第14話「あんパンとドーナツ」

 ライリー・カーマイン医師の自宅は、ドラゴニア駅から徒歩五分程の大通りに立つ二階建ての一軒家であった。

 やや縦長の形状で大きい造りではない物の、それが赤レンガの外壁と相まって中々に小洒落た印象を与える。

 勤務先であるリアスサン総合病院からも近く、まさに理想的な住まいだ。

 駅から徒歩十七分。勤務先まで車で四十分のマンションに住む恵一は、ライリーを恨めしく思いつつ、ビニール袋からあんパンと紙パックの牛乳を取り出してフェイトに手渡した。


「これは噂の!」


 あんパンを見つめるフェイトの目は、童心に帰ったかの様に輝いている。


「父さんが良くやってたんだ」


 恵一は、ライリーの自宅を見つめながらあんパンにかじりついた。

 パンの程良い塩気とこしあんの甘さが、何とも良い塩梅で混じり合う。

 魔法犯罪課の刑事だった恵一の父は、張り込みの際に大量のあんパンを買い込む為、よくお土産で持って帰って来た。

 そのせいでおやつと言えばあんパンで、幼少の頃あまりケーキ等を口に出来ず不平を唱えた事もあったが、今では食べる度に幼少期の思い出を蘇らせてくれるこの味が恵一は大好きだった。


「でも私、この和洋折衷な感じがちょっとイマイチ」


 一方でフェイトは、一口かじった所で苦笑を浮かべていた。


「食べた事あるの?」


「警察学校でよく出されたんです、張り込みの授業中に」


「先生は東洋系?」


 恵一の質問にフェイトは、クスリと笑みを零しながら頷いていた。


「はい。分かりますか、やっぱり?」


「うん。伝統だから」


 警察学校の授業で張り込みは、必修科目だが、実際の張り込み現場に連れて行かれる。

 そこで東洋系の講師はあんパンと牛乳。西洋系の講師はドーナツかハンバーガー、そしてコーラかコーヒーと相場が決まっていた。


「君はこっちがお好みかな?」


 恵一は、バックシートから紙箱を取って蓋を開ける。

 そこには種類の違うドーナツが六つ入っていた。シンプルなシュガーコーティングからチョコレート、ストロベリーフレーバー。

 色取り取りのドーナツ達に、フェイトの表情があんパンの時以上の輝きを見せる。


「うわードーナツ! はい、こっちが好きです」


 飛び付くような勢いでフェイトは、ストロベリーフレーバーのドーナツを取り、一口で半分程も食べてしまった。


「じゃあもったいないから、それ僕が」


 恵一は、フェイトが膝上に置いていたあんパンを手に取ると、そのままかぶり付いた。

 ふとフェイトを見ると顔色が何故か戸惑いに染まっている。


「あの先輩、ちょっといいですか?」


 窺うような声でフェイトが呟いた。何故か恵一の身を案じるような目をしている。


「何?」


「間接キスになってますけど、先輩そういうの大丈夫なんですか?」


 全てを悟った恵一の全身を電流が駆け抜ける。

 何故食べる時に気が付かなかったのか。

 どうして食べてしまったのか。


 恵一の顔がどんどんと青ざめていき、身体中が粟立ち、しまいには激しい吐き気に襲われた。だがここで吐いてしまえば人としての尊厳を失う。

 恵一は、牛乳で強引にあんパンと吐き気を流し込んだ。

 呼吸が荒くなり、顔の毛穴全体から流水の様に汗がどんどん噴き出しくる。

 やがて呼吸が落ちついた所で、恵一はフェイトに大変無礼な真似をしていた事に気が付いた。


「ごめん。今僕すっごく失礼な事したよね」


「いいです。もう慣れましたから」


 淡々と告げるフェイトだったが目が笑っていない。

 無論この態度は、フェイトなりのおふざけである事を恵一は理解していた。

 理解していながら、しかし恵一の抱く贖罪の念は膨らんでいく。


「本当にごめんよ。自分でも情けなくなる事があるんだ」


「いえ、そんな」


 恵一の自嘲と比例するように、フェイトの瞳に渦巻くものがある。

 好奇心。

 その矛先が向けられているのは、疑いようもなく――


「聞きたい?」


「何をですか?」


「僕の女性恐怖症の理由」


 恵一の問い掛けに、フェイトから好奇心は消え去り、


「ええ。先輩が話してくれるのなら」


「どんな話でも?」

 

