蝶のふるえのとき

張文經

 

 蝶は静かに巻き戻った。わずかに、空気を震わせながら、時間を滑って、下から上へと、舞い上がった、姿は落ち葉のようにも見えた。そういう季節が、ずっと、続いていたから。蝶の受けた光と、風と、それらの無数が破れて、翅が零れたようにも見えたのは、あれは、自分から時間を削ぎ落としていたのだろう。蝶は巻き戻った。どこまでも巻き戻っていった。十一月の、乾いた空の下で、ひとつの樹と、またひとつの樹の間で、ないところへ、向かっていった。

 私は自転車の上からそれを見ていたのだった。本当は、立ち止まることもせずに、すり抜けていったのだった。団地のなかの、公園だった。樹から抜け落ちた葉が、ひとひら、またひとひらと、零れるのが、目の端をかすめた。そのなかで、一枚だけ、黄色が、上がっていった。湿った土から、細い枝の先へと、帰っていくところだった。私は通りすぎた。それまでのあらゆる時間が、私を通り過ぎるときの、ものまねをするようにして。蝶が遡ったあの時間を、いつでも、私は見ることができる。いつでも、けれど、それがいつのことだったのか、それから何回忘れたのか、わからなくなっていった。空はただ変わらない気がした。なにしろ、あのときは、なんでもが澄んでいって、透明になっていって、そのままなくなってしまうような、そんな日差しだった。

 部屋に帰ると、やはり、私は布団をかぶって眠っていた。見えないままに、けれど彼女の眠りは、きっと、漠然とした体調の悪さと、それに対する嫌悪感のようなものと、から来ているのだろう、そう思って、私は、それを置いたままにしておいた。何日間、何年間、彼女は寝続けたのだろう、そんなことも思い出せなくなって、私は、何度もこの部屋を出た。部屋を出るたびに、家の扉は、少しずつ、わからないほどに、朽ちていった。扉の立て付けの悪さから、少しずつ、外が部屋に流れ込んだ。部屋の暖めた空気に、流れついた見えないほどに小さなゴミたちが、淀んでいた。

 眠ったままの私は、けれど、そんなに硬いわけではないのだ、と思って、だからこそ、起こすことはできなくて。「ただいま」、そうやって声をかけると、いつも、部屋の、空っぽの大きさを知ることができた。私は、目を緩く瞑って、ほとんどわからないほどに、口を開けていた。彼女の顔は、普段と何かが違うように見えて、肌に、彼女が知ることがない、冬の始まりの光が溜まって、それは肌のぬるい赤を見捨てずに、髪も、そのなかで死んだ風を、優しく抱いているように、見えて。私は服を脱がないまま、彼女の顔に傾いていった。私のなかが、少しずつ、溶けるように、何かがあったように、小さな海のように、私に流れ込んでいく。布団は私の体温が移って、暖かく、人の小さな汚れのやわらかさを持っていた。私は、私の息と、心臓の動きを確かめて、それから、やっと、口づけをすることができた。私と、私の顔が重ねられて、だけど眠っているから、彼女はずっと、そう、こう言っていいのなら、綺麗だと思った。その日は、特に。彼女の唇は少しだけ乾いていて、だから、私は、もう一度、自分の唾で唇を湿らせてから、それを押し当てた。

 まるで、初めからそうするために帰ってきたみたいな気がした。まるで、こうして一緒に眠るためにあの道を遡って、来たような。私は、私のお腹に、手を乗せた。道を戻っていく。このなかにある、大きな青色は、いつになったら名前を与えられて、全く、私とは違う考えを持つようになって、いつになったら、どこまできたら、私と同じになるのだろう。まだ、お腹のふくらみは、小さくて、私は、眠ったまま、きっとわかっているのだろうけれど。もし私が、夢を見て眠っているなら、それは、きっとこのお腹のなかの子どもに、なりつつある、何かの、見ているものだ。きっと、どこにも流れ去らないもの。そして、そのために忘れられる。知られる前に。私にとっての、私のように。このまま、眠っていったなら、少しずつ、私は薄くなっていくだろう。薄くなって、どう私の体が、光を、反射していたのか、もう、思い出せないだろう。そうやって、いつか、いなくなるだろう。


