第13話「魔法犯罪課取調室」

 警察庁魔法犯罪課取調室。

 白い壁に埋め込まれた巨大なマジックミラーに、机が一つと椅子が二脚置かれただけのシンプルな部屋である。

 ここに先程逮捕されたウォーマン医師と連行してきた磯山が向かい合って座っている。

 本来この事件はミラード市警の管轄であったが、犯行は市を跨いでおり、さらに容疑者が戦闘能力の高い炎の魔力変換資質を持つ魔導師のため、魔法の発動を阻害するよう作られている魔法犯罪課の取調室に連行されてきた。


 ウォーマンは白衣姿で、仕事をしている最中に逮捕されたらしい。

 額から汗が溢れ出し、呼吸も荒く、落ちつかない様子だ。

 ウォーマンの取り調べは、磯山が担当する事となり、恵一とフェイトは、隣の部屋からマジックミラー越しに様子を見ている。

 磯山によれば、逮捕の経緯は、鑑識で遺体から出た指紋を照合している際、三年前に駐車違反で指紋を取られ、指紋のデータベースに記録が残っていたウォーマン医師の物と一致。

 そのまま警察庁に連行してきたとの事であった。


「僕はやってない」


 視線を泳がせながらウォーマンは、否認した。

 恵一の見る限り、その動揺は犯行が発覚した犯人のそれとは異なっている。

 恵一が尋問してきた連続殺人犯は、自分の犯行を自慢するか、こちらを支配しようとするか、残りの遺体の場所を教える代わりに取引を持ち掛けて来た。

 ウォーマンは、そのどれとも違う反応で、小鹿のように怯えている。

 対して磯山は、餌を前にした猛獣のように生き生きとした表情でウォーマンに詰め寄っていた。


「お前の指紋が遺体から出たんだよ」


「何かの間違いだ!! とにかく弁護士を呼んでくれ!」


 ウォーマンの弁解に、磯山は両手でテーブルを叩き付けながら立ち上がると、テーブルから身を乗り出してウォーマンの襟元を締め上げた。


「なんで何もやってないなら弁護士が要るんだよ!? てめぇが殺したからだろう!!」


「本当だ! 僕はやってない!!」


 狼狽するウォーマンに、磯山が微笑み掛ける。


「お前をここに連れてくる間に報告があってな。お前の車から被害者全員の血痕が見つかった。後は、今から魔力サンプルを取って照合する。それでお前は終わりだ」


 初めて聞く話に、恵一は眼を見開いた。

 被害者全員の血痕まで出たのなら言い逃れは難しい。ウォーマンで間違いはないだろう。

 だがそれでも恵一は拭い切れない、そこはかとない違和感に苛まれていた。

 恵一には、ウォーマンの見せる表情が冷酷なシリアルキラーの物とは、どうしても思えなかったのである。


「そんな馬鹿な。血がなんで僕の車から出る? 一体どうして」


 うろたえるウォーマンに、磯山は再びテーブルを叩いて、がなり立てた。


「てめぇが殺したからだろうがよ!!」


「僕は殺してない……殺してないんだぁ!!」


 遂にウォーマンの堰が切れ、子供みたいに甲高い声を上げて泣き出してしまった。

 現実を拒絶するかのように、テーブルに顔を埋めて蹲っている。


「先輩。本当にあの人が?」


 ――自分は犯人じゃないと思う。あなたはどう思っているの?


