第11話


「……俺、前の学校で暴力沙汰、起こしてる」


 茜が言葉をなくすのがわかった。


「クラスの女子に渡来わたらいってコがいて、上のコに目を付けられてた。

 大人しいコだったんだ。

 ……俺も最初は、何も言えなかったんだよね……、皆と一緒で……。

 ただ、見て見ないふりしてたんだ……」


 茜は黙って聴いている。

 俺たちの側の県道を、自動車のテールランプが通り過ぎて行った。


「…──ある日さ、

 その上のグループのコに指示された北山って男子とその取り巻きが、彼女の髪の毛……、無理やり自分で切らせたんだ……。

 渡来、泣きも抵抗もしなかった。

 ただ黙って……髪、切った……」


 今度こそ茜が息を飲むのがわかった。

 あのときの〝嫌な気持ち〟が甦ってきた気がした。


「で、俺……、そいつら殴った。

 ──だって卑怯だろ? そういうのって……」


 俺は自分でそう訊いておきながら、茜が何かを言うことが怖くて、直ぐに言葉を継いでいた。

 ──いまは、どんな形でも自分のことを否定されたくなかった……。


「初めてだった。あんなふうに人殴ったの。

 ──怪我させて、それが問題になって……、

 しょうがないんだけど……先生も、家族も、誰も味方してくれなかった……。

 それで、それ以来、家族ともあんまり話さなくなってるんだ……」


 さっきまでの楽しい気持ちはもう消えてしまっていた。

 さすがに気まずくなり、俺は気を取り直したふうに聞えてくれるよう、話題を転じた。


「──って、もうずいぶんと歩いてるけど、まだなの? そろそろ陽が落ちる時間だけど」


 そんな声は少し震えてしまったかもしれない。

 茜の方はそんな俺の隣で、微かに目線を下げて耳を傾けてくれていたのだけれど、俺のその装った声に、一瞬で柔らかい笑みに戻って、ついさっきまでと同じ声色トーンになって答えてくれた。


「もう、すぐそこ…──こっち」


 茜は先に立つと、県道脇の石段すらない獣道を、上へ上へと上って行く。

 けっこう足場の悪いきつい細道だったが、わりと軽い足取りで茜は進んでいった。

 それを追って、俺は黙って付いて行く。


 ようやく開けて空地くうちになった場所に来て、茜は立ち止ると、俺が隣に並ぶのを待って云った。


「この先……」


 頷いて先に進もうとする俺の手を、茜が引いて留めた。いきなり手を取られて、少しドギマギとしてしまう俺…──、


「ね、葉山くん……目瞑って」


 茜が、少し不安そうな、それでもちょっと期待を膨らませるような目で、続ける。


「──…あそこまで、わたしが引いて行くから」



 柔らかな茜の手の感触に顔が赤くなるのを感じた俺は、照れ隠しもあって目を瞑った。

 ゆっくりと慎重に、厳かな感じで彼女の両の手が自分の手を引いていく間、俺はさっき自分のことを話してしまったことを後悔していた。


 やがて茜の手が離れ、気配が退いていくと、彼女の、ちょっと期待するような響きの声が耳に滑り込んできた。


「いいよ……」


 そよと風が吹いて、目を開けると視界いっぱいが茜色に染まっていた。

 西に向かって開けたなだらかな斜面の先には、緩やかな尾根の連なりの上に広がった夏の夕映えがあって──…遠く雲が朱く燃えている。


 その中に茜の後ろ姿があった。

 朱い陽の光に照らされ後ろ手にゆっくりと振り返る茜──。


 目が合うと、綺麗な瞳がそっと笑った。

 髪を纏めてたリボン紐は解かれていて、最後の残照を受けた彼女の長い髪が、風に舞ってやわらかく輝いている…──。

 俺は、きれいだな、と思った。



「どうかな?」 静かに、小首を傾げるようにして彼女が訊いた。「──きれい、でしょ?」


 俺は、そう云った茜に、ただ黙ってうなずいた。



 茜が満足気な笑顔になって、浩太の横に並んだ。

 浩太の肩越しに黙って佇む茜の横顔の瞳には、不思議な色が浮かんでいた。

 夕映えの中で、きれいな時間が流れていく……。



 少しして、茜が静かに口を開いた。


「──さっきのコト……、葉山くんが怒ったのは、しょうがないよ」

 俺は顔を向けれなかったけれど、それでも、心からの優しい言葉だというのは、その声から解かる。


「女の子が髪を切られるのは、つらいことだよ」



 浩太の右手に、茜の左の手が触れた。思わず伸ばした浩太の指を彼女の左の手がそっと包む。その温かな感触に、浩太の心が落ち着いていく──。



「ありがとう」 他に言葉が見つからず、俺はそう伝えた。




 それから…──

 陽が雲の後ろに沈み、西の空に広がる雲が柔らかな茜色に空を輝かせる中、

 世界の輪郭がぼんやりと柔らかく溶けだして、やがて淡い影に満たされていく時間ときを、

 二人は一緒に過ごすことができた。

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