第18話 突入


 屋敷一帯を揺さぶる音が響いた時、ドワーフの門番を始めとする屋敷の警備兵達は衝撃のあまり転びそうになっていた。

 門番は槍を杖代わりに何とか踏ん張ったが、同僚の中には堪えきれず本当に転んだ者もいる。


 あまりの音に耳鳴りが止まない中、それでも状況を把しようと辺りを見回し気付く。


 結界が、なくなっている。


 あまりの事態に耳鳴りやふらつく足も忘れ呆然とする。まさか、今の音は結界が破られた音だったとでも言うのか。


 城壁以上の堅牢さを誇ると言われた結界がどうやって破られたのかはわからない。ただ誰がやったのかということについては別だった。


「き、さまらか!? これをやったのは!」


 そう言って槍を突きつけた相手は目の前にいるギルドの職員。現れたタイミング、意味深に差し出された箱と、彼らの注意を惹きつける行動。

 思考などしていない直感ではあるし、方法についてはまるで見当がついていない。だがその言葉自体は当たっていた。

 門番の行動を見て、未だ混乱の中にあった警備兵達も殺気立って武器を構える。


 最初に断っておくが、彼らにそこまで強く屋敷を守ろうという気概はない。今こうしているのも相手がか弱そうな人間の女で、まんまと出し抜かれたという怒りがあるだけのことに過ぎない。


 だがその行動は間違いだった。もし門番達が取るべき正しい行動があったとすれば、それはいさぎよく投降することだったのだ。


 すなわち、本気でブチギレている彼らに対し、そんなちっぽけな怒りをぶつけるべきではなかったのである。


 す、と。受付嬢が手を掲げる。

 何をする気だと門番達が取り押さえようとするがもう遅い。


 瞬きの間すらなく、彼女の手から迸った雷撃が門番の身体を貫いた。


 悲鳴すらなく、一度大きく痙攣してからその場に崩れ落ちるドワーフの姿に、気色ばんでいた男達の動きが止まる。

 死んではいないようだが、焦げ臭い匂いとぴくぴく痙攣するだけの身体は残りの警備兵達から戦意を奪うには十分すぎた。


 恐る恐る受付嬢の方を窺うと、彼女の手が握っている小さな琥珀のような物が目に入る。

 それは魔石。人工的に魔術を埋め込まれた道具である。

 衝撃を与える、僅かな魔力を込めるなど起動の仕方は様々だが、使い方さえ知っていれば魔術の知識がない者でも魔術を使える優れものだ。


 それだけ聞くと便利な道具だが、込められた魔術しか使えない上基本的に発動は一回きりの使い捨て道具。今も雷撃の魔術を放った石はひび割れて砕け散った。

 しかも相当に高価な物で、今ほどの魔術が込められた物であれば三人家族が一月は暮らしていけるだろうか。


 そんな高級品なのでおいそれとは使えない代物だが……彼女の指に挟まれた魔石は、残り

 それが全て今と同等の威力であれば、警備兵達のうち防御手段がない者は全員倒れるだろう。


 今さら腰が引けた男達に、 受付嬢が声を掛ける。


「私にはですね。小さい頃からよく遊んでくれたお姉ちゃんがいるんですよ」


 コツン、コツンと魔石同士がぶつかって鳴る音は小さなものだが、男達にとっては獣が牙を噛み鳴らし、次の獲物を見定めているようにしか聞こえなかった。


「その人は私が小さい時から、それよりずっと前からいつも誰かのためにと善行を積んでいて、でも自分の幸せには無頓着なんです。 助けるために損をして、助けられてよかったと笑う人なんですよ……だけど最近は本当に楽しそうに笑っていて、恋人でもできたのかって思うくらいだったんです」


