の内に何回かは県内近隣の大会に参加した。稽古の成果を試合で発揮してほしいという父兄の願いもあったからだ。


 川尻先生は本当にふらぁっとやって来た。

 道着はすでに着装を済ませていて、防具の大きなバッグと竹刀袋を、道場玄関の上がりかまちに置くと、履物を脱ぎ揃えてから床に上がり一礼をした。

 そのずんぐりむっくりとした体つきは、剣道と言うより柔道の先生の様に感じた。顔つきは四角くて目は小さい。なんかとても恐そうに思えた。歳はわたしのお祖父ちゃんより少し上に思えた。

 先生方と挨拶を交わすと多田先生と話はじめた。多田先生が呼んだ新しい先生なのだうか。

「整列ーッ」稽古始めの挨拶の時、多田先生の横に座した先生を紹介された。

「今日、皆んなに稽古をつけていただける川尻先生です。普段は吉川町の道場で稽古をみておられます。夏の大会までたまに稽古をみてもらえる事になりました」

 多田先生の話を聴きながらチラチラと先生の方を見ていた。先生は真っ直ぐ前を見ていた。小さい目の瞳は何処を見ているかわからなかった。鼻は大きく口をへの字に曲がっている。ほんとにごっつくて恐そうな雰囲気しか感じなかった。

「川尻です。よろしくお願いします」

 少しかすれた声で挨拶を口にしたのはそれだけだった。多田先生も、え、それだけ? みたいな雰囲気だったけど、それ以上の言葉を促さなかったのは、川尻先生が寡黙な質なのを分かっていたからなのだろう。

 稽古が始まって準備運動の後基本の素振りを一通り始めた。先生方も体をほぐす動きをしてから軽く竹刀を振ったりしている。八木先生が皆んなの間を通りながら、途中途中で気合いを入れる。

「はい、真っ直ぐ。振り下ろしは速く。目線を下にしなーいッ」

 先生は傍で竹刀を振りながら皆んなの動きを見ている。その日は誰もが緊張して最後まで無駄話を口にする子供たちはいなかった。

 後半の係り稽古では先生も防具を着けて指導してくれた。他の先生方と同じペースでなんら変わらなかった。わたしは竹刀の握りの絞り具合を指摘されたのを覚えている。

 稽古終わりの挨拶の時、今日の稽古の感想を言ってくれる。

「川尻先生、何か」多田先生が言葉を求めた。

「えーとですね、皆んな左足、後ろ足の引きつけが遅い。そのタイミングが悪いから動きが、捌きがぎこちないです。剣道は足捌きも大事だから足の動きも意識して稽古する様に」

 わたしは先生の瞳をじっと見ていた。話す時に少し頬が弛む。その時の瞳をなんか優しく感じた。


 それから川尻先生は、一週間おきに稽古をつけにいらっしゃってくれた。その指導の仕方は遠慮もあるのだろうけど、それほど厳しいというほどの事はなかった。むしろ優しく丁寧に教えてくださった。後で先生に聞いた話だと、自分の厳つい雰囲気を気にかけて、穏やかに接していたのだと言う。小学生のわたしたちからすると、ゴツい先生の指導にはいつも緊張していて、優しいとは感じていなかった。あの小ちゃな目が怖かった。


 だけどある時気がついた。

 あのコワい目は真剣な眼差しなんだと。


 ◇◆◇


 わたしたちの親はやはり試合に出る事を望んだ。

 出来る限り多くの大会に参加して、試合慣れした上で中学生になってからも、部活で臨む大会で良い成績を残してほしいと思っている様だった。

わたしたちは町の剣道教室を辞めて川尻先生について行く事になった。

 今まで指導していただいた多田先生には申し訳ないけど、町委託の剣道教室としては町の運営方針は曲げられないので辞めるしかなかった。諸先生方との話し合いで一応折り合いはついたみたいだけれど、不快に思う父兄はいた事だろう。団体戦を組む時のメインの高学年が固まっていなくなってしまうのだから。


「お前たちのゆく中学校の剣道部が弱いのには理由がある。小学生の内に試合も錬成もしっかりこなしていないからなんだよ」川尻先生は言った。

 町の教室は週二回で時間も短い。そしていつも同じメンバーでだけと稽古と練習試合をする。確かに厳しくもなく辛くもない。大会で上位に行けない道場はだいたい同じで、抜きんでた道場は平日は毎日稽古があるのだと言う。

