第10話 「…いないのかあ…」

「…いないのかあ…」


 詩生しおの部屋の前まで来て、あたしは唇を尖らせる。

 今日は詩生しおの誕生日。

 とりあえず…ってことはないけど。

 ケーキを作ってみた。



 小旅行から三ヶ月。

 あたしも詩生しおも忙しくなり始めて、最近では自由に会うこともままならない。

 なんだか、恋人ってよりは仲のいい友達状態。

 あたしは、このままでも楽しいけど…


 きよしが。


「ちょっとは進歩しろよー。詩生しおだって男なんだぜー?」


 って、何だか恥ずかしいことを言うから…ちょっと焦って来た。


 つきあい始めて?からというもの。

 あたしたちは、キスもしていない。

 まあ…いいけど…


 帰ろうとして、振り向いたところで…


「えっ………詩生しお?」


 え?え?


 目の前に立ってるのは…詩生しおだけど…

 髪の毛が、短い。

 ばっさり…しかも、真っ赤。



「ど…うしたの?こんなに短く…」


 あたしが目を丸くして問いかけると…


「……」


 詩生しおは、無言であたしを押し除けた。


「…詩生しお…?」


「…何しに来た。」


「…え?」


 何?

 今…詩生しお…なんて言った?


「何しにって…今日…」


 詩生しおの低い声に、心臓がバクバクしてる。

 あたし…何かした?

 どうして、詩生しお…こんなに冷たいの…?


「…何、怒ってるの?」


 やっとの思いで問いかけると、詩生しおは何だかイラついてる感じで。


「…おまえ、あれ…何だよ…」


 消え入りそうな声で言った。


「…あれ?」


れつと仕事したことないとか、そんなこと言って…」


 …あ。


 昨日、あの香水のポスターが、至るところに張り出された。

 ワイドショーでも『話題の一枚』として取り上げられて、我が家でも『芸術的だ』と絶賛されてる。

 …父さん以外には。


詩生しおに聞かれた時は、まだ本当にれつと仕事したことなかったのよ。あれは急な事で…」


れつと、三時間抱き合ったままだったってな。」


「…仕事だもの。」


「んなこと言って…」


「何が言いたいの?」


「別に。」


 詩生しおは部屋の鍵を開けると。


「あの撮影、随分前にあったらしいな。」


 って吐き捨てるように言った。


「…うん…」


「何で言わねんだよ。」


「何でって…あたしの仕事のことよ?」


 …本当は、言い辛かったから。

 でも、あえてこんな言い方をしてしまった。

 けど、詩生しおはカチンきたみたいで。


「…そうだな。俺には関係ないのかもな。」


 って…


「そんな言い方って…詩生しお、あたしは…」


「…くだらねーよな。」


「え?」


「分かってる…こんなの、くだらねーって。」


「……」


「だけど、れつの言う事が…グサグサ来た。」


「…れつ、何言ったの?」


 詩生しおはドアノブにかけてた手を外すと、あたしを振り返って。


「…れつと、また仕事したいって思ったか?」


 あたしの目を見て言った。


「……」


 誰にも言ってないことだけど。

 でも、ここで首を振ったら嘘になる。


 れつは…あたしに刺激をくれた。

 モデルとして、高め合えると思った。

 だから…


「…うん。思ってる。」


 あたしは…正直に言った。

 詩生しおの目を見て…ちゃんと。


「……」


 だけど、あたしの答えに詩生しおはため息をついて。


「そっか。」


 って、ドアを開けた。


詩生しお。」


「くだらねーとは思うけど…嫌なんだよ。」


「どうして…?れつと抱き合ったのは仕事よ?それなのに…どうして詩生しおがそんなに怒るの?」


「…だよな。仕事だって割り切れねー俺がガキなんだよな。」


「……」


「それでも…仕事する前に言って欲しかったんだよ。」


「だって…嫌がるかなと思って…」


「……」


 それから詩生しおは…何も言わなくなった。

 ただ、すごく…冷めた目をして…


「……ま、あいつと仲良くやれよ。」


 吐き捨てるように、そう言った。


「え…っ?何それ…」


「帰れよ。もう俺は関係ない。」


「待って、詩生しお。あたしは…」


「じゃあな。」


詩生しお!!」


 冷たく閉まったドアの音。

 なんだか、頭がまわらない。

 どうして、詩生しおは怒ってるの?