 その時、警備兵達の背後から多くの是音が聞こえた。

 警備兵の一人が振り返って見ると、そこには屋敷の主が招いた客人……とは名ばかりの傭兵や荒くれ者達、すなわち暴力のプロフェッショナルの姿があった。


 結界の破壊と門の異常に気付いて駆けつけたのだろう彼らは、ガランが雇った魔族に強い恨みを持つ者達だ。

 もしもアークの襲撃にしくじるようなことがあれば襲撃に加わる予定だったが、そういったこともなく力と怒りを持て余している者達である。


 雇われた全員ではないが、その数は二〇に届くだろうか、これで魔術を撃たれようがこちらが負けることはないと、一度は萎えていた闘争心に火がつき再び武器を構えて気付く。


 もう一度言うが警備兵達が取るべき行動は投降することだったのだ。そんな怒りをぶつけるべきではなかった。




 門の外、住宅地の中はいつの間にかでいっぱいだったのだから。




 宿の女将さんがいた。 露店の店主がいた。ギルドの職員がいた。ただの主婦がいた。 衛兵の男がいた。この街のどこにでもいる、ごく普通の人々がそこに立っていた。

 その数はどう見ても一〇〇人を下らないだろう彼ら。種族も年齢も性別も、統一感がないように思える彼らに共通している点は二つ。


 一つは各々が武器を構えていること。魔石にオーソドックスな剣、果ては豪奢な造りの鎧から何に使うのかもわからない捻じくれた杖まで。てんでバラバラな装いではあるが全員が武装している。


 ここは商業都市。この街には全てがある、というのは誇張された表現ではあるが、大抵の物が手に入る。

 その武装は彼らがそれぞれ手にすることのできる限り最高の武器。金、人脈、家宝に自らの扱う商品と、手段に違いはあれど手を尽くして入手した物に違いない。

 そしてなぜ全員がそんな武装を手にしているか、その答えは二つ目の共通点。


「だから、は怒っているんですよ」


 そう言い放つ受付嬢の表情に先ほどまでの顔色を窺うような色はすでになく、烈火のごとき怒りを秘めた瞳がそこにある。


 それは彼ら全員がそうだった。皮と肉の下に詰め込まれた怒りは今にもはち切れんばかりで、先頭に立って喋っている受付嬢がいなければ、抑えきれずに今にも飛び掛かっていたことだろう。


 彼らの二つ目の共通点……それはアークの知人であるということ。


 この光景はアキとギルド長が立てた策の一つであり、策を飛び越えてしまったもの。


 結界を破ることができたとして、その音と衝撃に気付く者がいればパニックが起きる。

 花火の音に紛れさせるにしても限界があるし、屋数の近くにいれば衝撃で怪我人が出てもおかしくはない。


 そこで信頼できる街の住人に限りひっそりと連絡を出した。その内容は『アークを助けるために協力してほしい』というシンプル極まりないもの。

 そしてその結果、連絡を受けた者達全員が協力を約束した。


 彼らが果たした役割は大きく二つ。

 一つは結界を破る時のケアをすること。

 屋敷周辺の住人と協力し無関係な一般人の通行を禁止、怪我人を出すことを防ぐ。

 屋台の経営主や衛兵達には、街中で音と街撃を不審に思った者達に新作の花火の影響だと説明し、集団パニックを回避する。

 彼らの働きのおかげで、今も事故が起きることはなく祭が回っている。


 二つ目の役割だが、これはアキとギルド長が出した指示ではない。彼らが自主的にやると言い出したことだ。


 すなわち、この場で警備兵達を相手取ること。


 商業ギルドに集まった彼らがそう言った時、ギルド長はともかくアキは難色を示した、それはあまりにも危険すぎると。


 だが彼らは言ったのだ。『ここを曲げるつもりはない』と。

 アキがガランに対して怒りを抱いているように、 彼らもまた怒りを抱えていたのだから。


 先ほど受付嬢が述べた言葉は、関係性こそ違えどこの場にいる全員に共通する気持ちだ。


 八〇年、彼女はこの街で誰かを助ける者であり続けたのだ。

 ここにいるのは彼女を妹や子のように思っている者、姉や母のように思っている者。関係こそ違うが皆この街で暮らすうちに彼女に助けられた、彼女のことが大好きな人たち。


 だから許せないのだ。彼女を傷つけた者を。


 彼らのうち、今回の事件の真相や彼女の過去を知っている者はごく僅かだ。

 だが全員が知っている。ここ数ヶ月もの間、彼女を狙い続けた者がいることを、今まで見た中で一番幸せそうだった彼女の笑顔を壊した者がいることを。


 故に彼らは武器を取った。あの笑顔を取り戻すために。


「ここは商業都市アーク、商人達が集う街。そして商人にとっての鉄則があります」


 改めて、掌で魔石を弄びながら受付嬢が言う。対峙する警備兵達はもはや身動きをとることすらできない。ただ場に満ち溢れる怒りの空気に生唾を飲むが、もはやどうしようもない。