「練習量がまず違うんだよ。その差は埋まらないの。埋まらないのに試合に出ても勝つことは出来ない。参加しているだけ。教室の子供たちはそんなもんだと思ってるんだな」先生は苦笑いしてそう言っていた。

 わたしたち辞める五人は親子ともども試合で勝ちたいと思っているメンバーだった。

 練習量を増やして欲しいとは教室では言えなかった。武道場を借りる制限もあるし、他の父兄たちは望んでいる事ではなかったからだ。


 わたしたち小学生剣士といえば、剣道を嫌いじゃなかったけど、稽古の仲間と会えて仲良く練習出来ることの方が、楽しいって気持ちのが大きかったし、試合とかで知らない相手と戦うってスゴく緊張するから、やりたくない子もけっこういた。稽古での試合で仲間に負ければ悔しくはあったけれど、ホントの試合は怖かった。

 でも、たまに稽古に来る中学生はどっしりとした雰囲気を感じる。稽古の時もとても落ち着いて相手してくれる。かかり稽古の時も迫力があって感動するし、うらやましいとも思う。きっとたくさん稽古して試合してるんだ。

 あの時、よくよく気がついてみれば、中学生相手に自分からかかっていったのは、今のこの五人だけだった。後で礼央や祐太に聞いたんだけど、稽古の時の中学生との練習試合で、三本の内の一本は取りたいと思ってたって。学くんも真くんも。強くなりたい五人だった。



 わたしたちの親は新しく道場を立ち上げる事となった。道場と言っても稽古は小学校の体育館を借りるのだ。体育館は広い。武道場の二倍はある。伸び伸び稽古が出来た。その分稽古は厳しかった。もちろん今まで通りでは強くなれないので意味がない。


 準備運動、各種素振りをそれぞれ五十回。切り返し二往復を五セット。往復角帯素振り。複合小手面胴サーキット・・信じられないくらいメニューが増えた。みんな誰もが息を切らしている。


「遅い。たらたらすんなよ、たらたら!」

稽古に気を抜くとすぐに檄がとぶ。メニューの合間の無駄なインターバルにも檄がとぶ。

「琇、声出てねーぞ」

 最初はみんな半泣き状態だったけど、二月もするとなんとか慣れてきた。後からよくよく考えてみると、このシゴキのようなメニューのお陰で体力が着いたのは確かだった。

 たまに、川尻先生の知り合いの道場に出稽古に行った時に、相手の方々にけっこう驚かれる事があった。その年に立ち上げたばかりの道場の子供たちはひ弱に思われるのだろう。でもわたしたちは出稽古先の稽古メニューは辛く感じたことは一度もなかった。後でみんなの口から出るのはにやけ笑顔の「出稽古、楽だわー! 」だった。


 試合はいつでも今でも緊張する。でもなんか他人とこんなにも向き合うってなんかいい。なんだろう。前より恐くはなくなった。

 稽古は厳しい。ヘトヘトになる。皆んなもそう。一緒にヘトヘトになる。でも着替え終わった頃には皆んな平気な顔して笑いあっている。なんだろう。スゴくキツいのに。辞めないのは皆んなと会えるからなのかな。でもそれだけじゃないな。続けている自分が不思議だった。

 試合する相手もそんな仲間がいてそんな気持ちだったりするのかな。違う所で同じ事を続けてきた人と向き合う。なんかいい。


 ◇◆◇


 秋。

 わたしたちは山梨の大会に出場することになった。高学年の少ないわたしたちの道場、四年生のわたしも中堅を任される事になった。朝早くマイクロバスで栃木から山梨まで行くのだ。山梨。地図では知っているけれど、一度も行ったことはない。皆んなそうだった。

 学校の遠足以外でバスで出掛けるなんてなかったからけっこうウキウキした。

 夜中に起こされて暗い内からバスに乗り込み、走っている車の少ない知らない国道で山梨に向かう。「当分着かないからちゃんと寝とけよー」と先生が言うけど、分かってるけど最初わたしは眠れなかった。礼央もそうみたい。でもおにぎりを食べて外が明るくなり出した頃うとうととしてきて眠ってしまった。目が覚めた頃には何処を走ってるのかはわからなかったけど、バスの窓を覆う様な高い山が連なっているのが見えた。