 私の母は、私を産んだために、亡くなった。例えば、私を産んだ後の体の空白に、入ってきた、様々な、想像ということもできないような、小さな、生き物のような、泥のようなものが、実るようにして、死んでいった、こと。私はまだそのときに、話すこともできなかった。ただ泣いてばかりいて、母のことを知ってはいなかった。私が生まれてから、ほんの、数日の間に母は命を落とした。真っ白な病室で、母はうなされていた。

 私の母は、けれど、私を育てたこともあった。私は、母の乳をよく吸って育った。年齢が上がっても、いつまでも乳から離れられなかった、とよく聞かされた。おそらく、それは本当だった。母は、私のために料理を作って、泣いてばかりの私を傍らに寝かしつけた。母は私が初めてハイハイをして歩くところを、私が、初めて立ち上がるところを見た。母は私が立って歩いていることの証人だった。母は、私の不器用な、すぐに転げてしまう、その運動を、ビデオに収めたのだった。そうして、母は私を育てた。そうして、いまのように、私が母ではなくなるときまで、母は生きていた。私の知らないところで、母は亡くなった。事故死だった。彼女は、雨の日の帰り道に、ブレーキが故障した自転車に乗った。赤信号で止まることができなかった。母は、唐突に、自分の死に気づくこともなく、死んでいった。私はそのとき、母と生活していたが、けれど、もう、母のことがわからなかった。母が残したビデオがどこにあるのか、私は知らない。

 母は本当はまだ生きているのだろう。母は生きているのだろう。もしかしたら、誰かが、スパイ映画のように、母に成り代わって、トラックに突っ込んだのかもしれない。秘密の使命を持った母は、実は、まだ生きていて、地球の反対側から、今でも衛星通信で私の生活を監視している。そんなことも、きっとある。母は、本当は生きている。今日だって、手紙が来た。私が読んだとしても、何も思わないような、手紙。手紙の付録のように、いくつか、食べ物が送られてきていた。いつも食べきれないもの、ばかり。そんな風に母はまだ生きている。


 母が亡くなった日のことは、確かに思い出すことができる。けれど、本当は、私が思い出しているのは、母のことではなく、その春の日の、暖かな空気と、咲き始めた、様々の花の匂いと、なのかもしれない。母の死の少し前から、私は母の住む老人ホームに通っていた。老人ホームで出る、クリームじみた流動食を嫌がる母に、私は、自分で作った寒天のようなものを持っていった。母は、もう自分で噛むことができなくなっていたのだった。私がスプーンにそれを入れて、口まで運ぶと、母は、ゆっくりと口を開けてそれを含み、口全体でスプーンを包み込むようにして、受け取った。そうして、また、ゆっくりと時間をかけて、それを飲み込むのだった。母は、私が「美味しい?」と聞くと、口角を少しあげようと、試みながら、小さく頷いた。

 私は、その日、コーヒー牛乳を、固めてゼリーにして、持って行った。朝の光のなかで、自転車に乗って、私は母の方へと、道を進んでいった。私は母の元に向かうとき、なぜだろう、帰っていくのだな、という気がした。私を撫でて、春の陽気が流れた。どの家のどのガラスも、洗濯物のシーツも、風をやわらかく孕んで、私は、始まるんだな、と素朴に思った。坂を下っていく。右手のブレーキを利かせながら、坂の向こうには、盆地のようにして広がる住宅地が見えた。坂沿いの、五分咲きの桜並木の向こうに、住宅地は、私の入ることのできない、幸福な土地のように見えた。そこに、時間は流れないで、湖になって、豊かに湛えられていた。

 老人ホームの一室は、その日も、静かだった。南向きの窓が部屋を明るく、清潔に見せていた。「少し、外の空気を吸おうか、外はもう春だよ」、聞いているのか、どうかわからない母に向かって、そう私は言った。カーテンが風に揺れた。私は、その揺らぎを、ずっと見たかったのだと、そのとき、なんとはなしに思った。私はその日、母が亡くなるとは思っていなかった。けれど、母が、私の手を弱く握ったまま、眠たそうに眼を閉じたとき、そうなんだな、と思った。そうして、母の手の質感を確かめていた。それは乾燥して、けれど、とても綺麗だった。そう、綺麗だった。さらさらと、白い砂に洗われていくような、また、枯れ木のような。手は、そのなかの全ての震えを失くして、静かだった。母は、そのまま目を開くことはなかった。私は、母を知らなかったが、拒まれたようには思わなかった。もしかすると、そうするだけの力がなかったのかもしれない。

