第1話 ようこそ、管理課へ ー2

「そうね、まず、今いるここは多目的室よ。その名の通り、色んなことに使われるところ」


 扉を開けて、廊下へと足を踏み出す。すると、白い床がほのかに色づき、そしてまた白に戻った。


「わあ……」

「綺麗でしょ? 扉も開閉すると色づくのよ。ほら」

 顔を上げ、女郎花が指さした方を見れば、今出てきた扉が山吹色に色づいた。


「すごい、すごいです!」

 トキは湧き上がる興奮を抑えられず、飛び上がった。


「ここは四階建てで、管理課はここ二階だ。真ん中が吹き抜けになっているから、落ちるなよ?」

「落ちませんよ!」

 廊下の手すりに近づこうとしていたトキに、灯がからかう声音で言った。


「もう、灯さん心配しすぎですよ、って、うわあ!」

 よそ見をしながら歩いたせいで、つい足がもつれてしまった。体勢が崩れて手すりにぶつかりそうになり、思わず目をつぶったが、いつまでたっても衝撃は来ない。


「あ、れ……?」

 そっと目を開けると、手すりがすぐ目の前に迫った状態のまま止まっていた。


「だから言っただろう。まあ、落ちてはいないが」

 ぶつかる直前に灯がトキの腕を引き、助けてくれたことにようやく気が付いた。小さくともトキを支えるくらいの力はあるようだ。


「ありがとうございます。すみません、あたしおっちょこちょいみたいです」

「そんな気はしていた。はしゃぐのはいいが、怪我はしないようにな」


 さっきよりは慎重になりつつ、トキは本部内をぐるりと見回した。吹き抜けを中心に半円状に廊下があり、そして規則正しく扉が並んでいる。白を基調とした内装は、無駄な装飾を排除し、洗練された博物館のような雰囲気がある。もっとも、人が動くたびに床や扉が色づくため、視覚的には鮮やかである。


 色とりどりな様子を眺めていると、吹き抜けを一羽の鳩が上昇してきた。


「え、鳩?」

 きょとんとしているトキの横をすり抜けて、鳩は灯へと突進する。


「わっ、灯さん危ない!」

「大丈夫だ、落ち着け」

 鳩は垂直に上げられた灯の腕に見事に留まった。灯は鳩の足にくくりつけられた紙をほどき、目を通す。


「本部内は伝書鳩でやり取りするのよー。ってトキちゃん聞いてるー?」

「灯さん、かっこいい……」


 うっとりとした表情で、灯を見つめるトキは恋する乙女のよう。女郎花もしょうがないわね、とでも言いたげな顔をしつつも何も言わなかった。


「すまん、相談者が来たらしい。ちょっと行ってくる」

 伝言を読み終えた灯が、鳩を返しながら言った。片手をひらひらさせて女郎花がそれを受け取った。


「はーい。トキちゃんのことは任せてちょうだい」

「ああ。そうだ、懐中時計を俺が持ったままだったな。トキ、お前に返す」


 灯は、トキの分身であり、本人自身である懐中時計をトキに差し出す。が、トキは手を体の後ろにやって受け取ろうとしない。


「どうした?」

「灯さんが持っていてください」

「なに?」

「ちょっと待って、トキちゃん。物が壊れると、あなた自身も消えてしまうのよ? ワタシたちにとって、心臓、命そのもののようなものなの」


 女郎花がトキの肩を掴み、その重要性を説くが、トキはふにゃりと笑って首を振った。


「それなら、なおさら灯さんに持っていてほしいです。あたし、まだまだ新人だし、おっちょこちょいだし」

「でも、ねぇ……」

「分かった。ちょっと待ってろ」


 灯は平坦に言葉を残して、廊下を歩いていってしまった。残されたトキはそわそわと落ち着かない。まずいことを言ってしまったのだろうか。


 しばらくして、戻ってきた灯の手には行燈。横長の箱型で、深い藍色をした枠と明かりを届けるための透かしで規則的な模様を描いている。


「それは、灯さんの、行燈」

「ああ、そうだ。懐中時計、俺が預かっていてもいい。ただし、その場合はこの行燈をお前が持て」

「え……」


 戸惑うトキの手に行燈が渡された。途端、言いようのない重さがトキの手にかかった。行燈そのものにそこまでの重さはない。トキが感じているのは、灯が歩んできた時間や思い出、そして、命の重さ。