 この大会に参加出場する部や道場は中部地方がほとんどだった。関東からは東京のスゴく強くて有名な道場と埼玉県と神奈川県の道場で、栃木からは初参加のうちの道場だけだった。

 会場は今まで観てきた県内の体育館の倍くらい大きく広い所だった。その中に何人いるのだろう。千人は越えている人数。二千人は居なくても、組で言えば百組以上のチームが、いるんじゃないかなとその時は思った。本当に広い館内アリーナが所狭しといった感じで、ウォーミングアップをするたくさんの剣士の熱気と気合いで溢れていた。

 そんな中で私たちは気にのまれてしまっていたんだと思う。皆んなガチガチでお互い顔も強ばり何の言葉も出なかった。


「さてと。お前たちも下行って場所見つけて始めて来い」と川尻先生の前に集まった私たちに向かってただそう言った。

 行って来いって言ったって初めての場所で皆んな誰もが緊張してるのに、もう少し具体的に指示を出してくれればいいのに。

「行こう」

 大将の学君が声を出した。その声は普段より幾分強ばっていたけどしっかりした声だった。

 (行こう)

 あたしはきっかけを作ってくれた仲間のその短い言葉に少し気持ちを強くした。

 皆んなも竹刀と防具を持った時は少し顔つきが変わっていた。

 皆んなが歩き始めると川尻先生もその後を着いて来た。行って来いって言うから先生はまだ此処にいるのかと思ったけど、やっぱり付き添ってくれた。

 アリーナコートの壁際にたくさん置かれている防具たちの隙間を見つけて、自分たちの物も置いてから学くんが動けそうなコートのスペースを見つけて私たちを誘導する。

「じゃ身体ほぐし!」

 学君が声を掛けると稽古前と同じ様に皆んなで準備運動を始めた。いつもは学校の他に誰もいない体育館でのびのびとやってるけど、今日はたくさんの剣士たちにまぎれてやるので、ちょっとすると腕や足が人とぶつかってしまう。

 身体を動かしながらも他の人たちの姿をチラチラと見る。わたしたちの周りの剣士たちもまだ準備運動だ。だけどなんか皆んなわたしたちよりシャキッとした動きをしている。緊張しないのかな。この会場の雰囲気とかにもう慣れているのかな。顔つきもおどおどした感じはなかった。笑顔の人もけっこういる。

 改めて考えてみると、川尻先生の道場の剣士として稽古を始めてから今日まで、剣道教室の頃の三倍くらいは県内大会の試合に出ている。錬成会にも参加している。たしかに今日は初めての県外遠征で、たくさんの剣士に圧倒されだけど、試合になれば相手は一人。いつもと同じ。県内の大会と変わらない。剣道教室の頃より稽古も練習もへとへとになるまでやってきたんだから簡単には負けないと思う。戦う前から気持ちで負けちゃ試合にも勝てない。それは経験している。

「よし。じゃ面つけて」

「はい」



「琇、オレはおまえの胴が好きだな」

 先生があの小さな瞳を輝かせてニッコリと笑う。

 わたしの胸はカッとなった。心が踊った。ペアサーキットの中でも胴打ちの練習が好きだった。ほとんど決まらないけど試合でも抜き胴もよく使った。

 わたしの技が上手じゃないのは分かってるけど、先生はちゃんと見ていてくれた。わたしだけに何をどうしろとは言わないけれど、わたしの好きな技を認めてくれた。


「自分の技を待て。相手に知られていても、それでも決めてやれるだけの自分の技を磨け」


 好きな技が得意技になるとは限らないけど、得意技に近づく為に使い込んでゆく。剣道をいつまでも好きでいられるには、思い入れのある技を磨いてゆくのも一つなんだと言われた事があった。

