第5話 麗しき出会いの数々①

「人」との出会いは自身の成長に栄養たっぷりの肥やしとなる。選手としても1人の男としても…。それがネットを挟み張り詰めた空気を作る対戦相手であったり、栄一の指導を楽しみにコートに訪れる生徒であったり、時に偶然の出会いからお互いの存在を必要不可欠となるパートナーであったり。。



1991年10月

JTAフューチャーズ大会「東京国際オープン」

本戦一回戦

対小泉康太(早稲田大学)


そろそろシクラメンが咲き始めるこの時期、栄一がまだ幼少の頃には「初霜の候」と呼ばれ朝夕は肌寒さに秋を感じたものの、昨今ではまだまだ蒸し暑ささえ感じるほど季節も変化しているようで、ここテニスコートでも照りつける太陽が夏の終わりを潔く受け入れられないよう。そんな土俵で勝負俵につま先で全体重と全神経をかけ踏ん張り心身ともに崖っぷちに立たされていればこそ、研ぎ澄まされた精神が際立つ本気の戦いは季節を問わず続いている。


低く滑ってくるスライスを放ち、それを追うように小泉がネットに詰めて来る。地を這うようなキレキレのボールに、栄一は尻が地面に付くほど膝を曲げてパッシングを狙う。ダウンザラインが有効だが、これだけ低い打点からでは思い通りの球威は望めそうもなく、ましてやネットの一番高い場所をスルーさせるにはリスクあり過ぎ、瞬時に薄めに当ててショートクラスと判断、エースにならなくとも決定打になるボレーを打たれる可能性を最大限に低くする狙いだ。栄一はコンパクトなスイングを一閃させたと同時にネットにダッシュする。このシチュエーションではドロップ系で角度をつけることが有効打としては関の山だろう。もし逆を突かれてロング系であっても浮くかスピードを落とさざるを得ないことは読める。ならば叩き込もう。

展開はまるで未来を見てきたかのように栄一の思惑通りとなり、クロスに沈められたボールを無理な狙いからストレートに深く返そうとした小泉のボールは失速し浮いて来た。栄一の目が鋭く光り悦に入る。ドライブボレーで大きく振りかぶり、クロスに球速のある綺麗な軌跡を描いたボールはコーナーに吸い込まれていった。


「ゲームセット 6-1 6-3 ゲームウオンバイ市川」

ネットに駆け寄った栄一に対戦相手の小泉はキャップを取って頭を下げてから握手を交わし、


「ありがとうございました。」

「ありがとう。」

栄一は笑みを含んだ表情で小泉の肩を叩いた。左手に着けた色褪せた赤いリストバンドに目を落とす。瞳の奥には言葉通りの感謝と、それ以外の感情が毅然として栄一に矛先を向けているのを栄一は感じていた。


(次は絶対勝ちます!)

(それでいい。そうでなければいけないよ。)

相手を慕うことはあっても、同じ土俵に立つ以上どんなに憧れていても崇めてしまっては勝つことは出来ない。


Do or Die

(小泉、その目をしていれば俺に勝つ日もそんな遠くはないだろう。)


小泉とはジュニア時代から顔を合わせる仲であって、クラスの違いから公式戦で対戦することこそ無かったが、彼からの申し出で幾度と練習をしたものだった。練習といっても、栄一が小泉に対して本気で取り掛かるほどのことは一度もなかった実力差ゆえ、なぜ栄一が練習相手を承諾したかは小泉の強い意志を感じたからだった。


「市川さん、いつか練習していただけますか?もちろんコートも用意しますしレッスン代も払います。」

その時小泉の歳は16歳、高校一年生の夏だった。栄一が大学に入った年、同じ大会で20歳以下のクラスがあり会場で出会った小泉が栄一に駆け寄りかぶっていたキャップを外し、固い表情に大きな声で周りの人の視線など気にせず、それでもその目には「本気」が溢れていた。栄一はその目を信じたのだ。


「お金はいらないから。スケジュール合わせよう。」

お互い連絡先をメモして交換し、タイミングも良かったこともあって小泉のオファーは意外と早々に実現することになった。


栄一はこの時、名だたるジュニア大会でもいくつか優勝の結果も出していたことから、そして「一種独特」のプレースタイルも注目され、そこそこ名の知れた選手であり小泉も強い興味を持っていたようだ。

これを機に小泉と栄一が共にコートに立ち、練習と言うよりも栄一からの「指導」にあたる機会は度々続くことになる。小泉のテニス上達への意気込みはアスリートとして最高、最強のものだった。

ショットのクオリティーはまだ年端も整わない年齢からか今後に期待をするものとしたが、フットワークや脚力、瞬発力などコートカバリングのパフォーマンスは栄一ですら目を見張るほど一線から長けていた。そしてなによりもメンタルタフネス…


(こんな強い気持ちを持った年下は初めてだ。。)