 どれほどの事であっても受け止めますと、フェイトの固く結ばれた唇が訴え掛けてくる。

 フェイト・リーンベイルは信頼に値する刑事だ。

 そして彼女が恵一に向けている信頼に応えるためにも、話しておきたいと思えた。

 恵一は、相棒の優しさを潤滑油に、重ったるい舌を動かした。


「高校生の頃、女性にレイプされたんだ」


 いつもキラキラと輝いているフェイトの顔色が曇天のようにくすんでいく。

 

「僕が、初めて本気で好きになった女性だった。ある日彼女の家に行くと、彼女は、僕を麻痺性の魔法で動けなくして、ベッドに縛りつけた。訳も分からない内に彼女は、僕にまたがった。それが僕にとっての初めてだった」


 何度も忘れようと努めた。

 けれどやはり鮮明に思い出せ、一分一秒の欠落もなく自分の身に起きた詳細を語る事が出来る。


「だけど、それだけじゃ終わらなかった。彼女は、友人を数人連れて来ていてね。彼女たちは代わる代わる僕を……」


 記憶にも、瞳にも、魂にも焼き付いた光景を、


「彼女たちは、その様子を撮影していた。お決まりの文句で脅され、僕は被害を訴える事は出来なかった。父も母も警官だから、男性の性犯罪被害者がどれほど弱い立場かも知っていたし……」


 忘れられる日は来ないだろう。


「それ以来、女性が怖くなったんだ」

 