 先生はわたしたちにいつまでも剣道を好きでいてほしいと思っていた。だから気持ちのこもらないだらだらした稽古が嫌いだったんだ。


 わたしも試合の時、隙のない相手に震えてしまう事も何度もあったけど、「この人にわたしの胴が決まったら」と思うと、弱腰で怯んだ心を真っ直ぐに立て直せた。決まらなくても胴を打ちにいけた時はすごい自信になった。自分に勝てたと思った。

 それが自分の技を持ってる心の強さに感じた。


 そんな気持ちで試合をした時は、負けても先生はすごく褒めてくれる。皆んなの時も同じだ。

「いい試合だった」

負けてスゴく笑顔で迎えてくれる。

先生は自分を出し切った試合が好きなのだ。



 試合は惨敗だった。

 先鋒の真くんが引き分けて、大将の学君が一本勝ちしただけだった。

 中堅のわたしは試合開始早々出小手を取られた。相手は五年生。次鋒が負けていたので中堅のわたしが負ける訳にはいかなかった。面も小手も決まらない。相手に打ちの出だしを見透かされていた。様子見の様な中途半端な面を撃ちに行って竹刀を上げたところをすかさず小手を狙われたのだ。やられた。強い。けれど。

 追い詰められたという気持ちではいなかった。それが何故なのかは分からない。けれどその時わたし一本とりたいと思った。この試合に勝ちたいというより自分の成果を知りたいと思った。山梨まで来たんだもの。皆んなと来たんだもの。先生連れて来てくれたんだもの。頑張ってきた自分出したい。でも気負っちゃダメ。

開始線に戻って構え直した時に何故か気持ちが軽くなっていた。

 二本目、相手の方の気負いが分かった。ピリピリとした剣勢。小刻みに推してくる。勢いで続けて取りにくる。まだ何秒も経ってない。暗い面内で瞳が光る。剣先が走る。来た。なんて思うまでもない一瞬。

 飛び込んで来るところを擦り上げて胴を打った。

「タァッ!」

わたしは飛び抜けてくるりと残心した。

「胴あり」

 二本目を取り返した。周りの人の手を叩く姿がチラリと見えたけど声も音もなんだか聴こえない。自分の弾む息だけがわかる。

 三本目。はぁはぁしている呼吸を整える。相手の剣先を感じる。そして眼の動き。ちょっとの間なのに長い時間。

 睨み合いの末の相面。ずしりとした衝撃を鼻の奥で感じた。相手の旗が三つ上がる。わたしは負けた。

 息を弾ませ戻ったわたしに川尻先生は頷いた。

「いい気合いだった」

 小さな目の奥が輝いていた。わたしは真っ白だった。

 帰りのバスの中は皆疲れの微睡みの中だった。

 わたしは眠れずにボーッと窓の外の夜を見ていた。

一つ前の席から先生が顔を出す。なんだか目尻を下げている。

「琇、俺のとっておきの胴を教えてやっから、そんなにしょげるなよ」先生の小さな目の奥が笑っている。

 とっておきの胴。ホントに。

「五年生になったらな。お前の相手だった五年生には負けない打ちを伝授してやる」

 わたしはちょっとはにかんで下を向いた。

「来年も山梨行くからな。琇の試合紙一重だったな。だけどその紙一重の差が大きい。今度は逆に紙一重の差をつけさせてやる。勝つ紙一重をな」

 わたしは下を向いたまま何度もうなづいた。


 山梨の試合は皆んな悔しく思っていた。皆んな誰もが稽古に励んだ。稽古の時間は変わらないけど内容は増えた。インターバルが短くなっていたけど、皆んな体力もついて感覚も向上していた。仲間との練習試合も、全然勝てなかった相手に一本二本と打ちを入れる事が出来る様になっていった。


 冬になって体育館の床が痺れる様な冷たさを素足に伝えてくる。だけど稽古では誰も泣き言を言わない。

 でもその年の〆の稽古が終わって、大掃除の時は雑巾しぼりに皆んな身震いをしていた。

「うっへー冷てぇ」

 濡れて冷たい手のひらを顔や首筋に押しつけてくる。皆んな大笑いで追いかけっこが始まる。稽古が終わってヘトヘトのはずなのに皆んな大はしゃぎする。


「じゃ、良いお年を!」

 白い息で男の子たちが大声を上げてその年の稽古は終わった。


 ◇◆◇


 年が明けてあれは鏡開きの日の事だった。

 一通り稽古を終えて焼いたお餅をぜんざいにしてみんなで食べた。川尻先生がにこやかな顔で皆んなに声をかけている。お酒の飲めない先生は一年の稽古の内でこの日が一番楽しみなんだと言う。「お酒スゴく飲みそうなのに…… 」と礼央が笑って言うと先生は口を開けて笑った。