 母は、枕元にいつも小さなスケッチブックを置いていた。健康だったときから、彼女はスケッチブックを持ち歩いていた。そこに彼女は、気づいたことをメモしていった。テレビ番組で紹介していた料理の、調味料の配合についてだとか、それとか、国会中継の模様について。たまに、小さい子どもが描いた、でたらめな絵が描かれていることもあった。もちろん、それは私が書いたものではなかった。それはきっと、私の子どもが描いたものだったのだと思う。おそらく、私にこれから生まれる子どもが、描いていったのだろう。きっとそうだ。でもそれは、まだずっと先の話だ。私がこれから知るだろうことだ。

 そのでたらめな、子どもの絵は、必ず、蝶を描いていた。鉛筆の細い線で、けれど、紙に、刻み込むようにして、鋭く、描かれていた。蝶の翅のなかには、いろいろに模様が描き込まれていた。輪郭の相似を作るような線、たくさんの丸、あるいは、十字をやたらめったらに描いたものもあった。黒く塗りつぶされたものも、ギザギザに稲妻のようなものが描かれているものもあった。母は、死の数年前から、すっかり子どものようになっていたから、子どものような笑顔を浮かべて、この蝶の絵を、とても喜んだ。そうして、自分も描こうとしていた、きがする。描こうとして、ねだるものだから、私は鉛筆を渡す。けれど、いつも母は無茶苦茶な線を描いてしまう。白紙の上に、ぐしゃぐしゃに、ツタのような線が踊って、母に、それが何か聞いたなら、きっと「ちょうちょ」だと答えた。もしかしら、母にはそう蝶が見えていたのかもしれない。私の子どもと、母が、会ったかどうか、私には思い出せない。もしかすると、そういう機会が、これからあるかもしれない。母は、そのとき、どんな顔をするだろう。

 

 蝶は静かに巻き戻った。時間を滑って、地面の、一面の、黄色い落ち葉のなかから。ぐしゃぐしゃに折れ曲がった線を描いて、蝶はただひとひらだけ、遡っていった。その翅から、ほろほろと時間が削ぎ落ちていった。十一月の空が、その上で、黄色く染まっていくみたいだった。私は、それがかつて見たものなのか、これから見るだろうものなのか、思い出すことができなかった。私はそんな風に、わからないまま、けれど思い描いた。私はいつも、そんな風にして帰っていった。

 蝶はやがて、樹の幹の、高いところに、留まるのだろう。その頃には、冬が奥にまで進んでいるだろう。樹の幹は乾燥した肌のように、けれど、冬に、洗われてどこまでも清潔に、そこにあるだろう。蝶が留まる。蝶はそのまま、動かなくなる、だろう。どこまでも、そこにい続けるだろう。眠りに落ちるように、蝶はそこで凍っていく。翅のなか、細かい水の粒が、白く、固まっていく。落ちていく冬のなかで、どこまでも留まり続ける。削ぎ落とした時間が、再び、氷になって、蝶のなかに実っていく。蝶は、いつか、自分が生きていることを忘れるだろう。眠り続けるように。ように。蝶はそうやって、また生まれていくだろう。そうやっていなくなるだろう。