 彼らは理解していなかったのだ。自分がこれほど憎む相手を、心の底から大切にしている者達がいるなんて。




商人私達大事な人に手を出したこと、這いつくばって悔いろ」




 鉄則。即ち、強盗に譲り渡す物などこの街には何一つない。


 受付嬢の手から再び放たれた閃光とともに、彼らは一斉に飛び出した。

 そして駆けながら思う、自分達がやれるのはここまでだと。


 彼女の笑顔を見せてくれた少年に希望を託すため、もう一つの戦いが始まった。







 ◆







 門の周辺で戦闘が始まったのと同時刻、所変わって屋敷内。


 閃光と轟音に誘われ警備や雇われ兵のほとんどが門の方へと向かったが、それでも全員というわけではない。

 奥の部屋にいた者や、門の戦闘を囮に屋敷内へ踏み込んだ二人組を見て追いかける者達は少なからずいた。


 なので、二人はそんな兵隊達を相手取る必要があるはずだったのだが……。


「うおおおおおおお!?」


 ドタドタと足音を響かせながらアキは廊下を駆けていた。

 屋敷内に入ってみると予想通り、というより予想以上に武装した者の姿が多く冷や汗をかいたのだが、今叫びながら走っているのは彼らから逃げ回るためではなかった。


「はーはっはははははっ!!」


 ドカバキメキゴギィッ! と人体から放たれていいのかわからない音とともに、侵入者を排除しようとした兵士達が倒れていく。

 男も女も老いも若いも種族すらも関係なく鞘の一振りで床に沈む光景は、率直に言って恐怖以外の何物でもない。


 そしてその中心にいるのは、自身が暴風と化したかのような暴れっぷりを発揮するギルド長。

 戦闘をこなしながら走っているというのに、前を走っているアキにじわじわと追い付きつつある。


 長い髪を振り乱し返り血を浴びながら哄笑を上げるその姿は、まさしく地獄の悪鬼そのものだ。

 警備兵達もあまりの恐ろしさに先行するアキには目もくれず、挑みかかって返り討ちにあうか棒立ちのまま轢き飛ばされるかの二択しかない。


 しかも彼女が鞘を振るたびに暴風が通路を突き抜けてアキの身体を吹き飛ばそうとするのだ。

 結果として、敵地のど真ん中で味方から逃げるという何とも言えない間の抜けた光景が生まれていた。


 風に足元を掬われそうになりながら、アキも曲がり角から飛び出してきた警備兵を棒術で打ち据える。普段護身用に使っている棒に細工を施したは武器はよく手に馴染み、一撃で相手の意識を刈り取った。

 とはいえ、戦闘が本職ではない少年は内心怯えながら叫ぶ。


「ババアーーーーーっ! はしゃいでんじゃねえさっさとアーク探せボケェ!!」

「つれねえこと言ってんじゃねえよ! せっかく殴って鬱憤晴らせるんだからお前もやっとけ! 楽しいぞ!!」

「お前何しに来たの!?」


 少女を救出しに来た者の口から出るとは思えない言葉とともに、暴力の嵐が吹き荒れる。

 言葉の通りストレス解消のために暴れているようだが、数ヶ月悩まされた問題の種がそこかしこから現れる状況なので仕方ないのかもしれない。


 屋敷に突入する時にしたって、本来なら脱出艇を発射して結界を破った後、自分達は脱出艇から離脱、風の魔術を使って減速しながら降下して騒ぎを横目にこっそり侵入する予定だったのだ。


 それなのにあろうことか、離脱した後はゆっくりと降下するどころか自由落下に身を任せてダイブ。地上に激突する寸前で無理矢理勢いを殺して滞空すると、「一発かましてこい」とアキを敵兵のど真ん中に投げ落とす傍若無人っぷりだ。