 鍋のぜんざいも空になった後に先生が〆の言葉を話す事になった。

「去年は皆んなよく頑張りました。けっこうあたしなりにキツい稽古したと思います。誰も脱落せずについて来られたのはスゴい事だと思います。

最近はあまり耳にしないけど『健全な肉体には健全な精神が宿る』って昔からの言葉がある。運動、スポーツ。身体を鍛える事は大事だし色々な習練の仕方がある。お前たちは武道の中から剣道を選んだ。身体だけじゃなく精神を磨くにはもってこいの修練の道だ。それは剣道を続けているお前たちは何となく分かってきたんじゃないか。

最近は簡単に「頑張れって言うな」って言うけど、言葉なんかに負けないように心と身体を鍛えるのが武道だ。やってみてそれでも負担になるなら辞めるのも仕方ないだろう。でもお前たちは続けてきた。頑張ってきた。エラい。

この先お前たちの長い人生で、社会に出れば何度も試練はあるんだ。嫌でも勝手にやってくる。助けてくれる人もいるだろうけど、最終的には自分自身の心の強さが試練を乗り越えさせるんだ。

苦しくても続けて行く。それは勇気だ。勇気のあるヤツは言われなくても頑張れる。言われたから、言われないから、そんなの関係ない。自分で己を見つめろ。自分を見つけるのが一番難しいんだ。挫けそうになる。辞めたくなる。そうした試練には負けない心を養ってほしい。苦しみを分かるヤツは人の痛みも分かる。一緒に頑張った仲間の気持ちも分かる。人に優しくもなれる。試合に勝つ事より自分に克つ為の剣の修練を皆んなこれからもしなさい。いいね」

 普段無口な川尻先生にしては珍しく話長いなぁとわたしは思った。その時は大して気にも止めなかったけど、勉強と違って将来役立つか分からない剣道の今の稽古が、本当は一番役立つ事を伝えておきたいと、先生は思ったのかもしれない。

 きっと、先生も子供の頃わたしたちと同じ様に稽古をして頑張って、大人になった時に気がついた事を話してくれていたのだろう。

 先生の話をいい加減に聴いていたと思ったのに、けっこうしっかりと覚えていてわたし自身も驚いた。

 思い起こしてみると、先生の言う様にツラい稽古を続けて来れたのも、一緒に稽古してた皆んなの気持ちが、お互い通ってたからかなと思う。

 弱音も愚痴も言い合ったその後に、励ましの言葉を言ってくれた稽古の仲間。ふざけ合う事もあった。助け合う優しさは同じツラさを味わったからかな。


 県内同じ地区の錬成試合では勝ち越すくらいわたしたちは向上していた。二月の団体トーナメントでもベスト4まで行った。ベスト4なんて初めての事で皆んななんか実感がない感じだった。


「よし、来月は水戸の関東選抜大会だ。新人も入って人数も増えたし前の日の錬成稽古にも出るからな。六年生の学たちは最後の大会だ。悔いのない様にな」川尻先生のつぶらな目がキラキラしている。


 そしてもうすぐ四月。四年生最後の大会。

 二日目の試合。関東六県の強豪と初めての試合をする。前日一日目の錬成稽古で幾つかの道場と試合をした。なかなか勝たせてもらえない。けど全く歯が立たない訳でもなかった。だから皆んな自分を信じる事にした。無心の様な感じ。だから第一試合目は勝てたのだと思う。けれど第二試合はお互い勝ち抜いた者同士。どこに当たったとしても、レベルは分からないけど、やはり各県の上位の道場チーム。その意識が動きを硬くさせたのかもしれない。わたしたちは負けてしまった。