 フェイトの語気は、そう問いかけてくるようだった。


「指紋が出た。証拠も揃っている。文句のない犯人だ」


「でも先輩の読みは違うんですよね?」


 確かに恵一は、未だライリー・カーマインを疑っている。

 後輩に自身の疑心を見抜かれている事に、恵一は苦笑した。


「僕の読みは完璧じゃない。外す事だってある。でも……」


「ええ。私もタイミングがおかしいと思います。内部犯を疑っていたところに完璧すぎる容疑者。これじゃあ私たちの仮説が真実だと言ってるような――」


「そうなの?」


 突然背後から響いた声に恵一とフェイトが振り返ると、丸っこい見慣れたシルエットがそこに居た。


「うわっ! 課長、いつの間に」


「し、心臓飛び出るかと思いました……」


「ごめんね。恵一くんフェイトくん」


 二人の背後に立っていた河内は、微笑みながらマジックミラーに近付いて行く。

 何時も通りの愛想を振り撒きながらも底の知れない笑みと軽い口調は変わらない。


「二人は、内部犯を疑ってるの?」


 恵一は、今までの経緯全てを課長に報告した。

 警察関係者全員が容疑者となり得ると考えていた恵一だったが、河内は内部犯ではないと断言出来た。

 それ程の信頼を恵一は、河内に寄せている。

 河内は、恵一の報告を聞き終えると苦々しい微笑を湛えた。


「なるほどねぇ。つまりカーマイン医師が真犯人で、ウォーマン医師は冤罪で、しかもそれは警察の人間による工作だという訳?」


 河内の提示した可能性に恵一は、息を飲んだ。


「でもそうしたら、それ程の事を末端の警察官が出来ると思えません。もしも工作だとしたら上層部が絡んでいるとしか」


「じゃあそういう事なんじゃない?」


 あっさりと言ってのける河内の瞳は、普段よりも輝きに鋭さが増していた。

 フェイトも河内の変貌に気圧されているようで、口をパクつかせている。


「上層部ってそんな事が……さすがに理論が飛躍しすぎていませんか?」


 信じられないと言った風のフェイトに河内は、普段通りの穏やかな表情で微笑み掛けた。


「全て推論に過ぎないけどね。彼が本当に犯人なのかもしれないよ」


 破顔しながらも瞳の奥に深淵を抱きながら、河内は出口に向かって歩き出した。


「まぁ君達も後で、ウォーマン医師に話を聞きなよ。それで判断したらどうだい? んじゃ、任せたよ二人とも。僕ちょっと用事が出来たから」


 と言い残して、去ってしまった。

 取り残された恵一とフェイトは、互いに顔を見合わせてから監視用の部屋を出ると、取調室の扉を開けた。


「磯山さん。少し代わって貰えますか?」


 恵一の言葉に磯山は頷いた。


「おう。こってり絞ってくれ」


 磯山は、恵一の肩を叩きながら取調室から出て行った。

 フェイトは恵一の後ろに立ち、恵一は磯山が座っていた椅子に腰掛け、ウォーマンを見据えた。

 恐怖で疲れ切っているのだろう。

 もはや精気の欠片さえ感じる事は出来ない。


「もうすぐ弁護士が来ると思います。黙秘権を行使してもいいですよ。でもあなた本当に殺したんですか?」


 ウォーマンは、力無く顔を上げる。


「そう思ってるんだろう?」


「証拠が揃ってますから。でも正直驚いているんだ。あなたは人を殺すタイプには見えなかったから」


 挑発的な口調で恵一が言うと、ウォーマンの瞳が敵意に揺らいだ。


「殺してない!! なのにお前らは」


 頬を震わせ、ウォーマンはゆっくりと椅子から立ち上がる。

