第11話 朝露と太陽

 朝日とともに、槍を振るう者がいた。

 その足運びは演舞のように滑らかで、それでいて鋭さを感じるほどに素早い動き。まるで身体の一部であるかのように鉄槍を操る姿は、彼が育んできた武を物語っていた。


 まるで朝露が葉からこぼれ落ちるように、汗雫が彼の良く鍛え上げられた肉体を滑っていく。


 怠惰を感じさせないその身体。

 鉄槍に合わせて動く筋肉は、とてもしなやかで美しい。


 朝日と汗で輝くその身体は、時折近くを通る者達の目を釘付けにして、その眠気を覚まさせるのだが、極度に集中する鷹丸はその視線に気づかない。



 その練武を終えた鷹丸は大きく息を吐いた。


「こうも鈍っていたのか……。それもそうか、鍛錬なんていつぶりだ?」


 鷹丸は井戸水を被り、その汗を流す。熱った身体にその冷たさが心地よい。


 今朝、鷹丸は無性に身体を動かしたくなり、目を覚ました。

 山間の町を離れてから三日経つ。その間、ずっと晴姫の煌について考えている。


 煌術はまず、煌を知覚する事から始まる。認識ができなければそれを動かすことはできず、操れもしない。それでは術として利用できない。


 にもかかわらず、晴姫は幾度となく煌によって護られている。

 

 それは彼女の煌が膨大すぎるからだと、鷹丸は結論づけた。


 危機的状況において人間は、意図せずにその肉体から煌を溢れさせてしまうのだと聞いた事がある。それはつまり防衛本能としての無意識の力。通常の人間とは比にならない彼女の強い煌は、溢れでた分だけで鉄壁と化しているということだ。


 無意識であったために、晴姫は煌を知らなかった。封師でもなければ自身の煌に向き合う必要もない。武家の箱入り娘なら使う機会もない。そのために、あえて誰も教えてはくれなかったのだろう。


 では、目の見えない彼女は煌をどうすれば知覚できるのか。鷹丸は今、その壁にぶち当たっている。


 温度も、感触もない。

 封師達は修行の中で自身の煌を視認して始めて、再現性を得ている。

 それは鷹丸も例外ではない。


 半年。それは鷹丸が煌を知覚するのに要した年月である。それだけの時間が晴姫にも必要なはずだ。


 だがもし、習得が不可能と分かれば彼女はどんな顔をするのだろう。

 そんな彼女の表情を鷹丸は見たくなかった。だからこそ、もっと考えなくてはならないと、その頭を捻らせる。

 そうして、眠りの浅い夜を彼は過ごしている。



 鷹丸はその身体を拭うと部屋に戻った。


「おはようございます! 今朝は早いのですね」


 晴姫はちょこんと座っていた。

 仲居が入れてくれたのだろうか、お茶をその小さな口で啜っている。


「久々に槍の鍛錬をと思いまして。ですが、夢中になりすぎました。もう、朝食の時間ですね?」


 待っていましたとばかりに喜ぶ晴姫の手を取り、二人は宿を出た。


 そして、朝食を終えて一息ついた頃、晴姫は鷹丸に話しかける。


「本日も道中、煌の鍛錬をよろしくお願い致します!」


 晴姫はとても前向きで、明るい表情をしていた。



 時刻は正午を過ぎた頃、鷹丸と晴姫は変わらず街道を歩いている。そんな光景にも少しの変化があった。


「どうですか?」


 鷹丸はその繋がれた右手から、煌を流していた。晴姫の左肘に至るまでを黄金で覆っている。


「んー? 何も感じないです……」


「そうですか……。ですが、これも訓練です。しばらく続けますよ」


 触覚による煌の知覚。前代未聞だが、これしかないと鷹丸は結論づけた。


 煌で覆う地点を変えながら、その感覚を研ぎ澄まそうとする。

 自分たちがどれほどの距離を歩いたかなど忘れ、二人は熱中する。

 すると、突然晴姫が声を上げた。


「鷹丸様!!」


「煌を感じましたか!?」


 晴姫は首を横に振った。


「あの少し先で、数人の子供と鬼の気配が……」


 指さす先は薄暗い森。

 人が鬼に襲われるのを晴姫は感じとった。


「急ぎましょう!」


 迷いなく、二人は森の中へと入っていく。



 鬱蒼とした森。晴姫が語るに、その気配は着実に近くなっている。数人の子供の気配と一体の鬼の気配。じっとして、その場を動かない事から食す前か。


 一刻も早く辿り着かなければならない。

 そう思い、二人はその気配の前に飛び出した。



 そこには、青色の肌をした一丈3メートルを超える鬼が、大木を背もたれにして座っている。

 その全身には、矢ほどの大きな針状の煌が突き刺さっていた。

 封じられる寸前といったところか。荒い呼吸が木々のざわめきに混じっている。


「晴姫様。子供の気配はまだありますか?」


「……? はい。鬼のすぐ近くに感じます」


 だがそこには、誰ひとりとしていなかった。


 この鬼が子供を丸呑みにしたのか。

 ならば早く、この鬼を封じて救い出さねばならない。そう焦り鷹丸は繋いだ手を離すと、槍に黄金を纏わせ鬼に近づく。


 鷹丸は気づいていた。微弱な伝煌で封じる事ができるほど、この鬼は弱っている。


「イヤ イヤ」


 鬼はそう口にするが、身体を動かせないでいた。


「そこで止まりなさい」


 突然振りかけられた見知らぬ女性の声に鷹丸は足を止めた。

 あと数歩で槍の間合い。

 青鬼は、じっとこちらを見つめている。

 

