第17話 花火


 暗く日の届かない空間で、幽鬼はひとり佇んでいた。


 幽鬼……ガラン・アーク・ラカは自身が作った成神匣アークピースという名の黒い小箱を手の中で弄びつつ、淀んだ目で言葉を紡ぐ。


「あんた達は……やり方を間違えたんだ。私は間違えない。こいつを使って……私が成し遂げるんだ」


 ぶつぶつと呟く言葉は聞く者からすれば意味のわからないことばかりだが、本人にとっては決意の現れだ。そのためにあの化物……エルザ・ゴーシュを敵に回すほどの覚悟。


 自分が描いた筋書きと、忌々しくも愛おしい人造魔族の姿を思い描きながら、幽鬼は闇へと溶けていった。






 ◆






 いよいよ祭が始まった。


 街に溢れ返るのはここ最近の寒さを吹き飛ばす熱気と歓声。街の至るところに飾りつけられているのは街の守り神である蛇の意匠。

 守り神に感謝するための祭はしかし、今ではその意味も薄れ盛大なイベントとして広く認知されている。


 大通りでは商人の街に相応しい光景として多種多様な露店が立ち並び、それを目当てにした観光客達の隙間を縫わないと歩けないほどの繁盛っぷりだ。

 街の中央にある地下港では、今は街に伝わる神と巫女の芝居をしていることだろう。

 もうじき一番の名物である花火が上がることもあって、街の盛り上がりは最高潮に達していた。


 そんな中、ガラン・アーク・ラカの所有する屋敷で、門番につくドワーフの男は槍を杖代わりにしながら大きく一つあくびをした。


 この辺りは住宅が多いため露店もなく、商店が立ち並ぶ通りほど賑やかさはない。

 だが遠くから開こえる祭の喧騒は聞こえているし、明るく照らされた道の様子が垣間見える。


 男は特段祭に興味があるわけではないのだが、己の仕事中に楽しく遊んでいる連中を見るといけ好かない。

 あくびついでに足元の石を蹴り飛ばすと、結界に当たって澄んだ音を立てた。

 本来ならこんな日は休んで昼間から飲んでいたかったのだが、今日に限って無理矢理番につかされた。


 何でも、今日は絶対に人を入れてはいけない日だと。

 誰も、のところでわざわざこの街の商業ギルド長、泣く子も黙るエルザ・ゴーシュの名前が出された時はきな臭いと思ったが、事情を開いて結局引き受けた。いざとなったら上の命令だったと言えばいいのだからいくらか気も軽い。


 実際、昼間には事情を聞くためにギルド職員が来もしたのだが、事態をまったく理解していない門番はすげなく追い返している。

 魔族の少女について知らないかと聞かれたが、知っていたとしても言いはしない。なぜならこの屋敷は、主の意向により魔族に対して悪感情を抱く者ばかりが集められているのだから。


 門番のドワーフにしたって、小さい頃から散々魔族の危険性を教え込まれている。

 この街に住んでいる魔族の話を思い出し、顔をしかめて更に小石を蹴り飛ばしていると、少し離れた通りをこちらに向かって来る影が見えた。


 暗い中でもわかるほどその影は大きい。何かと思って目をこらすと、それは荷車のようだった。

 それがどうもまっすぐ屋敷を目指しているようで、門番は槍を構えて制止の声をかける。


「止まれ!」







 今まで身体を揺さぶっていた規則的な振動が収まった。

 密閉された空間にいるため外の様子は窺えないが荷車が止まったようだ。


 作戦、と言えるほど上等な手段ではないかもしれない。だが、今はこれに賭けるしかないのだ。


 そう覚悟を決めて、薄闇の中で再び息を潜める。







 制止の声を受けて荷車は止まった。もっとも、門から少し離れたところにまで結界が張られているのでそれ以上進みようがないのだが。


 なぜこんなものが張られているのかは門番も知らないが、その強度は城壁にも勝るらしい。こうして門番が立っているのは、侵入を防ぐためでなく目を使って、屋敷の周辺で怪しい動きがないかを見張るためだ。