 眠りに落ちる前に、そんな想像が私のなかで大きく育っていった。子どもだったときと、同じだ。あのときは、なんでもかんでもを、知っていた。動物たちの言葉もわかったし、明日の天気も当てれたし、風がどんな色をしているのか、いつでも、見ることができた。そうだった。私はなんでも知っていた。いまと、同じように。傍らに私が眠っていた。私はその日も目覚めなかった。私のお腹は少しずつ、大きくなりつつあった。私はそれを確かめて、それから、お腹の上から手を滑らせるようにして、産道をなぞっていった。子供が生まれるときよりも、ずっと小さな摩擦を、手のひらで、けれど、なるべく大きく感じようと、そのために、ゆっくり、進んでいく。その肌の少し汗ばんだ、なめらかさを、そのあまりに小さなひずみを。やがて、下着のなかに、手を潜らせて、子どもが生まれてくるところに触れた。それが本当に、子どもが生まれてくるところなのか、けれど思い出せなかった。違ったのかもしれない。たまたまそこに道があっただけで、それは私、だけが静かに隠している弱さでしかなかったのかもしれない。そこはわずかに濡れて、閉じていた。確かめて、それからすぐに私は眠ってしまった。少しでも、私の眠りを暖かくしていようと、思いながら。

 私の子どもは、三歳かそこらのときに、生まれて初めて夢を見た。いや、本当は、それが生まれて初めて見た夢なのかは、わからなくて、ただ、大人になってからも思い出せる夢で、一番古いのがそれだった、というだけだ。目覚めると、子どもは、駆け寄ってきて、私にしがみついた。私は確かそのとき、朝ご飯を作っていた。

「どうしたの?」

 そう聞くと、子どもは小さな目で私を見上げた。

「みんなでゾウさんと遊ぶ夢みた」

 そう私の子どもは返した。

 もしかすると、それは私の子どもが初めて、吐いた嘘だったかもしれない。本当は、全然違う夢を見ていたのだった。私は、その夢のなかで、ひたすら眠り続けていた。固く目を瞑って、眠っていた。子どもは、懸命に私を起こそうとして、私の肩を揺すって「お母さん、起きて」と何度も言った。私は、けれど起きなかった。応じて動くこともなく、寝息を立てているかどうかもわからないほど、深い眠りだった。部屋のなかで、夕方の光が、衰えていった。その灰色のなかで、私は眠り続けた。私はほとんどいなくなってしまったようだった。子どもは、泣きそうになりながら、私に呼びかけ続けた。もしかすると、いまも、子どもはそうやって私を起こそうとしているのかもしれない。もしかすると、私はいまも眠り続けているのかもしれない。子どもの声から離れたまま。ものとものとの境があいまいになる時間に、静止したまま。私は眠り続けている。

 私が眠り続けているのを、知っていて、母は、今日も急いで帰ってくる。街灯が、暮れ残ったなかに、つき始めて、商店街の端っこにある、スーパーに母は寄っていく。急がなくちゃ、だけど、そろそろ、冷蔵庫の野菜も少なくなってきたから。急がなくちゃ、あの子が目を覚まして、寂しいあまりに泣いてしまう前に。そう思いながら、母は、私が目覚めないことを知っている。私が眠り続けていることを知っている。母は多くを見てきたからだ。そして、私が見てきたように、母はこれから見るだろう。スーパーの蛍光灯の光に、母は入っていく。母は、冬の野菜を買っていく。一つずつ、同じ値段のうちで、大きいものを選んでいく。少し、多すぎるけれど、まあ、いいでしょ。白い光のなかを、母はレジに向かっていく、向かっていく途中で少し、お菓子のコーナーに寄ってしまう。私が好きな、動物の形をしたクッキーの小さなパックを、ついカゴに入れてしまう。私はそのなかでも、象の形をしたのが好きだった。私は象が好きだった。大きいから。鼻が長いから、耳が大きくて、短くても牙があった方が嬉しい。象が好きだったから、私はきっとあんな嘘を吐いたのだと、思う。

 予定よりずっと大きくなってしまったレジ袋を自転車の前カゴに乗せて、母は自転車に乗る。夕日の残りは弱まって、街灯の光はその分、くっきりとしていた。母はそんなことには気付かずに、自転車を走らせていく。冬の空気が、母の、まだ汚れのない頬を掠めていく。母はけれど、自分がまだ若いことを考えない。いや、本当は考えていたのかもしれない。けれど、それは私には関わらなかった。それはきっと、ひとつの季節に封じ込められたことだった。母は、そこに何かを置いてきたのかもしれなかった。けれど、自転車を走らせた。そうやって、何度でも母は帰ってくることができた。看板や、停車した車や、歩行者を、追い越して、帰っていった。眠っている私のところに、急いで。そういう一日に、母は事故に遭ったのだった。そういう一日に、息を引き取ったのだった。私の母は何度も帰っていった。今日も、帰っていく。家に帰って、私の母は、私がおとなしく眠っているのに、安心する。そうして、私の母は、私のためにご飯を作る。私を起こして、一緒にご飯を食べたなら、もう一度、母は私を眠らせる。母は、私のために、絵本を読んでくれる。何も怖いことのない絵本を。母は私が眠ったのを確認して、安心して、いつの間にか、自分もその横で眠ってしまう。

