第18話


 葛葉神社の境内の奥から延びた『つづら折り』の坂道を上がりきって少し進むと、もうそこからは道というよりは尾根筋を辿っていくような、そんな獣道が現れる。

 浩太はひたすら黙ったまま上って行く。

 陽はまだ落ちはしないだろうが、黒い雲が垂れ込めて今にも雨が降りそうな感じだ。


 梅雨の湿気に滑る足元に気を付けながら慎重に足を運ぶ。途中、何度か足を滑らせて、学生服のズボンの裾は泥だらけだ。

 なんだか段々と腹が立ってきて、勢い、それが茜に向いていく──。


 だいたい何だって葛葉──茜のやつは転校なんて言い出したんだ。

 俺、そんなに嫌われるようなことしたか?

 …──そりゃ、あの時はやり過ぎたけど……それだって、茜があんなことになってたからで……。


 そこまで考えを進めて、あの時のことを思い返す。

 抑えられなくなった自分を呼び戻してくれたのは、茜だった……。

 千葉でのこと、あの気持ちを解かってくれて、許してくれたのも茜だ──。


 何だろう、茜がいてくれると、気持ちが落ち着くんだ……。

 自分の中に、確かに彼女のことを求めている自分がいる。


 ──惚れた弱み……ってことなんだろ、これ……。


 結局、そう素直に受け入れた俺は、茜の許へと急ぐことにする。



   *  *


 茜は、祖母の家の庭先でしばし足を止めて、すっかり暗くなった空を見上げた。

 奥宮のお社へのお使いは、この数日の間ですっかり日課となっていたが、この湿った空気とあやしい空模様に傘を持ち出すかどうか、ちょっと思案顔となる。

 祖母の家には──茜の家もそうだが、重たい和傘しかないのだ。

 考えた末、茜は傘は持たずに行くことにした。


 こんな日には、雨に濡れるのもいいと思うようになっている。



   *  *


 俺が奥宮の小さなやしろに辿り着くころには、もう雨が降り始めていた。

 周囲はすっかり暗くなっている。社は、尾根を伝ってひと山超えた先の林道の先に、ひっそりと佇んでいて、ほとんど人の手が入っていない細い道の先にあるわりにきれいに保たれているのが不思議な気がした。


 ──此処ここ? 


 俺は辺りを見回して思った。家らしきものは見えないし、茜もいない……。

 考えてみれば、こんなことは想定していてよかったことなのに、想定してなかった事態ことに途方に暮れてしまい、疲れがどっと押し寄せてきた。もう一度、社の方を見る。


 小さな社前の広くない神域の端に大きな樹──おそらくご神木だったのだろう──の根本だけが、倒れて朽ちた幹の一部と共に残っていた。

 人が入れるほどの大きさの洞が開いている。俺は、そこで雨宿りすることにした。


 比較的乾いた樹皮の壁を背に座り込む。耳元に滑り込んでくる雨の音が心地よく感じてきた。何か染み入ってくるようで、自分がこの世界に融け出していくようだ。疲れからか、感覚がぼんやりしてくる。


 ──茜に会って、なに言うんだろ、俺……。わからない……けど、会いたい。


 茜の色々な表情が思い浮かんだ。

 思いつめた顔、寂しげな顔、困った顔、ドヤ顔に澄まし顔……そして笑った顔──。


 そういえば、いつから茜のこと好きになったんだっけ……。


 このところ、自分の事なのに自分ではないような、自分がわからなくなるような、曖昧な感覚になることがある。雨足は、だいぶ強くなってきてた。



   *  *


 小路こみちを行く茜は、ぽつりぽつりと降ってきた雫に空を見上げた。

 すっかり灰色の雲に覆われてしまった空模様に、その小さな必然を甘受するかのように、うん、とひとつ頷いた──。

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