 わたしは相手が五年生と聞いた時少し怯えたんだと思う。一回戦目の負けが尾を引いていた。無心で戦ったのに負けてしまった。心に余裕が無くなってしまった。

 関東大会はやはり四年生にはまだ無理だよ先生。わたしはどうしようもないくらい悲しかった。バスの揺れもわたしを責めている様に思えた。早く帰って布団をかぶりたい。


 そんな心の底にいた情けないわたしを先生は稽古リーダーにした。イジワル。わたしは川尻先生を信じられなくなった。先生はわたしをいじめてるのかもしれない。


 ◇◆◇


 五年生になった。


 わたしは水戸大会を引きずったまま稽古を続けていた。

 皆んなも心なしか元気がない。

 リーダーといっても、皆んなメニューの手順は分かっているから声掛け声出しくらい。ホントは皆んなの心も上げてあげなくてはならないんだろうけど、自分自身が自信を失くしているからどうしようもない。


 稽古後半のかかり稽古。川俣先生が珍しく面を着けた。

 二分間のローテーション。皆んな最後に先生と当たる。もっとぶつかって来いという感じで自分に向けて籠手を振っている。そして二度三度アドバイスをしている。


 わたしの番。一礼した後、青眼で向き合う。先生が気合いの声を上げる。わたしも上げたけど弱々しい。打ち込みに行かなきゃなんない。でも向かっていけない。

 先生は更に大声を上げた。来た。

「めーん」

 脳天がきな臭くなる様な強い面を打たれた。

「めーん」

 更にもう一本。

 そしてもう一本。

 今度は小手だ。体が正面からぶつかる。面の奥、先生の目が見えた。強い視線。でも怒ってる感じはしなかった。

 離れて構え直す。今度は先生はなかなか打ちに来ない。わたしが面を打ちに出ようと竹刀を上げた瞬間、胴を打たれた。わたしの横を抜けた先生はもう残心をしている。

 わたしは少しムッとした。

 もう一度面を打ちに行った。さっきより素早く動いたつもりでいた。飛び込んだ竹刀は弾かれてもう既に胴を抜かれていた。わたしは唖然とした。


それから四月の間、先生とのかかり稽古では何度も胴を抜かれた。わたしも皆んなの時よりも胴を攻めた。でも打たせてもらっている感じの打ちばかり。はじめはそうだった。でも段々と構えから剣の動きが読める様になっていった。タイミングが合ってきた。先生が頷く様になった。

「よし、琇。どーゆー事か教える」

 わたしとの稽古でついに先生は口を開いた。

「違いはこうだ」川俣先生の胴を教わった。今まで皆んなと教わった胴打ちよりも微妙に違うタイミング。相手の動きに対する読みと自分の足捌き。難しいけどなるほどと思った。

 それから稽古、相手の動きをしっかり感じ取る様にした。そして自分の足捌き。毎度同じリズム。単純に動き過ぎて逆に相手に読まれていたんだ。

 わたしの気持ちが戻ってきた。先生は礼央にも出ばな小手を磨かせている。引き面が多い松伏君にはもっと遠い間からの飛び込み面を教えている。真君には応じ技を。それぞれの得意技を作り強化技を磨かせているんだ。皆んな少しづつ元気を取り戻してきた。

「せいれーつ。着座。先生に礼。正面に礼。ありがとうございました」


 桜の花びらは散って若々しい緑が更に色濃くなってきた。暖かさが次第に暑さに向かっていく。

 でも時おり降る雨の日はまだ肌寒い。

「琇、自販機で温かいお茶買ってきて」頼まれたペットボトルを手渡すと、川俣先生はわたしの顔を見てニコニコしながら「ありがとう」と言った。ニコニコとしたその柔らかな笑顔をわたしは今も忘れない。


 ◇◆◇


 それは夜だった。

 夕方から吹き出した強い風で裏庭の高木の葉がさわさわと騒いでいた。

 夕飯が終わり片付けをしている最中に母親の携帯の着信音が鳴った。

「えっ…… 」

 母はLINEのメッセージを見て固まっている。

 直ぐに何処かに電話している。

「もしもし、今メッセージ見た。ホントなの? うん・・うん・・そうなの? ああ、なんでー・・なんでなのー・・あー・・いや、そんな…… 」

 母親の体が震えている。腕の震えがひどい。

 顔色が真っ白だった。

 手で口を押さえた母親の目からぼろぼろと沢山の涙がこぼれ落ちた。あんなにもたくさんの涙が本当に止めどもなく溢れ出るのをわたしは初めて見た。風の音が止まない。わたしの心も何かに揺さぶられてざわざわと音がする。

