モエウハネ moeuhane【夢をみる】

私はうつらうつら眠っていたようだ。


朝、6時前に身体を起こした。

すでに起きている患者さんや看護師の声も耳に届いていた。


ちょうど部屋に来た看護師が

「小川さん、少しは眠れてたかな?歩き回ったりはなくて良かったね。」と私に声をかけた。


「はい。うつらうつらしていた感じです..」私は答えた。


入院の良いところは、精神科の場合、環境が変わることで、抱えていた問題が薄れる感じがすることではないか、と思う。


私はつい昨日まで、抱えていた問題を手放してしまっている。

ほんとうに抱えるほどのものだったのだろうか。


顔を洗ったり着替えているうちに7時をまわり、朝食を廊下に取りに行ったときに、昨日支えてくれた合田くんがいた。


「おはよう。夕べはごめんね。ありがとう。」と彼に声を掛けた。「ううん。今日は大丈夫?」と聞かれ、「大丈夫みたい。」と返事をした。


合田くんはにっこりとして、その場から自分の部屋に帰って行った。


私は朝食を食べたあと、ベットに横になり、眠ってしまっていたようだった。


昼食時、看護師に起こされた時、ここがどこで、自分が誰なのか、3秒ほどわからずにいた。深く深く眠っていたようだった。

昼食は、半分ほど残した。

病院食は意外と量が多いと思う。食器を返してベットに腰かける。看護師が来て

「小川さん、今日は1時半に先生がここにいらっしゃるから、1時半にはベットにいてね。」と言われた。

「はい、わかりました。」

私は看護師の顔を見つめ、答えた。


1時半まであと一時間ある。

私は廊下に出て、手すりを持ちながら、やはり、すり足気味に歩いた。身体全体が重くて、鈍かった。

また歩いていると、合田さんにばったりと出会った。

「あ。こんにちは。」合田さんに声をかけると、彼は振り向き、「運動?」と尋ねてきた。

私は、「運動というか、気を落ち着けたいのかも。」と答えた。合田くんは、「調子、やっぱりまだ悪い?入院してまだ少しだもんね。」と言って、私と歩調を合わせた。

「そうねぇ、なんていうか、自分の身体が自分じゃないみたいなの。動きが鈍くて。急に不安になったり、混乱する時もある。」合田くんはそれを聞いて、「きっと辛いことがあっても耐えて、耐えすぎたのかな。しんどかったはずだよ。」と、私の目を見てしっかりと言った。


合田くんは背が高く、身体つきもしっかりしているけれど、目に特徴があって、目でものは言わない目をしている、と言えば良いだろうか。

目に感情が出ない人だと思う。


明らかに自分より年下の気がしていた。

「合田くんは、いつから入院しているの?合田くん、て言っちゃったけど、私より年下かなと思って。私、25歳なの。」

合田くんはよく話を聞いている横顔をしていた。

「僕は、1ヶ月半前からだよ。歳は19だよ。大学を休学しているんだ。僕は..、僕は幻聴というものを聞いてしまっているんだ。ほんと、半年前まで、まるで健康な大学生だったんだ。」


私たちは、病棟内を私のペースで、ゆっくりゆっくりと歩いていた。ナースステーションの前を通りかかるとナースたちが、

「散歩?身体を動かすのはいいわね。無理しないようにね。」

私は会釈をした。合田くんは、にこりと微笑んだ。


「あ、私今日診察なの。そろそろ病室で待たないと。また、良かったら話しましょう。」私は合田くんにも会釈した。合田くんは、「もちろん。また後で。」と言って、手を振ってその場を去った。


私は部屋に戻り、ベットに腰かけた。

手をグーパーしたり、足をバタバタ動かしたりしていた。

ひょっとして、思うように動かないかもしれないと思った。でも、動いた。そして、ほとんどが白色の家具、壁で囲まれていることにやはり、心の奥底からほっとした。


先生は、ふいに現れた。


白衣を来ているが、下のシャツのえりもとが見えていた。きれいなパステルカラーのシャツだった。こういうのを見ると、ふいにこの医師の私生活を思いはせる時がある。


「小川さん、気分、体調などいかがです?何でも良いので、僕に話してください。」


「先生、私なんでこんな身体も心も不調和で、ふつうに生きることが困難になったんでしょう。私、少し前まで、ふつうに生活していたのに..」私は心のうちを吐き出した。


「そうでしょうか、小川さん。

小川さんは随分と長い間、寂しさに耐え忍んできたと、僕はお見受けしているんですよ。」

先生はゆっくりと話をした。

「もしかして、今の小川さんは何もかも現実が夢のようにお感じなのでは?」私は、

「確かに生きることがぎこちないんです。」と答えた。

「今は、そのリズムに合わせましょう。けして、そのリズムを無視しないように。夢にゆだねる時間なのかもしれませんね、今は。」


先生は忙しそうで、「それでは今日のところは..」

そう言って、背中を向け歩きだした。後ろ姿。靴が、一目でおしゃれな人だとわかるものをはいていた。私はあの先生のセンスの良さはただ者ではないと、ぞくっとした。

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