「む、無理です……重すぎます……」

 力なくそう答えると、行燈はひょいと灯に引き取られていった。


「物は、重い。人の物を持つことは、もっと重い。まずは自分の物の重さに慣れろ」

 灯は改めて懐中時計をトキに差し出し、その手に握らせた。行燈ほどではないが、トキの手は確かに一つの物の重さを感じた。


「はい……」

「研修をするなら会議室だろう。そこの二つ先の部屋だ。先に行ってろ」

 トキはとぼとぼと言われた扉へと歩いた。床の色づきも心なしか暗く見える。




「先に行ってろ、って言ったけど、ともるん今から相談者のところでしょ?」

「……そうだった。待たせていることを忘れていた。くそっ、トキがあんなことを言い出すから」

 灯は片手で頭をがしがしと掻いた。灯は灯で余裕がなかったらしい。


「てっきり了承するのかと思ったわ。甘やかすだけじゃなくてちゃんと育てる気があるのね」

「ああ。管理課の一員になるというなら、一人で立てるようになってもらわないとな」

「でも、言い方には気をつけなきゃだめよ。正しいことを正しく言うだけじゃ、伝わらないこともあるわ」

「そうだな。だが、トキなら大丈夫だ。心配ない」


 灯は揺るぎのない口調で笑みを浮かべた。後は頼んだと言って、急いで応接室に向かった。途中、催促の鳩が飛んできていたので、鳩と一緒に走っていった。




 女郎花は、ワタシがしっかりフォローしなきゃ、とドアノブをぎゅっと握ってトキの待つ会議室を開けた。


「トキちゃん、さっきともるんが言ったことだけど」

「はい。灯さんに甘えてばかりじゃだめだって、思いました。ミーナさん、本部のこと、管理課のこと教えてください。よろしくお願いします!」

「!」

 この少女は、とてもまっすぐだった。まっすぐであるから、強い。


「……確かに心配いらなかったわね」

「ミーナさん? 今なにか言いましたか?」

「いいえ。トキちゃんのそのやる気をしっかり受け止めて、ワタシもばっちり研修するわよ! おー!」

「おー!」



 女郎花が教師のようにホワイトボードの前に立ち、トキは一番前の席に座り、さながら生徒である。


「まずは、付喪神統括本部のことね。本部は四つの課から成るのよ。それぞれ管理課・修理課・警備課・無帰課むきかと呼ばれていて、このピンバッチの色で誰がどこに所属しているか分かるようにしてるの」


 女郎花は、首をひねって制服の襟につけた丸いピンバッチを見せた。水滴をそのまま閉じ込めたような輝きをもった黄色のピンバッチ。


「後でトキちゃんにも制服と一緒に渡すわね」

「楽しみです!」

 せっせと紙にメモを取っていたトキが瞳を輝かせて顔を上げる。


「見ての通り黄色は、ワタシたち管理課。付喪神に関するあらゆる情報の収集、管理を行うの。他の課との中継にもなったりするから本部の要って感じね。それと、付喪神たちからの相談の窓口になるわ」


「さっき灯さんが言ってた相談者って」

「そうそう。管理課にある資料を使って解決したり、悩みごとを聞いたり。皆が快適に、安心して、過ごせるようにすることが、ワタシたちの仕事よ」

「かっ」

「うん?」


「かっこいいです、ミーナさん……」

 まっすぐな眼差しで、まっすぐな言葉を言われて、女郎花は思わず照れてしまい、頬に両手を当ててそっぽを向いた。


「トキちゃん、天然たらしかもしれないわね……」

「たわし?」

「いいえ、何でもないわ。次、青色は修理課よ。壊れたり、怪我をしたりした子を直すところ。トキちゃんもツボミの頃に何度か行ってるのよね」

おさむさんに電池の交換とか、メンテナンスとかしてもらいました! あたしよく針が止まっちゃってたので」


 トキは机に置いていた懐中時計を見る。今までは灯が連れていってくれたわけだが、これからは自分で行くということ。止まる気配がしたら事前に行くことが出来るようになる。けれど少し寂しい。


「ともるんもまあまあ年季入ってるから、ちょくちょく修理課行ってるみたい。一緒に行ったらいいと思うわよ」

「え、エスパーですか……!」

「んー?」


 いい笑顔で女郎花に聞き返されてしまった。トキは恥ずかしくなって、次の課の説明をと話を逸らした。


「じゃあ次は赤色の警備課ね。たまに暴徒化しちゃう付喪神がいるから、ヒトに被害が出る前に鎮圧、保護するための課。運動神経のいい子が多いわね」

「あの、どうして暴徒化しちゃうんですか……」

「捨てられちゃったり、本当の使われ方をされなかったり、忘れられたり、理由は色々あるわ」

「そうなんですね……」

 トキは自分のことのように眉を下げて悲しみを顔に浮かべた。


「そうなる前に、管理課が相談に乗ったりすることも大事なの。ワタシたちにも出来ることはあるわよ、たくさん」

「はいっ」


「うん。いい返事ね。最後は白色で、無帰課。ここは一番新しい課で、少し特殊なところなの。仕事内容としては、役目を終えた物への祈りを捧ぎ、送ること」

 女郎花は、一呼吸置いて続きを口にする。心なしかためらっているようにも見える。


「無帰課で働く子たちは何らかの理由で、記憶を失くしているの」

「記憶を……」

「もしかしたら、トキちゃんの能力はそういう子の力になれるかもしれないわね」

 それを聞いて今にも、やります! と言い出しそうなトキをやんわりと押しとどめた。


「まずは管理課の仕事に慣れること。これからしばらくの目標はこれよ」

「はい! あたし、頑張ります!」

 気合いの入った声音が会議室に響く。女郎花はトキの肩をぽんぽんと叩いた。


「頑張りすぎないように、頑張っていきましょ。それにしても、トキちゃんがいい生徒だから、あっという間に終わったわー。細かいところは実践しながらよー」

「おー!」

 右手を突き上げる動きも、息が合ってきた。


「この後はどうしましょ。ティータイムにしちゃおうかしら」

 そのとき、ノックの音がした。女郎花がどうぞと答えると、灯がドアの隙間から顔を覗かせた。

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