 どうして、あんなふうに髪の毛切ってるの?



 手に持ってるケーキが、少しだけみじめになってしまって。

 あたしは、それを部屋の前に置く。


「…詩生しお、誕生日おめでと…」


 ドアの前で小さく言ってみたものの…返事は、ない。



 気持ちは、通じ合ってる…って、思ってた。

 でも、それは、あたしだけの想いだったんだ…


 すごくすごく、悲しくなって。

 ものすごく、苦しくなって。

 あたしは…初めて、誰かを想いながら泣いてしまった…。




 * * *




「やる気あんのか?」


 たまたま撮影を見学に来てたれつが、腕組みをして言った。


「……」


 何を言われても、仕方ない。

 あたしは、詩生しおにあんなことを言われてからというものー…

 全くのフヌケ状態。

 撮影にも、相当時間がかかっている。

 笑えない…。



「…ったく、自分の立場、自覚してんのかよ。」


 腕組してあたしを見下ろしてるれつを見上げる。


「何。」


詩生しおに、何か言ったわね。」


「……」


 あたしの問いかけに、れつは意外そうな顔をして。


「おまえ、詩生しおに惚れてんのか。」


 って、とぼけた声で言った。


「茶化さないで。何言ったの?」


「別に、本当のこと言ったまでさ。」


「本当のこと?」


華月かづきと裸に近い格好で三時間抱き合ってたら、不思議と考えることが手に取るようにわかったって。」


「…何がわかったのよ。」


「おまえ、俺ともう一度仕事したいって思ったろ。」


「……」


 思わず、息を飲んでしまった。

 確かに、あたしはれつと仕事をして…

 息が合う。

 もっと、れつと仕事をしたい。

 って…思った。


 それは、吸収したい部分がたくさんあるっていうか…

 そういうのも含めて、なんだけど…



「でも、どうしてそれをいちいち詩生しおに報告するわけ?」


 あたしが、れつをにらみながら言うと。


「あいつが気に入らないから。」


 れつは、あっさりと含み笑いしながらそう言った。


「ここらで、戦線布告しとかないとな。」


「戦線布告?」


華月かづきを好きなのは、詩生しおだけじゃないってことをさ。」


「……」


「そう言えばあいつ…髪の毛切ってたな。」


 れつはうつむいてくっくっと笑って。


「おまけに真っ赤なんてさ…ビジュアルだけだって言われるの嫌がってたクセに、ますますビジュアルだけになってるよな。」


 勝ち誇ったような顔をした。


 …れつは美しい。

 どんな顔をしても。

 仕事中は、本当に…現場のみんながゾクゾクするような表情を見せてくれる。

 持って生まれたオーラなのか…

 れつには、誰にも出せない雰囲気がある。


 …だけど。

 詩生しおを見下して物を言うれつは…


 大嫌い。



 あたしは目を細めて。


「…他にも何か言ったんじゃないの?」


 早口に問いかける。

 いくら詩生しおれつを嫌いでも…

 仕事の事だけで詩生しおがあんなに怒るとは思えない。


「さあな。」


 れつは壁にもたれかかると、腕を組んだまま首を傾げて笑顔になった。

 そんなれつを、ヘアメイクのスタッフさんが惚れ惚れした様子で眺めてる。



「俺が何かを言ったとしても、あいつはおまえより俺を信じたって事になるぜ?」


「…それは…」


 痛い所を突かれて、あたしは口ごもった。

 実際、どうして詩生しおがあたしよりれつの言葉を信じて怒ってるのか…

