妄想人間観察

真摯夜紳士

妄想人間観察

 十二月も下旬、都内で初雪を観測したばかりの翌日。

 湿ったままのアスファルト、つんと肌寒い曇り空でも、ここ渋谷は人でごった返している。


 待ち合わせ場所としては有名になりすぎて、逆に待ち人を探すことになる――ハチ公前。そこから少し離れた緑色の電車に背を預け、僕は白い息を吐き出す。

 手に持ったスマホの画面も真っ白。一行目一文字目に、縦線のキャレットが点滅を繰り返している。


 僕は今日も人を探していた。

 それは約束した誰かではなく、知り合いですらない赤の他人。


 自分の人生が下らないと感じた時期、卑下しない為に見出した術は『人生を好き勝手に妄想すること』だった。

 僕自身では現実感がなく、すぐに冷めてしまう。だからせめて他人は凄いのだと、そう思うことで僕の人生も彩られるのだと感じられた。


 例えば、鉄製のベンチに座っている彼女。渋谷では珍しくもない外国人。どこかで見た気さえしてくる。

 肩先まであるダークブロンドの髪を左右に分け、シミ一つ無い額を顕(あらわ)にしている。僕より年上だろうか、外人の見た目年齢は分かり難い。整った眉、切れ長の一重まぶた、髪の色と同じ瞳は辺りを見渡す。黒い厚手のダウンコートと厚底ブーツが、これでもかと似合う女性だ。


 僕はチラチラと彼女を見ながら、スマホのメモ帳に綴り始めた。


 彼女――ジェニファーはFBIの捜査官である。

 国境を跨いだテロリスト集団に狙われた渋谷駅。その爆破テロを未然に防ぐ為、ジェニファーは秘密裏に派遣された。若くして選ばれたのは、場に溶け込めるという理由もあったのだろう。優秀な彼女は人が最も集まりやすい――つまり標的には打って付けなハチ公前に送られた。

 なので待ち人は居ない。腕時計やスマホをチェックしていないのが、何よりの証拠だ。大方、隠れた耳にはスピーカーが付いていて、本部からの指示を聞いているのだろう。つまらなさそうに視線を泳がせているのは、はたして演技なのか。


 そこで僕は空を見上げた。彼女と目が合ったからだ。

 こんな気持ち悪い趣味、クラスメイトや親に知られるわけにはいかない。もちろん妄想の対象である当人にだって同じことだ。隠れてするから楽しいのであって、堂々と凝視して怪しまれたら元も子もない。

 皆、一度は経験しているはずだ。電車や学校内、そして道行く人に妄想することが。その行為自体が悪いだなんて、誰に責められようか。気付かれなければ問題にならないんだ。


 こういうのはリアリティがあるほど面白い。もしかしたら本当かも、という妄想が僕を一番ワクワクさせる。

 だから止められない。


 徐々に視線を下げていく。彼女は僕の方を見たままだ。勘付かれないように、スマホの画面まで目を落とした。

 ひょっとして僕を見ているのか、それとも後ろの電車が気になるのか。僕も渋谷に来たばかりの頃は、この青ガエルと呼ばれる緑の電車が目に付いたものだ。どうして駅前に展示されているのか、不思議でならなかった。


 あ……そうか。

 僕は再び、冷たい親指を忙しなく動かした。


 捜査本部からの連絡。その一報にジェニファーの内心は穏やかでなくなっていた。仕掛けられていた爆弾の場所が判明したのだ。

 そこは、渋谷駅前に展示されている青ガエルの車内。

 人通りの多い駅前で爆破テロが起きれば、どれだけの被害が出るのか分からない。しかし捜査官が不自然な動きを起こせば、遠巻きから監視しているテロリスト連中も黙ってはいないだろう。下手に刺激すれば、すぐさま起爆させてしまう。


 この局面でジェニファーに与えられた役割は二つ。まず捜査官だとバレないこと。そして青ガエルに近づき、爆発物を撤去することだ。

 欲を言えば、他の捜査官が監視しているテロリストを見付け出し、起爆させる合図を断ってしまうのが望ましい。そうすれば心置きなく撤去できるが、ジェニファーがバレないのと同様に、相手も気付かれるようなヘマはしないだろう。

 テロリストが要求した期限もある。ただ手をこまねいて、待っているだけというのも考えられない。


「……ねぇ」


 であるなら、多少の危険を冒してでも行動に移すべきだ。さも一般人を装って青ガエルに近づき、テロリスト達の死角をついて。


「ねえってば」

「ん――ふぁ!? ジェニ」

「じぇに?」


 いつの間にか、目の前には妄想していたはずの彼女がいた。思っていたよりも、ずっと声が若い。片眉を上げて、うろんな表情を浮かべている。


「ぁ、いや、あ」


 喉の奥が詰まり、取り繕うにも言葉が出てこなかった。咄嗟にスマホの画面を消していたのは、我ながら小ずるい。


「さっきから見てたでしょ、私のこと」

「は、ぁ、う」


 詰んだ。

 いや、待て、考えろ。そんな証拠、一体どこにあるんだ。冷静になれ。これは、あれだ。痴漢の免罪を被せられたようなものじゃないか。僕に非は無い。落ち着いて対処すれば、どうにでも。というか。


「に……に、日本語?」

「クォーターだから、私。生まれも育ちも日本人」

「……ぁ、そう、なんですか」

「じゃなくて。見てたよね、私のこと。じーっと」

「かか、勘違いじゃないですか」


 どうして敬語なんだ、僕は。

 ふー、と彼女は甘い吐息をついて、僕のスマホを指差した。


「それに書いてるんでしょ、色々と」


 心臓発作になっても変じゃない締め付け。呼吸が止まった。

 彼女は何故か、バツが悪そうにして。


「私も同じだから分かるの。つまんないんだよね、自分が。だから他人で妄想しちゃう」

「え……?」

「君、誰とも待ち合わせてないでしょ。もう何日も、そこで人間観察してるの見てたから」


 僕が誰かを観察しているように……僕も誰かに観察されていた?


「で、提案、なんだけど」


 否定も肯定もしない僕を他所に、彼女は照れくさそうに微笑んだ。


「君さえ良ければ、一緒に人間観察しない? ほら、妄想しながら話し合うのって、面白いと思うから」


 頭が真っ白で、何も考えられないはずなのに――驚くほど自然に、こくりと頷いていた。

 今度からは僕も、待ち人を探すことになりそうだ。

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