「すいません、商業ギルドの者なのですが」


 荷車の先頭、荷を引く男達の前に出て、人間の女が門番に声をかける。

 彼女は、ある少年がこの場にいれば受付嬢さんと呼ぶだろうギルドの職員だった。


 その名乗りを聞いて門番は眉をひそめる。何かと思えばまたギルド関係者か。昼間も何度もやって来たのに、また魔族などという不快な存在について聞きに来たのだろうかと。


 怪しい者がいればすぐ連絡を寄越すようにと上司から言われてはいるが、相手は一応身元のわかる人間だ。連絡の必要はないだろう。


「何の用だ? 昼間の件であれば何も知らないと言ったはずだが」

「いえ、そちらの件ではないのです。以前から約束されていた品を届けるようにとギルド長から言われまして。こちらがその品です」


 そう言って彼女が指し示すのは、荷車の上に置かれている大きな箱だ。

 何人もの人間がゆったりと収まるほど大きいそれは、豪奢な意匠が施されているだけでなく、ところどころに宝石が埋め込まれ、見る者を惹きつける輝きを放っている。なるほど、貴族どころか王族に献上するようにも見える品だが……。


「……そんな品のことなど聞いていないが」


 門番が聞いていたのはどんな者であっても通すなという命令。当然、荷物が通ることなど聞いていない。

 にわかに警戒心が湧き上がり、詰所に連絡を入れるべきかと考える。


「いえ、連絡はガラン様に届いているはずです、感謝祭当日にお届けすると。なので受け取っていただけませんか?」


 どこか急かすような催促に、いよいよ門番の疑念が深まる。

 手の中に仕込んでいた魔道具のボタンをひっそりと押すと、それはわずかに振動した。

 二つで一つの役割を果たすこの魔道具、片方が起動するともう片方も震えるというだけの簡単な仕組みだが、これで詰所にある魔道具も震えて仲間に連絡が行ったはずだ。すぐに何人かがこちらへ到着するだろう。


 それまでにもう少し事態を把握すべきだろうと、箱を指さし問い質す。


「問題がないというなら、その箱の中身を見せてみろ」

「えっ、いえ、それは」


 その言葉に、受付嬢はあからさまに狼狽えた。


「じゅ、重要な荷物ですので、ここで開けるというのは……」

「こちらが受けているのは誰も通すなという命令だけだ。荷物のことなど知らんし、中身の確認もできていない物を通すわけにもいかん。今この場で箱を開けて、中身の説明をしてみせろ」


 彼女の反応とやけに豪奢な造りの箱を見て思ったのは、あの箱の中身が爆弾のような危険物なのではないかということ。まさかとは思うが、実力行使で飛蚊の中に入ろうとしている可能性。


