第39話 Strawberry Fields Forever

風が渉る。

朝、細長くぎざぎざの薄葉が目醒めると、朝霧の露を溜めて綺羅綺羅と耀く彼女たちは挨拶をはじめる。


少し気位の高い彼女たちは容易く触らせてはくれない。チクチクと皮肉な微笑みで風と語らっている。


薔薇苺の丘。私の母もその母もこの場所を愛でて暮らしてきたのだという。この丘を耕して苺の畠と共に暮らしてきたの。美しい丘。


見て。この翠の丘は初夏になると白い可憐な花が咲き乱れるの。そしてそれはあの人がやって来る季節でもあるの。


仄かだけど佳い匂い。空に届くといいな。いつもそう思う。そうしたらきっと世界に届くから。その何処からかあの人はやって来る。風が運んだ馨りに誘われて来るのかもしれない。


「やぁ、お嬢さん。こんにちは。今年も可憐に咲きましたね」ブランドより少しブロンズ。その髪を靡かせながら微笑みをくれるあの人は、今年も私に帽子をわたす。夏の間、それは私の宝物。帽子の中には小瓶が二つ。透き通った空の小瓶の中には去年の思い出が映っているのよ。私はいつも思い出し笑い。何度も何度もあの人の顔を見やってははにかんでしまうの。


野苺にしては大きな花びら。夏の白い花びら。革手袋のあの人は、いつも器用に編んでティアラにしてくれる。


「痛くないかい」

あの人が毎朝私の髪に載せてくれる。


「いいえ、ちっとも…… 」


今日は何をしましょうか。

私は春のうちに色々と考えておくの。

小鮒を覗いたり、カジカの聲を聴いたり、韃靼人の踊りを真似てみたり。楽しいことが今日もたくさん。


小川の橋を渡って林を越えると朽ちかけたトロッコの荷台があるの。たまに蛇が昼寝をしている。きっと今日は紋白蝶がダンスをしてる。

あそこでお昼を食べましょう。

ローズマリーのフォッカッチャ。

トマトと山羊のチーズ。私が挟んであげるの。

あの人はきっと喜んでくれる。


ぱらぱらと降り出した雨にきゃあきゃあとはしゃぎながら鶏小屋に逃げ込む。藁にまみれながら鶏たちの非難に笑い合う。


夢のような日々はあっという間に過ぎて行く。夏はなんと短いのでしょう。雲の翳りが寂しさを連れて来る。


でもまだやる事はたくさん残っているわ。


夏も終わると私たちは二人でルビーの様な真っ赤な果実をたくさん摘んだ。

わたしは銅の小鍋で飴と蜂蜜で苺の果実を炊く。

ゆっくりとゆっくりと静かに優しくかき回す。

とろりとしてつるりと注がれる滑らかな雫。

私の愛している乙女たちの微笑みが小瓶の中で綺羅綺羅と耀く。


そして契りと約束の贈り物。

この丘は私たちの中では永遠。この夏は永遠。

この輝きは消えたりしないの。


冬の日差しの中、あの人が甘酸っぱい雫を頬張る。

冬の灯し火の中、私との日々を想い起こしてくれる。


漂い揺蕩うゆめの中。夢中で過ごせるひととき。

朽葉が舞う晩秋。窓硝子が曇り、薪の火が音を立てる。ぽこぽこと紅茶を沸かす間に微睡んでしまった。


カップの向こうの透き通った小瓶。少し気位の高い彼女たちがさざめいている。


昨日の思い出、今日の思い出。遠い日の思い出。


今日までの憶い。忘れない。


透き通った小瓶。願いを込めるために今夜もそっと指で撫でるの。そうして小さく呟く。


「いちご畠よ永遠に…… 」

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