 その瞳に潜む殺意を鷹丸は読み取った。


 鷹丸は咄嗟に後退り、その声のした方角を見る。そこには鉄砲を持った封師が立っている。


 鉄砲が重そうに見えるほど、か細い腕が法衣の裾から生えている。戦闘には邪魔そうな長い髪が、そよ風に揺れていた。

 だが、その落ち着いた声に、隙のない佇まい。

 手練の封師で間違いないと鷹丸は直感した。


「その鬼、まだ少しだけなら動けるよ。不意打ちが得意みたいでね。さっき、一人やられたんだ」


 そう言って、その封師は青鬼を睨むとその脳天を撃ち抜いた。

 青鬼は封じられ、黒い石へと変わる。


「鷹丸様……。人の気配がなくなりました……」


 晴姫は唖然としていた。

 その言葉に鷹丸は右手で口を覆う。


「そんな……。生きたまま喰われると、一緒に封じられてしまうのか?」


 鬼が座っていた場所には草花が潰れているのみである。人の肉や骨の一片も、そこに有りはしない。

 数人の子供達を助けるには、無情にも二人は遅過ぎたのだ。


「人の気配? 喰われた? 一体、何の話をしているんだ?」


 そう言って、長い髪を封師はかきあげる。

 彼女の凛とした視線に、鷹丸はことの経緯を話した。


 そして、予想外の返答に鷹丸と晴姫は絶句する。

 封師は誰も喰われていないと答えたのだ。


 鬼が現れてから逃げるまでに、喰われた者や連れ去られた者などいない。

 ましてや、一丈3メートル程度の体躯で複数の子供を丸呑みにする事など不可能だ。

 そう封師は語ったのだ。


 では、晴姫は何を子供だと誤認したのか。鷹丸の頭に一つの答えが浮かび上がった。


「封師様。あの木に砲煌を放ってはいただけませんか?」


「なるほど。まぁ、その説しかないだろうな」


 封師が放った煌は、その木の幹に突き刺さる。


「え……? すぐそこから人の気配が……」


 鷹丸は確信した。

 晴姫が気配として察知していたのは、煌であったのだ。

 確かに人は皆、その体内に煌を秘めている。煌を知らなかった晴姫にとって、それを人そのものの気配と捉える方が自然であり、道理だ。


 そして今日、砲煌という煌術によって初めて、晴姫は煌と人体が離れた場面に居合わせたのだ。

 そこから導き出されるのは、晴姫は煌を認識できるという事実。

 ならば、自身の煌を知覚するにはその気配を己の中から探せば良い。

 

「晴姫様。自身のその気配は感じとれますか?」


 晴姫はその意識を初めて己に向ける。


 それはユラユラと揺れては形を変える不思議な気配。吹けば消えてしまいそうで、触れれば火傷しそうな、儚くも力強い気配。

 それを何度も感じ取ってきた。

 自分の中にそれがあるのか。

 見つからない。

 気配を感じることができない。

  

 どうして?



 その時、ふと彼女は思い出す。


 そうだ、私の煌は大きいんだ。



 気がつけば右手は胸の中心に触れていた。

 そこに感じる確かな鼓動の奥で、あの気配が眠っている。


「見つけました……!」


「……!! では、晴姫様。私の言う通りに想像してください!」


 鷹丸はゆっくりと息を吸った。


 貴方の煌は囚われている。

 出口が分からず、そこでじっとしている。

 貴方自身で導いて上げるのです。

 胸の中から右肩へ、右肩から右腕へ。

 右腕から、その右手に辿り着いたなら、もう貴方の先導は入りません。

 今、その右手から溢れ出しました。

 それを感じませんか?


「右手に煌を感じます……!」


「晴姫様……。さすがです……!!」



 鷹丸はその光景に心が震えていた。

 封師は言葉を失っている。

 これまでに見てきた誰よりも強い煌が、少女の右手を包んでいるのだ。


 木漏れ日よりも柔らかく、眩く輝くその黄金の光は、烈火の如くゆらめいている。



 一人の少女はこの日、伝説となる片鱗を現した。

 煌々と輝くその姿は、まるで太陽のように、鷹丸と封師の心に熱い思いを届かせたのだった。

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