暗殺者、準備を終えて討伐へ

 それは、ビルクスからブラッティベアに関する情報をもらった日の夜のことだった。


 兄は一昨年、姉は昨年、王都の王立学園に通うために出て行ってしまったので、この場には俺と両親しかいない。


「ベルン、来週辺り王都から我が領地に人が来る。失礼のないようにな」


 夕食の時間。いつも通り食事をしていた俺に、父が唐突にそんなことを言った。


「王都から……いったいどのようなご用件で?」


「この前近くの村が魔物によって壊滅したことは覚えているな? 実はその魔物がここ数日、近くの森に出没する話を耳にしてな。王都に救援の要請をしておいた。恐らく来週辺りに、王都から手練れの者が派遣されるだろう」


「…………ッ!」


 思わず舌打ちしたくなる衝動を何とか抑える。


 父の行動の早さは本来なら称賛すべきなのだろうが、俺としては最悪としか言えない。


 しかも来週ということは、そこまで時間もない。準備もできてない上に、まだブラッティベアの所在も大まかにしか分かっていない。


 それらの問題を全て解決した上でブラッティベアの討伐……かなり厳しいな。


 しかしせっかくの危険度Aの魔物。できることなら、この手で殺したい。


 となると、今夜から準備をする必要があるな。


 食事をしながら、俺は今後の算段を立てていた。






 ――そして一週間後。


「よし、行くか」


 家族での昼食を終えた俺は、身仕度を整えてから家を出た。


 目的はもちろんブラッティベアの討伐。


 父が王都から呼んだ手練れが来るのは今日の夕方になるとのこと。できれば今日中に仕留めてしまいたい。


 さて、俺はこれから目撃情報に従って森に入るのだが、一つだけ問題がある。


 それはブラッティベアの正確な位置だ。痕跡らしきものはこの一週間でいくつか見つけたが、肝心のブラッティベアは影も形もない。


 痕跡は発見できても本体が見つからないということは、もしかしたらブラッティベアが意図的に隠蔽してるのかもしれない。


 俺の推測が正しいとすれば、敵はそれなりの知能を備えてるということになる。


 ただの魔物と侮るのは危険だろう。そこで俺はブラッティベア発見の方法として、奴の特性を逆手に取ることにした。


 ブラッティベアは血の匂いに敏感らしい。なので俺は数日前から、森の数ヶ所に狩った魔物の死体をバラ撒いていた。


 血の匂いに敏感な奴なら十中八九食い付くだろう。


 それからしばらくして森に入った俺は、早速ブラッティベアを探すために動き出す。


 魔物の死体をバラ撒いた場所は全て森のかなり奥だ。道中は他の魔物との戦闘も警戒していた俺だが、その予想は呆気なく外れた。


「魔物がいない……?」


 周囲を警戒しながら進んでいたが、あまりにも静かだ。普段なら今の段階で二、三匹くらいの魔物に襲われてるのが普通だ。それがないというのは、明らかに以上だ。


 こういった場合は何かしらの原因があるものだが、思い当たる節があるとすればそれは、


「ブラッティベアか……」


 好戦的な性格とは聞いていたが、まさかここまでとはな。元々分かっていたことだが、やはり油断できる相手ではないな。


 警戒心を高めながら、更に森の奥へと進んでいく。しばらくすると、いくつかある魔物の死体をバラ撒いた場所の一つに到着した。


「これは……」


 俺は数匹の魔物の死体を切り刻んで、血の匂いがより強くなるようにして配置していた。


 だが今目の前に広がっているのは、ミンチ肉レベルまで細切れにされた肉片まみれの光景。


 明らかに何者かが――いや、誰がやったのかなんて分かり切っていることだ。恐らくブラッティベアだろう。


 周囲を確認してみるが、ブラッティベアの姿はない。ここに来たのはかなり前なのだろう。


 俺は意識を周囲への警戒から目の前の凄惨な光景に戻す。


 大地はところどころ鋭利な刃物でエグられたかのように削られており、周囲の木々はへし折られ転がっていた。


 多分地面の損傷は爪によるものだろう。爪の大きさから、敵の大まかなサイズも分かる。


「かなりデカいな……五メートルはあるか」


 五メートルとなると相当な巨体だ。巨体となれば速い動きには対応できないだろう。上手いこと速度で翻弄すれば、意外とあっさりやれたりするのだろうか?