 いや、もしかしたら……が入っているかもしれない。


 結界が張られているため侵人できない屋敷に、荷物のふりをして屋敷の中に入れてもらう。そんな浅知恵を働かせたのだとしたら、馬鹿なやつもいたものだ。


 そうしていると同僚達もやって来た。

 彼らは皆一様に謎の箱を見て警戒心をあらわにしている。 そんな中、受付嬢はどこか覚悟を決めた様子で口を開いた


「……わかりました。中身を検めてください」







 入れ物に軽い衝撃がかかった。 何かに持ち上げられるかのような、独特の感覚が身体を襲う。それからすぐ、何かを持ち上げる重たい音が響いて──。







 この場で開けることはないだろうと高を括っていた箱が、門番の目の前で開き始めた。

 結界の向こう側で開けられているので万が一にも危険はないはずだが、それでも反射的に身構えてしまう。

 大男二人で開けられる箱の中に入っているのは武器か人間か、それとも別の何かか。

 そうして箱が完全に開き、さらけ出されたものは……。




 何も入っていない、空っぽの中身。




「……は?」


 間抜けな声を漏らす門番。予想もしていなかった結果に、場に空白の時間が流れる。


 そして次の瞬間、遠くで花火が上がる音と歓声が聞こえて、




 天から星が堕ちてきた。






 ※






「よお、ご同輩。いっちょやらかす気はないか?」


 商業ギルドの入口でそう言った少年の姿は、先ほど別れた時とは別人のものだった。

 無力感や憤りに心を折られ、行く当てを失っていた迷子の姿はそこにない。ただ目標を見据え一直線に突き進む、強靭な矢のごとき姿がそこにある。


「何をやらかそうって?」


 ギルド長は何があったとは聞かなかった。ただ、これから何をするつもりなのかを問う。


 少年はその言葉に歯を剥き出しにして獰猛な笑みを浮かべる。


「結界をぶち破って、あのクソ野郎からアークを奪い返す」


 ざわりと、その場にいたギルド職員達に動揺が広がる。

 この場にいるのは事情を知っている者だけで、今も祭の状況を把握しつつアークの救出について話し合っていたところだった。それだけに結界を破るというのがどれほど難しいことなのか理解している。


 いや、そもそもの話だ。アークが今生きているかどうかすら……。


「アークは生きてる」


 場に満ちた無言の言葉を感じ取ったかのように少年が口を開いた。全員の視線が彼の方を向く。


「アークは襲われた。最後に姿を見たのは俺で、 それもガランが結局どうしたのかを見てないから今どうなってるかは知らないけど」



「そもそも、何で昨日襲う必要があったんだ?」



 その言葉に多くの職員が疑問符を浮かべる中、ギルド長だけは目を見開いた。


「あいつは元々弱ってて、何年か放っておいたら死ぬような状態だったんだろ? 単純に死んで欲しいだけなら、そもそも襲う必要すらないんだ。でも相手は何回もアークを襲って弱らせてる。それだけだったらよっぽど強い恨みがあって自分で手にかけたいのかもしれないけど、それだって昨日である必要はないんだ。少なくともアークにはまだ何人も刺客をぶっ飛ばす力が残っていたんだから、確実に殺すっもりなら他の日を選ぶはずだ」


 もっとも、相手はアークに対して発動する謎の切り札を持っていたようだし、単純に殺意を抑えきれなかっただけかもしれない。


 ここまではただの希望的観測だ。ただ、襲撃が他でもない昨日だったのが引っかかっていた。


「元々、あいつの実験に使われたのはこの街の儀式で使われる術式だったんだろ? ……その儀式って、もしかして感謝祭でやるものなんじゃないのか?」


 そう、今日は感謝祭当日。祭の説明を聞いた時は特に気にしていなかったが、事情を知った今となっては話が別だ。なにせ神に関する祭事……つまりはアークに深く関係するものなのだから。


「実際、アークを殺そうっていうんならもっと弱ってからでもよかったはずなんだ。俺ならそうする。なのに昨日だったのは、今日に間に合わせるためだったんじゃないか? ガランの家系が実験をしてたんなら、もしかしたら昔の資料みたいな物が残ってたのかもしれない。そして今日また新しい実験を始めようとしてるとしたら? アークっていう、昔の成功例を使って」


 アキが語った推測を受けて場は静まり返った。 筋が通っている話だと思う。粗はあるが、頷けるところばかりだった。


 ただ、まだアークが生きているという希望は抱けたが、このままでは彼女が再び一〇〇年前と同じ目に遭うという絶望も見えてしまった。


「なあ、巫女の儀式ってのはいつやるもんなんだ」

「……深夜、日付が変わる直前だな」


 現在は昼過ぎ、つまり実験が行われるとしたら猶予は半日もない。

 あまりの時間のなさに歯噛みする者達の中、アキは一切下を向かなかった。


「なら、その前に結界を破る」


 迷いのないその言葉に、再び全員が注目した。


「無茶苦茶なことをしようとしてるし、色んな人に迷惑をかけると思う……だけど、俺にできることは何でもやる。金も、ツテも、人生も。全部ここに一点賭けだ。だから頼む。あいつを助けるために、力を借して欲しい」