 告白を受けたフェイトは、恵一から視線を逸らさなかった。

 そうする事が恵一に対する敬意であると思ったのだろう。

 受け止めているよ、と。

 ちゃんと聞いているよ、と。

 それが却って申し訳なくなる。

 フェイトに重荷を強いているようで。


「重たいよな」


「いえ。話してくれてありがとうございます」


 そのやり取りを最後に会話は、一旦途切れた。

 気まずいというより、あえて互いに言葉を交わさない。


「ありがとう巡査」


 何も言わずに受け止めてくれる。

 半端な慰めの言葉を口にして、誤魔化そうとしない。

 フェイトの気遣いが嬉しかった。


「僕は、嫌な性格してる自覚があるけど……分不相応にいい相棒と仲間に恵まれてるな」


 恵一は、呟いてからライリーの自宅を見やり、フェイトは黙々とドーナツを食べ進めている。

 既に四つ目のパウダーシュガーに突入していた。

 恵一には、ドーナツを頬張るフェイトの姿が子犬のように微笑ましく見え、無意識の内に感慨を口にする。


「君は、典型的な西洋系だな。僕の教官は西洋系だったから張り込みの時は、よくドーナツを食わされたよ」


 フェイトは、五つ目のドーナツに手を伸ばしながら聞き返してくる。


「先輩は、MPA魔法警察学校に通ってらっしゃったんですよね?」


「そうだよ」


「エリートなんだ」


 MPAは、魔法犯罪捜査官育成の専門機関であり、魔法犯罪課を目指す全警察官憧れの場所でもある。

 二年間の教育課程は、全て一流の講師陣によって行われ、卒業後はエリートとしての道が約束された場所。

 恵一は、そんなMPAの歴史上最も優秀と言われた第二十五期生の一人で、その中でも四番目の成績でMPAを卒業していた。

 だが恵一は、あまりMPAに居た事実を語ろうとはしない。

 首席卒業ならばともかく、四番目の成績は大した自慢にならないと考えているからだ。


「そんな事無いよ。あそこは入学試験さえ通れば誰でも」


「その試験に通れないんですよ。私も高等枠で受けたけど落ちたし」


 フェイトは、いじけた様子で五つ目のドーナツを口に放り込んでいるが、彼女も警察高等学校を首席で卒業したのだ。

 魔法犯罪の専門家を育成するため魔法犯罪学や魔法学が優先されるMPAと異なり、警察学校は、警察官として必要なありとあらゆる要素が採点基準となる。

 魔法犯罪捜査を特化して学んだ恵一からすれば、全ての課題を万能にこなしたフェイトの方が優れていると感じていた。


「でも君は、首席で警察学校を卒業して、ここに来たじゃないか。僕よりもすごいよ」


「先輩と槙村先輩にスカウトされなければ、来れてませんし」


 恵一としては、素直な賛辞だったがフェイトは、頬を膨らませて六つ目のドーナツに手を伸ばした。


「キャリアも大違いです。先輩ってMPAの時代から現場に居たんでしょ?」


「うん。それが決まりだからね」


 MPAは、卒業後即戦力となる人材を育成するために、生徒は入学最初期から現場の刑事に加わって捜査を行っていく。

 恵一は、刑事になって八年目だが、実質的なキャリアは十年に匹敵すると言っていい。

 捜査のイロハも知らない頃に、現場で講師や先輩から怒鳴られ、アカデミーと自宅では、勉強と訓練漬けの毎日。

 辛くも笑い声が絶えなかった当時の事を懐かしみながら恵一は、指先で頬を掻いた。


「十八、九の若造には色々としんどかったけど、まぁ乗り越えられたよ」


「若造……」


 恵一の言葉にドーナツを食べていたフェイトの手が止まった。

 今の彼女が、ちょうど十九歳。

 とりあえず恵一は、笑って誤魔化す事にした。


「いや君の事を言ってるんじゃないさ。ごめんよ巡査」


「許しません」


 フェイトはそっぽを向いて視線を合わせようとはしない。

 相当に怒っている様子だ。

 間接的にだが、未熟者扱いしてしまったのだから無理もないだろう。


「許してよ」


 そう言いながら恵一が手を合わせて懇願すると、ようやくフェイトが振り向いた。


「なら」


「なら?」


 何か言いたげにしているが、フェイトは何故か気恥ずかしそうにするばかりで中々口を開かない。

 このまま待つのも時間がもったいないと、恵一はライリーの自宅を見やったが、


「対等な大人として扱ってください」


「扱ってるよ。当時の僕が精神的に子供だったって事で、君を子供だとは思ってないよ」


「なら、ちゃんと呼んでください。名前で」


 フェイトの思い掛けない言葉に振り返った。


「フェイトって、呼んで欲しい」


 子供の駄々みたいな声色のフェイトから、恵一は視線を逸らして車の天井を見つめた。


「いやでもなんか。名前では呼びにくいって言うか。知り合ってそんな経ってないし」


 恵一の発言が不服だったのか、フェイトの頬が膨れていく。


「でも私、先輩の相棒……なんですよ」


「僕は、もうすぐお役御免だから」


「どうしてですか?」


「優子がもうすぐ復帰する」


「それが?」


「課長が僕を任命したのは、あくまで応急的な対応だ。多分だけど怪我さえなければ君の教育係は、優子にするつもりだったと思う」


 槙村優子は、MPA第二十五期生の中で首席卒業を果たした人物だ。

 一部の座学と射撃ぐらいしか、彼女に勝っていた教科はない。

 性格や思考だって優子の方が柔軟だし、指導者向きだ。

 恵一自身も、総合的に見て優子の方が教育役には適任であると考えていたし、恐らく河内も同様の考えであろう。

 将来有望なフェイトの足かせになってはいけない。

 それならいっそ――


「私は……先輩と組んでいたいです」


「槙村の方が適任だよ。僕よりも優秀だ」


「やっぱり先輩は、私と一緒に居たくないんですか?」


「そんな事、別にそうは言ってないだろ?」


 恵一が諌める様に語気を強めると、フェイトは叱られた直後の犬の様に大人しくなる。


「すみません。生意気言って」


 言いすぎたかもしれない。

 後悔した恵一が謝罪を口にしようとすると靴音が耳をついた。


「巡査。ほら、あれ」


 二人が外を眺めると、家に入っていくライリー・カーマインの姿を捉えた。


「帰ってきましたね」


「うん。ここからが正念場だ」


 フェイトの表情は、先程の子供っぽさは消え失せ、冷静さと聡明さを感じさせる微笑を湛えている。


 ――出来る事なら、僕も君と居たいよ。


 だけど、それはフェイトのためにならないと悟り、恵一は意識をライリー・カーマインの監視に切り替えた。

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