 そのままヤケクソ気味に口上を述べたはいいが、あのままでは袋叩きにあっていただろう。その前にギルド長が助けてくれたが、そもそもの原因なので礼を言う気にもなれなかった。


 そして屋敷に突入し現状に陥っている。

 一応アキに危害を加えそうな相手を優先して叩いているようだし、目的は忘れていない……と信じたい。


 そうこうしているうちに、通路にいた最後の一人が天井にかち上げられて燭台に引っ掛かった。

 これで追っ手はいなくなったが、立ち止まることはしない。二人揃って次々と扉を開けて中を確認していく。


「おいババア! アークがどこにいるか見当つかないのか!」

「生憎屋敷の中に入るのは初めてでな、まあ偉いやつがいそうなとこだろ!」

「どこだよそれ!?」

「高い位置の奥まった部屋! 偉そうだろが!」

「なるほどなぁ!」


 そんなわけのわからない会話を続けながらもスピードは緩めない。ちょうど目の前に見えた階段を二段飛ばしで駆け上がる。

 とは言ってもギルド長の言葉がそこまで間違っているわけでもないのだ。この手の建物では一番侵入しにくい場所に重要人物の部屋があると相場は決まっている。


 と、階段を駆け上がった先。廊下の隅に今までの警備兵達とは毛色の違う人間が転がっているのが見えた。


 高価な服を着こみ丸々肥え太った男、どう見ても暴力の匂いがする人間ではない。

 騒ぎに怯えて踞っていたのか震えながら辺りを見回していた男は、こちらの姿を認めると慌てて走り出そうとした。


 それを止めようとしたアキだが、 その前に今まで並んで走っていたギルド長の身体が掻き消えて男の前に現れる。壁に手を突いて立ち上がろうとした男の鼻先を爪先が掠め、壁に衝突して激しい音を立てた。


「ひっ、ひい!?」


 せっかく立ち上がりかけていた男はそのまま後ろに倒れ込み、青ざめた顔で尻餅を突いている。

 ギルド長はその目の前にしゃがみ込むと、その獣じみた眼光で男の顔を睨みつけた。


「息子に当主の座を譲ってから見かけねえしくたばったかと思ってたが、中々どうして元気そうじゃねえかよ。なあオイ、ウーロ・アーク・ラカさんよお」


 その名前を聞いてアキも察しがついた。話に上らなかったので特に気にしていなかったが、確かにここは貴族の屋敷なのだから親族がいても何の不思議もない。

 見た目はまるで似ていないが、今の話からしてガランの父親だろう男、ウーロは震えながら後ずさる。


「ま、待ってくれ! 私は何もしていない!」

「ほお、じゃあ誰が何をしたかは知ってんのか?」

「あ、あれは息子が、ガランが勝手にやったことだ! 今さらあの実験体を攫うなどどうかしている! 私は何もやっていない! 本当なんだ。ゴロツキどもを雇ったのもあいつが勝手に……ぶっ!?」

「知ってたのに息子の暴走を止めてねえ時点でてめえも同罪だボケが」


 弁明のつもりなのか必死に言い募るロを、肥えた頬ごと鷲掴むことでギルド長が止めた。


 一方でアキは実験体という言葉に眉をひそめつつも安堵していた。

 ウーロは今、アークを攫ったと言った。

 今までアークが攫われたというのは推測でしかなかったが、今の言葉が真実ならアークはまだ生きているはずだ。

 そして、その場所を知っていそうな人間が目の前にいる。


「おい、一度しか言わんからよく聞け。アークとガランがいる場所を今すぐ教えろ。でなきゃ……」


 そう言って刃を見せつけるギルド長に、ウーロは残像ができそうな勢いで首を縦に振る。

 同情するつもりはないが、 あまりの容赦のなさと思考時間皆無で行使される暴力にアキは若干引いていた。このババアマジで恐い。


「む、向こう。別棟にある階段を使わないと行けない三階の部屋が」

「面倒だてめえも来い」

「ちょっ待っ、首、首が絞まっ……!」


 ウーロの襟首を掴むと半ば引きずるような形でギルド長は走り出す。悲鳴は黙殺し、アキもそれに追従した。


 さっき撃退した警備兵が最後だったのか、道を遮る者は誰もいない。外から戦闘音がするのでそちらに大半が集まっているのだろう。こうなると協力してくれた彼らの参戦は正しい判断だったのだろう。アキは改めて感謝し走るペースを上げる。