 一触即発の状況だが、恵一とフェイトは格闘訓練を受けている。

 いくら体格がいいと言ってもウォーマンでは、二人のいずれかとタイマンで格闘した所で歯も立たないだろう。

 その自信もあってか、恵一とフェイトがウォーマンに怯む事はなかった。

 無言で視線をぶつけ合う中、取調室の扉が開いて磯山が入ってきた。


「新巻刑事。そいつの協力者が自首してきた。そっちの取り調べを頼む」


 協力者と聞かされ、恵一の顔色が変わった。

 ウォーマン逮捕と同時に協力者が自首というのは、やはりタイミングが良すぎる。

 恵一は、椅子から立ち上がるとすぐさま協力者が拘留されている第二取調室に向かった。


 取調室に居たのは西洋系の男性で、歳は恵一よりやや上に見える。

 赤い長髪で顔が隠れているが、堀の深いくぼんだ瞼をぎょろっとした目が泳いでいるのが印象に残る。

 身体付きは、余分な肉はついていないが、がっしりとしており、鍛えられているという印象を抱かせた。

 服装は、白いシャツにジーンズと言うシンプルな物である。

 恵一は、この自称ウォーマンの協力者という男と向かい合って座った。


「魔法犯罪課の新巻恵一警部補です。自首をしたとの事ですが」


 恵一の言葉に、男は静かに頷いた。


「はい。私はマイク・ラッシュです」


「あなたは、事件に関与していたと?」


「はい」


「どのように関与を?」


 恵一が問い掛けるとマイクは、視線を逸らしてしまった。

 沈黙したまま数分が過ぎた頃、彼は戸惑いがちに口を開く。


「なんか魔法で見えなくなった遺体を車で運んだり、電柱にワイヤーで縛り付けたり……」


「あなたが殺したわけではない?」


「はい。殺したのは多分二人です」


「二人?」


「医者が一人。もう一人の方は軍人で、医者と知り合いで雇われたって」


「どうしてあなたは、遺体の遺棄を手伝ったんです?」


「私は脅されていたんです。家族を人質に取られて」


 家族の命を盾に殺害計画に加担させられていた。

 こうした人の命ないし、自分の命が危険に晒され、殺人などの犯罪行為を強要された場合、リアスサンの法律上罪に問われない。

 マイクは、自首をして来たと言っても、彼の話が本当なら殺人罪や共謀罪に問われる事はない。


「ご家族は? ご無事なんですか?」


 恵一が気になっていた事を聞くとマイクは顔を伏せてしまった。

 マイクの反応で恵一は全てを悟る。


「……残念です」


「だから来たんです。あの医者に復讐する為に」


「あの医者とは?」


「ウォーマンです。クライス・ウォーマン。奴が妻と息子を殺した」


 恵一とフェイトは、数日を掛けてマイクの証言が真実であるかを調べた。

 ウォーマンを嵌める為の策略の一環ではないかと疑って。

 だが彼の証言は、全て裏が取れた。

 マイクの妻アナと息子タッカーは、ドラゴニアから百キロ離れた『桐生県・大波村』の森林に毛布に包まれた状態で発見。

 彼女達の遺体からもウォーマンの指紋・皮膚組織の一部・残留魔力が検出された。

 さらに被害者であるトーマス・キンバリー等の遺体に残されていた残留魔力も、ウォーマンの物と一致。


 そしてマイクの供述に出て来た魔導師らしき男の死体も発見された。

 名前はエヴィンス・コックソンと言い、リアスサン軍魔法科師団の特殊部隊に所属していた退役軍人で、光学魔法の優秀な使い手であり、調べによるとウォーマンの古い知人である。