「うん・・うん、わかった。そうね、うん、そうだね・・わかった、うん・・わかった、待ってる・・うん…… 」

 落ち着こうとする母の声が小さくなる。

 わたしは母に駆け寄ってその顔を不安げに見つめた。母はあたしの顔を見返すと唇を震わせた。

 わたしも泣いていた。


 川尻先生が亡くなられたと聞かされた。

 交通事故だった。

 先生が死んだ。死んだってどういうこと。あの先生がいなくなった。どういうこと。いなくなった。いなくなってしまった。どう考えてどう言い換えてもしっくりこない。

 わたしは混乱した。落ち着いていると思った。そう思ったのは混乱していたからだ。わたしは受け止めていなかった。川尻先生が死んだなんて考えられなかった。


 翌日の午後、わたしたち親子は先生のいる病院へ行った。昨日の当日は救命の処置が為された。死亡が確認された後に身体を整えたのだと聞かされた。

 わたしたち小学生は先生に会わせてはもらえなかった。親と中学生になっていた学くんだけが先生のいる部屋に入って行った。

 二十分くらいして大人が皆んな出てきた。皆、泣いている。中学生の学くんが下を向いて泣いている。学くんはわたしたちの前を通り過ぎると、救命室の扉から外に出て行ってしまった。外で声をあげて泣いている。学くんは川尻先生に特に可愛がられていた。川尻先生に似ている剣道をするからだったらしい。可愛がられると言っても贔屓されるのではなく、かえって厳しくされていたと思う。

 わたしは離れて一人泣いている学くんを見て悲しくなった。悲しい気持ちがどっと押し寄せてきた。目の奥が熱くなってきて大粒の涙がぼろぼろ溢れてきた。

 先生がいなくなった。

 目の前がぐらんぐらんと揺れた。ほんとうにほんとうに。倒れそうだったのでソファに腰を下ろした。涙は止まらなかった。

 メソメソしてたくらいだった皆んなも声を出して泣きはじめた。

 周りの色が無くなってゆく。トンネルに入ったみたいに。ゴー、ゴーってなんてスゴい音なの。何処から聞こえるの。わたしの中からなのかな。わたしの中だけに流れる音なのかな。こんな時、目を瞑らなくても本当に暗くなるんだ。大声で泣くわたしは母に抱きしめられていた。



 剣道を辞めようかと思った。


 日々は続いた。


 静けさも喧騒も繰り返される日々が続いた。わたしが生きている事で、わたしの中で生きているものが続いてゆく。ある日気づく。気付かされる事を。一つではなく、一人ではなく、一度ではなく、求めても届かなく気づかなかった事がふっと分かるのは、気づかせてくれていたから。


 あれから五年の月日が過ぎていった。

 重い防具を担いで坂道を登る。葉桜の向こうに体育館の青い屋根が見えて来た。竹刀の音が聞こえてくる。

そして……


(琇、もたもたすんなよ)声が聴こえる。


 瑞々しい季節。

 風そよぎキラキラとキラキラと光り輝く季節。

 だけれど私の中では一番悲しい季節。大きなものを失った季節。命が輝く分だけ、命が輝く分だけこんなにも悲しい。

 わたしの想い出からこの季節だけ抜け落ちてしまえばいいと思った。わたしだけいなくなればいいと思った。


 先生、わたしまだ自分に克ててないよ。


 風にそよぐ葉桜の合間から空を見上げた。

(琇、じゃあこれからも続けてゆきなさい)

 ああ、あの恐い顔。笑顔。優しい声。


 初夏は毎年厭わしい季節。それ以外は苦しい事も楽しい事も、わたしを育ててくれた人たちと歩んで来た記憶。新しい人たち。出会い。去ってゆく。続く。伝える。気持ち。なんだろうたくさんある。

 ありがとう、先生。ありがとう、先生。

 わたしはずっと忘れない。厭わしいけど輝いている。命が教えてくれた。記憶も未来も生きてる事を。ありがとう。


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