 あたしには分からないし…納得いかない。

 だけどあれ以降、連絡を取ろうとしても…詩生しおは留守電にさえ応えてくれない。



「…あいつの事でふぬけになるなんて、おまえも大した女じゃねーな。」


 れつが斜に構えて言う。

 あたしはその言葉を聞きながら。

 このモヤモヤした気持ちを、どこに向ければいいのか…分からないままでいた。




 * * *




「仕事をほされた?」


「…うん。」


 父さんが、上着を脱ぎながら冷たく言った。


「…まあな。今のおまえ見てたら、俺でも降ろす。」


 何の撮影をしてもうまく笑えなくて…

 結局、カメラマンさんが推してた女子大生が、あたしの代わりに抜擢された。



詩生しおが原因か?」


 父さんは、ぶっきらぼうにそう言って、あたしの前に座った。


「…何が原因なのか、わかんない。」


「どうして。」


「とにかく、わかんないの…」



 今のあたしは、情緒不安定。


「どうして、詩生しおがあたしの仕事のことで怒ってるのか…どうして、あたしが笑えないのか…」


 あたしがボンヤリ首を傾げてると。


華月かづき。」


「…?」


「正直に、答えろよ。」


 父さんは、あたしの目をまっすぐに見て言った。


「…うん。」


詩生しおを、好きか?」


「……」


 あたしは、無言で頷く。


「友達としてとか、みんなと同じくらいとかってんじゃないんだぜ?一人の男として、好きなのか?」


「…なんで父さんにそんな事…」


「いいから答えろ。」


「……」


 母さんにも言った事ないのに!!

 あたしは少しだけ唇を尖らせて。


「…うん…」


 小さく答えた。


「それを詩生しおに言ったか?」


「…ハッキリは…言ってない。」


詩生しおの気持ちは知ってるよな?」


「…どうして父さん、そんな事知ってるの?」


「おまえの仕事ぶりが酷いから、詩生しおに話を聞きに行った。」


「えっ…」


 詩生しお

 あたしには応えてくれないのに、父さんとは話すなんて…



「結局、詩生しおはおまえの気持ちを知らずじまいってことだよな。」


「……」


 何も答えられない。

 あたしって、本当に詩生しおに対して失礼な態度とってたんだ…


「ま、もう切り替えろ。」


「え?」


 切り替えろ?


詩生しおのことだよ。あいつも髪切った時点で吹っ切ろうとしたのかもしれないしな。」


「どうして?それが分かんない。どうして、あたしの知らないところで、そうやって吹っ切ったりしちゃうわけ?」


「そりゃ、おまえ…」


 父さんは、呆れたような口調で。


「自分は精一杯の意志表示をした。なのにおまえは、あやふや。そのうえライバルと知らない間にあんなポスター撮ってたんだぜ?いくら仕事でも、男なら誰でも納得いかねえな。」


「…そんな事…だって…仕事なのに…」


「前もって聞かされてたなら違うだろうけど、気が付いたらそこら中に貼り出されてるんだぜ?俺も腹が立った。」


「……」


 父さんのヤキモチはさておき…

 …詩生しおの気持ちに近付けない。

 あたしが悶々としてると、父さんは溜息をついて。


詩生しおが仕事だからって半裸で女と抱き合ってる映像が流れて来たら、おまえどんな気がすんだよ。」


 早口に言った。


「……」


 一瞬の内に…胸が痛んだ。

 ズキズキして…息が苦しくなった。

 そう。

 しかも相手が…あたしの気に入らない子だったら…?


