懐中時計

 駅前には大きいビルが立ち並んでいる。大通りの目立つ場所にそれはあった。

 ビルの外装は数度の修繕が行われたのか、内装もごくわずかだが古さの残る雰囲気があった。

 乾加持紀いぬい かじきが週に一度トレーニングをするスポーツジムの入ったビルである。彼はカツアシ探偵事務所の調査員だ。体力づくりのために十七歳から何度となく通っているスポーツジムで、顔なじみの場所であった。平静な顔でエレベータのボタンを押した。スポーツバッグをもち、トレーニングウェアの上下を身に着けている。颯爽さっそうとエレベーターで受付のある3階へむかった。


 乾のあとから柳田良二やなぎだ りょうじという仏頂面をした若輩の青年が、スポーツジムの自動ドアをくぐった。この男は乾にまけず劣らず長身の体つきで肩幅が広い。ラフな服装に身をつつみ、ポケットに手を突っ込んでいる。乾とは八歳ほどの差があるが、身長は彼、すなわち柳田良二の方が高かった。カツアシ探偵事務所に来てから初めての外出ということもあり緊張しているのか、どこか落ち着きのない様子で周囲をキョロキョロと見回していた。

 

 スポーツジムのパンフレットを手に取り、良二はロビーに飾られた絵画らしきものを見つめている。

「リョージ、ちょっと来てくれ!」

 良二は言われるがままに加持紀の前にきた。

「簡単な身体測定を書いてくれ。なるべく正確にな」

「はい」

 素直に良二は出された用紙に記入していく。

「乾さん」

 用紙を受け取ると乾は受付へと提出した。


 通路の奥からだろうか白髪の年季の入った老人が、加持紀に気が付くと近づいてくる。額のしわが、経験を物語っており肩幅の大きいところからして、どことなく威厳の保たれた仏頂面であった。老齢とはいえ脚はしっかりとしている。加持紀の背中をみただけで乾加持紀と判断したようであった。

「おお、いぬい、乾じゃないか。あの事件以来だな」

 ロビーに響き渡る声は、老齢にも関わらず大声であった。

「てっさん! 久しぶりっスね。引退したって言ってましたけど、リハビリっすか?」

「家に閉じこもってばかりで体を動かしてないとなまってしまってな」

 てっさんと呼ばれた老人は隣にいた良二に眼を向けた。

「お、乾、とうとうお前も事務所持つようになったのか?」

 加持紀が一瞥して良二を見る。

「いや、こいつは違うんだ。かっつあんの知り合いで今、俺が教えているんだ」

「勝葦か、あいつは所長が根についてちっとも付き合いが悪くなっちまった」

 悪態のみえる顔つきで柳田が目を向けた。だが、老人のがんの強い目つきにすぐ彼は眼をそらす。ひどく緊張しているようだ。

「は、はじめまして。や、柳田良二です」

 硬直しきった顔を老齢の男に見せるも良二は、礼儀正しくお辞儀をした。

「そんな、緊張すんなって。この人は樫網かしあみさんといって、元警視庁の捜査一課の警部補だったお人だ」

「元刑事」

 どおりで、目の鋭さが他の人と違ってみえると、良二は納得した。

「よろしくな。青年」

「昔、俺がリョージと同じぐらいの歳によく世話になって事件を解決したことがあるんだ」

「よせよ。もう十年近く前の話だ」

 照れくさそうに元刑事は顔を向けた

「いえいえ、いまでもてっさんの推理には驚かされますよ」

「それにしても、お前の若いころによく似てるな」

 隣にいた良二を一瞥する。


 樫網は受付を済ませるとロッカールームのある通路へと足を踏み入れる。加持紀も一緒に歩き始めた。

「リョージ、こっちだ」

 良二も加持紀の後ろから歩いてきた。

「そんな、俺、そんなに悪態面してましたか?」

「悪ぶる態度のところなんかそっくりじゃないか。まあ、お前と比べれば礼儀正しいがな」

 良二はふたりのやりとりに黙ったままである。

「そりゃないっすよ。てっさん」

 加持紀は苦笑いを浮かべた。


 ロッカールームの隣にはシャワー室、休憩室と隣接されている。

 世間話をそこそこに切り上げ樫網は、赤いトレーニングウェアを身に着けると休憩室へと向かった。話のタイミングを見計らって、加持紀は良二にシャワー室、休憩室を簡単に案内した。

