三章06:振興、バースロイル商店街 Ⅰ

 「バースの風」沈黙後のクロノらの行動は、際限なく楽だった。なにせバースロイルの最古参団が、新米のパーティに全面降伏したのだ。噂は尾ひれがついてあちこちに伝播し、滞在から一週間もする頃には、クロウリーの一団は畏怖と憧憬の眼差しで見つめられるに至っていた。


「なんか最近、ギルドの雰囲気が変わったな……フレッシュになったっていうか……」

「あー、こないだうっさい連中ぶっとばしたからじゃない? まーどこもかしこも、歴史が出来ればしがらみも増えるからねー」


 と、うんざり顔なのはララミレイユ。今日はランクAバディクリアのご褒美に、ランチを振る舞って精算に来ているところだ。


「あ〜、思い出すだけでイライラする。バースロイル南商店街事業主組合とか……上にいるのおっさんばっかだし、集会でればセクハラばっかだし……」


 眉間にシワを寄せて憤るララミレイユを見るにつけ、この若さで店を切り盛りするのも大変なんだろうなと推し量る。ちなみにララミレイユ、以前は化粧用に眉も剃り、すっぴんはヤンキー丸出しといった様子だったが、最近は普通に眉を伸ばし始めたせいか極めて自然体である。野を駆け山を走る、年相応……よりもちょっと子供にみえる、活発な女の子でしかない。


「でもまあ、あのお店さ、お母さんが残してくれた宝物なんだよね……だからアレもアレで夢っていうか……難しいなあ。身体は一つだし、どっちもは選べないし」


 あははと笑うララミレイユ。というか、こんなに若いのに、自分と背負っているものの重さの違いにクロノは慄然とする。なにせクロノは、やるべきことは最低限やっているが、基本はソシャゲに明け暮れるだけの錆びた人生だ。いうなれば「夢」というより、「今」しかなかった。


「いや……ララは偉いよ。僕なんか前の世界じゃ夢なんてなかった。ああ、夢なんてのはお子様が抱く幻想で、現実をどう効率よく凌ぎながら今日を楽しむか……そんな事しか考えてなかった。だから努力なんて、これっぽっちも」


 ケーキ屋さんになりたい、パン屋さんになりたい。そんな夢を子どもたちは語る。でもそんなものを立派に作って、単価はいったいどれだけだろう。客に頭を下げ、毎日汗だくになって働いて、それでも稼ぎの大半は税金で持っていかれて……そんな人生の何が楽しいんだろう。夢なんかより、学歴を堅調に積み重ねて、大手のホワイト企業に就職して、定時で帰って、浮いた金で好きな事して、そうやって老後を迎えるのが幸せなのだと、クロノは漫然と考えていた。そして、その為に日々を歩んでいた。だからこんなに屈託なく、全力で笑えるララミレイユが……今思う。羨ましいのだと。


「なんだよクロノ。珍しく神妙な顔になっちゃって。でもあたしからしたらさ、クロノだってめっちゃ偉いし、頑張ってるよ。適当に生きようなんてヤツが、徹夜であたしに付き合ってくれる? いやあ分かるよ、完璧にキメたララミレイユなら、下心丸出しで夜を一緒に、っていうの。でも違うでしょクロノは。いつもいつも擦り切れるまで側にいてくれて、限界まで助けてくれて……それで頑張ってないとか、偉くないとか……言っちゃ、だめだよ……」


 最後のほうで急にしおらしくなるララミレイユ。なるほど確かに、ソシャゲをやるそのままの姿勢で臨んでいただけの筈だったが、他人から見れば頑張っているように見えるのかも知れない。あの灰色の日常で、ソシャゲだけが生きる希望だった可能性も、否定はし得ない。だとしたら「またソシャゲをやろう」というこの意志は、或いは夢と考えてもいい代物なのかもしれない。――それはララに比べたら、あまりにもちっぽけで、くだらないものだけど。


「悪い悪い。なんかちょっと色々と思い出しちゃってさ。まあ、僕は楽しくてやってるだけだから、ララが気に病むことじゃないよ。いやあ楽しい楽しい。ララが育って強くなるのは、本当に楽しいなあ」


「おー言ったな! じゃああたし、もっともっと強くなって、クロノのこと楽しませちゃうからな! 覚悟しとけよ!」


 そこでクロノはふと思った。このララミレイユは、自分が召喚した事で現れたララミレイユだ。もし自分が元の世界に戻る日が来た時、そのあと彼女たちはどうなるのだろうか――、と。本体が生きているララミレイユはまだいい。リーナクラフトもノーフェイスも、彼女たちに至っては既に死んでいるのだ。いや、このララミレイユにしたって一つの人格を有してしまっているのだから、消滅はすなわち死に……


(やめよう……今はそれを考えるのは。前へ、前へ進む事だけを、今は)


 不意に嫌な結論に至るのを恐れて、クロノは考えるのをやめた。クロノのマントの袖を引っ張り、屈託ないララミレイユの笑顔があるこの日常が、今はあれば十分だと、そう思った。

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