と、栄一を感心させるほど小泉の士気は高くそれに見合う行動が伴っていた。

些細なことだが、練習中に小泉は一分一秒を無駄にしない姿勢、例えば30分以上栄一に振り回されたラリーの後でもベンチに腰を下ろすことはなく、水分補給も立ったまま、すぐ様散らかったボールを小走りで拾い始める。どんな時に何が必要なのかを栄一にアドバイスされれば「はい。」と必ず大きな声で応え、直ぐ様ベンチに走りノートを開き走り書きを始める。その返事と行動に感謝と価値の意を感じる栄一は、小泉の選手としての上達を心から願うほど彼の熱意と愚直な姿勢に圧倒さえされていた。


(こいつ、マジだな。)


そう心で思えることが栄一にはとても嬉しかった。自身がまだ未熟であった頃、才能などまだ開花していない頃の栄一を目にかけてくれたコーチがいる。


「いいか市川、お前が本気で強くなりたかったら俺が言うことを必ず全部こなせ。相当キツいけど全てこなしていれば必ずあるレベルまでは強くなれる。ただし、それより先のレベルはお前のセンス次第なんだが…」


そう伝えてくれたコーチは今でも栄一の師匠として身近にいてくれる。コーチが言った「全て」とは基本的な身体トレーニングによる強化と基本的なフォーム、フットワークがほとんどだった。要するに「基本」を身に付けることの重要性を説いてくれたのだが、この基本のお陰もあって栄一のセンスを繰り出す「土台」が完成したのである。

やはり「長いものには巻かれろ」ということである。指導者であればこそ、その必要性や順序をよくわきまえている。聞かねば身にならないだろうが、とかく心身共に苦しいことは避けたいのが人の常であり、ここをクリアすると結構いいことが待っている。でもそれは後にならないと分からないことでもある。


何度目かの練習が、翌日に試合を控えた時のこと…

「市川さんのスライスが打てるようになりたいんです。どうすれば、何を意識すればそんな質の高いスライスが打てるんですか?」

短髪の髪の毛から止めどもなく流れ落ちる汗が顔を伝わり、手で拭われる隙を見て顎まで逃げ延びたものの滴り落ちる様はまるで壊れた点滴のように見える。


「俺のスライスなんか俺にしか分からないんだよ。」

素っ気なく返す栄一の言葉に愛情は感じない。


「力の入れ方や抜き方、スイングスピード、俺が打つから俺のボールになるんだ。だから、小泉は小泉のスライスを手に入れろ。それがお前の持ち物になる。」

ぶっきら棒に言っているがさりげなくポイントを伝えていることに小泉が気がつけばいいのだが。


「明日の試合、どうよ。」

「はい。全力出せれば勝てるチャンスもあると思います。全力出せれば…」

少しだけ弱気が伺えるコメントに、

「おいおい。お前らしくない空気出てんぞ。」

「こんだけ俺が練習つけてやってるんだからガチでぶつかれ。ほら。」

栄一はラケットバッグからビニール袋に入った新品の真っ赤なリストバンドを差し出した。


「本気でぶつかって、それでも調子上がらなかった時は神頼みだな。お守りだよ。」

やはり栄一は優しい男である。


「いいんすか?ありがとうございます。一生大事にします。これで勇気100倍です。なんかもう誰にも負ける気がしなくなって来ました。」

「うん。それでいい。」


翌日の試合は接戦だったが小泉が勝利し、その後も勝ち進み大会を優勝で終わらせることが出来たことに栄一も満足だった。

思えば、ここまで年下に付き合って練習をつけた、言い方を変えれば言葉少なくても「指導」にあたりそれもあってこの上ない結果をもたらせたことに栄一は小泉に感謝さえ感じていた。人に教えることの意味、それは自身が「楽しむこと」、相手の「力になる」こと、結果を「期待する」こと。そしてそんな自分を「必要とされる」こと。今までに栄一は指導されアドバイスを受ける立場のみであり、実際に選手に対して時を重ねて共にコートに立ち、目標である試合に向けたコーチングに携わることは一度もなかったのだった。


(教えることが伝わるって…)

栄一自身、新たな指針を感じ掴んだ経験となったようだった。


「市川さんが練習してくれたお陰で勝てました。ありがとうございます。」

「また練習しような。」

「ホントですか!?」

「今度はお金取ろうかな。」

「全然OKです。親がいつも心配してますから。」

「冗談だよ。もうすぐお前とも公式戦で対戦する機会が出来そうだね。」

「はい。その時は絶対勝ちます。」

「絶対勝てよ。」

「はい!」


栄一にとって、小泉との出会いが将来の道筋に至る交差点であったことなどまだ誰も想像すら出来なかったが、心の中に新しく芽生えた「教えることの価値観」ははっきりとしっかりと栄一をまた一つ成長させる種子となった。

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