第一章

第一章① ふたつの孤独

 ベブル・リーリクメルドは歩いていた。


 彼は十九歳。霊峰ルメルトスにおいて、『懸崖けんがいの哲人』と呼ばれる大魔術師の子として生まれ育った。だが、母の死を契機として、ノール・ノルザニの街に移住し、住み着いていた。


 出会う男たち、若い女たちと軽く挨拶をし、そのまますれ違う。


 ベブルは大魔術師の子として幼い頃を過ごしたが、魔法はほとんどなにも使えない。その代わりに、彼には全く別の才能があった。腕っ節と金儲けの才能だ。さすがに家を飛び出した十三歳の頃は、生活を立ち上げるまでに散々辛酸を舐めさせられたものだが、いまとなっては金には困らない。


 時折、『懸崖の哲人』の息子にしては品がないと陰口を叩かれることもあるが、捨て置いている。人間誰しもつまらない噂話なしにはやっていられないものだ。なにも噂話は悪いことばかりではない。ベブルの仕事において、噂話もそれなりの働きを担っている。

 

 「この世に愛ほど大事なものはない」と昔、誰かが言っていた。ベブルにとってそれはもはや、誰が言っていたのかさえ思え出せないほど、現実感のない、遠い日の出来事だった。もう半分以上、幻覚の中で聞いたのかもしれないと感じているほどだ。


 なるほど、ベブルはそれをよく実践している。“遊び相手”としての決まった相手は常に数人いたし、彼の“名声”を聞いている若い女たちがいつも彼のことを狙っていた。彼は愛を求めなくても、愛を求められるようになっていた。


 だが――と、彼は女たちの横顔を見て思った。世の中に裏切りが尽きないのもまた、真実か。


「あなたって、つれないわ。釣った魚に餌をやらないのね」


「俺は別に釣った憶えもないし、魚なんかそこらじゅうを泳いでる」


 憶えがなくとも、相手は食らいついて、満足したら、やがて去って行く。


 なんだこれは。なんだこいつらは。


 ベブルには理解ができなかったが、ただただ彼は「教え」の通りに行動していただけだ。


++++++++++


 あるとき、ベブルは知り合いの店にやってきた。彼は、薄暗い店のカウンターに立つ、愛想のない大男と話をしていた。大男は魔獣の納入業者で、狩人たちから魔獣を仕入れては、限られた一部の好事家に魔獣を売り渡していた。いうなれば、彼にとってこの大男は仕事上の取引先だ。


 ベブルの髪の色は艶のある桃色。魔術師風のローブとマントは、動きやすいように変形されている。上半身の服は前が開け放されていて、引き締まった胸の筋肉が見えている。彼の顔立ちは端整だ。


 大男は体を左右に揺らす。


「どうにも背中が痒くてならん。商売はお前さんのような太い客がいるから助かるが、それはそれとしてなかなか不快なものだよ」


「体を洗え。毎日魔獣を扱ってるんだ。せめて三日に一度は湯浴みしろ」


「最近じゃみんなそれくらいは風呂に入るらしいな。俺たちの若い頃は……」


 ベブルはけだるげに番台に肘を置く。


「鼻が曲がっちまったのか? お前の場合は商売柄、毎日でも足りんと思うぞ。……そんなことより、このごろは仕入れの魔獣も小粒でつまらない。腕のいい狩人は最近来ないのか?」


 大男はかぶりを振る。


「狩人の腕は落ちてない。魔獣の強さだって変わっちゃいない。そうさな、挑戦者のほうに多少知恵がついたのと……。まぁ、今回のところはここ最近で一番の大物が入ったから、それを見てくれ」


「そうか。期待してるぜ。盛り上がる興行が出来そうなもんなら、気前よく弾んでやるからな」


「頼むぜ旦那」


 そう言うと大男はベブルを店の奥に案内した。


++++++++++

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る