第19話 「荷物、ちゃんと用意できた?」

「荷物、ちゃんと用意できた?」


 出発前夜。

 母さんが、部屋で荷造りしてるあたしに言った。


「うん。」


「前田さんに甘えっぱなしにならないのよ?」


「わかってる。」


 あれから一ヶ月。

 あたしは、モデルクラブを辞めた。

 そして、高原のおじちゃまの言ってたアメリカ事務所に行くことになった。

 前田さんも一緒に。



 …詩生とは、あれから何の連絡もない。

 周りのみんなも気を使ってか、詩生の話をしない。



「…華月。」


「ん?」


「センが…詩生ちゃんを殴ったんだってね。」


「……」


 詩生のお父さまは、母さんのバンドでギターを弾いている。


「センは、昔…辛い恋をしたのよ。」


「…おじ様が?」


「愛し合ってたのに、お互いの家の事情と、まだ高校生だったっていうのが理由で結ばれなかったの。」


 母さんは、あたしのベッドに座って続けた。


「子供も…いたの。」


「…えっ?」


「たぶん詩生ちゃんも知らないと思う。センには、詩生ちゃんたちの他に一人子供がいるの。」


「……」


「今は友達の子供として可愛がってるけどね。でも、詩生ちゃんのことで昔のやりきれない想いを思い出してしまったのかもね。」


「やりきれない想い?」


「愛し合ってるのに、結ばれなかった。なのに…詩生ちゃんは…って。」


「……」


 あたしだって…まだ信じられない。



「母さん…」


「ん?」


「どうして、そんな話…あたしに?」


 あたしの問いかけに、母さんは少しだけ笑って。


世貴子よきこさんがね…私は言えないから、言ってくれって。」


「……」


 詩生の、お母さま。


「みんな、本当は愛し合ってる者同士が結ばれることを祈ってるわ。でも、どうしようもできないことだって…あるかもしれない。」


「……」


「だけど、それを理由に弱くならないで。」


「母さん…」


 母さんは、あたしの手を取ると。


「華月は、まだまだこれからなんだもの。辛いことも悲しいこともたくさんあるかもしれないけど…でも、それを全部自分の糧にして頑張って?」


 まっすぐな瞳で、言ってくれた。

 あたしは、母さんを見つめる。


 あたしが生きてるのが奇跡なら…あたしだって奇跡を信じたい。

 そう願ったのは、あたし。

 だから…前を向いて生きてかなきゃ…



「…母さん。」


「なあに?」


「父さん、いる?」


「いるわよ。きっと、華月に会いに行くためにスケジュール表眺めてるはずよ?」


 せっかちな父さん。

 あたしは、小さく笑う。



「みんな…大部屋にいるかな。」


「揃ってるわよ。みんな華月の見送りをするんだって明日休みとってるから。」


「じゃあ…大部屋に行く。」


「そ?」


 母さんが立ち上がって、部屋のドアを開く。

 あたしは車椅子で廊下に出て、大部屋に向かう母さんの背中を見ながら…神経を集中させる。


 大部屋の入口で、車イスのロックをすると。


「華月?」


 母さんが、不思議そうに振り返った。


「…向こうにいて。」


「え?」


「父さんの隣にいて。」


 母さんは不思議そうな顔のまま、だけど、あたしの言った通り父さんの隣に座った。


「……」


 目を閉じて神経を集中する。

 あたしの足、お願い…少しだけ、力を貸して。


「…華月?」


 聖が、読んでたマンガを閉じた。

 あたしは、両腕に魂深の力をこめて…


「華月…」


 お兄ちゃんが、立ち上がった。


「誰も来ないで!」


「……」


「父さんと母さんのとこまで、行くから。」


「……」



 わっちゃんとリハビリに行った時、かろうじて立てたことが二度あった。

 前田さんとリハビリしてる時、一歩踏み出せて二人で泣いたことが一度だけあった。

 でも、まだ内緒だよ?って。

 歩けるようになったら、真っ先に詩生に見せるつもりでいた。

 …その前にさよならしなくちゃならなくなったけど…



 今、歩けるとは限らない。

 もしかしたら、そこで転んで…ますます心配をかけることになるかもしれない。

 でも…見せたい。

 あたしの、気持ち。



「…華月…」


 大おばあちゃまが、おばあちゃまと手を取り合ってオロオロしてる。

 だけど、あたしは…


「たっ立てるのかよ!?」


 あたしが立ち上がると、聖が泣きそうな顔して大声を張り上げた。

 立つだけじゃ、ダメ。

 父さんと母さんのとこまで…


 お願い、前に出て。

 まだ感覚がおぼつかないあたしの足…

 右足を前に…


「あっ…!」


 ふらついたあたしを見て、みんなが一斉に驚く。


「大丈夫!」


 あたしは、神経を集中させたまま、今度は左足を…


「…くっ…」


「頑張れ!頑張れ華月!」


 聖が、両手を握りしめて言った。


「父さん…母さん…」


 小さな声で呼びかけると、二人は呆然としたまま。


「な…何…?」


 あたしを、見つめた。


「…呼んで。」


「…え?」


「ここへ来いって…あたしを…呼んで?」


「……」


 二人は顔を見合わせて。


「…華月、ここだ。」


「頑張って!」


 涙目になって…言ってくれた。

 あたしは、くいしばる。

 歩けるのよ…あたしは、歩けるのよ!


「頑張れ!」


「大丈夫!もう少し!」


 みんなの声援を受けて、あたしは初めて…五歩…歩いた。


 そして…


「華月!」


 父さんと、母さんの腕の中に…辿り着けた。


「おまえ…歩けるなんて…」


「やだ…どうして内緒にしてたの?」


 父さんと母さんが泣きながらそう言ったんだけど。

 あたしは、張り詰めた緊張から解放されて眠くなってしまった。

 だけど、言わなきゃ…言わなきゃ…



 まぶたが完全に下りきる間際。

 あたしは父さんと母さんにつぶやいた。


「生きてて…良かった…。」



 …今夜、詩生に最後の手紙を書こう…。





 詩生へ


 きちんと話ができないこと…ごめんなさい。

 あたしの足のことで、詩生がどんなに悩んでたか…

 あたしは、それが怖かった。


 触れるたびに、目が合うたびに、詩生の考えてることがわからなくなってきて、不安になった。

 お互い、傷をなめあうような形になってしまって辛いだけだったね。


 そんな詩生を、絵美さんが助けてくれるのなら…あたしは、何も言えない。

 だけど、そばにいるのは辛いから、今は逃げます。

 そして、強くなって帰ってくるから。

 その時は…また、昔みたいに笑えるといいな。


 ずっと…詩生は詩生でいてね。

 さよなら。


 華月

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