 お願いします。と、頭を下げる少年の事情を知っている者はこの場にほとんどいないだろう。

 しばらく前からこの街に滞在していて、アークと行動しギルド長と話していた少年、ということしか知らない。


 そもそもの話、アークの身体のことや実験のことにしたって、彼女を助けるために必要かもしれない知識だと今日伝えられたばかりなのだ。昨日までのアキと同様で、詰め込まれた情報量を処理しきれていない。




 だけど──。




 誰かが、いつか彼女に握ってもらった拳を握りしめた。


 別の誰かは、彼女に助けられた時にできた腕の古傷を撫でた。


 別の誰かは、誕生日プレゼントだと彼女からもらった腕輪を見た。


 ここにいる者達は何年も、何十年もこの街に住んでいる者ばかりだ。

 だから、彼女のことをみんなが見てきた。困っている人に手をさし伸ばし続けた彼女の姿を。

 彼ら自信も少女に恩がある者が多く、絶対に助けたいと思っている。


 そんな彼女がこのところ本当に楽しそうにしていて、その傍らには常に少年の姿があったのだ。


 そんな少年が、彼女を助けたいと叫んでいる。ならば、選択肢は一つだった。


 少年が浮かべる笑みに呼応するようにギルド長が凶悪な笑みを作り、職員達が腕を突き上げる。




 その瞬間、街全体を巻き込む作戦が始まった。








 そして時刻は夜、場所は街を囲む外壁の上。

 密閉された箱の中で、アキは大きく深呼吸をした。


 外壁の上に運ばれる花火の中に混ざって、一つの大きな箱が運搬されていたことに作戦の内容を知る者達以外は気付かなかっただろう。


 箱……いいや、船の中は外観に反して狭いが、何とか人二人が乗るだけのスペースは確保できている。


 そう、船だ。その見た目は僅かに湾曲する箱のような、ギルドの倉庫に保管されていた脱出艇である。


 アキの作戦はシンプルというより、馬鹿正直といった方がいいものだった。

 硬い物を、超高高度から結界にぶち込んで物理的に破る、ただそれだけ。


 脱出艇は大戦時の技術、すなわち結界が作られた時と同じ技術を使われている上、中身を守るため硬度に重点を置いた物。結界の硬度に引けを取らないのではないかという単純な思考から出た発想だった。


 船を高く打ち上げる方法についてもシンプルで、花火と同じ方法、すなわち風の魔術が込められた筒で弾丸のごとく天へと発射する。

 さすがに花火とは質量が違いすぎて一つの筒で打ち上げることはできないが、外壁全体で一〇〇個あるうちの三〇個を一ヶ所に集めて束ねることで無理矢理に出力を上げている。


 脱出艇も花火も、本来の用途が違いすぎてこんな使い方など誰も考えつかなかった物だが、アキにはそういった先入観がない。ただこの街で見てきた物の中で、使えそうな物 を選んだだけのこと。


 子どもの思い付きのような発想ではあったが、ギルド長を始めとする魔術師達はそれを実行可能だと判断した。

 既に打ち上げの体制は整い、後は発射を待つだけの状況。そんな中、アキのすぐ後ろから声がかかる。


「確かにこの方法ならいけると思うがな。一つ気になることがあるんだが」

「何だよ……これでも繋張してるんだから集中させてくれよ」


 本来なら一人乗りだろう座席に収まっているのは二人、アキとその後ろに身体を詰め込んだギルド長だ。ただでさえ狭い空間は彼女が持つ刃渡りの長い刀で圧迫されているが、今はそれが必要なのでどうしようもない。