 私が眠り続けているのを、知っていて、その日も、私の子どもは、帰ってくる。あの子は、自分は帰らないのだと思っている。あの子は、けれど、気づかぬうちに、何度も帰っていくのだ。私の知ることのない人と、私の子どもは手をつないで、夜を歩く。私の子どもは、幼い汚れを無くしたばかりの肌で、微笑して、その人についていく。笑わせようとして、本当なのか、わからない言葉を言う。嘘を吐こうとする。けれどそれはどれも、私にとっては、本当でしかない。冬のなかを歩いていく。寒いね。うん、ちょっとだけ寒い。私の子どもは、その人の本当を知ることがない。風が二人をかたどって、吹いていく。狭い道を歩いていく。歩道の縁石の上を、わざとらしく、両腕でバランスをとりながら、綱渡りをしていく。それを見て、恋人は小さく笑う。二人の他には誰もいない部屋へと、帰っていく。二人だけで、それとも、一人と一人とで帰っていく。それはいつも、眠っている私の元に帰っていく、ことと同じだった。頭上に、ぼんやりと星が揺れていた。それらの数を数えることはなかった。そういう風にして、私の子どもは、気づかないまま、その寒い道に落ちている自分自身を、拾っていった。あるいは、散らばった私を、拾っていった。いつか返すときになるまで。子どもは、まだ、それが一つの季節にすぎないことを、知らなかった。そうやって、私の知らない道を、私の方へと、子どもは帰っていった。いつでも、帰っていくだろう。暗い部屋に。一人と一人で、触れては、また離れて、触れて。体を擦りつけあって。暖かい息を吐いて、そうやって、何かを確かめて、子どもは、やがて小さく笑う。子どもは眠る。私の知らない、その人の横で、眠りに落ちる。暖め合って。

 その眠りのなかで、海の夢を見る。ただ一人で、泳ぎに出かける。広い海水浴場には、他には誰もいなくて、それをけれど、不思議には思わない。私は砂浜の、あせた茶色を踏みながら、一歩ずつ海に近づいていく。遠く雲の下まで、海は、くっきりと青く見えていて、そうだ、雲には動く影があって、私にも影があって。海に入ったなら、そんなこともすぐに気にならなくなる、だろう。初めに波の舌に、少しだけ触れて、とても久しぶりだと、思う。その実、前に海に入ったのが、いつだったのか、これまでに海に入ったことがあったのか、思い出せなくて、足を差し込む。小さな波紋ができて、その下で光が歪む。冷たさで、肌が少し締まる。もう片方の足も。そう。一歩ずつ進んでいく。海は少しずつ深くなっていく。水底の砂が、踏むたびに、小さく舞い上がるのが、肌に少し触れているのでわかる。思い出すことはそのうちに、大切じゃなくなっていく。

 いつの間にか、私は泳ぎだしている。いや、泳いでいるのではなくて、浮かんでいる。浮かんで、少しずつ奥に進んでいく。本当は泳ぎたいのだけど、その仕方を忘れてしまった。ちゃんと、小さい頃に、水泳教室に行ったのに。でも、こんなに簡単に浮くことができたのだったっけ。いつも、力を抜くのが下手で、うまく浮かべなかったようなきがする。私は波にあいまいに揺らされて、少しずつ、海との境がわからなくなっていく。締まっていた肌は、いつの間にか拒むのを忘れて、私の体を、緩やかな水の流れがすり抜ける。それとも、海を、私はすり抜ける。違いがなくなって、空の青と、海の青も同じで。私は開かれていく。開いていく。ゆっくりと、体を横たえるように、私は、沈んでいく。降りていく。喜んでくれているような気がした。思うこともないんだろう、と、最後になぞって。私は降りていく。海の底の方は、遠く、明るく、それに吸い込まれていく。降りていく、ことは昇っていくことと同じになって、海は明るく、光へと、光へと、連れていく。        