 そんなことを考えていると、不意にドン! という強烈な音が耳に届いた。


 何事かと思い、音のした方へ駆ける。大した距離ではないので、音源の場所にはものの数分で着いた。


 何が起こったのか確認するために、俺は数多生えている木の内の一つに身を隠して視線を奥にやる。


 視線の先には一匹の赤い毛色の魔物。間違いない、ブラッティベアだ。


 ブラッティベアが何かに一心不乱に拳を振り下ろしていた。


 拳が血に濡れていることから、恐らくブラッティベアとは別の魔物だろう。ということは、先程の音はその別な魔物と好戦していた時のものか。


 それにしても、まさかこんな形で発見することになるとは……仕掛けは全て無駄になってしまったな。


 しかしこれは好機。今の奴はスキだらけだ。気配を殺して背後からナイフで刺せば、あとは『錬成』と『創造』で内側から肉体を破壊することもできる。


 俺は気配を限りなく消して忍び寄る。


 近づいてみて分かったが、やはりブラッティベアはかなりの巨体だ。外見こそ熊に近いが中身は全くの別物だろう。


 ブラッティベアは俺の存在に気が付いた様子もなく、未だに拳を叩き付けている。


 ブラッティベアとの距離が一メートルを切ったところで、俺はブラッティベアの首元目掛けて飛びかかった。


 ここに来てブラッティベアはようやく俺の存在に気が付いた。一心不乱に振るっていた拳を止め、自身の首に掴まっている俺を振りほどこうと暴れ出す。


 しかし少しばかり対応が遅い。俺はすでに魔法で身体能力を上昇させ、恩恵で作り出したナイフを突き立てにかかっていた。


「終わりだ」


 そう宣告しながら、ブラッティベアの首元に吸い込まれるような動きでナイフが突き立てられようとしていた――次の瞬間。


「な……!?」


 振り下ろしたナイフが甲高い音を立てながら弾かれた。


 まるで金属同士がぶつかったかのような音。しかしブラッティベアは金属の類いを身に付けてはいない。


 となると考えられるのは、


「体毛か……!」


 多少毛が丈夫な魔物なら何匹か狩ったことはあるが、こいつの体毛はそれらとは比べ物にならないほどの強度だ。


 このままやってもラチが開かない。一旦距離を取ることにする。


 ブラッティベアと大体三メートルほどの距離を開けて対峙する。


 正面からはあまりやり合いたくない相手だが、不意討ちが失敗した以上やむを得ない。


 逃げて態勢を整えるというのも一つの手だが、向こうは俺に濃厚な殺意を当ててきている。多分背中を見せたら一瞬で殺られる。


 となると、俺に残された選択肢は一つだけ。


「さてどうしたものか……」


 ナイフを右手に構えながら、脳裏でブラッティベアを殺す算段を立てる。


 俺はブラッティベアのことは本に書かれていた以上のことは知らない。本の情報が嘘だと言うつもりはないが、実際に目で見たものと比べると些か精度に欠けてしまう。


 まずは相手の能力を探るところから始めるとするか。


 そこまで考えて、俺はブラッティベアとの睨み合いをやめて駆け出した。ブラッティベアの背後を取るようにして、右側へ回り込む。


 そして恩恵でナイフを生み出し、それを作った端から投擲する。牽制兼身体の位置による体毛の強度に違いがあるのかを確認するためだ。


 しかし放たれたナイフはそのほとんどが体毛に弾かれた。眼球などの体毛に覆われてない部分を狙ったナイフに関しては、全てブラッティベアに防がれてしまった。動体視力はそれなりのようだ。


 次は魔法で体毛の強度を確認してみる。俺の使える第三階悌の魔法を無詠唱で行使する。


 火、土、雷、風、水の魔法を順番に放っていく。


「ん……?」


 先程のナイフ同様、体毛の頑強さで乗り切るかと思われたブラッティベアだが、ここに来て初めて回避行動を取った。


 タイミングから考えて、水の魔法を避けていたな。こいつにとって水は苦手ということか?


 もう一度確認するために再び水系統の魔法を行使しようとしたが、ここでブラッティベアが攻勢に出た。


 巨体を利用した力任せのタックル。直撃すれば俺の華奢な身体など粉微塵だろう。しかし軌道が単純なため、避けるのは容易だ。


 タックルは俺に当たることなく、ブラッティベアは無様に後方の大木に激突した。


 けたたましい音を立てて大木がへし折られる。恐ろしい威力だ。


 だが俺に背中を晒したのは失敗だった。俺はスキだらけのブラッティベアの背中に水系統の魔法を放つ。


 ブラッティベアの全身が水浸しになる。


 何か変化があるのかと思ったが、ブラッティベアは水をかけられたことに怒っているだけ。特に変化は見受けられない。


 いったいどういうことだ? 先程水だけは当たることを避けていたから、水が弱点なのかと思ったが、もしかして見当外れだったのか?


 現にブラッティベアの動きが衰えた様子もなく、俺目掛けて襲いかかってきている。


 さてどうしたものか。そんなことを考えながら、迫るブラッティベアに飛び道具としてナイフを放った。


 ――変化はそこで訪れた。


 何と、先程までは体毛に弾かれていたはずのナイフがブラッティの体毛、その奥の肉体に食い込んだ。


 ブラッティベアが短い苦悶の声を上げる。間違いなく俺のナイフが効いてるということだ。


 この機を逃す手はない。俺は流れるような動作でナイフを生み出し、投擲していく。


 しかしどうして今になってナイフが通るようになったんだ?


 絶え間なくナイフを投げながら、理由を考える。


 考えられる理由は、やはり先程の水魔法。あれが理由なのは間違いない。だがどうしてナイフが通るようになったのかは謎。


 ナイフを投げる手を緩めることなく、思考を続ける。


 ……待てよ。ブラッティベアが水魔法を回避していたのは、もしかして濡れると体毛の強靭さが失われるから? もしそうだとしたら、辻褄が合う。


 つまり今のブラッティベアは、体毛の頑強さを失いどんな攻撃も通るようになっているということだ。


 これなら、ブラッティベアもあっさりと倒せるかもしれない。


 俺は余裕の笑みを浮かべながら、ナイフを投擲し続けるのだった。



 

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『死神』と呼ばれた暗殺者は女神の依頼で異世界転生する エミヤ @emiya

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