「アタシがこいつに乗り込むのはわかる。必要なことだからな。ただ、何でお前も一緒に来た? ここが一番危険な役どころだって理解してんだろ」

「理由なんか一つしかないよ」


 そう言うアキの声からは、言葉とは裏腹に緊張の色が感じられなかった。




「一番にあいつに会って、言いたいことを言うんだ。ならここがそのための特等席だろうが」




 その言葉を開いたギルド長は数秒きょとんとしていたが、すぐに相好を崩して大笑いした。


「はっはっはっはっはっ! なるほど、確かにそいつはそうだ! いいねえ、ガキってのは そうじゃなくちゃな!」

「うるっせえなこんな狭いとこで大声出すんじゃねえよ!」

「いやいや、こいつが笑わずにいられるかよ! いいねえ、いい具合に温まってきた。こんな無茶をやるのも久しぶりだ。いい加減こっちもむしゃくしゃしてたところだしな、それじゃあいっちょう」




 やらかしてやろうぜ。




 と、その言葉に合わせたかのようにカウントダウンの掛け声が始まった。


 一〇、九、八、と数字がカウントされていく中、アキは自分でも意外なほどに落ち着いていた。

 身に纏っているのは一見普段通りの服だが、ギルド長に頼み込んで用意してもらった今まで稼いだ金全てをを注ぎ込んだ装備だ。

 それだけでなく、今後の仕事で入る収入も、様々な仕込みをするためにあちこちに頼みごとをして底をついた。


 アキが物語に登場するような英雄だったなら、そんなことをせずともアークを助けられたのかもしれない。

 だけど少年はただの人間だから、己の持つ全てを使う。あの手紙に答える、そのために。


 今やるべきことは、やりたいことは既に決まっている。ならば後は、そこに向かって突き進むだけだ。


 そして、外から聞こえるカウントがついに〇になり……。


 次の瞬間、凄まじい負荷がアキ達の身体を襲った。


 風の力を借りて発射された船は、まさしく銃身から放たれた弾丸のような勢いで空を駆ける。


 一般人の混乱を避けるため、発射の音を勘づかれないように予定通りの時刻に他七〇ヶ所の花火と同時に打ち上げているが、三〇の砲身を束ねた勢いは伊達ではない。それらより更に早く、更に高く夜空へと昇っていく。

 脱出艇が黒かったことが幸いして誰にも気付かれていないが、昼間であれば上空を大質量の物体が飛んでいることに街中がパニックになっているだろう。

 もしガランの側に気付かれて空中にあるうちに攻撃でもされようものなら、ろくに踏ん 張りもできず落下しその時点でお終いだ。だが、そうならないよう監視の目を引き付ける囮が屋敷へ向かっている。撃墜の心配はないはずだ。