 ふぅ、とため息をつき加持紀が簡素な短パンとポロシャツに着替える。

「リョージ、何しているんだ。お前も着替えろ!」

「乾さん、あの人も元刑事なんすか?」

 探偵事務所の勝葦かつあし所長も元刑事と聞かされただけに良二は、二人の元刑事を比較したようである。

 良二が休憩室に消えていく樫網を目で追った。

「ああ、まあな。探偵として活動するからには警察とも仲良くしてないとな。顔も広くねぇと続かねぇぞ」

 感心な表情で聞いていた。

 良二は黙ってトレーニングウェアに着替えている。茶色の髪をかき上げ白いタオルを首にかけた。

「今日は案内がてら俺のメニューでこなしてもらうからな。無理はするなよ」

「はい」

 加持紀が案内したのは、トレーニング機器の置かれた広い部屋であった。ルームランナーが窓わきにずらりと並び、腕を鍛える機器、足を鍛える機器と所狭しと置かれている。

「他の人も使うから壊さないようにしろよ! それと後の人も使うことを考えて機器をつかえよ」

 加持紀は軽くストレッチを施し、ルームランナーの機器へと足を運んだ。良二も彼にならいストレッチをしてルームランナーの空いているスペースを使いだす。

「リョージ、ルームランナーの使い方、わかるよな?」

 少し馬鹿にした口調の加持紀が、すばやく操作パネルを使いはしり始めた。

「お、俺だってこのくらいは」

 自信たっぷりな顔で良二は操作パネルをいじりだした。

「リョージ、今日は初日だから控えめにしておけよ。最初から飛ばすと、あとでバテるぞ!」

 余計なお世話だといわんばかりの顔を良二はみせていた。



 2時間が過ぎた。

 加持紀は、慣れたペースで次々とメニューを変えその都度タオルで汗を拭き、傍らに置いたスポーツドリンクで水分を補給していた。

 最初は戸惑っていた良二も要領をつかんできたのか、腕、腹、背中、脚を鍛える機器、と順に少しずつこなしていく。

「そろそろ2時間ぐらいたったな」

 加持紀は備え付けの掛け時計をみた。

「リョージ、俺はそろそろ次のメニューに移るが、お前どうする?」

 良二は、腕の筋肉を鍛えるバタフライマシンと呼ばれるものにかかりきりになっていた。普段から怖い顔つきが、歯を食いしばったことでさらに鬼のような形相になり力んでいる。

「おれは……もうすこし、ここで……」

 軽くうなずき肩をたたくと加持紀は、

「そうか、あんま、無理するなよ。俺は温水プールの方に行ってっから、ここだけにしておいた方がいいぞ。ロッカーで待っててくれ!」

「わか、り、ました」

 腕に力が集中しているためか、どこかぎこちない口調で良二はいった。




 汗を拭きとり、良二は一息ついた。加持紀の姿はすでにない。

 それにしてもと、ここはどのくらい広いのだろうかと見学がてらいろいろと周囲を見回す。古くからあるためなのか壁をなんども修繕した跡がみられた。

 ロッカールームのドアをくぐり、加持紀さんが戻ってくるまでどうしたものかと、良二は休憩室の椅子に腰を掛けタオルで汗を拭いた。ふと自販機の下を見た良二はチェーン付きの何かが落ちていることにきづく。

「……? なんだろう? なにか、ある」

 手探りで自販機の下の何かを取り出した。


「えっ!? 懐中時計だ! それにしちゃ……」

 みるとそれは銀色をした懐中時計であった。良二の祖父が、懐中時計の愛用者だったことからすぐに年代物の懐中時計だということが分かる。おもむろに蓋をあけた。すでに長針、短針ともに動いていない。壊れているようである。裏にイニシャルらしきアルファベットがあった。