 目覚めると、一人だった。傍らに眠り続けていた人は、もういなかった。ただあの人の残していった匂いが少しだけ、暖かった。いつか、はそうやって訪れて、その分だけ、朝は明るかった。どれだけ寝ていたのだろう。どれだけ、あの人はそばにいてくれたのだろう。そう思いながら、布団を出る。ずっと眠っていたから、枕は、垢が付いて、茶色じみていた。引き出しを開けて、下着と洋服を取り出す。頭がかゆくて、髪も油染みている。長い間着ていた寝巻きを脱いで、シャワーに入る。お湯を出すと、冬の冷えた空気に、白く湯気が立つ。私に当たったお湯の粒が光を散らして。隅々を、泡で覆っていく。流していくと、体に染み込んだいろいろが、落ちて、渦を巻きながら、排水溝に吸い込まれていく。それを確かめて、きっと直に、すべてが、これからになるだろう、そんな気がして。

 着替えを着て、髪を乾かして、それから、歯を磨く。口のなかが、透明になるような気がして、けれど、ここからまた、汚れていくんだよ、そう言い聞かせる。身支度を終えて、家を出るときに、あの人が置いていった牛乳がコップに入れられて、食卓の上に、置いてあるのに気づく。歯磨いたばかりなんだけど。それに、コップに入れて、冷蔵庫から出しておくなんて。そう思いながら、あの人のあの人らしさが、そういうところにもあるように思った。しょうがないな、少し笑って、それを飲み干す。まだ冷たい白が口を覆って。透明でいられないことなんて、わかっているよ。けれど、味を確かめることもできないまま、喉を滑って、なくなってしまう。わからなく、その分だけ、私になってしまう。あの人はそれでよかったのだろうか。コップを置く。蛇口をひねって、コップを洗ってしまうと、もう、あの人の跡はない。「行ってくるよ」玄関で、なんとなく、声に出して言う。扉を開ける、朝が全身を描き出す。

 並んだ樹々のうち、一つに、蝶が止まっているのを見る。長い長い時間をかけて、蝶は自分がこれまでに拾ったものを、無くしていった。そうして、樹の上で、動きを止めた。蝶はきっと、自分が蝶であることを知らないだろう。凍りついて、その代わりに、体のなかに、子どもを宿しているだろう。たくさんの、けれど、ひとりだけの子どもを。蝶が砕け散るとき、そっくりな子どもが、生まれ出てくるだろう。親の体を、食い破って、そのときの味が、子どもを動かし続けるだろう。ガラスが砕けるような、そのときの、親の震えを、子どもは確かめ続けるだろう。だろう。公園を通り過ぎながら、私はそんなことを考える。だろう。そうやって知ることが、いつも私だった。これからは、少しずつ手放していくだろう。無くしたものの形が、私になっていくだろう。だろう、きっとまだそう言うことしかできなくて。だけど、それもすぐに終わっていく。知らなくなっていく。その分だけ、体が、立ち尽くす。私はここにいて、洗ったばかりの髪のなかで、風がひちひちと弾ける。感じながら、きっと、蝶のことも、母のことも、すぐに、忘れることができる。海に、離していくことができる。何度でも、会いに行くことができる。

 目を開ける。あたりは薄い膜のようなものに包まれて、眩しい。遠くからのように、赤ん坊の泣き声が聞こえて来る。それはきっと、生まれたばかりの、初めての、声で、とめどなく、目からは水が零れる。零れる。落ちていく。体の奥から、突き上げるように、震えが襲って、それを吐き出して。どこまでも、青く、吐き続ける。激しく、揺らしながら、赤ん坊の声は、いつからか、うちがわに籠って。目が見えていく。見えて、いく。はじめての泣き声。私。わたし。震えながら。どこだろう、どこだろう。ふるえて。なきさけんで。これから。


 

 

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蝶のふるえのとき 張文經 @yumikei

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