 そのうち身体にかかる圧が和らぎ、ギルド長はともかくアキは全身を圧迫される息苦しさから解放される。船が最高高度に到達したのだ。

 間髪入れずギルド長は脱出艇の扉を蹴り開けると、アキを掴んで船の上へと躍り出た。


 眼下、遥か下方に商業都市が見える。

 外壁を含めて街の全てが見渡せるこの位置はいったいどれほどの高度になるのだろうか。


 アキ達より下、街の上空では今まさに花火が咲いたところだった。

 色とりどりに夜空を彩る火の魔術は初めて見るものだったが、なるほど、火炎が花を咲かすように広がる様は、地上から見ればさぞ幻想的な光景なのだろう。

 生憎と初めての花火が普通とは違う体験になってしまったが、これはこれで悪くない。


 そんな風に刹那の飛行を体験するアキだが、このままでは狙いも何もなくただ地上に落下するだけだ。

 そしてそれを変えるために、彼女はここにやって来た。


「そんじゃあ、行くぞ」


 大輪の花が咲く夜空で、エルザ・ゴーシュは刀を握った。

 その身に宿した魔力全てを、薄い刀身へと込めていく。


 通常なら無色であり常人であるアキには見えないはずの魔力が、 あまりの密度に薄く翠がかった色を帯びて物質世界に顕現する。

 アキはしっかりとエルザの腰にしがみついて振り落とされないようにしたまま、自分の頬が引きつるのを抑えられなかった。


 商業都市アークの守護者、エルザ・ゴーシュ。

 守護者と聞くと守りに秀でたイメージを持ってしまいがちだが、彼女の戦法はそこからかけ離れている。


 防御など考えない。ただその手に持つ刀に魔力を込め、相手に向かって斬りつけるのみ。

 街を襲う敵を斬って斬って斬り伏せて、全ての敵を葬ることで都市を守る『攻撃こそ 最大の防御』を地でいく戦法。


 正直な話、彼女が全力で刀を振るえば結界を破ることはできただろう。街を輪切りにする、という被害をもたらした上でだが。

 そんな攻城級の……いいや、街一つを壊滅させかねない絶技が今放たれる。




天鳴なきぞら




 しゅいん、と。


 響いた音はいっそ静かですらあった。


 だがアキはエルザが刀を抜いたところを見ていない。どころか、密着していたというのに彼女が身動きしたことすら知覚できず、いつの間にか天に向かって刀を振り払った体勢になっている。

 そしてあまりにも静かな音に対し、結果は絶大だった。


 轟!! と、大気が渦を巻く。


 凝縮された魔力はとっくに刀から解き放たれていて、一拍の間を置いて翡翠の颶風が夜空を染め上げた。

 天を呑み干す魔力光が広がる様は通常の花火とは色も規模もまるで違うが、夜空に咲いた花のようだ。


 その時地上では、今年の花火は数が少ないと思っていた観光客達が、空を全て埋め尽くすかのような光る風を見て歓声を上げたという。

 だが見た目は幻想的でも、そこに込められた威力はアキを一〇〇〇人惨殺してもお釣りがくるほどの死の風だ。


 そしてエルザはその技を天に向かって撃った。その結果は、とうに昔に顕れている。


 死の嵐が巻き起こした反動を使い、大気を焼き焦がす勢いで脱出艇が地上へ落ちる。


 もはや残光すら生じさせるほどの速度で突き進むそれは、見ようによっては流星のように見えたかもしれない。そしてエルザの狙いは正確で、星は狙い通りの場所、ガランの屋敷に吸い込まれ、




 バキャアアアアアアアン!!!!!! 




 と、街中に響き渡る音を立てて結界が砕け散った。


 どこにいても聞こえるその音はしかし、直前で夜空を彩ったありえないサイズの風の花と相まって何かの演出だったと思われた。何も知らない人々は、僅かに身を竦ませただけでそのまま祭を楽しみ続ける。


 堪らないのは屋敷の中にいた人間達だ。天地がひっくり返ったのかと思うほどの衝撃に、 建物の中にいた者達は泡を食って外に飛び出した。

 そこで彼らが見たのは破られた結界と、屋敷の中央に位置する中庭に突き刺さった謎の箱。


 全体がひしゃげ焼け焦げたような匂いを発する箱は、いったいどんなところからや って来たのか土砂を撒き散らしそびえ立っている。

 あまりの光景に絶句する彼らだが、事態はそこで終わらない。




 ドゴンッッッ!!!!!!




 と、凄まじい衝撃と共に、目の前に何かが落ちてきた。


 立て続けに起こる謎の事態に目を白黒させる彼らの前で、その何かが身を起こす。


 そう、身を起こしたのだ。


 それは人だった。

 傷んではいるが頑丈な作りの赤い外套を纏う体と、その手に握られた護身用の棒。

 土煙のせいで顔が見えにくいが、わずかに見えた口元は凶暴な笑みを浮かべている。


 そして風が土煙を吹き飛ばし、その奥にいた人間の身体をさらけ出した。


 そこにいたのは少年だった。特別なところなんて何もない。どこにでもいるようなただの少年。


 屋敷の人間達がようやく体勢を整える中、彼は獰猛に笑ったまま指を突き出す。




「どうも、デートの約束があるんで迎えに来ました。そこをどけよ、ボンクラ共」




 かつて逃走に使われた船は今、希望を載せた方舟アークとなった。


 さあ、反撃の狼煙は上がった。かつての因縁を断ち切って、迷子の少女を救い出せ。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る