 妨害こそないが、屋敷内の道が思ったより複雑だった。

 別棟にある階段から本館の三階へ、三階から一階まで降りて部屋の中を通り抜けて別の廊下へと、目まぐるしく移動しなければならないのだ。あそこでウーロを拾って案内させたことは幸運だったらしい。


 そうして何度目かの移動を終えると、目の前に頑丈そうな扉が見えた。


「あ、あの部屋だ! あそこにいるはず!」


 鉄製らしいその扉は確かに何かを守るには有用そうで、否が応でも緊張が高まる。


「上等」


 ただ、ギルド長はそんなものとは無縁なようで、脇に抱えていたウーロを放り出すと更に勢いよく加速をつける。

 床に転がったウーロが潰れて声を上げると同時、勢いよく放たれた回し蹴りが扉をぶち抜いた。


「アーク!」


 見た目と裏腹に大した抵抗もなく開いた扉を潜り、室内に踏み込んだアキは大声で彼女の名前を呼ぶ、しかし。


「誰も、いない……?」


 思わず口から出た言葉の通り、室内には誰もいなかった。

 調度品が極めて少なく、机くらいしか物がない室内には隠れるような場所がない。にも関わらずそこには誰の姿も認められない。


 そしてただ一箇所、部屋の隅に妙な物があった。 それは床に刻まれた直径三メートルほどの円と模様、 更に正確に言うならば魔術の術式である。淡く赤い光を放つそれが、無人の室内を薄く照らしている。


