第15話 人と感情

「アンタ達良く耐え抜いたね。後は休むなりなんなり好きにしな。」


 ようやく怒りが収まったのか、ミズキの表情は少し和らいでいた。私は既に重さに耐えることすら限界を迎えていた両手をぶらんと垂らす。重々しい音と共に畳を叩いたのは長刀だった。


「ヴァイス、ちょっと来な。」


 長刀を適当に扱ったと見られたのか、ミズキはキッと鋭い目線で私を呼ぶ。


「申し訳ない。」


「何がだい?」


 逆鱗に触れてしまったことを危惧して謝ったのだが、どうやらそういう訳では無かったようでよく見てみるとミズキの表情に怒りの色は見えなかった。


「アンタには弱点があるからそれを教えてやろうっていう師匠なりの優しささ。」


「私の弱点.......?」


 単純な言葉だが自身の底に響くような。それが一体何を意味するのかを速やかに知りたいと思わされるそんな言葉だった。


「ええ。アンタは一見かなり冷静に見える.......それはある程度武術を極めているアタシからしてもそう見える位なんだから、アンタの本質なのかも知れないね。


でも、アンタのその冷静さっていうのは物凄く脆いものでもあるのさ。アンタ、自分の事すら常に俯瞰している様な所あるんじゃないかい?」


「俯瞰.......。」


 ユアンにも似たようなことを言われていた。私は何処か自身のことすらも第三者の目線で見ているかのような冷ややかさがあると。


「分からない。しかし、以前も私は当事者では無いような部分があるとは言われたことがある。」


「そうさね。分かる奴には分かるんだろうね。アンタは自分のことですらも引いてみているように見えるのさ。それは冷たくてさも冷静な様に見えるってことさ。でも、本当の冷静とは違う。」


「本当の冷静.......?」


「ええ。本当の冷静っていうことは、一歩引いて自分を見るって例えられるけど、本当に自分から離れることではないのさ。自身の状況をわかった上で感情に流されることなく自分を分析することなのさ。


でもアンタはただ引いて見ているだけ。本当に冷静な人間と目線は同じだけど、アンタは赤の他人をただ見ているだけと同じ様に見えるってことさ。」


「私は元々そういう立場として生み出されたもの.......考えているつもりではあるが、そうなのかもしれない。」


 私は元々人間というものにそれほど関心を持てなかった。それが自身にすらも影響するとは.......。


「アンタの元々の話はアタシには干渉出来る立場ではないでしょうから何も言わないさ。でも、アンタは自分自身の.......そう、当事者として動くということ自体が慣れていないように見えるね。


アンタは、スイッチが入っていないときは驚く程冷ややかで関心を持てないように見えるけど、スイッチが入った途端に自分の感情をコントロール出来なくなる所があるさね。もっと噛み砕くならアンタは自身に入り込んだ途端に冷静じゃなくなる所があるってことさね。」


 思い当たる節が無い訳では無い。言われてみれば私が自身の為に行動しようとしたことが無かったこと、慣れていないということがモロに出ているのだろう。


「あぁ。よく言ってくれた。その通りだろう。」


「アンタは本当の冷静を知るべきだろうね。きっとそのアンタの弱点は他の分かるヤツには分かるだろうし、きっと叩かれる。そしてそれはアンタが周りを見えなくなってるってことで、シュラスを初めとした周りの皆にも影響することになるとアタシは見ている。


今のアンタにアタシの剣が本当に必要なものかは分からないけれど、アタシはアンタの弱点を少しは治す手伝いが出来る。アンタ、そろそろこの街も出なきゃ行けないんだろう?」


 ミズキはどこまで知っているのか分からない。それでも彼女は私の置かれている状況や目指すものがまるで見えているかのような目で口で私に接してくる。


「あぁ。その通りだ。私に残された時間は少ないだろう。」


「焦りは何も生まない.......って言ってもアンタは急がなくちゃいけないんでしょうね。だからきっちり休んだら、奥のアタシの部屋まで来な。」


 ミズキは重そうに道着の上を脱ぐとそれを肩に掛ける。汗だくで黒い髪を乱した彼女が妖艶に映ってしまい、気づけば後ろ姿を目で追っていた。


 武道に励んで来たであろう彼女は私が何も話さなくともその殆どを理解しているようで、何故かそれを心地よく思ってしまう自身が居るようだった。


「何話してたんだ?」


 問いかけるシュラスの声で我に戻る。


「あぁ。少し私の弱点についてな。」


「弱点.......? ヴァイスにもそんなものあったんだ。教えてくれなんて言わないけど、ちょっと知りたい。


いや、なんでもない。師匠がアンタ達が疲れただろうからって二階に寝床を用意してくれたみたいだから、シャワーを浴びたら二階で休もうか。」


「あぁ。そうしよう。」


 奥のシャワー室は暗く冷たく感じられる。私は冷たいシャワーで既に少し冷えた汗を洗い流し、ローブに着替える。それほど時間をかけたつもりは無いが、既に着替えを終えていたシュラスに引っ張られるようにして道場の横にあった梯子を上り二階に着く。