「T、K? Kashiami? んなわけねえか」

 落とし物だろうか、とフロントに持っていこうと休憩室を出た。


 いつの間にかロッカールームには人だかりがあり、熱気が沸いていた。サウナ室から出てくるものや、シャワー室から出てくる人が帰り支度を始めたためであった。

 よくみるとその中に受付で加持紀と話し込んでいた元刑事が、ロッカールームに入ってくるなり、何やらあちらこちらの床の隅を念入りにみている。何かを捜している様子であった。

「マジか!?」

 元刑事の様子におどろいた表情になった。

 良二ははばかりながらも加持紀の言っていたことが頭から離れずにいた。


『探偵として活動するからには警察とも仲良くしてないとな。顔も広くねぇと続かねぇぞ』


「何か、さがしものですか?」

 夢中になって探している樫網に良二が話しかける。彼は振り返りざまにおお、と感嘆の声をあげ立ち上がった。

「カツアシ探偵事務所の……青年」

「柳田です」

「おまえさん、一人か? 乾は、どうしたんだ?」

 樫網はあたりを見回し乾の姿がないことにきづく。

「乾さんならプールに行かれました。俺は今日初めてなので」

「あいつ、後輩を放ってプールに行っとるのか」

 と、小声でブツブツとつぶやいた。

「なにか大事なものでも探しているんですか?」

「実はな、ワシの大切な懐中時計をどこかに置き忘れてしまったようでな」

 良二をみやる樫網はどこか不安そうな表情であった。

「懐中時計? ひょっとして……?」

 休憩室で拾った銀色の懐中時計をおもむろにみせた。

「これのこと、ですか?」

 良二の差し出した物に、喜寿が近い老人とは思えない感嘆のこもった口調で、樫網はおどろいた。

「おお、これだよ。これだ! 青年!」

「柳田です」

 樫網は、わずらわしいためなのか、まるでわざとらしく名前で言おうとはしなかった。

「どこにあったかね?」

「休憩室の自販機の下に落ちてました」

「そうか、あの時だ!」

 合点がてんがいった表情になり拳を平手でたたいた。

「いやぁ、手元に帰ってきてよかった。すまんな、ありがとう。話に夢中になりすぎてしまって、懐中時計が下に落ちたことにも気づかなかった」

 懐中時計を良二は手渡した。

「そもそも壊れているようですけど、いいんですか?」

「いやぁな、戦時中に使っていたものだからな。無理もない。思い出の品でな。肌身離さず持っていたんだ!」

「修理はしないんですか? 蓋には傷があるようですけど」

「もう部品がないそうなんだ。残念だがな」

 納得した表情で樫網をみた。

「そうですよね。古ければ部品を修理する技師もいないですからね」

「青年、若いのに懐中時計をみたことがあるようだな」

 樫網は良二を真っすぐにみつめた。

「はい、祖父が愛用していたものをおもちゃ代わりに」

 ほぉ、と感心した表情で樫網はこたえた。



 ロッカールームに加持紀が入ってきた。

 加持紀が良二を見つける。隣に樫網がいることにおどろいた。

「おお、リョージ。てっさんも」

「乾、おまえ、かりにも教える立場だろっ! 見守ってやらんでどうするんだ!」

「すんません」

 と、不満の見える表情で加持紀はぺこぺこと頭を下げている。

「乾さんは悪くないっス。俺、今日が初日だったのでちょうどよかったです」

 良二は加持紀を擁護する。二人には和やかになってもらいたかった。

「そうだ、まだサウナとシャワー室を詳しく案内してもらってないので樫網さん、もしお時間があるようでしたら、案内、お願いしてもいいですか?」

「青年がそういうなら、ワシの武勇伝もかねて案内してやろう」

 樫網は良二ににこやかな顔を見せる一方で、加持紀には厳しい顔をみせる。

「乾! いくぞ!」

 厳しい声で加持紀を呼びつけ、サウナ、シャワー室の方のドアからはいった。


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