 それを見たアキは何故か既視感を覚えた。魔術師でないアキにとって術式など未知の技術だ。なのにあの模様には見覚えがある。

 それがどこで見た物だったか、思い出す前に別の所から答えが出た。


……」


 聞こえた言葉に振り向くと、そこには扉を蹴り抜いた姿勢のまま固まっているギルド長がいた。


 今まで不遜に構えていた顔は歪み、 驚愕を顕にしている。その理由は、


「ふざけんな……転移の魔法じゃねえか!」


 そう言われてアキが思い出したのは、 地下港を観光した時のこと。昇降機の中央に刻まれていた魔法陣は大きさこそ違えどたしかに同じ形をしていた。

 陣から別の陣へと指定した物を運ぶ、現代では再現不能な技術。魔法。なぜそんな代物がここにあるのか。


 いや、今重要なのはそこではない。昇降機の魔法陣は水を転移させる物だった、ならばこの部屋にある魔法陣は何を移動させる物なのか……何を移動させた物なのか。

 部屋の中にいるはずのモノがいない。つまり答えは単純だった。


「っ、ウーロぉ!!」

「は、はいっ!」


 叫び声に合わせて、まだ廊下で転がっていたウーロが身を起こした。ギルド長は彼の胸倉を掴み上げると魔法陣を指さして怒鳴る。


「あれは何だ! 何で魔法陣がこんな所にある!」

「あれは、その」

「いいから答えろ!」


 鬼気迫る、という表現がぴったりと当てはまるその剣幕に、ウーロは息を詰まらせながら何とか答える。


「あ、あれは昔からある転移の魔法陣だ! 血を登録された者だけが通ることのできる術式で、ラカ家の者だけが知っている地下水路に繋がってる!」


 その言葉を聞いたギルド長は目を見開くと、 ウーロを掴んだまま魔法陣に歩み寄る。そして魔法陣に触れようとして、見えない何かに阻まれたようにその手が空中で止まった。

 押してもビクともしないその現象に歯噛みすると、今度はウーロの手を魔法陣に近付ける。


 すると空中で手が。正確には消えたのではなく目に見えない『扉』を潜っている状態なのだろう。恐らく、ウーロの手は今、その地下水路とやらにある。


「血の登録ってのは何だ、どうやったらアタシらの血を登録できる!」

「ひっ!? 血、血だ! 血を魔法陣に垂らしてから、 既に登録されている者、ラカ家の者が承認がすれば通れるようになる!」

「だったらてめえが承認を……」

「できる! できるが魔法陣が血を読み込むのには丸一日かかる! 今すぐ通るのは無理だ!」


 その言葉にギルド長は拳を魔法陣に叩きつけた。が、それは空中で阻まれて魔法陣本体には触れることすらできない。


「……おまえが通って、あいつらを連れ戻すのは」

「むむむむ無理だ! ガランは今おかしくなってる! 何がしたいのか知らんが数年前から妙な魔術の研究を始めるわ、最近は知らないゴロツキを家に招くわ、連れ戻しに来たなんて言ったら私だって、こ、殺されるかもしれない!」


 そう言って首を横に振るウーロは本当に怯えているようで、これでは転移させたところで震えるばかりで何もできないだろう。


 そして今の話を聞く限りこの犯行はガランの独断。実の親もガランが何をしているのかすら知らないらしい。

 何をしたいのかはわからない。が、ガランが何も信用していないということはわかった。

 雇った人間も強力な結界もただの保険であり隠れ蓑。本当に必要だったのはただこの魔法陣だけだったのだ。


 ギルド長ならばこの魔法陣を壊すことはできるかもしれないが、そうした場合向こう側に行く手段がなくなってしまう。

 地下水路ということは港から捜索を始めれば見つけられるかもしれない、しかし圧倒的に時間が足りない。

 水中を通らなければならない場合は水棲種族しか動けないし、岩盤に遮られていればそれだけでアウトだ。


 多くの人の手を借りて結界を破り敵を倒してここまで来たのに、ようやく助け出せると思ったらこれだ。あまりの悪辣さと自身の不甲斐なさに拳を強く握りしめた。


 夜中というタイムリミットがすぐそこに迫る中逆転の目を探す。それがどれほど困難なことか理解しているからこそ、絶望が思考を触んでいく。

 諦めてなるものかと、必死に思考を回しても視界が狭まっていく。


 そんな中で。


「えっ」


 場違いな声に反応して目を向けた先にあったのは。




 アキの手が、魔法陣の向こう側に消えている光景だった。




「……は?」


 ギルド長が思わず声を上げる。しかしアキにとっても予想外だったのだろう。それを為した本人が目を見開いている。


 部屋にたどりついてから予想外の状況の連続で、改めて絶望を叩きつけられて、それでも何かできることはないかと魔法陣を確かめようとした手が、見えない扉を潜り抜けたのだ。


 その謎の現象にギルド長はウーロを見やったが、彼もまた驚いた顔をしている。さっきの説明は嘘ではなかったのだろう。こうしている今も、ギルド長の手は向こう側に届かないのだから。


 この現象がどういう理屈で起きたのかはわからない。が、ここを通り抜けられる人間がいることはわかった。


 顔を上げた二人の目線が噛み合う。もはやそれで十分だった。




「任せた」

「任された」




 そうして、ギルド長は再びウーロを担いで部屋を飛び出した。間抜けな悲鳴を最後に部屋の中が静まり返る。


 こうしている今も屋敷は揺れている。屋敷の周りで戦っている協力者の数は多いが、相手には暴力のプロもいる。街や観光客に被害を出さないためにも、ここでできることがないのなら向こうを援護した方がずっといい。二人ともそれを理解していた。


 しかしそれは、当てにしていた最大戦力を抜きに、たった一人で黒幕のいる場所へと向かうことを意味している。


 一つ、大きく深呼吸をした。

 ここまで色々な人の助けを借りた。誰も彼も、アキよりよっぽど長い時間をアークと過ごして来た人達だ。彼女を助けたいと、心の底からそう思っている人達。


 そんな、自分の手で助けたいと思っているはずの彼らから託されてここにいるのだ。ならば選択肢は一つしかない。


 ……なんて、そんな言葉は結局のところ建前だ。だってアキがここまで来た理由なんて、最初から決まりきっているのだから。


 そして少年は魔法陣へと飛び込んだ。一瞬の後には部屋が再び無人になり、淡い光だけが残される。




 さあ、今宵の宴もたけなわだ。最後の戦いを始めよう。








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