 全面茶色い木目だらけの壁面と床も少し厚みを感じるものの木造りのそれの上には、二つの布団が敷かれていた。私たちはゆっくりと横になるが二日分の疲れが溜まっていたのだろうか、飲み込まれるようにして眠りに落ちていた。



 目覚めは想像より爽やかなものだった。疲れていた為か、眠りは深かったようで一切目覚めることなく自然に覚醒していた。


 軽く伸びをすると、背中からは音がなり細い腕と足からは悲鳴が聞こえた。


「痛.......。」


 漏れた声は自身のものと思いたくない程に情けなく響く。その場で立ち上がりゆっくり歩き出すが、足がひたすらに重く痛い。シュラスはまだ寝ているようでスースーと寝息だけが聞こえた。


 私は物音を立てないようにゆっくりと梯子を降りる。時刻は正確には分からないが、既に辺りは暗くなっていた。道場には誰もおらずその静けさには寂しさすらも覚える。


 ヒタヒタと素足が畳を歩く。


「ミズキ、今時間はあるか。」


 閉じられた戸の前で私は小さくその中に居るであろう彼女へと声を送る。


「起きたかい。ミルラとレーネは奥の部屋に居るからアンタは道場で待ってな。」


 その声はいつもより低く響いたような気がした。私は見えるはずもないだろうに小さく頷き、道場へと向かった。そして道場の真ん中で腰を落とし、最も相応しいであろう正座をする。


 そこにミズキはゆっくり、ゆっくりと足音静かに歩いてきた。そしてミズキは私の目の前数メートルの辺りに座り込む。その服装は道着ではあるが、いつものような重厚さは無く軽そうだった。


「ほれ。」


 ミズキは小さな小刀を放る。コロっと目の前に転がったそれを鞘から抜けば、それは紛れもない真剣だった。


「分かるかい。それはいつもの長刀とは違って短くて重さも無いだろう。だけれどもそれは確かに人間の命を奪うには十分なものなのさ。


そう思ってそれを握ってみな。鈍感なアンタにも多少は命の重みを感じるはずさ。」


 右手に握り込む。それは確かに軽く、リーチもない。しかしこの道場で握った何よりも重いものだ。


「あぁ。私にも感じる。」


「そう。アンタは冷静ってどういうことだか分かるかい?」


 改めて投げかけられる言葉。色々と調べてきたこの二千年だが、私は本当に人間の感情、人間の認識というものには疎い。


「冷静。一歩引いた目線で自分を見つめられる状態で且つ数的に分析できる状態のことだろうか。」


「えぇ。まぁ半分ってところさね。アタシにとっての冷静っていうのはその場しのぎじゃない、武道の中でのものだから一般的なものとは少し違うかもしれない。でもアタシにとっての冷静ってものはあくまでも自分の視点から離れること無く、状況をメリットとデメリットから判断してその決断を早急に下すことが出来るってこと。


アンタの冷静っていうのはきっとなんでも分かるけどなんでもしないってことなんだろう?考えが多少変わっていても、やっぱりアンタの本質はそこにあると思うのさ。朝の話と被るようで悪いとは思うけど、アンタには自分の視点でしっかり見ることを出来るようにしないといけないのさ。」


 朝もそうだが、意味は分かっているつもりなのにどうやっても理解には辿り着かない。


 自分の視点っていうものはなんなんだ。


 私が見てきたのはなんなんだ。自分の視点ではないということなのだろうか。


「アンタ程の生き物でも悩むことはあるんさね。悩むことは良いこと。きっとなんでも分かってきたはずのアンタには分からないということが分からないんだろう?


だから今アンタに教えてやるってことさ。」


 ミズキはスっと立ち上がる。右手には小さなそれが握られている。


「アタシは今からアンタを本気で殺しにかかる。アンタが本気で竜の力を使えばそんな攻撃きっと簡単に避けれるだろうけど、それは禁止。あとアンタは権能も持ってるようだけどそれも禁止。いま持ってるその小さな刀と、体術だけで捌ききってみな。」


 私は立ち上がる。小さなそれはとても私の力量でミズキの攻撃を防ぐには無理もいいとこだろう。小さくため息を吐く。


「アンタは、人間の思考パターンってものを知ってるかい?