 彼は自宅で頭を撃ち抜かれ、死亡していたが、彼を殺したのはマイクであると本人が自供した。

 無論ウォーマンに脅されて、仕方なく殺害した。そんな証言であった。


 これらの証拠や証言に対してウォーマンは、否認を続けていたが、遂に自供。

 五人の殺人容疑とエヴィンス・コックソンの殺人教唆で起訴される事となった。


 ウォーマン逮捕の決め手となった証言をした共犯者マイク・ラッシュは、しばらく取り調べを受けていたが、家族を人質に取られ、犯行を強制されたと認定。

 検察は、マイクの起訴を見送り釈放。妻や息子の葬儀の準備に追われている。


 ウォーマンが起訴された翌日の早朝、出勤してきた恵一は、早速自分のデスクにある捜査資料を箱にしまい込んでいた。

 納得が行かない事しかないが、既に捜査は終了し、もう必要ないと判断したからだ。

 しかし左隣のデスクからその様子を眺めるフェイトは、何とも不服そうである。


「これで事件は解決なんですか?」


 彼女にしては珍しく、声に怒気が混じっている。

 愛想を尽かされるのも当然だろうと、不甲斐ない自分を呪いながら恵一は頷いた。


「うん」


「先輩は、あの人が犯人じゃないって思ってるんですよね?」


「うん」


 フェイトは椅子から立ち上がり、恵一の顔を見下ろしてきた。


「ならどうして諦めるんですか!?」


 恵一は、作業の手を止め、フェイトを見つめると力無く微笑んだ。


「前に君が言ってたように証拠はないんだよ。ただの勘ってやつ」


 結局は全て直感と推測にすぎないのだ。

 クライス・ウォーマン以外の人間が犯人であるという事も、マイク・ラッシュの証言が嘘である事も、内部犯の疑いも全て確証はない。

 現実にはウォーマンの犯行を裏付ける証拠があり、マイク・ラッシュの証言も裏が取れている。


 内部犯による証拠のねつ造を疑ったとしても決定的な証拠はない。

 ライリー・カーマインを庇うための内部犯の策略という仮説は立てられても、仮説を立証する物的証拠は皆無だ。

 事に上層部が絡んでいるなら、恵一が生半可な証拠を提出しても握り潰されるだろうし、河内も探りを入れているようだが、尻尾は掴めていない様だ。


 資料紛失の件も限りなく黒いが、本当に資料が紛失した可能性やデータの記載漏れがないとは断言出来ない。

 恵一の推理は、巨大な陰謀を暴く刃とするには、なまくらすぎる。


「仮に僕の推理が真実だとして、真実だと示す証拠がない。確実な証拠がない推理は、法治国家においては無意味に等しいんだよ」


「でも刑事の勘ってあると思います。それで解決した事件もたくさん」


「確かに。でも勘だけで警察官は動けないっていうのも事実だからね」


 恵一は、自分の直感を信じていない訳ではない。

 今でもライリー・カーマインが黒だと確信している。

 けれど恵一には、彼を追いつめるための武器がない。


「巡査、僕達が一番してはいけない事は何だと思う?」


 恵一が問い掛けると、すかさずフェイトが言った。


「犯罪者を逃がす事です」


 迷いなく紡がれたフェイトの答えに、恵一は、首を横に振った。


「真実をネジ曲げる事だよ。勘だけで作ったストーリーに、強引に無実の人間を当て嵌めて冤罪を生み出した例もある。僕達はね、犯罪を取り締まる立場だからこそ真実を明らかにしなきゃならない。そして受け入れるしかない。どんな結果であろうとね。例えそれが僕達に都合の悪い答えだとしても」


 恵一が持論を述べ終えると、フェイトは、恵一から視線を外して俯いてしまった。


「都合の悪いってどういう事ですか……」


 溜息をつきながら恵一が事件資料の入った箱に手を乗せる。


「犯人が目の前に居ても証拠がないなら逮捕は出来ない。それは君が言っていた事じゃないか」


 フェイトは顔を上げて、咎める様な眼差しを恵一に送った。


「でも先輩は確信してるんでしょう? 犯人は、あのライリー医師だって。なら追求するべきです!! ここで諦める事こそ真実を闇に埋もれさせてしまうんじゃないでしょうか!? それにウォーマンが冤罪なら無実なのに死刑になるんですよ!」


「巡査……」


「新巻恵一は、そんな横暴を見過ごせる刑事なんですか!? だとしたら見損ないました! あなたなんかにパートナーで居てほしくない! 初めて出会った頃の……私をここに連れてきてくれた先輩は、何処に行ってしまったんですか!?」


「…………」


「しっかりしてください! 刑事でしょ! 真実を追求するのが私たちの仕事なら真犯人を逃がして冤罪で無実の人を死刑にするなんて最悪も最悪の結果じゃないですか!」


 フェイトの懸命な言葉に、恵一の顔に笑みが灯る。

 相棒がここまで言ってくれているのに、ふてくされている場合ではない。


「真実の追求か」


 恵一の笑顔を受けて、フェイトの顔色も明るくなる。


「証拠がないなら言い逃れの出来ない証拠を掴めばいいんです。なら――」


「尾行と張り込み。刑事の基本に立ち返ろうか」


 折れかけた心を支えてくれる最高のパートナー。

 彼女の存在に恵一の鼓動が少しだけ高鳴った。 

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