 あたしの仕事だからって言いながら、詩生しおれつが険悪だから言いにくかったのもある。

 もし、打ち明けて『やるなよ』って言われるのが嫌だったのかもしれない。


 だけど…打ち明けてたら違ってたかもしれない。

 あたしも詩生しおも仕事をしてる。

 ちゃんと話せば…解ってくれたかもしれない…


 結局あたしは…自分を守るために、詩生しおを思いやる事すら出来てなかった。

 こんなんじゃ…



華月かづき?」


「……」


 糸が、切れた。


「あたし…あたしって…」


「あ?」


「恋愛に向いてないや…」


 涙がポロポロこぼれてしまった。

 うつむいて涙をぬぐってると。


詩生しおにも言ったが…」


「……」


「強くなれ。」


 父さんが、あたしの頭をくしゃくしゃっとして言った。


「強くなったら、もっと楽に人を好きになれるから。」




 * * *



「すげえ人気者だな。」


 きよしが、テレビを眺めて言った。

 詩生しおのバンド『DEEBEE』が、テレビに出てる。

 ものすごい…人気。


 昨日、本屋で雑誌を見たけど…それにも、すごく取り上げられてて。

 女子高生たちが、騒ぎながら見てた。

 なんだか…遠くなっちゃったな…


 父さんは、強くなれって言ったけど…

 強くなるには、どうしたらいいの?



華月かづき。」


 ふいに、大おばあちゃまに呼ばれて、あたしは中の間に向かう。


「何?」


「久しぶりに、花でも生けないかい?」


「……」


 そういえば、もう随分そんなことしてない。


「そうだね…生けようかな。」


 あたしは、大おばあちゃまの隣に正座する。

 抹茶色の花器に剣山をおいて、大おばあちゃまが生けてる華を、ちょっぴり分けてもらった。



「私は昔ね。」


「ん?」


「看護婦になりたかったんですよ。」


「…大おばあちゃまが?」


 突然の告白に、あたしは口を開けたままにしてしまった。


「でも、この家に生まれて…そんな願いは許されるはずもなかった。」


「……」


「そうは言っても、華道が嫌いなわけではないし…まして、この家を捨ててまで看護婦になろうって気はなかったんだけどね。」


 大おばあちゃまは、細くなった目で…遠くを見てる。


「だからってわけじゃないんだけど、知花ちはなが歌で成功した時も、咲華さくかが就職面接に受かった時、ものすごく嬉しかった。」


「……」


「この子たちは、私がいてこそなんだって…そう思うとこの家を継いで本当に良かったって思えるんだよ。」


「大おばあちゃま…」


 あたしは、大おばあちゃまに抱きつく。


「あたし、あの赤い靴で世界に出るから。」


「…楽しみだこと。」


「絶対、出るからね。」


「早くしておくれよ。」


「…長生きしてね。」


「おやおや…まだまだ時間がかかるのかしら。」


「お願いよ…長生きして…」


「…甘えん坊さんだこと。」


 大おばあちゃまが、頭を撫でてくれた。

 すごく久しぶりに…こんなにあったかくなれた。



 あたしの夢は、あたしだけの物じゃない。

 あたしを育ててくれた…みんなのもの。

 父さんの言ったとおり、あたしは強くならなきゃいけない。


 詩生しおのことは…しばらく辛いかもしれないけど…

 あたしの夢のために、少しの間だけ。

 この気持ちは…閉じておこう…。



「あら、珍しい。」


 あたしが生け終わった花を見てると、通り掛かった母さんが足を止めた。


華月かづきが生けたの?」


「うん。大おばあちゃまが誘ってくれて。」


「そ。いい気分転換になった?」


「…うん。」


 あたしは隣に座った母さんに抱き着く。


「……?」


「あたし、頑張る。」


 あたしがそう言うと、母さんはあたしの背中をポンポンとして。


「頑張れないなーって思った時は、こうして花を生けたり誰かに甘えればいいの。みんな華月かづきの味方だからね。」


 あたしの大好きな…心地いい声で、そう言ってくれた…。


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 このお話を書いた頃は、看護師さんが『看護婦』さんだったので、そのままにしてます。


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