人間っていうものの頭は悪い思考を良い思考より増幅させるものなのさ。例えば人間は常に無駄であろうと無かろうと思考を巡らせている。けど、不安に駆られた時ってのはそのほとんどが不安を増幅させるものだけに埋め尽くされるのさ。それは人間が起こりうる最悪のパターンを回避するために設計されたプログラムってやつのせいなのさ。


アンタは純粋な人間ではないから、思考パターンがアタシ達に当てはまるか分からないけど冷静になるって言う事はそういうこともわかった上で自身の状況を分析した行動をとるってこと。


何もアタシはアンタがその頼りない武器で防ぎきれるなんて思ってはないさ。けれど、アンタがいつもの様に他人事のように見ているだけなら何も出来ずに死んでしまうだけ。それを分かった上で構えな。」


 私はやるだけ無駄と考えそうになり、放棄しかけた思考を再び走らせる。彼女は右手に構えたそれをこちらへと突き出し、低い体制でこちらへと飛び掛りそうに見える。彼女の踏み込みに私が対応する術は持ち合わせて居ない、そして避けることも難しいだろう。


 私はひたすらに可能性を考える。一番安全で一番有用且つ互いに傷つく事の無い選択。


 フッと息を吐き、私は低く構えた。直後、彼女は一気に踏み込んだ.......と同時に私は小刀を横に放り投げ正面に踏み込み、彼女の右腕を巻き込む様にしてぶつかる。正面に伸ばされた小刀は私の左手にかするが、ただそれだけ。彼女を下敷きにして、私達は倒れた。


 ふと振り返れば彼女の右腕が私背中の方へと寂しく放り出されている。


「なるほどな。寸止めのつもりではあったが、まさかアンタから突っ込んでくるとは思わなかった。よく考えたもんさね。」


 私は立ち上がり、ミズキに手を貸す。彼女は私の手を引っ張るようにして立ち上がる。


「腕は大丈夫かい?」


「あぁ。この程度なんともない。」


 ミズキはそうかい と小さく呟く。私の腕は薄皮を軽く切られた程度でそれほど痛みも無ければ、流血も微々たるものだ。これはきっと彼女が咄嗟に致命的にならないように小刀を逸らしたからだと思われる。


「アンタは考えればこれくらい絶望的だったとしてもなんとか出来る程度の力はある。多少感情に流されやすい時があることだけ覚えておけば、アンタは一対一ならこれくらい出来るって自信を持てるってことさね。」


 ミズキはでも.......と小さく呟く。


「来な。」


 ミズキは低く言う。その声に反応するようにして誰かが歩いてくる。ミルラだった。


 ミルラはゆっくりと私の前に止まると、ミズキはその首元に徐に小刀をあてがった。


「どういうつもりだ.......。」


 本気ではないことは分かっている.......が、それでもミズキの取っている行動は冗談で済ませられるものでは無い。


「小刀を拾いな。アンタが最も気をつけなくてはならない、最もアンタの弱点がさらけ出される場面っていうのはこういう時さ。もし、アンタが少しでも危険な行動を取ろうものならミズキの首は切り落とすよ。」


 私は今にも飛び掛りそうになる体を押さえつけるようにして、転がる小刀を拾い上げる。こんな感情になるのは何度目か。少なくともこの身体になるまでは一度も経験したことの無いような衝動的な感情。


 人間という器に私が馴染んできているということか、はたまた飲み込まれているということか。きっとミズキの言っていた慣れていないということはこれを指しているのだろう。


 一人が客観的に見ているのに、一人は焦りいついつかと衝動的になるような相反する感情が私を埋め尽くしている。きっとこれは冷静ではない。


 私は目の前の光景を一度忘れるように瞳を閉じて大きく息を吐く。自身の心臓の鼓動がドクンドクンといつもより激しく早く動いているということが強く実感できる。


 こういう時どうするべきか。いや、どうすれば彼女はミルラを解放するのか。今のミズキの立場にいた事など一度もない私には彼女に移入して考えるということは出来ない。だが少なくとも、刺激するような行動.......そう感情に任せた行動をとることが最もこの場にそぐわないという事だけが分かる。


「私に何を望む。」


 状況の分析、私の視点で且つ落ち着いて行動を考える。


「なら、アンタは小刀を右手から離して四つん這いになりな。」


 私は言われた通りにする。ゆっくりとミズキが歩み寄ってくる音が聞こえた。そして頭に柔らかく暖かな感覚が伝う。


「十分さね。」


 見あげればミズキは笑っていた。


「今回はアンタの力を縛っていたからどうしようも無かったけど、しっかりとアタシの言ったルールの中で自分の視点で行動できてるようだったし、これならアンタはなんとかなるさね。


ただ、本当にこんな状況になった時は相手がアタシみたいに慈悲を持ってるとは限らないから時には冷徹な行動も必要ってだけ覚えておけばなんとかなるさ。


よく流されないで頑張ったね。」


 ミズキが私の頭をわしゃわしゃと撫でる。初めての感覚だが、悪くは無い。何処か恥ずかしくはあるが私は心地よく感じていた。


 ふぅと息を吐くと、身体中強ばっていたのか力が抜け再び痛みがぶり返す。立ち上がるのも面倒に思えその場に大の字に寝転んだ。


「アンタはきっともうすぐここを出るんだろうけどもうアタシがアンタに教えられることなんて、剣術の極みくらいのもんさね。


もし、本当にアンタがまた神様になったらアタシ達の事少しくらいは優遇しなさいな。」


 ミズキはにっこりと笑った。


「あぁ。考えておこう。」


 釣られるようにして私は笑う。あと二つの欠片を集めてしまえばここにはもう用はなくなる。


 しかし、私はこの重い体では無理だと悟り梯子を登り休むことにした。

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